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2021/06/08

6月は比較的好天

あっという間に6月。

1年の半ばにさしかかった。早いですね。

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野生化した花菖蒲。

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テッセンも野生化。雑草として咲いている。

たくましい。

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植えてるのに、野生化しているシバザクラ。

わきには、わすれな草が野草として陣取っている。

 

人間というのは、愚かなものだ。

自然の草木がどうなっていくのかも、分かっていない。

 

       ◇◇◇

 

いろいろ考えてはみるけれど、思うようには行かないので、

思わないことにしながら思ってみている。

何だか複雑ですね。

 

仏教で、縁起を学ぶけれど、よく考えたなあと思う。

原因をつぶせば、結果は生じない という原理を用いて、

自分の人生を組み立てていくのだから、すごいものだ。

 

無明を滅すれば、最終的に苦しみがなくなる、なんて、

「本当にどうやって分かったのか」と思うよね。

 

そして、その理論のとおりに苦しみをなくした人が、ブッダだ。

理論のとおりになることを証明するなら、それは真理だ。

 

どう考えてもすごいと思う。

昨日講義で、アーリアデーヴァの最期のエピソードをやったけれど、

いかに深い話か、話ながら察知した。

 

      ◇◇◇

 

アーリアデーヴァは、龍樹の弟子と言われる人物で、

『百論』『四百論』など著したとされる。

この人は、論客だったので、論破した外道のお弟子に殺されてしまう。

その最期のエピソードを『付法蔵因縁伝』で読んだ。

刀で切られて五臓が体外に出たアーリアデーヴァは、

斬った外道の弟子に、「わたしの鉢と衣をもって逃げよ」と言う。

自分の弟子たちで迷いにある者たちは、かたきだとばかりに追いかけてくるだろう。

おまえは、まだ、迷いの中にあって、身体を愛しく思っているのだから、

それなら、山に逃げてのがれなさい、と教えるのである。

そして、自分の弟子たちには、追いかけてはならない、と言う。

 

     ◇◇◇

 

色やかたちは、空である。「われ」も「わがもの」もない。

殺すということも殺されるということもない。

誰が味方で誰が敵となりえよう。

おまえたちは無知に覆われ悪い行為の種をまいている。

外道の弟子が殺した、という結果は、わたしが昔行った行為の結果なのだ

 

こう語って、亡くなったのだとか。

「空」思想によって、説明していますね。

 

アーリヤデーヴァには、不幸な結果ですが、

わたしが印象に残るのは、空を使っていることです。

色かたち(色)に対する愛着は、空によって振り払われている。

 

「われ」「わがもの」に関して空である、というのが、ブッダの教えなのだけど、

それの具体的実践は、みずからの身体(色)の執着をもたないことによって、

アーリアデーヴァは、弟子たちに示しているのだ。

 

ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッドギーター』では、殺す者もなく殺される者もない、という言い方で

アートマンの不滅をうたい、

バガヴァット(クリシュナ神)は、アルジュナに「行為のヨーガ」を勧めて、戦うように促す

のだけれど、

仏教では、バガヴァット(尊師ブッダ)は、殺す者もなく殺される者もない、として

「空」「アナートマン(無我)」を教える。

そして、みずからの身体にこだわらない態度を勧める。

 

自己をよりどころとして生きる生き方を徹底すると、こうなっていくんだなあ、と思う。

 

「自分の身が愛しいなら山に逃げよ」と、

自分を斬った外道の弟子を思いやったアーリヤデーヴァ。

 

仏教のものの見方は、どこまでも清らかです。

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コメント

人 は  「 輪廻 」 する

> 仏教のものの見方は、どこまでも清らかです。

清らかさで  「 仏教 」 を見るとき
  そこに   清らかなことを見出す

物事( 認識 ) は   「 縁起 」 して
   (  「 縁起の理 」 に沿って )
  起きる

さて、 清らかさ とは  認識であろうか  ?

清らかさ を 欲するときには、 そこに 「 縁起 」 が 起きている

清らかな者 が 「 清らかである 」 という時
              そこには    「 縁起 」 は起きないが、
それを聞く者には、
    「 縁起 」  が  起きている


物事 には
  即今  であること  と
  即応  であること  とが  混在する


そのような  「 輪廻 」  から、 物事を眺める

清らかさ  は   「 輪廻 」 するのであろうか 、、、、


投稿:  春間 則廣  | 2021/06/08 12:00

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