仏教の話題を発信し続けて今日に至ります。
見えてるものが、本当に見えてるとおりにあるのかどうか、
そこを問い続けて今日まできました。
見えてるとおりにある と書こうと
見えてるとおりではない と書こうと
そんなに変わらないことに気づきます。
人の思いは変わっていくからです。
変化するから日常があるのです。
わたしたちは、肯定したり否定したりして暮らしているのだと知るのです。
肯定と否定で一切である、と見たのはブッダだけれど、同時に、それは、
三つに分かれることも見てとりました。
肯定と否定の極端な答えと、共に、「どちらでもない」という選択肢があることを知るのです。
二つに分けるか、三つに分けるかで、世の中は成り立っていると知ります。
二つに分けると争う。
三つだと争わずにすむ。
そこで、人は争わないようにしようと三つの道を歩むのです。
三つ目は、仏教では、中道という。
二つに分けた肯定と否定でも、三つ目を選べるのが、おしゃかさま。。
それはなに?
それは、そこに近づかない、という道だよ、と教えてくれる。
なるほど、はだしでどこまでも歩くブッダは、何かに近づくことはない。
孤高のブッダは、ひとりでどこまでも行く。
涅槃の楽を味わっている。
そういえば、息子は自宅介護になって、今日で二年七ヶ月です。
最近のコメント