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2025年5月

2025/05/30

むすこの難病

息子の難病については、お伝えしてきていますが、

線維腫症2型という難病です。聴神経に腫瘍が出来る疾患とあります。

実際は、身体のどこにでも良性の腫瘍ができるもので、

とくに脳のなかにも出来るので、脳外科で

何度か手術を繰り返してきました。数えるのを忘れてます。

 

治療としては放射線治療も、コロナ禍の中、やりました。

効果があったのかは分からないけど、あったことにしています。

で、なんで、この話題かというと、

最近、また腫瘍が育ってきてるんじゃないかと不安を覚えるからです。

 

もはや調べてみることも出来ないし、自宅介護をほそぼそ続けるだけですが、

なんとなく腫瘍が育つ気配がするのが、嫌です。

嫌だけど仕方がないので、厄介物を抱えて生きるしかありません。

 

そこで、まあ、人生って、こんなものだよ、という気がする毎日なのです。

 

何万年、何億年と続く生命の営みのひとしずく。。ぽたっ!

久しぶりに日記を書いた。。日記、って@@

 

 

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2025/05/11

5/10(日)の日記

わたしは、まだ分かっていないんだけど、空(くう)は「凡夫の智慧」と呼んでも良いのかもしれない。

煩悩にまみれた人を凡夫と言うけれど、

煩悩を煩悩だと分かる人は、じつは凡夫を超えている。

 

たとえ、煩悩が捨てられなくても、凡夫は凡夫を分析可能なのです。これはすごいことだと思う。

 

龍樹の出現は、お釈迦様が予言したことになっている。

『楞伽経』には、これから龍樹という人が現れて、有無の見解を打ち破って

大乗無上の法を説いて歓喜地(菩薩の初地)にあることを証明して安楽国に往生するだろう、と言ったことになっています。

 

経典のいうことなので信じることにすると、お釈迦様は未来が見えることになる。ほんとに未来が見えているのかどうかは分からないけど、一つわたしの理解では、お釈迦様は、自分の到達した境地にいて、到達した理論の中に自分が入って、内側からかんぬきで閉じてしまったらしい。

つまりお釈迦様の理論世界の中に、一切が収まっており、漏れる生き物はいないということになる。

即ち、仏教外の生き物たちも、仏教の覚り、または悟りの有資格者なのです。

「わたしは他の宗教を信じているからかんけいないっすよ」と言っても、仏教の方では、気にせず救うのです。

お釈迦さんの世界は娑婆世界と言いますが、煩悩だらけの世界で、お釈迦さんのほかにも悟ることのできる人はたくさんいることになってます。

みんなブッダになって、凡夫を救おうという、自前の宗教になったのです。

 

「そういうことされると、ストレスになるんですけど」と言っても、「気にしないでいいのよ」と言われちゃう。

そして、仏教の名前は出さないので、ただ救われるだけになる。ありがたいのか、余計なお世話なのかは、謎です。

 

で、未来の見えるお釈迦さんは、あやしい奴だが、実は、その点納得の行くように説明される。

お釈迦さんは自分の理論を完成したので、自分でその理論どおりになったので、全部答えが分かっちゃうのです。

すげぇ、不思議なのように見えて全然不思議じゃないのです。

 

20までの足し算と引き算ができる人は、その範囲内であればどんな答えも出せてしまうけど、

知らない人には不思議で仕方ないでしょう。

 

そういうことが、わたしには分かってきたの。。もっと勉強するわ。おシャカになるほど。

 

 

 

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2025/05/10

2025/05/09の日記

みなさま、息子に関する投稿に、コメント数々ありがとうございます。

「死んでなければ生きている」を日常の標語にしながら、日々新たな管理人です。

 

昨日もかなり抵抗されましたが、リハビリだと思って、前向きにとらえることにしました。

足が弱くなっていると思いましたが、突っ張り具合からそうでもないことが判明。。

また、腕の力もまだまだあります。

それに、今までの妄想が融けて、理性がやや回復してきました。

心と心で連絡を取る方法を何とか考えねばならないと思って、いろいろ試してます。

 

根拠はないけど、たぶん、いくらかは意志の疎通が出来るんじゃないかと思ってます。

仏教を勉強していて、よかったよ。

形而上学(神の話)には行かないんだから、現実だけを見つめればよいって、わかるから。

 

 

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2025/05/07

2025/05/07の日記

タイトルが、そのまんまです。

息子の容態は、やや持ち直して、1か月ぶりにトイレに行きました。

喜んだのもつかの間、今度はハイになって興奮状態が続いています。

眼がギンギンで、夜中も寝ずに世話をしようとすると抵抗します。

昔見たヘレン・ケラーの映画のあばれるワンシーンを思い出します。

 

そうならそうで、まあ、いいか、って感じです。(あそこまでひどくはないし、って思って慰める)

 

ほとんどなんでも「まあ、いいか、生きてる証拠だし。。」ってことで、済んでしまう。

 

デモでも、息子は何を思っているのかなあ。。

きっと、何気ない普通のことだよな、って思って、それで納得する。。

 

自分の身と比べるとわかる。。そんなにたいしたことを考えているわけではないんだな、ということです。

まあ、だけど、何気ないことが日常大事だったりするんだよね。

 

とりとめなさすぎるけど、これで終わります。

 

 

 

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