何か善いこと
ブッダは、29歳の時、何か善いことを求めて出家した、と自ら語っている。
つまり、「善いことを求めた」というのが最終目標になっているのです。
それを読んで、ブッダは理論的にはほとんど完成していたんだな、とわかります。
いつでも悟れたけど、あえてカピラ城に生まれることを望んだかのようなのです。
誰もが求める甘い道(うまい道かも)を選ばなかったゴータマ。
だから、かれは、厳しい道(時の道)を選んだ。誰でも、繰り返してやり直せる道を選ぶだろう。
しかし、かれはちがう。かれは時に従って語る、待ったなしの道を「縁起」と名付けたのだ。
だから、かれは、カーラ・ヴァーディン(時を語る者)と言われる。
ふうん、そうなのか。。自分で書いて自分で納得しているなら、世話ないね。
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コメント
> 名付けられた 「 道 」 を 歩む のに
> 名付けたかどうか は 普遍的問題 で あろうか ?
名付けなくちゃ、どんな道だかわからんからね。
だから、無明の中を行くように出来ているんだね。
生き物はそれしかないかな。。
投稿: mani(管理人エム) | 2024/07/08 02:55
*
> 「善いことを求めた」というのが最終目標になっているのです。
最終目標 を 見定める 日々 が (ゴータマ)ブッダ の 「 行 」
> それを読んで、ブッダは理論的にはほとんど完成していたんだな、とわかります。
理論的 に “ ほとんど完成した 理論 ” で
↓ わかる 「 行 」
わかる という 観察者と 被観察者との 「 行 」
わかるところまでは わかるという 普遍的理解
( その普遍 を ブッダは 「 平等 」 と 名付く )
> かれは、厳しい道(時の道)を選んだ。誰でも、繰り返してやり直せる道を選ぶだろう。
誰でも “できることをしている”
そういう意味での普遍 を ブッダは悟った
繰り返して やり直す 「 顛倒 」 ?
> しかし、かれはちがう。
違っているところ には 普遍 は 起こせない
すべて を 貫く すべってはいない 貫く理論
( “ ほとんど完成した 理論 ” で つらぬく ツラ・面 )
表を向くだけではなく 内面を省察できる(面)
( これも )ツラ のひとつ だとしる ツラ ヌキ カタ
・・・ ドノツラサゲテ これを記すかと 心に思う ROM
( 読むだけでも 歩み は すすんでいる・ スンデイル? )
> かれは、カーラ・ヴァーディン(時を語る者)と言われる。
わたしの己慧 は カレ ソウ である(想という相)
いづれにしても 時から離れられない という普遍
ときにかたり ときにちんもくし ときに踊るが如し
( オドルアホウ は 知者に見すえられている ?? )
> かれは時に従って語る、待ったなしの道を「縁起」と名付けたのだ。
ちょっ と待 って 止まって 待って !
先を急いで 結論付けてはいないかい ?
名付けられた 「 道 」 を 歩む のに
名付けたかどうか は 普遍的問題 で あろうか ?
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投稿: 春間 則廣 | 2024/06/21 08:28