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2024年3月

2024/03/21

難病の息子

難病の息子は、「もはやこれまで」と思われてから、はや2年8ヶ月がすぎました。

つまり、自宅介護になって2年8ヶ月です。

 

今ではリビングで8時間車いすに座っています。

さすがに疲れるみたいで、ときおりうつらうつらしています。

ですが、テレビでスポーツ番組を見るともなく見たりしています。

右目だけなので、見えているのかどうかわからないけど、情報を教えると、うなづいたりしています。

 

野球は見ないけど、他のスポーツ中継をみたりして過ごしています。

今は、水泳の国際大会選考会というのを見ています。

 

選手が頑張る姿を、じぶんに重ねてみているのかな、などと思ったりする親なのでした。

もう、春分ですね。日が長くなったと思います。

 

日常は、このように過ぎていきます。

わたしひとり残されるなあ、と最近思ってマウス。。

 

 

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2024/03/09

つながる。。古城にいたる

ブログには、アクセス解析というのが付いていて、

誰かが読んでくれるとわかるようになっている。

このブログも書かない時は誰も来ないけど、

書き始めると、ぽつぽつ誰かは来てくれる。

 

不思議だけど、不思議でもない。

 

むかし、ナヴィヤ・ニヤーヤをやってた時、古い専門書を読みながらよく思ったものだった。

インドは大体暑いだろう、だけど、日本の片隅で雪に埋もれて、

ナヴィヤ・ニヤーヤのこんな専門書を読んでるヤツがいるなんて、作者はしらないだろな。。って。

 

どんなところにも、時空を超えてアクセスする生き物がいる。。

当時、わたしは、ナヴィヤ・ニヤーヤとつながっていた。

わたしが知らなくても、どこかの誰かとつながって、このマイナーな思想のことを

共に考えることになる。

 

釈尊も、古道を行き、古い城跡を見つけた、と語っていた。

みんな、いつでも、誰かの歩んだ思想を考えている。。途中までのことも多いけど。

城跡までいたるものは少ない。

 

城跡がなく、行き止まりもあるだろう、行き当たってばったり倒れたものも多いだろう。

その点、インドは、必ず城跡が残る。

ヨーガがあるからね。

それなりに自己完結しようと願うから。

 

インドにはヨーガがあって

だから

ときに壮麗な寺院の跡がジャングルの中に隠れている。

 

あれ? 思わぬところに不時着したみたいだ。

こんな日もある。残しておこう。

 

 

 

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2024/03/03

ブッダの直説

岩波文庫の『スッタニパータ』の訳、中村元先生の『ブッダのことば』は、

仏教理解に関するわたしたちの常識の一つになっています。

 

ブッダは教えを残さなかった。特別なことは言わなかったのだけど、仏弟子たちが、経典を編纂して伝えてきたので、仏教という宗教が残ったというものです。

 

どうもひっかかる意見です。

 

仏教徒たちは、誰一人そうは考えていないだろう。

 

ブッダのことば、つまり、ブッダの口から出るものはすべてそのまま法である、と受けとめて、

そして、そのまま仏弟子となっていったのだろう。

編纂され、増広されて、経典は増えてはいったことだろう。

しかし、仏弟子たちが主導したのではないだろう。。いや、主導はしたかもしれない。。無我の行為として、また、煩悩の行為として。

つまりは、自分たちの理解に資する指南書として編纂されたと思う。

 

私の常識では『スッタニパータ』は、ブッダの直説です。

そこには弟子の意見の入る余地はない!

 

最初から最後まで、法に貫かれて、結晶している。

ブッダの法 そのものだと思います。

この教えを弟子たちに教えていきながら、「これを一章にして最初におきなさい」とか、

「これは第四章におきなさい」とか、言ったんだろう。そして、『スッタニパータ』と名前をつけなさい、とも言ったかもしれない。

あらゆる生き物たちに語りかけているブッダ。

どんな生き物も、のがさなかった。

 

サンガにいる仏弟子たちだけを相手にしたのではない。

世間にいる名もない生き物にも、聞く耳があれば、すかさず語りかけた。

こうして、

ことばを使って、法は伝えられ、

瞑想を使って、法は体感して伝えられていった。

 

だから、衣をあらためてもあらためなくても、仏教は法として知られていっている。

お坊さんの衣を着ても着なくても、ということです。

 

なぜ、そう言うかというと、『スッタニパータ』は最初に「蛇品」という詩の形で組み立てられているからです。

なぜそう思うかは、ここでは言わないでおこう。本に書きます。龍樹の本に。

 

この『スッタニパータ』の構成から翻って、

『中論』はなぜ、ああいう構成になっているのか、ずっと考えてきました。

そこがわからないと本は書けないと思って今までやってきました。

完全にわかったわけじゃないけど、

いつまでもダラダラ引き延ばせないので、集中しようと思ってます。

 

龍樹のはかなりつかんだと思います。

龍樹のと言っても、ブッダのだけどね。

私の知らないことを知っているほとけに会いたいと思っています。

 

たぶん、阿弥陀仏が救ってくださるんだろうと思ってます。

龍樹もすがった阿弥陀仏。法然上人もすがった阿弥陀仏。親鸞聖人もすがった阿弥陀仏。

 

本当にそうだったんだなあとわかるとき、空が私にやって来る。

 

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2024/03/01

3月ですね。続きを書くわ。

2月が終わって。月はあらたまったけど、28日に話したピンギヤにかこつけて話しを続けます。

縁起(縁って起こる)だからね。

 

最初から、思ってたことだけど、

インドの哲学は西洋などの他の哲学とはまったく違う。

 

インダス文明があった頃、チグリス・ユーフラテス川沿いにはメソポタミヤ文明があって、二つは交易を行い、互いに行き来していたことが知られている。

 

古代文明の研究に、インダス文明の遺跡からは神殿のような建物は見つかっていないと書かれている。

まず、ここにひっかかった私。

神殿は、あるのがふつうなのか?

なんで「見つからなかった」とわざわざ書いているのだろう。

 

この疑問は今もある。

神殿をもつなら、それが破壊されるとその宗教は全部壊れてしまう。

ヴィクラマシラー寺院が破壊されてインドでは仏教は滅んだコトになっているように。

 

仏教が生まれたとき、お釈迦さまは、生き物を救い続けることを考えただろう。

「続ける」ってところは特に思わなかっただろうけど、結果的にそうなるように考えた。

生じて来るものは滅して行く(としておく)

こうしておけば、必要になったら生まれてきていらなくなったら滅するだろう

 

お釈迦さまは、こう考えて、生き物を分類した。

教えやすいものと教えずらいもの、熱心なものとそうでないもの、他にもいろいろ。

分けて教え始めた。

賢く素直で教えやすいものたちは仏弟子になった。サーヴァカ(声聞)と言われる。

賢く教えにくいものたちは勝手に励むもの(菩薩)になった。ボーディサットヴァと言われる。

賢くなくて怠け者は凡夫になった。すぐ日和っちゃうけど、憎めないヤツです。プトゥ(ふつうの人)と言われる。

 

素直に聞ける人には「縁起」を教えた。余計なことは教えなかった。彼らは阿羅漢になった。

一癖ある奴らには「縁起」と「四句分別」を教えて、二つを連絡した。彼らはブッダをめざした。

怠け者で憎めない生き物たちには、信仰の道を教えた。阿弥陀仏は極楽世界を作って凡夫を受け容れる。

 

個性の違いさ、みんな。

 

サマ(平等)だからね。

みんなサマーディ(三昧)にいける。

サマのアーディ(最初)。。「平等の最初」??

 

あ、でも、ちょっとまずいかも。

平等の最初にもどると考えてはいけないよ。そこに執着するからね。

サマーディは空(くう)と見なさい。世間は空と見なさい。空(くう)も空(くう)とみなさい。

 

まことに、ブッダの教えは偉大なり。

いくら誉めても大丈夫。全部空で消えていくから・

そして最後に、空という言葉もまた空だから

 

そうすれば「空(くう)」という言葉も消えるでしょう。

 

めでたしめでたし。。

 

以上、消える教えでした。

 

 

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