わたしは、まだ分かっていないんだけど、空(くう)は「凡夫の智慧」と呼んでも良いのかもしれない。
煩悩にまみれた人を凡夫と言うけれど、
煩悩を煩悩だと分かる人は、じつは凡夫を超えている。
たとえ、煩悩が捨てられなくても、凡夫は凡夫を分析可能なのです。これはすごいことだと思う。
龍樹の出現は、お釈迦様が予言したことになっている。
『楞伽経』には、これから龍樹という人が現れて、有無の見解を打ち破って
大乗無上の法を説いて歓喜地(菩薩の初地)にあることを証明して安楽国に往生するだろう、と言ったことになっています。
経典のいうことなので信じることにすると、お釈迦様は未来が見えることになる。ほんとに未来が見えているのかどうかは分からないけど、一つわたしの理解では、お釈迦様は、自分の到達した境地にいて、到達した理論の中に自分が入って、内側からかんぬきで閉じてしまったらしい。
つまりお釈迦様の理論世界の中に、一切が収まっており、漏れる生き物はいないということになる。
即ち、仏教外の生き物たちも、仏教の覚り、または悟りの有資格者なのです。
「わたしは他の宗教を信じているからかんけいないっすよ」と言っても、仏教の方では、気にせず救うのです。
お釈迦さんの世界は娑婆世界と言いますが、煩悩だらけの世界で、お釈迦さんのほかにも悟ることのできる人はたくさんいることになってます。
みんなブッダになって、凡夫を救おうという、自前の宗教になったのです。
「そういうことされると、ストレスになるんですけど」と言っても、「気にしないでいいのよ」と言われちゃう。
そして、仏教の名前は出さないので、ただ救われるだけになる。ありがたいのか、余計なお世話なのかは、謎です。
で、未来の見えるお釈迦さんは、あやしい奴だが、実は、その点納得の行くように説明される。
お釈迦さんは自分の理論を完成したので、自分でその理論どおりになったので、全部答えが分かっちゃうのです。
すげぇ、不思議なのように見えて全然不思議じゃないのです。
20までの足し算と引き算ができる人は、その範囲内であればどんな答えも出せてしまうけど、
知らない人には不思議で仕方ないでしょう。
そういうことが、わたしには分かってきたの。。もっと勉強するわ。おシャカになるほど。
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