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2020/04/02

無畏(おそれなし)

最近時々見かけることば。

引っかかることばです。

 

それは、

「正しく恐れる」

 

たとえば、

「新型コロナウィルスについても、正しく恐れることが必要です」

 

「正しく」がついてもつかなくても、結局、「恐れよ」と

述べているのだ、と気づかねばならないのでは?

 

恐れるのは誰か?

「自分」である。

誰かが「恐れなさい」と勧めながら、

しかし

その責任は、「あなた自身にありますよ」と述べていることばである。

 

まず、「恐れる」ということ自体が苦しみの行いである。

さらに、

恐れた結果が、不幸な事態、苦しみの事態に陥っても、

その文を語った誰かは責任をとらない。

 

あなたは「正しく」ということを守らなかったからだ、と言い訳できるからである。

 

「正しく」については、曖昧である。

密集(場所)、密閉(空間)、密接(場面)を避けなさい、とはいわれるが、

それを守れば「正しく」なのかどうかは、よくわからない。

 

つまり、このことばどおりにすると必ず苦しみがやって来る、ことがわかるだけだ。

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      ◇◇◇

 

仏教の説く八正道は、正しい道を八つに分けて述べるものである。

「正しい」というのは、そんなに簡単ではない。

ブッダが説くのは「中道」ということだからだ。

 

両極端によらない道が、中道であり、正しい道とされる。

今の場合、「恐れること」と「恐れないこと」のどちらにもよらない立場ということになる。

 

むやみと密集・密閉・密接を恐れて、一人離れること。

密集・密閉・密接に「恐れなし」とばかりに、わざと三密状態へと向かって行動すること。

 

どちらも極端である。

苦しみのないところに向かうのは、

この「恐れる」ということばが消えてなくなるときである。

人々を煩わす「コロナ感染の心配」が消えてなくなるときである。

社会の活動が戻って安全に暮らして行けるようになるときである。

 

そうなるために、八正道の「正見(正しいものの見方)」がある。

因果をあるがままに見つめて、

自分の意思で智慧を用いて、選択しよう。

 

あなたの行動は、最終的に、あなた自身が考えて決めよう。

そのために「正見」がある、「正思」「正語」「正業」「正命」

「正精進」「正念」「正定」の八つがある。

 

どんな結果になろうとも、自分で納得して自分で行動したことには、

安心があるだろう。

 

それを、「無畏(畏れなし)」と呼ぶのではないだろうか。

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季節はずれに降った雪。

桜のようにも見えるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

「 桜のようにも見えるかな
     桜のように見える雪 」    

投稿:  春間 則廣  | 2020/04/03 09:09

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