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2021年8月

2021/08/31

8/31 最後のひまわりが咲いた

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すでに肌寒い朝になりました。

見事に最後のひまわりが咲きました。

これで夏は終わり、八月は終わり。

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来年も、ひまわりを植えよう。

百均で種を買って。。

 

     ◆◇◆

 

大谷大学で公開講座があるので、

原稿を作ってます。

 

ブッダの覚りの風景を眺めています。

禅定にあるブッダ。『ウダーナ』は語る。ブッダのウダーナ(獅子吼)を。

 

実に、熱心に禅定しているバラモン(清浄行の完成者)に、

諸々の法が明らかになるとき、かれには、疑いがことごとく消え去る、

なぜなら、原因(ヘートゥ)をもつ法を了知するからである。(1.1)


実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、

かれには、疑いがことごとく消え去る、

なぜなら、諸々の縁(パッチャヤ)の滅尽を知ったからである。(1.2)

 

実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、

悪魔の軍勢を破壊しつつ、かれは立つ。

あたかも、太陽が虚空で輝いているように。(1.3)



ここから仏教が始まった。

 


  

 

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2021/08/28

8/28 讃仏乗、って感じになった

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ひまわりは、いくつも咲いたけど、

花は、これが一番大きい。

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背の高いのは、これ ↓  花も咲きそうだ。

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ヒャクニチソウも咲いた。。これしかないけど。

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花に焦点を合わせても、雑草がうっそう。

うっそうとしたわたしの心かな。。

 

     ■■■

 

毎回思うけど、ブッダはすごいな。

ブッダが出現しただけで、膨大な経論が生まれた。

それは、今も増殖を続けている。

まだまだ増えるだろう。

 

学ぶ者であるうちは、法に対する註釈は増殖を続ける。

いくら増殖を続けても、わたしたちが飽きることはない。

これも、ほんとうに不思議なことだ。

 

ブッダの教えは、果てしがなく、飽きることがない。

この世にあらわれた他のどんな思想にも、

やがて秋がくる。。おっとっっと。。飽きがくる。

どんな思想も色あせない思想はない。。なのに、

ブッダの思想は、色あせず、しかも、日々新しい。

 

ありとあらゆる変化についていける。。

って言うより、変化の方が、ブッダに追いつけない。

だから、ブッダは一切智者である。一切勝者である。

一切を捨てたものである。

一切を捨てることによって、一切を得たものである。

 

そして、ブッダはこう言うのだ。

 

もし、うそだと思うなら、自分で確かめてごらん。

こうやって、

ブッダは、人々をとりこにする。

人々は一切を捨てるために嬉々としてブッダにしたがう。

 

そうだけど、一切の生き物は、

その結果、

安心と満足を得る。

 

うそがない教えだからだ。

 

ほんとうに一切を捨てられるからだ。

 

 

 

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2021/08/23

8/23 今日のひまわりは空を思う

2つ目のひまわりが見事に咲いた。

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前のひまわりは元気がないですね。

これから咲きそうな大きいのは、どうかな?

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あんまり変わらん。

うっそうとなってるラディッシュも、写真に納めてみよう。

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       ◆◇◆

 

今日は、空の話しをしてみよう。

仏教では、誰でもが、いかに深淵な原理であるかのようにいう

「空」「空性」といわれることばがあります。

 

これは何か?

 

いろんなことが言えるので、みんな適当なコトを言っている。

自分の好きなように、言いたいようにいうのが空だと思っている。

 

その説明を使うと、空というのはこんな特徴をもっている、と言えるのではないか。

「空」というのは、みんなが好きなことを「これぞ空だ」と言っているときに、

一番みんなが言ってほしくないことをいうのが空ではないのか。

 

ちょっとそんなことを考えた。

 

自分の望むようにはいかない、と言うことを教えるのが、空なのではないか。

だから「世間を『空である』とみなさい」、ってブッダが言ったのだろう。

 

好きなように行動していたら、コロナ感染拡大はおさまらない

政府の思惑どおりには、民心は、そして、政治は動かない

気象の大きな変化には、人間の欲望が深く影響している

 

こういうことを見てとれるなら、縁起を考えなくちゃいけない

って、わかるだろう。

ふつうの人には、ふつうの考え方がある。

正直になるとでてくる「ふつう」の考え方だ。それが、縁起なのだ。

 

「ブッダの公式」としてでてくる縁起。

でも、その考えの元には、わたしたちがいる。煩悩いっぱいのわたしたち。

煩悩のないとき、わたしたちは、ブッダのようにかしこいのだけれど

煩悩があふれ出すと、たちまち、縁起は見えなくなる。「ブッダの公式」もいろあせる。

 

ほんとに、おもしろいほど、ピタリと当てはまる理論なのだ。

 

2600年もの間、人類は縁起と格闘してきた。

 

      ◆◇◆

 

「三明」ということばがある。

ブッダは、過去世を見通す宿明智と未来を見通す天眼智と、

煩悩をはらう漏尽智の三明によって、覚りを得た

といわれる。

 

わたしも、この世の中で三明を得たいと思っていたけど、

まあ、ありえないのだろうと思っていた。

でも、最近、そうでもないのかな、って思ったりする。

新聞で、最新ニュースを見ると、

最新 なのにもかかわらず 自分の目には ‘過去世’ として見える。

映像が 最新なのに、過去のようだ。。

逆に、

平安時代が江戸時代がなつかしい、みたいな気持になってくる。

 

識は転変しているんだなあ、って思う。

『中論頌』をあげよう。ここで、実はひっかかっているのだけれど。

 

幻の如く、夢の如く、ガンダルヴァの城の如く、

生はこのようであり、住はこのようであり、

滅はこのようであるとたとえられる。(『中論頌』7.34)

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最初にあげたひまわりを上から見てみた。

横からみたり上からみたり、いろいろあがいている。

 

 

 

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2021/08/22

8/22 五蓋の最後は「疑い」です

ひまわりが咲きかけてた。六時前。

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奥にあるのは、昨日も咲いていたのです。

 

一番大きなミニひまわり(?)

背丈ほどに伸びたけど、これも咲くかな、いずれね。

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     ◆◇◆

 

仏教の五蓋が話題になっているけど、

その中に「疑い」というのがある。

 

「心にしみる原始仏典」の中の「宝経」に注があって、

「疑い」についても書いてあります。

http://manikana.la.coocan.jp/canon/ratana.html

第231偈の※1のところです。

疑いは、三宝を疑い、善悪業報を疑い、三世因果を疑い、

四聖諦、縁起を疑うことである。」

 

こう書いてあって、書いたのはわたしだから、うそではないけど、

実際は、これだけではないのです。

三宝を疑い、善悪業報を疑い、……、って疑っていたら、

実は、この世のすべてを疑うことになるのです。

 

実は、ブッダが「疑い」としたのは、痴(無知)からでてくるものを

そう呼んだのだと思っています。

 

だから、人間、「どうしてこうなんだろう」とか「どれが正しいんだ」とか、

ちょっとでも疑問が出れば、みな、五蓋の一つに入るのです。

 

なぜ、そう言うのか。

ブッダの教えに気づくと、「疑い」が消えていくからです。

ブッダの教えとは何か。

基本は、縁起です。因果です。

因果の見方が自分に入るだけで、人間、疑わなくなります。

このメカニズムは、明晰であって、メカニズム自体もメカニズムの中に含まれるのです。

 

瞑想(定)という中に、五蓋という項目があるように言われるけど、

日常、どこにでもあります。集中すると、でてきます。

集中したとき、因果に気づけない人には、「疑い」が起こるのです。

 

これが、「疑い」に関わる因果なのです。

 

仏教とは、

特別な教えなのではなく、

“人間の見方や考え方を考える教え” というだけのものなのです。

 

そういう意味で、どんな生き物にも当てはまる教えなんよ。

わかった?

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サムちゃんや。。ちっとは、考えて生きてんのかな。。

 

 

 

 

 

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2021/08/21

8/21 法を聞くことについて考えてみるよ

ひまわりは今日も咲いている。朝の六時前。

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グラジオラスも咲いた。

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うっそうとした荒れ地の庭(?)の中で

咲いてる花だけアップにするので、

荒れ地度がわからないかもしれないが、相当ひどい!

まあ、いいか。。自然がいっぱい、って言っておこう。

 

      ◆◇◆

 

パーリ語の原始仏典の中に、日本の大乗の仏教と同じ感覚を見つけることが、

最近多い。

 

自分で書いたんだけど、「道場」に

こんな文を載せていた。

 

[No.22207] Re: 仏教徒と非仏教徒

>わたしがすごいなと思うのは、浄土真宗など、浄土系の信者さんです。

>何も言わずにただ聞いてくれるのですが、それが、けっこう恐ろしい(?)です。

>見通されている感じがあります。信者さんが、説法者を育てている、という感じがしますね。

 

ここ読んでて、どこかでこれと同じ感覚、感じたなあと思ったら、

「沙門果経」だった。『長部』第2経にある沙門の成果について、

アジャータサットゥ王が、沙門たちに尋ねてまわる経典だ。

 

アジャータサットゥ王は、六師外道と後に呼ばれる大沙門たちのところに行って、

こんなことを言う。

 

この世の中には、いろんな技能を持つ職業があって、

その技能を使ってみな生活し、家族を養い、多くの人のためになっている。

また、沙門・バラモンたちにもお布施をしている。

この世において、目に見える形で成果を得ているけれど、

沙門のみなさんは、目に見える「修行の成果」を示すことができますか?

 

いろいろ大沙門たちは、自分の説を話したけれど、

沙門たちは、誰も、アジャータサットゥ王の質問に

求める答を示すことはできなかった。

 

その時、アジャータサットゥ王は、修行の成果を尋ねたのに、

それを示してくれないので

「マンゴーについて聞かれたのにラブジャについて語り、

ラブジャについて聞かれたのにマンゴーについて語るようなものだ」

と思って、内心不満なのだけれど、そこは謙虚にこう思うのです。

 

「どうしてわたしごときが、沙門やバラモンを非難しようと考えてよいだろうか」

 

それで、賞賛もせず非難もせず、黙って席を立つのです。

 

これですね。

 

浄土宗の系統の聴聞する人たちは、何かためになるよい話しを聞こうと思っているのですが、

黙って聞いていて、得られなくても、「賞賛せず非難せず黙って席を立つ」のです。

 

      ◆◇◆

 

外道の沙門は、要望に答えられなかったのだけれど、

ブッダは、自分で考えかれらに合わせて、

それでも成果と言えるだろう、というものを、

かれらに合わせて話したのです。

 

もし、自分が奴隷だったとして、出家して修行したら、どうだろうか。

王は「連れ戻せ」というだろうか、それとも、尊敬の意を表してお布施するだろうか。

アジャータサットゥ王はどうですか?

王は、「尊敬の意を表してお布施をして、その沙門を守ります」と答えます。

そうなら、やはり、沙門の修行の成果は、目に見える形であるのではありませんか?

王は、頷きます。

 

こうして、教えをどんどん説いて、成果を確かめていき、

ブッダは四聖諦を説きます。

説明したあと、この修行をして阿羅漢となれば

「もはやこの(輪廻の)状態に戻ることはない」と知ります。

これは眼に見える修行の成果ではありませんか、って、ダメ押しするのです。

 

一つ修行をするごとに苦しみが減っていくさまを確かめて、

人々は、満足するのです。

アジャータサットゥ王も、すっかり満足し、最後に自分の罪も認めます。

 

       ◆◇◆

 

で、この「賞賛も非難もしないで黙って席を立つ」ところ、

仏教の教えに預かる人は、意識せず、ずっと守っている。

えらい先生や有名な指導者が話しをすると、

それを傾聴するのだけれど、不満があっても黙っている。

黙って聞いて賞賛も非難もしない、というところ、

ものすごく「仏教っぽい」なあ、って思う。

 

つまり、

不満があっても言わないので、語る方は一方的に話すだけだと

気づかないことが多いのです。

うーん、聞法者は鍛えられるけど、説法者は気をつけなければならないね。

 

「聞法」と言って、「法を聞く」ことを大事にするのが仏教だ。

「説法」と言って、「法を説く」ことを大事にするのが仏教だ。

「法施」と言って、「法を施す」ことを大事にするのが仏教だ。

「方便」と言って、「方向づける」ことを大事にするのは智慧なのです。

 

聞法・説法、どの宗教でもあることかもしれないけど、

どうやってそれをするか、というところに、仏教があるのだ、と思う。

 

おもしろいことだなあ。

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ミックスグリーンという種から育った菜っ葉。

ほったらかしのすえ、こんなにおがってしまった。

これも、成果? それとも、成れの果て?

巨大だけど、食べれるの?

 

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2021/08/19

8/19 今日は晴れだけど

日本各地で豪雨の被害が大きい。

今年は、ほんとうにひどい年だ。

大雨の前は熱波だった。。

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そのせいか、また一段と荒れ地化が進んだ庭。

千日紅が一つ二つ。

花が小さい。

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ラディッシュを植えたら、食べる前にうっそうとして、

とうとう花まで咲いた。。

食べるどころか、完全に草木に乗っ取られている。

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ミニひまわりを植えたら、ようやく花が一つ。

手前のものは、花になるの?どうなの?

葉がよく育って、素敵だわ。。と、なかば自暴自棄。

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ミニのバラも雑草に埋もれてる。

赤い色だけでもってる。

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一応、コスモスかもかも。ものすごく花が小さい。

全部に、ミニという語を冠しなければならないわ。

     

       ◆◇◆

 

今年は、花は飾りのようで、葉ばかりが大きくよく育つ。いろんな年があって、その中には、こんな年もあるのかな。

 

コロナ・オリンピック・豪雨・猛暑

 

人には、人の暮らしがある。

日常を忘れないこと。。ここに気をつけて暮らしたい。

 

 

 

 

 

 

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