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2015年4月

2015/04/26

一瞬を見過ごすな by お釈迦さん

昨日は、朝日カルチャーセンターの日でした。

今年の前期が始まって、『スッタニパータ』を読んできました。
わたしにとって、朝カルは、ほんとうにありがたい。


必ず経典を読むことになるので(自分で、そうしているので)

一ヶ月に少なくとも一度は新しい経典に出合えるのです。

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庭の草も喜んでるね。

喜んでるのかどうか、わからないけど、
とにかく、伸びてきているのが、これだけだからな、うちの庭は。


さて、今回読んだのは、これ!


『ウッターナスッタ 奮励経』
(『スッタニパータ』2.10)

四つの偈しかありません。
===========

331 起き上がりなさい、坐りなさい。
あなたたちにとって、眠ることは、何の益があるのか。
矢に射られて苦しみ病んでいる者たちに、
どんな眠りがあるというのだろうか。

332 起き上がりなさい、坐りなさい。
寂静を求めて、しっかりと学びなさい。
あなたたちが怠けて(死王の)力にしたがっているのを
死王が知って(死王が)
あなたたちを惑わせることのないようにしなさい。

333 神々や人々は、願い求めるものであって、
欲にとらわれている。この愛着を越え渡りなさい。
一瞬が(無駄に)過ぎていかぬようにしなさい。
瞬間を見過ごした者たちは、地獄に引かれて憂い悲しむのである。

(『ダンマパダ』315より) 
辺境にある都城が、内外ともによく守られているように、
同じように自己を守りなさい。
一瞬が(無駄に)過ぎていかぬようにしなさい。
瞬間を見過ごした者たちが、地獄に引かれて憂い悲しむのである。

334 怠けは塵である。怠けにしたがって塵埃が生ずる。
怠けないことによって、明智によって、
自らに刺さった矢を引き抜きなさい。

========

「起き上がって坐れ」って言ってます、お釈迦さん。

「眠るな、起きろ、怠けるな」って、三拍子。

「怠けると、死王がやって来るぞ」

「死王が、地獄にひっぱっていくんだぞ」って、書いてある。


怠けは、チリホコリ。
怠けていると、チリやホコリが積もってくる。

だから、チューラパンタカは、
ホコリを払って、解脱した。

らじょー・はらなん
らじょー・はらなん
(ちりをはらう、ちりをはらう)

ほんとに文字どおりだわ。
すごいわね。

みんな大事な言葉だけど、
今日は、これを選んでみました。


これだ!


一瞬が(無駄に)過ぎていかぬようにしなさい。


「一瞬を見過ごすな」
ということだね。

この一瞬、この一瞬を見過ごすと、
だぁ~っと全部見過ごすことになってしまう。

一瞬だけなら、注意できるだろう。
だいたい、
注意というのは、一瞬に集中することだ。

だから、瞬間に注意できれば
集中はやって来る。
怠けないことが
やって来る。

一瞬だけでいいんだよ、
とも読めるところが、
ありがたい。

まず、わたしたちは、

一瞬だけ

注意することにしよう。

そうすれば、後は、何とかなるさ。。。たぶんね。

木の芽もそう言ってる。
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一瞬一瞬、伸びてく命。


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2015/04/24

春爛漫

びっくりです。桜が咲いてました。
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写真を撮ったのが、4月21日!

こんなに早く咲くなんて。
これ一本だけだったので、周りでみんなも驚きながら
「え、桜?!」といいつつ写真を撮っていましたよ。

え?え?桜?ほんとに桜? 枝が白樺なんですが?
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ほんとに、びっくりしました。
白樺にも桜が咲くのかと。
まさかね。
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ああ、良かった。白樺の後ろに桜があったのか。

昔は、5月の連休すぎた頃、
桜は咲くものでした。

20日以上も早く咲いています。

ということは、
どうやっても、連休にお花見が
できないようになってるらしいです。

さて、他にも花々を少々。
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家の前の野生の水仙
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よその家の前のクロッカス。
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これも、よその家の芝桜。
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ほんと、一気に何でも咲いてしまう。

写真だけで、今日は終わりです。


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2015/04/21

欧米化の侵食

朝一番に、日記を書く勤勉なわたしです。

ちょっと、馬の写真を載せようと思って。
えび天サンバさま、これで徳の研究をしてくだはいませ(笑)。
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ここには、去年は、何頭かの牛がいたのだけれど、
今年は、馬に変身しています。

牛が、馬に変わった。
まだらの模様が牛っぽい。。

元は、牛だってことは、ないよね。

そういえば、
今年は、午年(うまどし) ?
じゃなくて、未年(ひつじどし)だった、っけ?


すっかり忘れてます。


     ◇◇◇


sattvaを調べてみようと思っています。

如来(タターガタ)を、衆生(サットヴァ)の意味で使っている、
という四句分別の解釈を、調べてみようと、

前から手ぐすね引いているけど、チャンスが来ません。

     ◇◇◇


いまは、ヨーガを読んでいるんだよ。


あんまり、わからないなあ。
そもそもが、ゴチャゴチャして、整理されてないんだわ。

現代ヨーガ(ヨガ)の流れを、整理しようという研究もあって、
身体技法という観点からまとめられた

マーク・シングルトン『ヨガ ボディ』という本があります。

http://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.php?isbn=9784905328063

ほとんど精神文化としてのインド思想は、無視されていて、
欧米の眼で見られたインド発祥のヨガ研究です。

一言でいうとヨガという名の

体操の文化

をまとめたものです。


ヨガということばは、
はっきり、身体技法としての意味をもっているのです。

喜多千種氏が訳していますが、
この方の「あとがき」の冒頭に、こう書いてあったので、びっくりしました。

===
日本のみならず、世界でも「ヨガ」は
すっかり日常的なことばになりました。
スポーツ選手やハリウッド・セレブがヨガを
エクササイズに取り入れていると言っても、
違和感なくすんなり受け入れられています。
 ただ、日本では、宗教色の強い「ヨーガ」が先に浸透し始め、
健康法として一定の評価を得た後に、
欧米のフィルターを通したフィットネスとしての「ヨガ」が
広まったこともあり、人によって「ヨガ」のイメージはさまざまでしょう。
===

宗教色の強い「ヨーガ」

ナンダなんだ、このことば、っていう感じです。
いや、びっくりしました。

ヨガとヨーガのちがいについて、
こうなっているようですね。

ちまたの解釈では、
「ヨガ」はフィットネス
「ヨーガ」は宗教
ということらしい。

喜多千種氏は、専門は技術史の方ですから、
「ヨガ」や「ヨーガ」の専門ではないようです。
ですから、このことばの使い方は、
この方のもっている語感による解釈なのでしょう。

そう言われてみますと

最近ヨガ(ヨーガ)のインストラクターの方から、

「今では欧米が、ヨガの発信地みたいになってますよ。
インドがヨガの本場だって、知らないみたいで、
アメリカやヨーロッパがヨガを生んだとでも
言わんばかりになってます」

ということも、よく聞きます。


どうやら、インドはヨーガの文化のお株をとられて
しまったのでしょうか。

アドヴァイタと言われる思想も、
インドの思想文化を超えて、欧米化を遂げているようです。

サンスクリットのことばでは、

一応「ヨーガ」と、二重母音として伸ばして読みますが

実際、インドのヨガ道場などでは、現地の発音で

「ヨガ」と聞こえるため、そのまま音写して用いてきたことによって、

二つの読み方が交差しているのだと思います。


このちがいは、けっこう大きなもので、

◆インドの伝統をふまえるか   ヨーガ

◆欧米のニーズに応えるか    ヨガ

のちがいとなって現れているようにさえ見えます。


ここで、現場のヨガの先生たちは悩むのかもしれません。

ヨーガをするなら、精神的なものへ

ヨガをするなら、身体改造・美容・健康へ


分かれていくんでしょうね。


「ヨーガは、合一ということである」
身体と心と魂を一つに結びつけることだ

と、高らかに宣言していた
アイアンガー氏も、

『ヨガ・ボディ』の中では
どちらかといいますと、
体操派の方とみられています。


そういえば、アイアンガー氏は、著書の中では
サンスクリット語を頻繁に使い、また、
その発音も、きちんと示しているのです。

ヨーガの文化を残そうという、現れなのかな
精神性がない、と言われないための防御姿勢かな。


インドの苦労は、今でも続いているようですね。

欧米というのは、いつでも侵食するんかなぁ

インドの精神文化の中にあるヨーガから
きれいに
精神だけを抜いて
自分たちの理解できる肉体文化ヨガに
してしまいました。


ということはだ、

インドの心は 「ー」で表されるのですね。


「ヨーガ」 - 「ヨガ」 = 「ー」

インドよ、示せ、汝の「ー」を。

ちょっと、しまらなかったな
ウマくないわ
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2015/04/19

人間は動物である

何か新しいことないかな?
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お、クロッカス。
毎年、毎年、春にはクロッカスを撮って載せてるけど
やっぱり、春らしくて、いいですね。

いろいろ学校も始まって、忙しくなってきました。

難病の母が、足がしびれる、動かない、むくんで痛い
といろいろ言うので、
最近のうちの語録は、こうです。


人間は、動物である


これを、母に噛んで含めるように言うのです。
何度も何度もくりかえして言っています。


「人間は、動物っていうくらいだから、常に動いてないと、
いけないんだよ。

だから、動かないからといって、動かさないと、
どんどん使えなくなってだめになる。

動かないと意欲もなくなって、
どんどんだめな方にくんだから、
とにかく、動かそうと思うのがいいんだよ

意欲をもたなくちゃ、
動かそう、って思うだけでもちがうンだから」


などと、いっぱしのことを言っては、

歩行器の練習をしたり、
複式呼吸をしたり、
体操したりするのを、手伝っています。

マッサージもけっこうイタについてきた感があります。

「痛い」とか言っても、無視して、
とにかくリンパ液が流れるように、
念じながら、マッサージをすると、これがけっこう効く。

母は、わたしが一番上手だと言います、エヘン。
とはいえ、わたししかやってないじゃん!

「あんたは、痛いけど、ほんとに良く効くよ」
って、殺し文句も知っている。


          ◇◇◇


生きるっていうことは、意志をもつことだと、
そんな気がしてきます。

何かしようという意欲もなくなれば、
どうしても、動かなくなってくる。
眼も張りがなくなって、死んでくる。
だから、だんだん死へと向かっていきます。

だから、
何か意欲をもやすことがないか、
周りのものが
常に探していたりします。

人間って、黙ってっても、
生きようという願望を持つのかと思っていたけど、
そうでない、という方向に向かうこともあるだなあ。


お膳立てをしてもらって生きる


という人生でない、
もっと積極的にわがままな人生を送ってもらいたい、母よ。

あれしたい、
これしたい、
こっち行きたい
あっち行きたい

と、遠慮せずに、言わなくちゃ。

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      ◇◇◇

もう一つ、でてきた真理(?)

生きることは、わがままである。

だから
思いっきり、他人に迷惑かけて生きれば、
って、言いたい。

さんざん迷惑かけて、
死んだら、いっそ気持ちがいいと思うんだけど。。


ああ、人間って、
不思議なものですね。


煩悩は、あれば面倒だけど
なくなってくると、ほんとに寂しい


煩悩くらい、もったらどうなの
っていう言い方もあるなんてね。

教室の窓から、馬場を臨む。
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馬はいいなあ、煩悩いっぱいに走り回るもんね。

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