諸行は無常。。虚妄な世界に生きるわたしたち。
息子の容態は、最近では、かゆみが出ているらしく胸から肩をかきむしっています。
ひどいありさまでアレルギーの薬も使っています。
黄砂が飛んでくるらしくなかなか厳しい状況です。いつも反応はなくとろとろ寝ています。
無理矢理車椅子にも乗せて1時間くらいはその状態をキープしてます。
昔のように何か反応してくれると良いんだけど、あまり反応がありません。
インドの哲学や思想は息子に似ています。思想があまりはっきりしないところがあるのです。
客観的に、どうだのこうだの言えないところがあって、いつも、「空である」という意識が行き渡っているような気がします。
サンスカーラ(諸行)の世界は虚妄であるとブッダによって言われます。
虚妄な世界を生きるわたしたち。。道理で核心に満ちたことを語れないわけですね。
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コメント
連投すいません。
真言宗の真言って、帰依しますってのが多いですね。
帰依はしないのでなかなか難しいですねえ。
南無仏陀釈迦如来と唱えても帰依はしないw
野良猫がエサをもらったらモフモフさせずにさっさと去るように、御利益はもらっても帰依はしない。
やっぱ生きとし生けるものが幸せでありますようにとかが最強の呪文かなあ
投稿: カエル | 2026/05/25 00:19
マニカナ先生、こんばんわ
ご利益があるなら、イエス・キリストでもマニ教の開祖でもなんでもいいですね。
帰依はしないけど感謝と尊敬はします。お賽銭もw
実践哲学は自分に合った道具であるか否か
宗教はご利益があるかどうかが基準ですね。
マーニプッタは奇跡的に生きているわけだから感謝しないといけませんね。でも、もうひと声!って感じですよね。
弘法大師の宗教宗教しているところは新鮮でいいですね。帰依は絶対にしませんがw
釈尊の実践哲学が一番いいな。
投稿: カエル | 2026/05/24 23:53
カエルさま おはようござい。
>目犍連と空海ってこの世界のルール違反になっても難病を治しちゃいそうなタイプですよね。
あやかりたいす。
難病を治してほしいす。
まあ、諸行無常なんだけど、逆らえる限り逆らってみたいのが親の心境です。
>空海の真言と白隠の方法論はなんかの効果がありそうですね。
効果のあることは何でもやってみようとしています。エビオスのことばも踊ってます。
たぶん一つの栄養素ではなくて全部が足りてないんだと思う。。
投稿: mani | 2026/05/24 10:57
マニカナ先生、こんばんわ
脱線ですが、空海って面白いですね。
声字実相義とか、禅宗の不立文字の真逆っぽくて面白い。
目犍連と空海ってこの世界のルール違反になっても難病を治しちゃいそうなタイプですよね。
釈尊と舎利弗は難病は治してくれないけれど心の問題は根本解決をアシストしてくれるタイプかな。
個人的なイメージですが。
釈尊の実践哲学はシンプルな分、いろんなバリエーションの「宗教」の苗床になった感じで面白いです。日蓮とか法然とかも本当に面白い。
空海の真言と白隠の方法論はなんかの効果がありそうですね。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
投稿: カエル | 2026/05/23 18:44
カエルさま
意識がないと何をやっても危険です。。
意識がないときが多くて、首や胸をかきむしります。手を取ってなでてやるけど、なかなかおさまりません。
後はとろとろ寝ているような状態です。
むりやり、車椅子に乗せてます。1時間くらいが限界です。
投稿: mani | 2026/04/29 15:43
意識がないと24時間以上の断食は危険ですね。
一日二食や一食のプチ断食も難しい。
やるとすれば、7時11時15時の8時間以内に食事をまとめて、16時間ダイエットのリズムで、オートファジーや成長ホルモンの分泌を促すぐらいかなぁ。
投稿: カエル | 2026/04/29 09:10
意識がないと24時間以上の断食は危険ですね。
一日二食や一食のプチ断食も難しい。
やるとすれば、7時11時15時の8時間以内に食事をまとめて、16時間ダイエットのリズムで、オートファジーや成長ホルモンの分泌を促すぐらいかなぁ。
投稿: カエル | 2026/04/29 09:10
> 虚妄な世界を生きるわたしたち。。道理で核心に満ちたことを語れないわけですね。
“ わたしたち ” って
“ わたし ” を 含んでいますか ?
“ わたし ” って ”あなたたち” の場合 でもあり
わたしに起きている認識 の場合 でもあります
あなたの 他に対する認識 の “おおまかな”分類 が
“ わたしたち ” なのです
自分を入れる形にはなっているけれど
自分は 自分を ( 正しく ) 見ることはできません
正しくはない その見方( どの見方かな ? ) を
「 顛倒 」 と 呼びますが
「 顛倒 」 は “「 顛倒 」 した 見方” で 解明される
これが正しい という 正しさ が その正しさによって成り立つ
このこと は Su.882 に 説かれている
・・・・・・・・・・・・ ( 出典 中村元 訳 岩波文庫「 ブッダのことば 」p.194 )
またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、かれらのうちには知性のない者はだれもいないことになる。かれらの見解は(その点で)等しく完全であるから。
<882> 諸々の愚者が相互に他人に対していうことばを聞いて、わたくしは「これは真実である」とは説かない。かれらは各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故にかれらは他人を「愚者」であると決めつけるのである。
或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の<道の人>は同一の事をを語らないのであろうか?
真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
正しさ( 「 真理 」 ) は 主張する人の数(沢山) 存在する
「 誰が 何と言おうと 自分は自分である 」
( 自分が 何と言おうと 言う人は自分である )
( あなたが どのように考えようと 聞くのは 自分の解釈である )
自分の解釈 は 自分が変えるとき “変えた自分” の 解釈となる
↓ ( 自分 が 変わる ということは ありえない )
変わらぬ自分 の “ 自分の解釈 ” である
これを あなたの解釈によって 「ブッダ」 に 当てはめる
ブッダの説くこと・説いていること とは 自分の解釈であり
解釈せずとも 自分は自分であり ↓
自分の正当性 は 「 法 」 の 裏付けを必要とはしない
「 真理 」 などという 「 他 」 の解釈 を 自分は必要とはしない
( 「 真理 」 とは 解釈の一つ に 過ぎない )
何故 必要のないこと を 読む必要があるのだろうか
必要なもの の 集合体 が 「 五蘊 」 である
・
投稿: 春間 則廣 | 2026/04/29 09:05
食事って影響でかいですね。
肉やニンニクや亜鉛を摂ると女性が綺麗に見える。
断食すると人間が猿っぽく見えて女性は化粧のしすぎでドン引きになる。
目と鼻の穴が2つで鼻と口が1つなのが新鮮に感じる。
で、肉を食べるとすぐに元に戻る。
投稿: カエル | 2026/04/26 23:16
マニカナ先生、こんにちわ
炎症を起こす原因を突き止めないといけないですが、マーニプッタに意識が戻ってくれたら断食という実験もできるのですが、なかなか難しいですね。
あるいはわざと下痢をして断食していたかもしれません。
これあればアレルギーあり
智慧が湧き上がってきますように。
投稿: カエル | 2026/04/25 17:17