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2021/02/25

2021年2月25日の日記

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バラでも見てください。

 

春が近づいてきましたが、あいかわらず外は雪です。

今年は雪が少なかった。

昨年は、同じ時期、まだ雪祭りの余波が残っていて

観光客の人たちが少しいました。

 

今年は、全体静かです。

近所のスーパーが、賑わっています。

みんな、行くとこないんだなあ、って、思います。

 

      ❐❐❐

 

龍樹が、だんだん生き生きして来ました。

調子出てきたぜい、って感じです。

龍樹さえあれば、ご飯はいらない。。いや、

ご飯さえあれば、龍樹をおかずに食べられる。

 

だいぶ、見えてきた感じだ。

しかし、まだ三章が終わっただけ。

一つの偈に、本一冊分の内容が詰まってる。

その詰まり具合を見ていると、「ああ、これ龍樹だ」って思う。

どの一偈も見過ごせない。。

はやく進もうとすると、足もとがすぐにすくわれて流される。

暴流を超え渡ったブッダと龍樹

暴流に押し流されてる あわれなわたし。 足場もながされたよぉ。

龍樹のヒゲに藁のかわりにすがりついてる あわれなわたし。

流されるか。。それとも。。ヒゲが助けてくれるか。ぎりぎりだ。

 

        ❐❐❐

 

ところで

わたしは、何を書いているんだろう、って思いながら書いてます。

書きながら、龍樹『中論頌』に対する注釈書なんだなあ、って思ってる

なぜなら、概説書ではない。

それに、翻訳書ともちがう。

わたしがどう読んだか、という解釈を示す書になっているからです。

こういう書き方しかないんでしょう。

だれもが、こうしてきたのだろう、と思います。

註釈を書いている人は、皆、自ら自分の読みで勝負している。せざるをえない。

どんな人も、こうするしかない、のが『中論頌』なのだと思います。

 

       ❐❐❐

 

いやはや、恐ろしい本ですね。

『中論頌』は、かたちをかえたブッダの教えです。

ブッダが天使(?)なら、龍樹は、悪魔のおもむきがあるなあ。

でも、まったく同じ教えが説かれてるだけなんだけど。

ブッダを天使にする方が変かしらね。

 

それにしても、精神的には、とても穏やかです。

龍樹があれば、幸せな日々。。 バラが眼にしみるな

 

よし!今日は、第4章だっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

>  わたしは、何を書いているんだろう、って思いながら書いてます。

何を書いているかが(何を言っているかが) 分かる人 が ブッダです

>  書きながら、龍樹『中論頌』に対する注釈書なんだなあ、って思ってる
>  わたしがどう読んだか、という解釈を示す書になっているからです。

まあ。 解釈 は 解釈の域を出ることはない

>  こういう書き方しかないんでしょう。

それしかないと、 数ある中から、それを選ぶ
数のない( 唯一 牟尼 ) が ブッダ の 言葉(真理) です

>  だれもが、こうしてきたのだろう、と思います。

だれでもそうしているが、
だれも ( 牟尼以外は )、 
自らが 何を言っているかを 聞こうとしないから
解釈で すましてしまう

>  註釈を書いている人は、皆、自ら自分の読みで勝負している。せざるをえない。どんな人も、こうするしかない、のが『中論頌』なのだと思います。

他人のことはどうでもよい
       それが、 他人 に 属する限り 、、、、
しかし、 あなたの “わたくしごと” である と 知るのであれば
自らに起こし、 起きている  問題である

一つの世界 に  一人の仏陀
  ではあるが
繋がってはいない 世界は どこにもない
  ( 繋がりを見出せなければ、 繋がってはいない ということとなる )

赤青緑( 赤青黄 ) は 繋がって 白( 黒 ) となる が 
     ( 繋がっていようと、 重なっていようと 同じ事 )
それぞれの領域が そこに起きていなければ、 白黒の決着はない

重々 の世界に、 ジユウ を説く ジュウノ ブッダ


投稿:  春間 則廣  | 2021/02/28 07:11

>経典の引用が自動的に仏法になるわけではない、引用者の意志があるから。

>しかし、経典の引用が必ずしも仏法にならない、わけでもない。法(経典)に従った法の実践(引用)になっていれば、引用もまた法…先生を見ていると、いつもそう感じます。

PLさま
おひさしぶり。

世の中、荒れる天気もいいもんだわ(笑)おいおい。

古くなった部分を切り取って、新しい刺繍をほどこすのが、輪廻だって、『ウパニシャッド』は言ってるけど、

わたしも、つくろいものをしてる気分。

どんなところにも、
ブッダがいる、観音菩薩がいる、って
思うことが、道になっていくのかも です。

>次の日記も楽しみにしております!

写真がなかなか撮れなくて、日記がとどこおる、という本末転倒。

龍樹が帰って来てくれたので、
わたしの人生バラ色です。


投稿: 管理人エム | 2021/02/27 07:11

おひさしぶり先生!

>龍樹が、だんだん生き生きして来ました。
>調子出てきたぜい、って感じです。

いや、ほんと、停滞せずにずっとこんな風に法随法できるのがすごい笑 さすがでござんす( ;∀;)


>註釈を書いている人は、皆、自ら自分の読みで勝負している。せざるをえない。


ですね!

経典の引用が自動的に仏法になるわけではない、引用者の意志があるから。

しかし、経典の引用が必ずしも仏法にならない、わけでもない。法(経典)に従った法の実践(引用)になっていれば、引用もまた法…先生を見ていると、いつもそう感じます。


あたらしいことばがあふれてくるわけですね。

次の日記も楽しみにしております!

でわ。

投稿: PL | 2021/02/26 22:29

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