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2021/03/17

3月は去る

二月は逃げる、三月は去る、でしたっけね。

雪は融ける、春は来る、の図。

Dsc00144-2

定点観測ですね。

毎年、雪解けが早くなってる。

今年も、何か、終わったなあ、って感もしてきます。

2021年で東日本大震災からはや、10年。

嘘でしょ、っていうくらい早い。

おそらく、わたしたちは、辛抱する時代に入るんだと思ってます。

原発廃炉の問題を抱えて、人智が試されますね。

 

    ◇◇◇

 

仏法も試される時代になってきそう。

「人類は進歩発展する」という幻想のもとに、進んできたけど、

最近、その幻想が効かなくなってきました。

わたしの中では、まったく、そんな幻想は消えています。

学ばないと、どんどんアホになるぞ、って、心が言っています。

 

仏法も、どんどんわからなくなるぞ、って、心が警報を鳴らし始めました。

仏法アラートかな?

 

先日、「龍樹は言語を解体しましたよね」という意見を聞いて、

ハッとしました。

「いや、解体しただけじゃないんです」と言いたかったけれど、

話せば長くなると思って、黙ってしまいました。

 

実は、龍樹は、言語を構築もしているのです。

『中論頌』は第5章まできました。

ブッダが、言語を構築したように、龍樹も言語を構築しています。

むか~し、ナヴィヤ・ニヤーヤというインドの論理学派の研究をしていました。

 

それを、宮元先生と一緒に

『インド新論理学派の知識論 『マニカナ』の和訳と註解』(山喜房仏書林)

として出版したのです。

そこで、自分が解明したと思った言語論を解説したのだけれど、

なんと!なんと!

その解釈! 龍樹から来ている、ということに、

先日、気づきました。

 

それは、現代風に言えば、対象言語とメタ言語を用いて、語る言語の構造なのだけれど、

龍樹の『中論頌』を批判的に吸収したニヤーヤの学徒たちが、全部、

構築していたのだぁぁぁぁぁぁぁ、って気づいて、

腰が抜けそうでした。

 

いやはや、どおりで、ニヤーヤ学派も捨てがたいと思いましたよ。

イーシュヴァラ(主宰神)を信ずるニヤーヤ学派は、因果を支える神を唱えるのです。

その神というのは、決して、かれらは誰か言わないけど、

ブッダのことを指しているのじゃないか、って気がしてなりません。

 

すべての人々の苦しみを滅することを意図したブッダ。

ことばの行いについて苦しみをなくそうとした龍樹。

 

時代を超えて、必要とされる聖者たち。

ブッダの教えを受持した者たちは、人数は少ないかもしれないが、

現代においても有効に働いている、世界中の生き物のために。

 

『ジャータカ』というのは、ただの教訓説話ではなくて、

仏法の展開図なのだと思います。

 

Dsc00146

雪かき道具も、そろそろいらなくなるかな。

 

ブッダがいらなくなる日がくると。。いいのかな、わるいのかな。

煩悩があると、迷いますねえ。。 迷うなよぉぉ

 

 

 

 

 

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コメント

桂先生

こんばんは。

視点を新しくした龍樹研究ですが、
もともとは古くから考えてきたものです。

従来の研究とは、だいぶちがってきてしまいました。

投稿: 管理人エム | 2021/04/08 01:25

お久しぶりです。
「対象言語とメタ言語を用いて、語る言語の構造」に大変興味あります。わたしも今、龍樹だけでなく、仏教の言語観を「対象言語」「メタ言語」『メタ−メタ言語」という視点で説明出来ないかと考えています。
龍樹の『中論頌』の翻訳・研究、楽しみに待っています。

投稿: 桂 紹隆 | 2021/04/07 19:25

いなくなる日は 来ません

全ての人が ブッダ となろうと

「 唯仏与仏 乃能究尽 」
   は
与仏 に起きる

投稿:  春間 則廣  | 2021/03/17 19:44

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