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2014年12月

2014/12/25

点猫画

久しぶりに、猫 です。

介護のヘルパーさんにもあきれられてる猫ッぷり。


母とヘルパーさんだけの時は、しら~んかお。
影も形も見えないのに、

ガラッと、わたしが玄関のドアを開けると
一瞬で、二匹とも姿をあらわす。

「すごいですね、お宅のネコちゃん」

そして、みゃーみゃー

異様にかわゆく餌をねだる姿に

「ここまでげんきんなネコは見たことないです」

だって。

「やること、人間の子供みたいですね」、とも、
言われてますです。

良い子の、げんきんダンですっ。
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悪い子の、げんきんサムです。
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ん! 何かいるかな?

身繕いは、紳士のたしなみ。
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生まれてからいっぺんも、お風呂に入ったことがない。。

お! か、かか、ってカラスのまねするネコ
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どっちだ?

あ、こっちか?
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かたまる猫。

はあ、きれいになったし、くつろご
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クリスマス 

点描

いや、点猫かな。

ダンの写真が少ない?
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かたまる猫。。じゃなかった、猫のかたまり です。


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2014/12/24

「空」は発見するものだ

写真をしばらく撮っていないのと、
話題に窮しているせいで、

再び 『空の発見』 を取りあげます。

また、本の表紙も載せちゃおう。Photo

宣伝してるみたいに見えるかな?
宣伝しているのかな、自分?

よくわからないです。

というのは、少しずつご感想をもらっているので、
そのご報告なのです。

それが、ほんとうに、
今までにはないような感じの感想なのです。

みなさん、全然ちがう感想で、
どこを読んでくれたのかで、まるきりちがいます。


前半部分が、おもしろい
という人もいれば

後半部分が読みごたえがありました
という人もいます。

個々に、感想を寄せてくれている人もいて、
ヴァラエティに富んだ内容だけに
ヴァラエティに富んだ感想なのです。

ですが、そこに共通の内容があるようにも思います。


感想を寄せてくれたみなさんが、
すべて、何のてらいも、何のわだかまりもなく、
堂々と、自分の思ったとおりを述べてくれていることです。


それが、すごく、おもしろいのです。
味わいが深く、
まるで感想それ自身が仏典のようです。
うーん!
本書いて、得したっ
という気分が、どんどんしてくるありがたさ。


        ◇◇◇


「空」というのが、いかに奥深いか、
自分でもわかっていなかった部分が
解明されてくるようです。

無自性空

と言い習わされてきた 「空」論。


しかし

実際のところ
仏法は、すべてが 「空」 の現れである

ということを、身に沁みて実感しつつある今日この頃です。


空を知ると

■ 物事には順序があることを知る
■ 同語反復には意味があることを知る
■ ことばは自我のかたまりになりやすいと知る
■ 消えないものは恐ろしいと知る
■ 無限とは何かを知る、一つとは何かを知る
■ 触れないことは良いことなのだと知る
■ あらゆるものは変化することを知る
■ 涅槃のあることを知る
■ 沈黙に終わるそこは涅槃である、と知る
■ 苦しみとは何かを知る
■ 幸せは、順序にあると知る

ずいぶん、たくさん知った!

きっと、まだまだ、わかるだろう。

からっぽ

という、たったこれだけを知ることで、
こんなに、いろいろ使えるなんて!

   
     ◇◇◇


『空の発見』という書は、
著者自身が、
「空」を発見していく書だったんだ

って、大きな声では言えないけど

正直

そんな感想です。

久しぶりに、だんごのダン
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きりり!推定、3才ですっ!
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2014/12/16

「創世記」と「宇宙開闢の歌(リグ・ヴェーダ)」

苫小牧と札幌を行ったり来たりしてました。
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駅前のバス停です。多少雪があります。
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広い大地に、電車が行く。
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乗っているのはわたしだけ。

おや、ここは、まったく雪がない。
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広いなあ、道路も。車も人も少ないので、よけい広い。
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だけど、札幌では、大雪になりつつある、って。。
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どういうことだ。


       ◇◇◇


一神教を勉強しています。
旧約聖書(新共同訳)

「創世記」=======
天地の創造
1.1 初めに、神は天地を創造された。
1.2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
1.3 神は言われた。
   「光あれ」
   こうして、光があった。
1.4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇に分け、
1.5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
===========

「光あれ」とことばを発すると、光があった、というところに、
ロゴスの宗教であることが、見えてきます。

ことばとものは、きちんと対応している。
光を昼と呼んで、闇を夜と名づける。
そこから、夕べと朝があった、のです。

おもしろい世界の作り方のような気がしてきます。
ことばと共に、ボンボン、ものが、「あった」のです。

混沌の地と、深淵の闇は、まだ、神の支配を受けていませんね。
水の上を神の霊がすべっていくようです。
そこに、神は秩序をもたらしていきます。

そんな感じがします。

混沌と深淵と水というのが、
神に支配さるべく用意されているように思われます。

スッキリした世界創造だという気がします。


       ◇◇◇


それでは、インドの世界創造も見てみたい。
『リグ・ヴェーダ』でも見てみよう。(辻直四郎先生訳)

「宇宙開闢の歌」(10.129)======

1 そのとき(太初において)無もなかりき。有もなかりき。
  空界もなかりき。その上の天もなかりき。何ものか発動し、
  いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水は
  存在せりや。
2 そのとき、死もなかりき。不死もなかりき。夜と昼の標識
  (日月・星辰)もなかりき。かの唯一物は、自力により風なく
  呼吸せり。これよりほかに何ものも存在せざりき。
3 太初において、暗黒は暗黒に覆われたりき。この一切は
  標識なき水波なりき。空虚に覆われ発現しつつあるもの、
  かの唯一物は、熱の力により出生せり。
================

リグの哲学思想の最高峰と、辻先生は述べています。
これは、たしかに、わたしも、最高峰かもしれないと思います。
ブッダにも通じていくような気もしてきます。

「無」も「有」も、ないところから、はじめる開闢とは、
こんな風に描かれるのか。

「かの唯一物」は、自力で呼吸する自存者とでもいえるでしょうか。
そして、熱の力とは、タパスで、苦行者のうちに発するものです。
つまり、自分で発熱して生まれてくるんですね。


旧約聖書とは、ほんとに、ずいぶんちがいますね。


「かの唯一物」とは?

インドの思想は、この宇宙開闢の歌に、
たしかに、極まっているかもしれない。。

自力で発熱して、
意欲が唯一物に現れる、と次に書いてあります。

4,5を飛ばして、6から行きます。

============
6 誰か正しく知る者ぞ、誰かここに宣言しうる者ぞ。
  この創造(現象界の出現)はいずこより生じ、
  いずこより(来たれる)。
  神々はこの[世界の]創造より後なり。
  しからば誰か[創造の]いずこより起こりしかを知る者ぞ。

7 この創造はいずこより起こりしや。そは[誰によりて]  
  実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや、
  ― 最高天にありてこの[世界を]監視する者のみ
  実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。
================

どう見ても、ブッダの涅槃と重なってくるのですが、

どう思います?

また、

どう見ても、ブッダの輪廻とも重なってくるのですが、

どう思うでしょうか。

まえまえから、何か、
ひっかってしようがなかったんだよね。

インドのあらゆる思想は、この開闢の歌を基本として、
展開されてくるのではなかろうか。


旧約聖書の「創世記」の

> 「光あれ」
> こうして、光があった。

をじっと見つめて、
ここに西洋思想の原点があるんだ、と思ったら、

『リグ・ヴェーダ』の「無有歌」ともいわれる
「宇宙開闢の歌』が、
こんな風に、見えてきました。


「宇宙開闢の歌」を全部、書いてみましょうか。
岩波文庫の辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』です。

===============
「宇宙開闢の歌」(10.129)  

1 そのとき(太初において)無もなかりき。有もなかりき。
  空界もなかりき。その上の天もなかりき。何ものか発動せし、
  いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水は
  存在せりや。

2 そのとき、死もなかりき。不死もなかりき。夜と昼の標識
  (日月・星辰)もなかりき。かの唯一物(中性の根本原理)は、
  自力により風なく呼吸せり(生存の徴候)。
  これよりほかに何ものも存在せざりき。

3 太初において、暗黒は暗黒に覆われたりき。
  この一切は標識なき水波なりき。
  空虚に覆われ発現しつつあるもの、かの唯一物は、
  熱の力により出生せり(生命の開始)。

4 最初に意欲は歌の唯一物に現ぜり。
  こは意(思考力)の第一の種子なりき。
  詩人ら(霊感ある聖仙たち)は熟慮して心に求め、
  有の親縁(起原)を無に発見せり。

5 彼ら(詩人たち)の縄尺は横に張られたり。
  下方はありしや。上方はありしや。
  射精者(能動的男性力)ありき、
  能力(受動的女性力)ありき。
  自存力(本能、女性力)は下に、
  許容力(男性力)は上に。


6 誰か正しく知る者ぞ、誰かここに宣言しうる者ぞ。
  この創造(現象界の出現)はいずこより生じ、
  いずこより(来たれる)。
  神々はこの[世界の]創造より後なり。
  しからば誰か[創造の]いずこより起こりしかを知る者ぞ。

7 この創造はいずこより起こりしや。そは[誰によりて]  
  実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや、
  ― 最高天にありてこの[世界を]監視する者のみ
  実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。


==========

原典を読んでみなくちゃいけないな。

日記が、備忘録みたいになってきちゃった。

ところで、最近、ほんとにヨレヨレです。
まえからだろ、って?

前にもまして、完全に限界を超えんとす。
どうなる、管理人?

我も知らず。。リグ・ヴェーダ風です。

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2014/12/06

アングリマーラ考 走ってるみなさんへ

「止まれ!沙門よ」「止まれ!沙門よ」

と、耳になりっぱなしの数日間。

不思議な経典、アングリマーラ経。


前回、ちょっとだけ訳して載せましたが、
また、ちょっとだけ載せてみます。

経典の中に、
一部だけ詩のかたちで書いてあるところが
あるのです。

この詩が、とてもいい!!

アングリマーラの切ない気持ちが、
伝わってくるようです。
ブッダに救われた瞬間を、描いています。

何も言わずに、詩を訳しなさい、管理人
ごちゃごちゃ余計なことは書かないのっ!
ほら、さっさと、やれぇ~~


ではでは、
またもう一度、詩の部分だけを
最初から
訳します。

「アングリマーラ経」(『マッジマ・ニカーヤ』第86経)
=============

そこで、盗賊のアングリマーラは、尊師に、
詩によって話しかけました。

            ***

「 沙門よ、歩いているのに、
おまえは、『止まっている』という。
そして、
わたしを、止まっているのに、
『止まっていない』という。
おまえに、この意味を尋ねよう、沙門よ、
どうして、止まったのがおまえで、
わたしは、止まっていないのであるか? 」

「 止まったのは、わたしだ、アングリマーラよ、
常にあらゆる生き物に刀杖を置いてしまった。
だが、おまえは、命あるものたちに節制がない。
だから、止まったのはわたしで、
おまえは、止まっていないのだよ 」

「 ようやく遂に、わたしのために、
供養された大仙人である、かの沙門は、
大いなる森に現れた。
法に結びついたあなたの詩を聞いて
わたしは、遂に、悪を捨てよう 」

こうして、盗賊は、刀と武具を、
深い崖の淵に投げ捨てた。
盗賊は、善く逝ける者(=ブッダ)の足下に
ひざまずいた。
その場で、かの人に、出家を乞うた。

ブッダは、実に、憐れみ深い大仙人であり、
神とともなる世間の教師である、
そして、その時、
「来なさい、比丘よ」と、
かれに告げた。

この瞬間、
かれは比丘になったのであった。

=============

歩いている沙門を、止めて、話しかけたのは、
★アングリマーラ★

アングリマーラは、話すために、立ち止まる
だけど
アングリマーラは、止まってない
かれの心は、人殺しに向かって、進んでいる

一方

人殺しのいる道を、歩いて行くのは、
殺生を止めた★ブッダ(善く逝ける者)★

ブッダは、歩き続けて
アングリマーラを引きつける

「止まれ!沙門よ」という、ことばは、
どっちがどっちを、カモったのだろうか。

アングリマーラが、ブッダをカモった?
いや
ブッダが、アングリマーラをカモったの?

止まれ!沙門よ

これは、縁起のことばだ。
アングリマーラは、何も思わず。。。
思わず、発した、このことば。

ブッダは、アングリマーラに
話しかけさせたようにも見えてくる
ブッダの心はわからない

だけど

ここから展開する縁起のはなれわざ、
これぞ、ブッダの、法の開陳。


止まっているのは、わたしだよ
止まっていないのは、おまえだ、
アングリマーラよ


仏教で教える顛倒(てんどう)
ひっくり返った考え方が、ここで示されます。

「止まれ」と
アングリマーラが言ったのは、
人殺しを止められないからだ。

殺生の止まっているわたしは、
おまえを、
「止まっていないだろ」というのだよ。


あるのは、法(理屈)である。


どんなに止めたいと思っても
止められなかった人殺し

止めようがなかった人殺し

自分でもどうしようもなかったアングリマーラの

その心の中に

殺生を「止めた」ブッダの極意を学びたい

という気持ちが、いやおうなく、わき起こるのです。


法だ、ダンマだ、縁起です!!


助かった。救われた!
と思ったことでしょう。

何もかも振り捨てて、
アングリマーラはひざまずきます。


「 来なさい、比丘よ 」


止まった、止まった!
アングリマーラが、止まった瞬間だ。


そして、ここから、
新しい道を歩み始めるアングリマーラ。

来なさい、進みなさい、
怠ることなく精進しなさい


あらゆるものは、変化するのだ。


なるほど、納得!

アングリマーラの大転換だった。


        ◇◇◇


ああ、よかったね!アングリマーラ

単純で、粗野で、乱暴者
自分で自分をコントロールできない
無知で野蛮なアングリマーラ

たくさんの人を殺した悪いヤツ。。

だけど、

どこか憎めないアングリマーラ


こんな人って、世の中にいますよね。

かれの気持ちがわかる人は、
あなたもわたしも、アングリマーラ。。あらら


アングリマーラには、
師走は、ほんとうに、「師が走る」できごとだったですね。

こんな奇跡が、
師走に
いつも起こることを
願って
世界は、クリスマスと祝うのかな。
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むりやり、語源解釈して、
いろんな宗教が、
ジングルベルですね。

何言ってンだろね、管理人ってば。

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2014/12/02

熊出没! 猫出没! アングリマーラ出没!

苫小牧の大学に行ったら、
こんな張り紙が、どかんとありました。
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うわぁ~! 熊の顔まで出さなくても。
グランドって、すぐ、そこですよね。

なかなか、郷土色が、豊かです

っていう、問題ではないかも。

地球の気候も暖かくなってきて、
熊も
冬眠に入る時期を見極められないのでしょうか。
それとも
餌が少ないのでしょうか。
まさか
グランドで、サッカーしたい、ってことはないだろね。

お!久方ぶりに
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猫、出没! 

うーん、注意散漫になるなぁ
すぐ、仕事や勉強の邪魔をするお邪魔猫だっ!


    ◇◇◇


師走ですね。
せんせも、走るんだっけね。

そうだなあ、せんせも、せいとも走ってるよね。

走ると言えば。。。

走ると言えば?

こんなお話しが思い出されます。

「アングリマーラ経』(『マッジマ・ニカーヤ』86)

走ったり、止まったりするお話しでしたね。

大悪者の盗賊アングリマーラは、追いはぎです。
人殺しに執着して、殺しては、指を取って首飾りを作り、
自分の首にかけていました。


朝早く、盗賊のいる道を行くブッダを見て、
人々は止めました。
しかし、ブッダは、スタスタ托鉢のために
歩いて行きました。

遠くから、ブッダを見たアングリマーラは、
「カモだ!」と思って、追いかけます。
ところが、
ブッダは神通を使ったため、
アングリマーラがいくら追いかけても、

追いつけません。

アングリマーラは立ち止まって、ブッダに呼びかけます。

============(経典より)

立ち止まって、尊師に、このように言いました。

「 止まれ、沙門よ 」「 止まれ、沙門よ 」

「 止まっているのはわたしだよ、アングリマーラよ、
だから、おまえが、止まりなさい 」

そこで、盗賊のアングリマーラは、このように思いました。

「 釈迦族の子である、これらの沙門たちは、
真実を語る者であるし、また、
みずからも真実であると公言する者たちだ。
だが、あの沙門は、歩いているのに、こう言ったのだ。
『 止まっているのは、わたしだ。アングリマーラよ、おまえが止まれ 』と。
ならば、わたしは、この沙門に尋ねてみよう 」


そこで、
盗賊のアングリマーラは、尊師に、詩によって話しかけました。

「 沙門よ、歩いているのに、おまえは、『 止まっている 』という。
そして、止まっているのに、わたしを、『 止まっていない 』という。
おまえに、この意味を尋ねよう、
沙門よ、どうして、止まったのが、おまえで、
わたしは、止まっていないのであるか? 」

「止まったのは、わたしだ、アングリマーラよ、
どんなときでも、どんな生き物にも、刀杖を置いてしまった
(=暴力をふるわない)。
だが、
おまえは、命あるものたちに節制がない。
だから、
止まったのは、わたしで、
おまえは、止まっていないのだよ 」
===============

実は、この経典、原文できちんと読んだことがありませんでした。
いろいろな訳で読んではいましたが、
原文をみたことはありませんでした。

それで、いつも、この「止まる」と「歩く」「走る」ということを、
ブッダとアングリマーラが、やりとりする場面について、
ほんとうは、どんな風に言ったのだろうと、思っていました。

できるだけ直訳っぽく、訳してみました。

そうか!


「止まる」は、どんなことについても、
「止まる」と言えるということだ。

「止まったのは、わたしだ」
という、ブッダのことばが身に沁みる。


ぴゅーーーー
風が冷たい、アングリマーラ

師走が寒いわ、アングリマーラ

過ぎる時間は、アングリマーラ

棒でたたいて、アングリマーラ

お尻をたたいて、アングリマーラ

殺生するなよ、アングリマーラ


わたしも、
アングリ口を開けた
アングリマーラみたいなもんだなあ。


たまには、止まってみたい。。
なにごとにおいても。

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常時、膝の上に「止まっている」のは、だれ?

サム・グリマーラだぁ  。。変な名前


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