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2014年10月

2014/10/28

人の心の底にはいにしえの記憶がある?

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地上は、まだ雪ではありませんが、
中央に見える遠くの山は、雪ですね。

寒いっすよ。

暖かい日や寒い日が交互に来て、
いったいどっちにしたいのだ、と
天気に文句を言いたいような。


       ◇◇◇


さて、さて、突然ですが、

人間の記憶 ということを考えています。
それも、遠い記憶です。

きっかけは、学生さんの宿題を読んでいて、
フッと思いました。

学生諸君に、宿題を出してみたら、
なんとぉ!やってきましたのだ。

えらい!

宿題は、
「神さまを一人連れてきなさい」
というものでした。

そうしましたら、
インドラ神を、連れてきた人がいました。

インドラ神について、いろいろ調べてくれて、
その中に、この神さまの起源は、
古く紀元前14世紀にさかのぼり、
ヒッタイトの国の条文の中に、すでにこの神の名前が出てくる、
と書いてくれました。

アーリア人がヴェーダの中に
インドラ神の讃歌をたくさん残しました。
こうして、
インドで活躍したインドラ神は、仏教の世界でも同じように活躍したのです。
やがて、仏教の護法神となって、西域から中国に伝わり、
朝鮮を経て、日本にまでやってきます。

そして、現代もまた、帝釈天という呼び名で、日本の人々にも、
知られるところとなっています。
寅さんの映画の冒頭では、「帝釈天の産湯を使い…」と決まり文句が入るので、
帝釈天の名前は、知られているでしょう。

若い学生さんでも、帝釈天は聞いたことがあるでしょう、きっとね。
そんな学生さんが調べてくれたインドラ神は、
何とすでに3500年以上も昔からいた神さまで、
身近にいる帝釈天と同じとは、何だか不思議な感じですね。


それにしても、さすが神さま、長命ですね。

ここから、ぼんやり、なぜか
人々の記憶の底にあるものは、きっとなくなることはないのだろう
という考えが浮かんできました。


      ◇◇◇


新しく聞いたように思うものも、
新しい発見であるように思うものも
たぶん、
それは錯覚であるのかもしれません。


生き物の遠い記憶の底に眠っているもの、
たとえば、多くのブッダが歩んだ道、
これも人類の記憶の底の底の底の
どこかに眠っているのだろうか。

ブッダ自身もまた、
多くのブッダが辿った道を辿っていったことを、
次のように述べています。

『サンユッタ・ニカーヤ』(12.65)「城邑」
==================
「比丘たちよ、たとえば、人あって森林を徘徊しながら、
古人の辿っていった古道、古径を発見するとしよう。
彼はその道に随って行きながら、
かつて古人の住んでいた古城、園林を備え、
うるわしい堤のある蓮池を備えた古都を発見するだろう。
そして、
国王に、古都・古城を発見したから、この古い城を築くようにと
報告するだろう。

それと同じように、わたしもまた、
過去の正覺者が辿りたもうた古道・古径を発見したのである、と。」
===================
(雲井昭善氏『インド仏教』平河出版社、p.159)


到達するまでは、自分一人の道で、一人で知った道である。
犀のように一人歩む道でもある。
師をもたず、みずから悟った道なのである。

それなのに、

到達してみると、
それは、古からの道である。
多くのブッダが、みな、歩んできた道である。

どう考えても、不思議な感覚だ。

一人でたどりついたのに、
過去のブッダがみんな歩んだ古道だったのだから。


       ◇◇◇


インドラ神が、おそらくは3500年以上も親しまれてきたように、

いや、もっともっと長く

人間には、


ずっと親しまれてきた真理の教えがある、


って、ことかなぁ。

いい考えみたいな気がするね。

今あるものは、かつてもあったし、これからもあるだろう。

これって、真理かな?どう思う?
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去年も、真っ赤だったな。


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2014/10/24

『空の発見』(サンガ)出ました

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思ったより難産でした。

『サンガジャパン』に寄稿した作品を集めて
一冊の本ができあがりました。


石飛道子『空の発見』(サンガ)


なんとなく、吹き寄せ風
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なんですが、

でも、タイトルは
なぜか

『空の発見』なのです。
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それも道理で、

吹き寄せは、諸法の実相

空の発見は、諸法の空性

こんなところを、表してみたいと思っている本です。


やっぱり、空に行ってしまうんだなあ。


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2014/10/12

公園は 紅葉してます 

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先ほど、公園に、母と散歩に行ってきました。
久しぶり!

なかなか、散歩に行くのもままなりません。
ようやく、今年二度目です。。
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山と紅葉が美しいです。空も青いっす。

ずいぶん紅葉してきました。
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グリーンと黄色と朱が、木によってそれぞれ微妙にちがうので、
見応えあります。

同じ色は一つもない。

お!おまんじゅうみたいな木ですね。
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けっこう人はいるんだけど、広いので、いないように見えますね。

ランニングの人や犬の散歩の人、子供の自転車の練習、などなど。
でも、車いすの人は、さすがにいないです。
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母は完全装備でも、「寒い」というのに、わたしは、暑くて汗だく。
羽毛のチョッキは、母の膝掛けになってます。

のぼりのある3kmのランニングコースを車いすで行くのは、ちょっとつらい。
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のぼったら、下るのも、車いすだとけっこうたいへんです。
スピードを殺して行かなくちゃならないので、突っぱってしまう。

さて、最後に、紅葉をアップにしてアップしよ、っかな。
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やっぱり。、秋ですね、しみじみとぉ。


あらっ!


さいごに、サム、なんでオマエが、こんなところに!
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なに?もんくある? 

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2014/10/07

『般若心経』の気持ち 「宝経(ラタナ・スッタ)」を支えに!

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図書館で、
福井文雅氏の『漢字文化圏の思想と宗教』(五曜書房、1998年)を
借りて読んでいるところです。

少し古いですが、
当時の東南アジアでの仏教のありさまを知ることができます。

その中に、マレーシア仏教青年総会という団体が出しているパンフレットを
和訳したものが載っています。

それを見ると、おもしろいです。

メッタ・バーヴァナー(慈悲の冥想)
ヴィパッサナー
サマタ
という上座部ではおなじみのカリキュラムがあります。


が、その他に
上座部系と大乗系を統合したプージャー(礼拝供養)を行う
とあるのです。

密教のマントラ(オーン・マニ・パドメー・フムなど)
メッタ・スッタ(慈経)
『般若心経』

これらを用いているようなことが書かれていました。


ここに目が吸い付けられます。

パリッタ(災厄を除き身を守る呪文、護明呪)として用いられているのだろう、

福井氏も語っていますが、了解できます。

        ◇◇◇

『般若心経』が、併用されるのは、真言が入っているので、
そこから来るのでしょう。

わたしは、『般若心経』が、護明呪としての役割を果たせる理由は、
『宝経』に基づいている、と思います。

『スッタニパータ』の第二章第一経が、「宝経(ラタナ・スッタ)」です。

この詩の構造が、『般若心経』のマントラに向かう構造と同じなのです。
たとえば、224偈を見ます。

224
この世やかの世におけるどんな富も、
あるいは、天界におけるどんな妙なる宝も、
如来に等しいものはない。
―― このことこそが、ブッダにおける殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

    
もう一度、書きますよ。
==============
この世やかの世におけるどんな富も、
あるいは、天界におけるどんな妙なる宝も、
如来に等しいものはない。
―― このことこそが、ブッダにおける殊勝の宝である。
==============

この個所ですが、空の文章になっています。

この世に如来に等しい宝はない
といっておいて、
この文の内容が、如来における宝だ、と述べているのです。

つまり

如来に等しい宝がないことが、如来の宝だ

もっと簡単にすると

(如来の)他に宝のないことが、如来の宝だ

ということですから、
たしかに、他に宝がなければ、如来は宝でしょうね、
って、思うでしょう。

そして、

もし、これが真実なら、
真実だと信じられるなら、

如来の宝を信ずることによって、
幸いになることができるはずです。


真実を知って不幸になる人はいないでしょう。


        ◇◇◇
  

では、『般若心経』でもやってみます。

『般若心経』の後半以降は、「空」の話しが終わって、
菩薩や諸仏の境地が説かれます。

その後で

「それ故に知るべきだ」とあって、
「真言(マントラ)」へと、話しが進んでいきます。

無上の真言は、偽りがないから、真実だ

という文言を、根拠にして、有名な真言が説かれます。

ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー

と。


偽りがないから、真実だ

という文も、空でしょう。
その文の意味だけで成りたっています。

もし、今までの『般若心経』の内容に問題を感じないなら、
偽りがなく真実だと納得できるなら、
その真実の力によって、幸せになることができるはずでしょう。

そのためには、『般若心経』全部唱えることが必要ですが、
長くて、たいへん、という人のために

短くて、優しい、ガテー・ガテー…のマントラがあるのだということです。


ということは、真言は、「真実」を代弁する音になっているわけです。


       ◇◇◇


『般若心経』の内容は、空の論理を、理論化する内容になっています。
これは、高度な論理体系を示していますが、
しかし、
ブッダの意向をふまえて、争わないため、
理論化してることが、わかったら困る、わからないでくれ、
という意図も含んでいるのです。

でも、わからないのも困る、インチキではないんだから。。


わかってほしい

いや

わかっては困る

ああ、やっぱり

わかって

いや

争うなら、わからない方がいい


ええい!どっちなんだ、はっきりせんか!

しょうがない、パリッタにしちゃおう。
みんなを守るんだ。

苦しみのある人を守るんだ。

『般若心経』! 頼んだよ!
すくえ、『般若心経』、菩薩の力!

だから、
拝んでいい~~んです。
唱えていい~~んです。
パリッタ、パリッタ、ぱりっ!
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空だなあ。


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2014/10/04

コーヒー瞑想 あちち

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9月の終わりに、スマ長老さまの瞑想会がありました。

あれから、あっという間に、一週間。
死ぬかと思いましたが、
まるきりふつうに生きてます。

本の初校も終わって、再校の段階。

なんか忘れているような気がするけど、
考えるの、やめよう。。

もう、ほとんど考えない人生を送ってます。


冥想会では、妄想しない人生、ってのを、習いましたが、
習うまでもなく、妄想するまでもなく、
ここ一週間、
気づいたら、意識不明で寝ています。

移動のバスや列車では、瞬時に記憶が飛んでしまう。
降りるときに、目覚めるのが、われながら才能だとおもいますっ!


         ◇◇◇

さて、スマ長老さまの講演会のお題は

「ありのままに見る  今ここで幸福に生きる」

というテーマです。

「ありのままに見る」というところは、
わたしが作ったのですが、
正直、こんな題では、何を話したらいいのだろう、って思いました。
すみません、長老さま

しか~し、
こんなテーマでも、長老さまはなんのその。
動ずる風もありません。

長老語録
「わたしたちは、たとえ瞬間であっても
ありのままに見たことがないのです」

「無知で生きると、不安しかありません」

「みんな自我という名刺をもっている」

なかなか、きついことばが並んで、
耳にいたい、ところが、気持ちいいです。

さて、冥想会も、だんだん慣れてきました。
とはいえ、
1年に1度、お聞きしているだけですが、
今年は、

食事瞑想というのを、習いました。

ご飯を食べるときに瞑想するのです。

一つの所作に、かならず、ラベリングを入れる。

箸を持って、
「伸ばします、伸ばします」
「取ります、取ります」
「運びます、運びます」

口を開いて
「入れます」

それから、箸を
「伸ばします、伸ばします」
「おきます」

それから、ようやく

「噛みます」
「のみます」

というように、一つの所作を瞑想しながらやり終えて、
もう一つの所作に入るのです。

食事に何十分もかかって、ご飯が終わらなそう。。

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お、コーヒーだ!
よし、長老さま直伝!

その名も、コーヒー瞑想、ってのを、やってみよっと。

「伸ばします、伸ばします、伸ばします、伸ばします」

「つかみます、取ります」

「運びます、運びます、運びます、運びます」

口に、

「入れます」

あ!
あち゛、あちぃ、あちち、

ごくっ!

あ、カップを置く前に、のんじゃった。

「ああ、もう、もうそう、もうそう、もうそう」

ああ、ちぇっ!

「伸ばします、伸ばします、伸ばします」

「おきます」

ふう、熱いよ、コーヒー、めちゃくぢゃ熱い。

二回ほど、がんばったけど、熱くて、
口に入れたら、思わず飲んでしまいます。

コーヒー瞑想は、どうやら、失敗だ。

しかし、分かったことがある。

のど元過ぎれば熱さを忘れる、

っていうのは、ほんとうです。

どんなに熱くても、飲んでしまえば、何ともありません。

やっぱり、ころんでもただでは起きないわたし。
勉強になりました。


        ◇◇◇


でも、このテーラワーダの瞑想は、
なんとなくおもしろい感じです。

わたしには、書いてある経典をそのまま抜け出したような瞑想だと
いう気がします。

瞑想っぽくない瞑想です。

経典を読んでいるような感覚に近いなあ、とか思っています。

瞑想って、取り立てて、特別扱いすることでもないんだなあ、って、
今回は、特に、そんな気がしていますが、なぜでしょうね。

「伸ばします」などのことばが、
経典のことばのように響くからでしょうか。


        ◇◇◇


さて、さて、北海道は、もう、紅葉の秋を迎えてきています。
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早いですねぇ。

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昼間は、暖かくても、朝夕が寒いっす。

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とうとう、うちは、暖房を入れました。

なんか、今年も、もう終わったっすね。

みなさま、良いお年を。
来年もよろしくお願いします。。。って、言っておこっと。

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