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2015年12月

2015/12/27

薪から生ずるのが、実に、火なのです

春間さまに教えてもらったフリーソフトのおかげで
写真のリサイズが容易になりました。
すごく便利です。 ありがとうございます!
Dsc01862_r_2
ですが、写真が、あまりぱっとしませんね。
なかなか撮りたい風景に出会いません。。あれ?

あれれ?

うーーん、意外に意外な風景かも。
建物が傾いているように見えますね。

ピサの斜塔のよう。

気のせいかな。
とにかく、動かないから、ぶれることはないと思うぞ。


       ◇◇◇

さて、昨日は、今年最後の、
朝日カルチャーセンターでの講義でした。

『スッタニパータ』「スンダリカバーラドヴァージャ経」と
格闘してました。

何だか、「むずかしオーラ」がじわっと漂う経典です。

スンダリカバーラドヴァージャ・バラモンは、
聖火を焚いて、火の祭りを行います。

祭祀を行った後、供物の残りを誰かに食べてもらうことにして、
適当な人物(バラモン)はいないか探すのです。

そして、近くに座っていたブッダが目にとまり、
供物を捧げるのにふさわしいバラモンかどうか、
確かめようとします。


「あなたの生まれは何ですか」


こう聞いたのが、運の尽き(?)

じゃなかった

こう聞いたのが、縁となって、

かれはブッダの教えにふれることになるのです。


で、何がむずかしいかというと、

ヴェーダの知識が、その話の中に、
それとなくちりばめられているようなのですが、

そのあたりのことが

悲しいかな 
ヴェーダに詳しくないこともあって、
わたしには、はっきりしないのです。


仏教の解説も、ヴェーダのことはどうでもよいらしく、
あまりはっきりしたことが書いてありません。


     ◇◇◇

ですが、
わたしが、いくらか調べてわかったことを書いてみますよ。

ほんと、たいしたことはないけど、
それでも
ちょっと、わかった感じがします。


さて、
ブッダは
スンダリカバーラドヴァージャ・バラモンに、
このように聞かれます。
============
「わたしは、祭祀が好きなのです。
君、ゴータマよ、祭祀をしたいと思っています。
ですが、わたしはわかっていないのです。
わたしにどうぞ教えてください、尊者よ。
どこに献供すれば成就するのですか。
どうぞ、わたしに話してください。」
============

ブッダは、こう答えました。
===========
「では、バラモンよ、耳を傾けお聞きなさい。
わたしは、あなたに法を説きましょう。」

462 「生まれを問うてはなりません。
行いを問うてください。
薪(カッタ)から生ずるものが、
実に、火(ジャータヴェーダ)なのです。
賤しい生まれであっても、堅固な聖者であって、
恥を知って慎むならば、高貴な者となるのです。
===========

ここで悩んだのが、

「薪から生ずるものが、実に、火なのです」

という文です。
何を言っているのでしょうか、ブッダは。

次の文の「賤しい生まれであっても…」と、
どのようにつながるのでしょう。

なんだろ、なんだろ??

と考えて、
多くの注釈者や翻訳者は

「火は、実にあらゆる薪から生ずる」と解して、
だから、
「賤しい生まれであっても、高貴なものとなる」と

読むのですが、
何だかピンと来ませんよね。


ここね、祭祀と絡んで理解すると、見えてくるものがあります。

火の祭式では、
祭壇をもうけ、炉をきって、火をおこします。

その時、薪を使うでしょう。

具体的に、薪を用いて、火をおこして、
その火を聖なるアグニ(火)の神と見なして、
祭式を行っていきます。

薪(カッタ)

ということばは、「薪」の意味のほかに
「悪い」とか「無用の」とか、そんな意味があるのです。

さて、

たいしたことのない、
さしたる役にも立たないような細い薪でも
祭式を行うには、充分です。

そこから、式次第をきちんと
ヴェーダに説かれるとおりに守って行うなら、
ただ、火をおこすのとはわけが違ってくるのです。

起こされた火は、聖なる祭火となるのです。

その火は、「ジャータヴェーダ」という語で
言われています。

これは、火の別名ですが、ただ、それだけではなく、
太陽(サヴィトリ)の別名でもあり、火の神の名ともなります。

また、「ジャータヴェーダ」は、語源的には、
「生まれてきたものを知っている者」とも、理解できるのです。


だんだん見えてきたでしょう。

この、ブッダのことばの前にも、
ほかに
スンダリカバーラドヴァージャ・バラモンと、
いくらかやりとりもあるのです。
そこも見てみましょう。


ブッダは、自分の生まれについて、

「バラモンでもなく
クシャトリアでもなく
ヴァイシャでもなく
ほかの何物でもなく

 凡夫の姓を知り尽くして

無一物で、
賢明に世間の中で行じている」

と答えるのです。

「凡夫の姓を知り尽くす」ということは、
「生まれてきたものをみんな知っている」ということで、
「ジャータヴェーダ」とつながるでしょう。

それから

太陽(サヴィトリ)神についても、

ブッダは、スンダリカバーラドヴァージャに、このように尋ねています。

「もし、あなたがバラモンであるというのならば、
バラモンでないわたしに話してください。
わたしは、あなたに、
三句二十四文字からなるサーヴィトリー讃歌を
尋ねましょう」

このサーヴィトリーの讃歌は、
たいへん有名な詩で
現代でも日々バラモンたちが唱えているものです。

これによって、ブッダは、ヴェーダに詳しいことを
暗に示しました。

サヴィトリ神(太陽神)は、また、ジャータヴェーダとも
呼ばれるのです。

太陽は、光線によって、あらゆる生き物と結びつきます。
すべての生き物をあまねく照らして、見るのです。
逆に
生き物は、どんなものも太陽を仰ぎ見ることができます。
「ジャータヴェーダ」は、一切を見守る太陽の火でもあります。


こうなってくると、

「薪から、実に、生まれてくるのが、火なのです」

ということばの意味が、はっきりしてくるのではないでしょうか。

「賤しい生まれ(薪)であっても、
堅固な聖者であって、
恥を知って慎むならば、
高貴な者(聖火)となるのです」

ジャータヴェーダ(火)は、
単に高貴で聖なる火ではなく、

生きとし生ける者を慈しむ
太陽の光として、
意義づけられているのも
ブッダらしいところです。


     ◇◇◇

きっと、もっとヴェーダをよく知っていれば、
もっと何か出てきそうな気がします。

でも、とりあえず、

薪と火の謎は、ちょっぴりわかったかな。


あ、買い物に行かなくちゃ。
写真をあげますよ、こんなのどう?
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ブッダのジャータヴェーダ(太陽)には、
負けちゃうけど、
これも太陽でっす!


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2015/12/15

空の発見、うーん、空の実践か

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きりり!
ぼくはダン。かしこそうに見える猫です。

ご主人様の足りない脳みそを補ってあまりある

「 かしこそう猫 」 のナンバーワン。。なんばーにゃん 

    
       ◇◇◇


この前、授業をしました。
まあ、毎日のように授業をしているんだけど、
何となく、いろいろ、試行錯誤して、授業をしていました。

ああしたらいいかな
こうしたら、聞いてくれるかな
こういう風にしてみたらどうかな
やっぱり誰にでも合う話題にしなくちゃな

学生さんの他にも、年配の聴講生の方が増えたのです。

同じ講義でみんなが楽しむのは、難しい。。
わたしも、講義で言いたいことがあるし。。

って、わけで、

今までやったことがないことをやって見たのです。

いや、ふつうの講義です。

比較宗教の講義だったので、

言われたとおりに、比較しました。

仏教のダンマ と ヒンドゥー教のダンマ


これを比べてみることにして、講義ノートを作りました。

その中で、「 空 」を利用して、みんなに話してみたのです。


どうやったか、分からないでしょ。
実は、わたしも、分からない。

ただ、空は使ったのです。

具体的には、
『バガヴァッドギーター』のカルマ・ヨーガについて、
スヴァダルマ(自らの義務)を取り上げました。

「あなたの職務は行為そのものにある。
決してその結果にはない。
行為の結果を動機としてはいけない。
また無為に執着してはならぬ。」(2.47)

「アルジュナよ、執着を捨て、
成功と不成功を平等のものと見て、
ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。
ヨーガは平等の境地であると言われる。」(2.48)

行為において迷いなく自らの義務を果たしなさい、
という内容です。

自らの義務(スヴァ・ダルマ)という言葉には、

クシャトリヤ(戦士)としての義務、戦うことが意味されています。

もう一方には、『ダンマパダ』の詩を取り上げました。

1 心に先導される諸々のものごと(ダンマ)は、
心を最高のものとし、心からなっている。
汚れた心で話したり、行ったりするならば、
苦しみは、かれにしたがう。あたかも、車輪が、
車をひくもの(牛)の足跡(パダ)にしたがうように。

2 心に先導される諸々のものごと(ダンマ)は、
心を最高のものとし、心からなっている。
清らかな心で話したり、行ったりするならば、
楽は、かれにしたがう。あたかも、影が、
(そのものから)離れないように。

5 この世において、実に、恨みによって、
諸々の恨みが止むことはない。
どんなときにも、恨みのないことによって止むのである。
これは、永遠の真理(ダンマ)である。

そして、比較しながら、「空」ということを
解説したのです。

そしたら、

不思議なことがおきました。

びっくりこ!


講義のあとに感想を書いてもらったら、

全員が、全員、みな違うことを書いたのです。

全員違っているんだけど、
全部講義の内容についてであって、
全部、わたしの話したことでした。

  
     ◇◇◇


★ある人は、新宗教で、怪しい宗教の見分け方を説いたところに、
賛成して、そこを話題にしてくれました。

★ある人は、相対概念についての、言葉の使い方に反応してくれました。

★ある人は、ヒンドゥー教の教えの「戦うこと」に注目してくれました。

★ある人は、「実体がない」という空に、自ら、
意味を当てはめてみるというやり方のあることを興味深く聞いてくれました。

★ある人は、バクティ思想が説かれている宗教書として、
『ギーター』を見つめていました。

★ある人は、気持ちよく寝ていました。

こんな風に、全員まるきり違うことが書かれていたのには、
さすがに、わたしも驚きました。

講義は、

仏法が、どのように
人々に影響を与えているのか、
それを知るための、
ありがたい実践の場です。

ありがとう、みなさん。
こんな変わった講義を受けてくれて、感謝感謝!

Dsc01858s
だらり!
ぼくはさむ。アホ猫です。

どこからみても、どう見ても
ご主人様のDNAを受け継いで、

おバカ猫のナンバーワン。。ナンバーって、にゃに?


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2015/12/10

紙と鉛筆の復権 

新しいパソコンを使い始めました。
ようやくデータを移し終わった、というところです。
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写真もアップできるようになったし、めでたい!

でも、パソコンが使えるようになるまで、
データを移したり
パスワードを思い出したり、
各種の設定をし直したり、
新しい機能を調べたり、
ほんっと、めんどくさいですね。


どうせまた、いつか、パソコンを替えなくちゃならなくなる。
そのたびに、
新しい仕様になって、
あれこれ神経を使うことになるのだ。

これどうやるんだっけ?
って、必ず、わからなくなるんだもん。


そこで、管理人は、悟ったのです。


パソコンが、突然なくなっても
生きていけるように、
パソコンにだけ頼って生きるのはやめよう、って。


★このPC一台があれば、何でもできます★


っていうキャッチフレーズは信用しないようにしよう。

全部のことをこの一台に頼っていたら、
もし、何かあったら、困るのはわたし。

で、

パソコンのデータを移しながら、

一方では、

機器の危機にそなえて

ノートや原稿用紙や手帳を
復活させました。
Dsc01848s
あれぇ~、字が書けない。。汚いし

ほんとに字を忘れてる。

でも、

昔の人は、ノートと鉛筆でべんきょしたん。
わたしも、昔は、昔の人だった。

ノートやペンも使えるわ。

パスワードもいらないし、
データがなくなることもない。
大事な情報が盗まれることももない。

だって

見ても、字が汚くて、読めるのはわたしだけだもん。
意図せず暗号化しているし。。

どんどん原始頭脳に戻ってくぅ。

そういえば、
わたしの授業も、原始の面影を残してます。

黒板とチョークで、

聞いて、ノートを取りなさい、って言ってます。


時代の波に逆らって、
すべての知識を
頭の中に収めよう。

お釈迦さんみたいに、なりたいわ。
紙と鉛筆すらないお釈迦さん。

悟るって、たいへんなことだよね。

パソコン、プリンタ、マウスにキーボード、
USBにDVD、ハードディスクにスピーカー

紙に鉛筆、ノートにボールペン
書籍に雑誌、論文に資料、

そんなもんやこんなもん、
何でもかんでも全部、おシャカにしていいなんて。。。

ああ、うらやまし、

最先端の勉強術は
何も持たずに捨てること。


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2015/12/05

パソコンを替えて、cloudな気分。。

ここ数日、パソコンのデータを入れ替える作業に追われています。

写真も載せようと思ったけど、
新しく撮った写真を編集できないことに気がつきました。

前に使っていた写真用の編集ソフトがなくなってる。

マイクロソフトって、すごく。。。。

Dsc01840s

なので

神経がすり減りますね。

写真が私の気持ちを物語っています。


パソコンを定期的に替えないといけないようになってるし、
そして
そのたびにわかりにくくなって、
いつも、どこかだまされてるんじゃないかと不安になるし、
また
情報とかが盗まれたりするんじゃないかと不安になるし、

便利な世の中になると、すごく不便で不安が出てきます。


結局、すごく便利になると、
同じくらいの不便をどこかで与えられるので、
全体としては、変わりません。


    ◇◇◇


こういうときに、思うのです。
どんなに情報が盗まれようと、

何の変化もこうむらず、何の被害にも遭わなかった

お釈迦さんの教えは、大切にするべきであ~る。

パソコン替えるときは、
いつも、cloudな、どよんとした気分になるけど、
気にしないことにしよう。

どうせなら、
ブッダ・ヴァチャナ(ブッダのことば)でも、
cloudのなかに置いてみようか。
こんな風になるかもね ↓

=======『ダンマパダ』
382 若くあっても、ブッダの教えに努力する比丘は、
あたかも、雲から顔を出す月のように、
この世界を照らすのである。
=======

雲がきれて太陽が輝くように、
いつでも雲の切れ間からブッダのことばが覗けると

うれしいかも。

=======『ダンマパダ』
172 かつて放逸にすごしていても、
後に放逸にすごさない人は、この世界を輝かせる。
あたかも、月が雲から顔を出すように。

173 悪い行いをなしても、
善い行いで覆うなら、かれは、この世界を輝かせる。
あたかも月が雲から顔を出すように。
=========

アングリマーラ尊者のことばですね。

世界が雲に覆われて、闇にならないように、
気をつけよ!

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