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2014/09/22

読誦しないのは、マントラの汚れ とな

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ご無沙汰してます。日記さまさま。


昨日は、札幌のテーラワーダ仏教のサークル
ダンマサークルのみなさんと、『ダンマパダ』を読みました。

第18章「汚れ(マラ)」 です。

その中で、次の詩が忘れられません。


241 
読誦しないのは、経典(マントラ)の汚れである。
修理しないのは、家の汚れである。
(身だしなみに)不精をするのは、容色の汚れである。
放逸にすることは、努め護る者の汚れである。


特に
この「読誦しないのは、経典(マントラ)の汚れである」という個所。

頭に入ったら、染みついて、出ていきません。

この「読誦」というのは、
前回の『ヨーガスートラ』の中でも出てくることば
スヴァーディヤーヤ  

のパーリ語 サッジャーヤ


このサッジャーヤ(スヴァーディヤーヤ)は、
「学習」とか「研究」とか訳されることもあります。


昔の人の「学習」は、暗記して唱える「読誦」だったんだね。


読誦しないのは、マントラの汚れなのか!


読まない人の方に、汚れがつくのではなく、
マントラ(経典)の方についてしまうのが、何とも巧みでせつない ですね。

ごめん、ごめん、マントラ

という気持ちになってきます。

読誦されないマントラは、読まれない本のようなもの。
ホコリにまみれるから、ほんとに本の汚れ。

これからは、読誦しよ、って、ちょっとだけ思った昨日でした。

今日の苫小牧。
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今年、最初の講義です。
久しぶりだなあ。

大学の食堂と売店が新しくなってました。


            ◇◇◇


サンガから出る、新しい本の初稿をもらって、
何か、バタバタしています。

今週は、火の車。

初稿のゲラを見なくちゃいけないし
毎日講義があるし
週末は、朝カルがある上に
1年ぶりに、スマ長老さまと、対談
それと、日曜には、スマ長老さまの冥想会 です。

うーーーん、
生きて来週が迎えられますように。。

って言っても、また、来週は、苫小牧だし。
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空を見上げて、オツベルは言った。
「苦しいです、サンタマリア」

って、心境です。


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コメント

深遠なる淵も、天に届くが如き高山も、
全て、一枚の平面上にある

どこにでも深遠なる淵は見出され得る
どこにあってもその 淵(高山) に いる

それを知る者は、深淵を知る
それを見逃す者も、かならずその淵にある

知らぬ者は落ちていきもがくのみ
知る者は、悠々とその淵に遊ぶ

見出すか見出さないかに価値は存在しないが、
見出さない者にとっては、その価値は厳然と聳え立ち
昇る事の適わぬ峻山とうつる

見出す者は、一面の平面を知り、平等を知る

投稿:  春間 則廣  | 2014/10/12 16:06

> 98頁の 最初の句読点の後に、 “ K ” を 挿入しておいてください

図書館から借りたので、ほんとうは書き込めないのですが、しかし、ここに”K”の文字がないと、何だかモヤモヤしてわかりませんね。

鉛筆で、ちょっと入れました。
他の人の役に立つでしょう。

論争の一方は、自分のお父さんの説だったのですね。それを収束させたのが、文雅氏だったのですか。

理屈にかなった説明があることは、どんな学派や宗派にとっても良いことですね。

日本人は、自動詞と他動詞に区別をつけない、という意見は、ものの見方にかかわっています。仏教をよく知っていくと、そうなってくるあり方ですよね。
自他の区別をつけないのだから、それで良いと思います。無我にもきちんと通じているしね。

投稿: 管理人エム | 2014/10/12 09:41

名山 高山 は 顛倒を持つ者の商量に沿って評価される

名もなき雑草も、
この世に他に問うべきこともなき美しさをもって咲いている

「 かくのごとくなりといえども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり 」
( 三の 2 段)

学問を否定するのではない
何のための学問かが、
いつもおでこに張り付いていなければ 、、、、

その張り付く様を、
 おでこの向く方向(自分と他に対する) への「 願 」 と呼ぶ

投稿:  春間 則廣  | 2014/10/11 09:25

>  福井文雅氏の『漢字文化圏の思想と宗教』を借りて読んでいるところです  <

読みました

98頁の 最初の句読点の後に、 “ K ” を 挿入しておいてください

著者の憂うところに関わりがあります

投稿:  春間 則廣  | 2014/10/11 09:12

匙をみがくのは何の為 ?

黒いのは、汚れではない
地球上に於いての、当然の出来事

汚れと見るのは、
どういう汚れ ?


銀を使う意味は、色々とある
磨く理由は、多くはない

一つ一つ検証すると、
自らの汚れに気づく


御苦を磨くのと一緒かな ?

投稿:  春間 則廣  | 2014/09/26 12:42

八幡大菩薩に 向かって(正対して)
「我に艱難辛苦を与えたまえ」 
(  「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ 」  )  
と いう 山中鹿之助は
伝説にあって、仏教にあって、
そう言っている

仏教がなければ、決して、そう言うことは言われない

仏教をどう解釈するかによって、仏教が決まるのではなく、
解釈によって、自らの価値感が規定されるだけ

艱難(苦行) 汝を御苦にする
チャッタ !
身が磨かれて玉となる

それを知るのは、 苦しみか、喜びか ?

喜んで、喜びとともに(ある)わかる、苦しみの意味(目的)

分かるまでは分からない
分かるまでは、喜びを苦しみとする

Su.  八つの詩句の章

よく身にかみしめて、
かみしめる味を味わう

Su.748 「苦しみは食料の縁から起る」と、この禍いを知って、一切の食料を熟知して、一切の食料にたよらない、

Su.749 諸々の煩悩の汚れの消滅の故に無病の起ることを正しく知って、省察して(食料を)受用し、理法に住するヴェーダの達人は、もはや(迷いの生存者のうちに)数えられることがない。


シンク  のことを、デンケンしてごらん
伝聞と見分によって、
如是我聞が起き、起きて聞く

寝てたら、寝言に過ぎなくなる


投稿:  春間 則廣  | 2014/09/25 11:07

>いつも、火の車に乗って、
>いつも崖っぷちを走る自らを知れば、
>その 我仮不知 にある  有り難さ  を しる

うれしいのか悲しいのか、わからなくなってくる文だわ。

火の車で崖っぷち、なんて!

すでに落ちているのか、まだ落ちていないのか
不知であるのが、ありがたい。。。たしかに。


投稿: 管理人エム | 2014/09/25 06:25

國分さま

お!書き込み、ありがとうございます。
銀の喩えは、わたしも、ものすごく納得しました。
昔、手作りの銀の匙をもらったことがあったのです。ちょっとしまっておいたら、あっという間に真っ黒けになりました。はぁ~、身につまされます。
それでは、またまた、よろしくお願いします!

投稿: 管理人エム | 2014/09/25 06:20

無宗ださま

やっぱり、火の車でええやン。

ふぇ~ん、経済だって、苦しいわい!


獄卒の鬼は、だれ、だれなの。。ちらっ。

投稿: 管理人エム | 2014/09/25 06:12

「 今週だけでよかったね ! 」

って、言いそうになる人もいる


いつも、火の車に乗って、
いつも崖っぷちを走る自らを知れば、
その 我仮不知 にある  有り難さ  を しる

落ちそうだから 落ちない
落ちていれば  落ちない

どっちも一緒だけれど、違いはあるかな ?


有ると言うと、崖っぷちにある
落ちていると知れば、救いがある

どっちも一緒の(結)果 を 受けるんじゃないかな ?

火宅も火の車も、仏世界にあって、実在となる
実在でなければ、問題がない
実在であれば、問題にすることじゃない


問題にするところがどこに設定されて、
この論が運ばれているかが分かると
問題がなくなる

有るや無しや ?


投稿:  春間 則廣  | 2014/09/24 13:20

いつも楽しい講義有り難う御座います。今週は忙しいですね。私が好きなのは239の鍛冶工が銀の汚れを除くように。のところです。ちょっと汚れたらきゅっきゅっと。汚れにすぐ気付くようによく気をつけて。汚れは染みないように、ブッダの教えはよく染込むように。
では、土日宜しくお願いします。

投稿: 國分  | 2014/09/24 11:52

今週は、火の車。


・・・・
気持ちは伝わるが、
日本語の使い方として
いかがなものか?

http://gogen-allguide.com/hi/hinokuruma.html
火の車
【意味】 火の車とは、家計・経済状態が非常に苦しいこと。

【火の車の語源・由来】
火の車は、仏教語「火車(かしゃ)」を訓読みした語。
火車は火の燃え盛った車で、極卒の鬼が生前に悪行を働いた者を乗せて地獄へ運び、責め苦しめるといわれる。
火の車に乗せられた者は、ひどい苦しみを味わうことから、苦しい経済状態を表すようになった。
また、苦に満ちた世界(娑婆)を火事にあった家に喩えた仏教語「火宅」と関連付けられ、火の車が家計が苦しいことを意味するようになったともいわれる。

まあ、「火の車に乗せられた者は、ひどい苦しみを味わう」というところだけが、あっている部分喩?

投稿: 無宗だ | 2014/09/24 09:41

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