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2014/08/22

唄うヨーガ・スートラ

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狛犬ならぬ、コマ猫ふう。サムですっ!

眼が、らんらん というより なみだ眼で
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顔がよごれめ。。


        ◇◇◇


さて、日記は毎日書くもの、と決まっているけど。。。

父は、ずっと欠かさず日記をつけていました。

その父が亡くなったとき、
まだ、使用していない3年日記の日記帳を見つけました。

それじゃ、わたしが、つけてみるかな、って思ったのです。

で、

今年で3年目。。。

すでに、もう空白だらけ。
わたしは、どういう人生を歩んできたんだろう
結局、何もやって来なかった、ということか。

ほんとに、どうして、こうなんでしょうか。

日記をつけようと思うときは、暇なときです。
でも、
いざ、日記にかけるようなことが起こっている時は、忙しいのです。

忙しいときには、日記はつけられない。
暇なときには、日記に書くことがない。

こういうわけで、いつも空白なんだわね。

なっとく、なっとく


        ◇◇◇


して、どうする?


少し意味のあることを書こう。


わたしは、今まで、仏教の経典は「読むもの」だと思っていました。

それが、このようにインターネットがさかんになってみると、
いろんなところで、経典が、歌われているのに、びっくりしたのです。

しかも、パーリ語そのままで。

たとえば、帰依文が歌われています。

https://www.youtube.com/watch?v=dCkULxhldtU

経典のことばが、さまざまに歌われていて、
人々はそれを聞いたり、歌ったりしています。

お坊さんが唱える経典も、パーリ語で唱えるものは、
歌のように聞こえます。

考えてみれば

上座部(テーラワーダ)仏教を信仰している人には、
唱えることは、経典を自分の身につけることになりますから、
当然のことでしょう。

唄うこともなく
「読むもの」と思ってるわたしの方が、
不純な行為かもしれない。。。

と思ったりしていたのです。


         ◇◇◇


そんなことを考えていたら、こんな本に出合いました。

Prashant Iyengar, Lyricised Yoga Sutras, Pune, 2005

プラッシャント アイアンガー氏の、『唄うヨーガ・スートラ』(仮題)

という小さい本です。

小さすぎて、アマゾンにも載っていないみたいです。
では、写真でご紹介。
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横の本は、3年日記です。

では、なかも見てみましょう。
第一章の「サマーディ・パダ」から
Dsc00804s
第一章は、じつは、紙がピンク!
写真じゃ、濃いピンクが、薄くなって、わからないですね。

このように
サンスクリット語のヨーガスートラと英訳があります。

そして、

CDがついていて、
その中で、唄っているのです、ヨーガ・スートラを。

唄う  ということは
それを 信じている ということです

と、こういうことが、歌を聴いていると
じっくりとわかってきました。

「歌う」ということは、直接、心に働きかける行為だから。


CDの声を、ここに載せることはできないので、
youtubeで、探したものを、ここに載せてみます。

こちらは、女性だけど、プラッシャントさんのは、男性の声です。

https://www.youtube.com/watch?v=fuIuq2tWdWc

『ヨーガ・スートラ』の第一章「サマーディ・パダ」を唄ってます。

こんな感じですが、

ついているCDの分には、男性の朗誦のあとに、
みなが声を合わせて唱える部分も入っていて、
いかにも、ヨーガを学習している雰囲気があります。

そして、

youtubeよりもっと唄っています。
信じて実践している人の声で、唄っています。
歌手が歌うのではなく、ヨーギンが唄っているのです。


そして


Lyricised Yoga Sutras の英訳も、
詩のように訳されています。
写真でも、少しわかるかな。。。

洗練された詩のような短い訳語のなかに、
スートラの哲学が、確実にひそんでいるのが、わかります。


『ヨーガ・スートラ』をこんな風に解釈するなんて、
夢にも思いませんでした。


なかなかの実力の人だと思います。

リリカルに流れているのではなく
リリカルを哲学に組み入れている繊細な人だと、わかります。


プラッシャント・アイアンガー氏は、世界的に有名なヨーガの師
B.K.S,アイアンガー氏の息子さんだそうです。


          ◇◇◇


このように、ヨーガは、現代インドに確実に生きています。


この『ヨーガ・スートラ』というのは、
インドの非仏教思想界においては、

聖典 なのです。

ヨーガの世界では、
これ以上のものはないと思われている 
聖典
なのです。


そのことが実感されてきます。


そして、わたしが、これを読んでいるのは、

三つの事情があります。


一つ。 仏教の影響を、特に、唯識の影響を
     強く受けていること。

一つ。 岡潔の思想と似ているサーンキヤ思想によること。

一つ。 現代におけるヨーガ思想の広がりを探りたいこと。


現代では、ファッションのように、ヨーガが広がって、
誰でも、健康や美容に気を使う人は、普通に行うようになりました。

しかし、

インドが生んだ偉大な「人間探究の道」であるヨーガは、
それらの流行とは別に、
インドに、また、世界に、根づいて
過去の聖仙たちが伝えるものを
現代にも生かしながら実践しようとしているのです。

「今」

ヨーガは、どのようにとらえられているのか

これも、わたしが知りたいことのなかにあります。

現代ヨーガ事情
瞑想の「今(現代)」を、斬ってみたい

過去のヨーギンたちと同じく
現代のヨーギンたちが求めるものを
探ってみたい

という思いもあります。

その意味では、
現代の瞑想事情も合わせてキャッチしていこうと
思っているところ。


答案つけて、ちょっと夏休みになった感じです。
でも、まだ、350枚の難関が残ってるけど、
それまで、しばし、ヨーガに逃げて、休息しよう。。


あ、ここにも、休息中が!
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なんか用ぅ? ダンだっ。


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コメント

前世は一在家さま

>良いことはしっかりと『言霊』に出した方が成就し易いと伺っております。

なるほど。お話を伺っていると、そんな気がしてきました。ほんとうにやろうと思うことは、しっかりと声に出すのですね。

言えば、やらざるをえなくなりますし。(ちょっと不純です)(笑)。

>逆に悪いことも『言霊』に出すと実現し易いので注意を要します。

こちらも、それなりに納得します。
心の行いの他に、口で言う行いもしてしまうことになります。

「言霊」というと、また、ちがった意味合いが出ますね。
自然の中の響きのようなイメージで、ものごとをとらえるように、感じます。
自分でも、何を言ってるのかわからなくなってきました。

投稿: 管理人エム | 2014/09/02 10:41

>真実が含まれていると直感しました。

こういう直感は、その人の声からきたのでしょうか。

ずいぶん前になりますが、哲学の授業で、「あなたにとって、耳と目とどちらを失ったら困るか」と聞いてみたら、「耳」という人がいました。多くは、眼でしたけど。

耳を重視している人は、「顔は嘘をついてもわからないけど、声は嘘をつけないから」と言っていました。
耳のよい人だなあと、思いました。その人は、声に真実の響きを聞きとっていたんですね。
お話を聞いて、思い出しました。

投稿: 管理人エム | 2014/09/02 10:34

ミチ先生、住人各位 御機嫌よう。

>真理は、音・声の中にあるんでしょうか。

キリスト教では聖霊を重視しますが、神道では『言霊』や『数霊』を重視しております。
他にも『神霊(光)』、『色霊』と色々とあるそうです。

良いことはしっかりと『言霊』に出した方が成就し易いと伺っております。
逆に悪いことも『言霊』に出すと実現し易いので注意を要します。

かの無敵のヤマトタケルは攻めることを事前に『言霊』に出した為に大敗したというお話もあります。

投稿: 前世は一在家 | 2014/08/30 05:58

お気楽に日記を置いて、

日記 と なす

アキナスハヨメニクワスナ

投稿:  春間 則廣   | 2014/08/29 07:18

>ああ、なんとなくわかるような。

そうですか。
初めて聞いた言葉でした。
真実が含まれていると直感しました。

>声に嘘がまじるのが嫌いなんでは?

そうかも知れません。
人を騙す要素があるのが嫌だったのではないかと思っています。

確か、初期仏教では、歌などの芸能は重要視されていなかったと聞いています。

投稿: せんす | 2014/08/28 14:39

>神道系では「神歌(みうた)」と言って教えを歌う場合もあります。

やっぱり真理というのは、自然と伝わっていくようになっているんですね。

真理は、音・声の中にあるんでしょうか。

投稿: 管理人エム | 2014/08/28 14:21

> 「自分は歌の上手な人は嫌いなんだ・・・」

ああ、なんとなくわかるような。

声に嘘がまじるのが嫌いなんでは?

投稿: 管理人エム | 2014/08/28 14:16

神道系では「神歌(みうた)」と言って教えを歌う場合もあります。
更に歌いながら踊るところもあるので、不思議ではないですね。

神への感謝、日々の喜び、歌って踊って体に表すということです。

投稿: 前世は一在家 | 2014/08/26 06:09

こんばんは。
涼しくなってきましたね。

その人はとても厳しい人生を強いられていた人だったのですが、ある日、小さく、一言、こう言いました。

「自分は歌の上手な人は嫌いなんだ・・・」

投稿: せんす | 2014/08/26 01:34

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