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2026/02/24

息子の1日:夜中はもぞもぞ、昼間はぐっすり

しばらく前から昼夜がしっかり逆転しています。無理もないです。

昼間は起きて、夜寝るのが普通だと言っても、スケジュールがそうなってないので、

当人は昼間の寝られるときに、ぐっすり寝ようということになりますね。。どうしても。

下痢は少し治まってきました。下痢止めが効いてきているのかも。

 

病床にあっても、波瀾万丈の人生だなあと眺めています。。

それに比べると、私の人生なんて平板そのもの。

平たい板の人生です。

 

オリンピックで何度も宙返りして表彰台に上がる人も、人生としては、平板なのかもしれません。

ブッダは人生のトピックが4つしかないけど、非凡な生涯だったのかなあ。

生まれること、死ぬこと、後は、悟りと(最初の)説法しかない。

だけど、うらやましいほどの自由人だったっすね。ほんとうらやましい。

 

誰でも、生まれることと死ぬことは同じ。

後は、真ん中の「生きてる」と言われる人生があるだけ。

そこに何を加えるかで、ちがってくる。。

ちがってくるんだよぉぉ。。うかうかしてたらだめよ、みんな。

お前に言われたくないって。。すんません。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

カエルさま

>マーニプッタがある日起きて「あー、よく寝た!」と言うのを、想像しても構わないですよね。

この台詞、いかにも息子が言いそうだわ。

自然体といえば聞こえはいいけど、どちらかと言うとわがままです。。
わがままと言えば聞こえはよくないけど、どちらかと言うと自然体です。。

なんなんだ!これ!

投稿: mani | 2026/03/05 01:38

仏道って最悪を想定するけれども最悪に囚われないというところもあるじゃないですか。
逆に言うと最善を想定して最善に囚われないというのもあるのかな?

マーニプッタがある日起きて「あー、よく寝た!」と言うのを、想像しても構わないですよね。お経を聴いてかえってくるのにも囚われない。

投稿: カエル | 2026/02/28 23:37

マニカナ先生、こんばんわ

ともすれば、仏教の修行が唯一最高の価値ということになるのかもしれませんが、わたしはそういう断定はしないです。人それぞれでいいのではないかと。スポーツも良いし将棋も良いし。ただ、これらの分野は一定の才能なり一定の健康や若さがないと成り立たない分野ではありますね。だから、自分は違うというのも人それぞれで良いのでは?

温度は昼夜一定というのは逆に不自然ですが、どうしたものでしょうか。マーニプッタはどのくらいの低温なら夜寝るのか?医療従事者にノウハウがあるかもしれません。

マーニプッタが聴いてくるお経はどんなものか楽しみです。と、ハードルを上げるw

投稿: カエル | 2026/02/28 23:30

カエルさま

>昼と夜の温度と光はどうしてますかね?

差し込む光はそのままです。湿度50%をキープするようにしてますが、温度は24-25℃ぐらいです。いつも大体同じくらいですね。

お経を授かっての復活を夢見てます!!

投稿: mani(管理人) | 2026/02/28 03:03

春間さま

>   今日から 始まる  新しい ウソ
>    ( ウソついているのが分るかな ? )

わかりません。
ウソでもなんでも、復活を望む(いまだけ)キリスト教徒。。

投稿: mani(管理人) | 2026/02/28 02:18

マニカナ先生、こんにちわ

昼と夜の温度と光はどうしてますかね?
ギリギリの極限状態なので生きているだけで奇跡とは思うのであまり実験はできないでしょうが、太陽光に合わせないとなかなか昼夜戻らないと推測します。

理性を取り戻したら金メダルどころか奇跡ですよねらねえ。お経を授かって復活したらヤバいです。

投稿: カエル | 2026/02/27 16:37

  
> 誰でも、生まれることと死ぬことは同じ。

  生まれること  と  死ぬこと  を  問う

   問うこと は 同じかどうか ?
     違って 見える・聞こえる  だけではないかな ?
  聞こえること は 同じでも   聞くこと を 違えるのは何故 ?

   記述 は ヒトツ でも   人の 津同 集まる「津」 は
   人津  ではない  かも知れぬ   

   何でもよいけれど  好き に  しなさい
           “ 耕す鋤 は 二つの手に一つ ”

> 後は、真ん中の「生きてる」と言われる人生があるだけ。

   真ん中 とは  立つ瀬 によって 変るけれど

    瀬音 に 耳を傾ける 背中の下に  立つ瀬がある

    背―伸び しても   立っているところが 変るわけではない
   ( かえって 足元は 不安定になるのみ )

> そこに何を加えるかで、ちがってくる。。

    加えようと 差し引こうと
      変ることがない  のは  「 平等 」 に 起きている「 生 」
   決して変えることができない ということは 決まり切った  「 平等 」 
     そこ それ   が     「 法 」 の  看板 の 底地

    「 大安売り 」 という 看板 に 踊る  「 心 」 

     望み・欲望 を  手に持つと  看板に文字を足したくなる

  “ うそつき ・ 大ぼら吹き ”  という    心の吐露


   嘘をつくのは もう久しく 止めている 、、、、


   今日から 始まる  新しい ウソ
    ( ウソついているのが分るかな ? )



投稿:  春間 則廣  | 2026/02/26 11:36

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