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2019年11月

2019/11/29

突然ですが、冬が来た。

確か、昨日日記を書いた。

出かけたときは、ピーカンのお天気だった。

ところが、地下鉄を降りて、さっぽろ駅に着いたら、

何と猛吹雪。

吹雪を見せろ、ですって。

ショックで、撮り忘れました。

で、今朝の写真です。

Dsc02688

雪の量はたいしたことはありませんが、雪は雪です。

遠くの山も白くなっている。

 

     ◇◇◇

 

昨日は、「ジャータカ」の話をしようと思って、時間切れで、

学校に行ったのだったっけ。

 

実は、「ジャータカ」というのは、とても複雑な構成になっています。

世間で、子ども向けに「ジャータカ物語」なんて題名で出ているようなお話は、

大抵、抜粋になっていたり、略されていたりするのです。

また、お話の都合上、言い換えや書き換え等、いろいろなされていることもあります。

 

ですが、「お釈迦さんもの」と、私が勝手に名づけた「ジャータカ」のお話は、

なかなかとらえどころがなく、けっこう難しいのです。

それは、学生たちと読んでいて、わかってきたことなのです。

 

大抵お話は、三部構成になっています。

現在のできごとが、「序」のような形で語られます。

たとえば、弟子たちが法談していると、お釈迦さまが通りかかって話に加わる、というように。

そして、そこでの話題に関連して、お釈迦さまが、

「それは、過去にもあった」と言って、過去世のお話をするのです。

この物語が、「本体」ということになります。

そして、最後に、「結び」のようにして

「その時(過去世の時)の誰々は、(今の)何某であった」という形で、

現在のお話と過去世のお話が、結びつけられるのです。

 

「序」「本体」「結び」の三つが、そろっているのが「ジャータカ」の構成なのですが、

もちろん、「過去世物語」だけでも、十分面白いので、

そこだけ訳されていたりすることも多くあります。

そして、子ども向けの童話のように仕立てられて、今日伝わっていたりします。

「イソップ童話」等にも似たようなお話があります。

日本でも、『今昔物語』の中に「ジャータカ」由来の話が入っています。

 

詳しいことは、まだ言えないけど、実際のところ、

ブッダの影響は、世界中に及んでいるのではないか、ということを考えています。

 

法(ダンマ)がどう伝わっていったか、ということですね。

 

いわゆる、巷で言う「物語文学」というジャンルを認めて、それを考えても、

輪廻を前提にしないと、話がつながらないだろな、って思います。

 

西洋に伝わったりするときは、過去世、未来世、現在世という分類を取らないだろうけど、

その中に、教訓を読み取ったりするとすれば、

輪廻ということは、どこかで影のようにまとわりつくことになるのではないか。

 

はっきりとした思想の形ではなくて、民間信仰のようにして、

人々の心に入っていったのは、善悪の教えです。

 

それは、遠く、お釈迦さんから来ているのかもしれないな、って思ってます。

 

まとまらないけど、日記だから、ね。備忘録としておこっと。

お、写真写真。。最後に写真を載せなくちゃ。

Dsc02689

ただの雪です。

 

 

 

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2019/11/28

四季をめぐる…日記が…

なんて、情けないタイトルだろうか。

すでに8月に更新したブログは、沈黙のまま、

冬を迎えました。でも、撮った画像があるので、

秋も、瞬間を切り取っておきましょう。

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その頃は、こんなに美しかった。Dsc02683

こんな時もあった。

Dsc02686

 

    ◇◇◇

 

雪になったり、雨になったりして、季節は過ぎて、

まだ、根雪にはなりません。

おや、何だ?

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道に落ちてる怪しい仮面。

思わず、カメラを出してパチリ。

 

何か言ってる?

 

世間に染まらず、こんな顔して行きなさい。

 

はいはい、了解しましたよ。

世間を空と観て、染まらずに行けば「死王は見ない」と、

お釈迦さんも言ってたなあ。

 

    ◇◇◇

 

最近、「ジャータカ」に関心があります。

パーリ仏典の中にも「ジャータカ」としてまとめられていお話が、

およそ550話弱あります。

これらは、物語文学などと言われたり、説話文学とか、過去世物語とか、菩薩物語とか、

色んなことが言われたりしているけど、

仏陀が説いたとは、どうも思われていないようだ。

 

私は、これらの「ジャータカ」は、ブッダがほぼ語ったものと見ています。

そう読まなければ、意味をなさないのではないかと思っています。

ブッダは、あらゆる物語文学の「親」と言ってもいいのではないか、

って、ちょっと思っています。

 

いま、「思っていること」でした。

Dsc02679

夕陽が落ちた大通りの噴水。

季節は、秋だった、この頃は。

 

 

 

 

 

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