一月二八日 の 日記(まんまだわ)
何と、掛けたカレンダーも、このページが終わろうとしている。
はやいなあ。
コメントが、さっさと更新しろ、って言っている、トホホ
実は、管理人はショックなのです。
なぜかというと、仕事が今年もあるのだ。
別に仕事が嫌いなわけじゃないけど、
はやく龍樹をべんきょしたい。
なんとしても、はかばに行く前には決着つけたい。
はかばかしくないのが、ショックなのです。
下を向くな、上を向け、管理人。
そうだ、空でも見るか?!
いつもとかわらん。
「そら」と読まずに、「くう」とみて
龍樹に思いを馳せよう。。何か詠嘆調です。
◇◇◇
龍樹については、ほんとにいろんなことが言われてる。
多くの学者や注釈家がさまざまに語っている。
龍樹は、部派などが陥った実在論を否定したのだ。
否定の論理を駆使して、仏教の中の反対派や非仏教徒たちと争ったのだ。
般若経典の入門書として『中論』は著されたのだ。
プラサンガといわれる破邪の論法で批判したのだ。
別に反対はしない。そういう側面も認められる。
だけど、わたしの意図ではない。
わたしが伝えたいこと、
それは、龍樹がブッダの唯一無二(言いすぎだけど)の理解者で
ブッダの註釈者だということです。
龍樹を読むと、そのまま、一切損なうことなく、
ブッダの教えにいける。
寸分違わぬ等身大の教えに到着できる、ということ。
つまりだ!
龍樹だけ勉強しても、ブッダを学んだことになる、ということ。
ここを、叫びたい!
空に向かって。
ああ、ちょっとスッキリした!
大乗が、立派な仏教になるのは、龍樹を祖と仰いでいるからです。
大乗が生き残るためには、
ブッダの権化が龍樹であることを示さなくてはならない。
ことばをもって、
寂滅の道を説け!
寂滅の道を、
ことばによって示せ!
龍樹は、ブッダの法である。
ブッダの法は、龍樹になった。
だいぶスッキリ。
そういうことを示すべく、
今年も頑張ればよい、と分かって、
下でも見ますか。。あれ?
こんなところに丸まってる。
クウ、クウ。。やすらぐ猫たち。
悩みなし!
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