死を考える教え、仏教
息子の調子が、少し復活してきました。
今まではすごく調子が悪かったのですが、ようやく、今頃、少しバイタル安定してきました。
無呼吸もおさまってきました。
酸素濃度が88%くらいまで下がると、息をし始めるようになりました。
やれやれです。
生と死の狭間で、揺れ動きますね。
息子の右眼も見えなくなってから、生きようという意欲(アーユ・サンカーラ)が乏しくなったように感じます。
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「どのように見る者が、どのような戒を持つものが『寂滅している』と言われるのですか」と聞かれて、ブッダは『スッタニパータ』849でこう答えます。
「(身体が)壊れる前に渇愛を離れている人です」
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ふうん、なるほどお。
生をみつめ死を見つめる仏教は、人間にとって無くてはならない考え方です。
仏教を学べて善かったよ。
死について考えることの出来る宗教って、あまり無いと思うんだよ。
死をテーマにしうる教えは、仏教だけかもしれない。


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