« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014/03/21

龍に出会う 蟻塚経

Dsc00552s
ぶれちゃった。夜だし。

なかなか雪が消えてくれませんね。
もう降らなくていい、って、思うんだけど。


昨日は、在家仏教の講演会でした。
わざわざおいでくださった方々、ありがとうございました。


綱渡りの人生をしていることが、ほんとに如実な一日でした。

スケジュールがちょっとでも狂うと、
ほんとにパニックになりそ、です。

まずは、数日前に、母が風邪をひいて、熱を出したのが、一つ。
日程が全部くるって、
あっちこっちに連絡して、ヘルパーさんをお願いすることに。


さらには、講演会のテーマに、蟻塚経を取りあげたのですが、

これって、何だか、自分でもよくわかりませんでした。

わからないので、勉強して、講演しよう、って、思ったんですが、

勉強してるうちに、母は熱を出すし、わたしも、熱が出そう。

で、さっぱりわかりませんでした。
時間が、たりにゃいにゃ、たりない、たりない、たりにゃいにゃーーー!


けっこう、焦る気持ちもありながら、
でも、
なぜか、思ったほども焦らず、
それでも、どうしよう、どうしよう、と、
寝ながら、考えていました。

何とか原稿を書いて、
あれこれやって、
ある程度、何とかなりそなところまでは、来ましたが、

どうも、すっきりしません。

とうとう、当日の朝になり、

時間が迫って、諦めて、

原稿を印刷しているとき、

はっ!

とひらめきました。


蟻塚経は、龍樹の経典だ!
龍樹は、これで、無生法忍の悟りを得たんだ!


           ◇◇◇


ああ、よかった!
話しが見えたわ。


蟻塚経は、『マッジマ・ニカーヤ』第23経で、

とっても変わったへんてこな経典です。


ある神霊が、クマーラカッサパ尊者という比丘に、
謎かけをするのです。

蟻塚があって、夜に煙を出して、昼には燃える。
バラモンが、賢い者に、剣でここを掘れ、と言って、
言われたとおりに、賢い者が掘ると
変なものが次々と出てくるのです。

閂、蛙、分かれ道、鉢、亀、屠殺場、肉の塊、龍

最後の龍以外は、全部、とりだして捨てて、掘っていくのです。
龍に出会ったら、ふれずに、帰依しなさい

と言うのです。

この意味は、ブッダに聞きなさい、と言って、神霊は消えてしまいます。

で、クマーラカッサパ尊者は、お釈迦様に答をもらう、

というお話です。
で、答は、ものすごくシンプルに同義語で置き換えられていって、
それで、お話は終わるのです。


        ******

なぜか知らないけど、これを読んで、
「喩え」の話しをすることにしたのです。

また、
なぜか知らないけど、喩えには、
龍樹が使えるな、って、なんとなく思ったのです。

そして、

龍樹の『方便心論』から一つ引用して、
紹介しながら

「お釈迦様は、直喩は使うが、隠喩は使わない。
隠喩は、ことばの欠陥である(言失の一種)」

ということを、何だかしゃべったのです。

隠喩というのは、文にはなっているけど、
そのまままじめに読むと、変なことになるものです。

君は僕の太陽だ、
人生は一つの舞台である
君の瞳はダイヤモンドだ

こんな感じです。
瞳がダイヤモンドだったら、たいへんでしょ、みたいな、ね。

直喩は、大丈夫。

君の瞳は、ダイヤモンドのようだ

と「~ようだ」とつけると、直喩ということになります。
簡単に言っちゃうと、そんな感じです。
ブッダの説く喩えは、直喩が多く、
とてもわかりやすいのです。 
みなさまご存じのとおりです。


そこで、先ほどの、蟻塚経です。

蟻塚は、身体の同義語である
蛙は、怒りと悩みの同義語である

などなど、ブッダは教えるのですが、

これって、直喩なの? 隠喩なの?


龍樹は、「ブッダのことばに隠喩はない」って言ってるけど、
どう見たって、この経典、隠喩っぽくない?

龍樹のうそつき、ペテン師、インチキ

って、思う人もいるかもしれません。


でも、大丈夫なんよ。


最後をみて!
賢い者は、龍に出会うんですよ。
そして、龍に出会って帰依するんですよ!

ね!

龍に出会って帰依した人は、だーれだ?

はい!答は、龍樹ですっ!


大龍菩薩に出会って、海の宮殿で、山のような大乗経典を、
授けられ、読み尽くせないほどの量を90日間読んで

龍樹は、悟るのです。


この、龍樹の伝記は、
蟻塚経をもとに、かれの行跡をアレンジして書いたものでしょう。


そうか!

蛙も、屠殺場も、出会っては、捨てて、
とうとう、龍のところまで
到達した人

その人が、龍樹だったのか。


だからね、皆さん、

龍樹は、インチキでもなく、うそつきでもなくて、
ほんとに蟻塚経をそのとおりに実践しているのです。

だから、

龍樹が

「ブッダのことばに、隠喩はない、全部、直喩だ」

って、言ったら、それは、ほんとなんです。


龍樹の証明 を、 終わります。
ご清聴ありがとうございました。


写真は、ぼけぼけですが、
話しは、ちゃんとオチもついて終わりました。
Dsc00551s

それにしても、いつも思うんだけど、
やっぱ、龍樹が出てくると、どっか、へんてこになるよね。

こんな変な経典で悟るなんて、やっぱ、変わってる。

しかし、

それを、取りあげる、わたしも似たようなもん。。。

 

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2014/03/13

『百論』『大智度論』と格闘中

なかなか日記が書けないです。
何もしてないわけじゃなくて、いろいろ何かはしているんだけど、
何をしているのか、いまいち定かではありません。

だから、日記が書けないのかな。
Dsc00540s
今年は、午年ですね。
何を今さら、って感じですけど、

実は、お正月に、この午を写真に撮って載せようと思ってて、
さあ、写真撮って載せよう、って思ったら、なんと3月でした、トホホ。

1年のうちで、一番雑用が多くて、だけど、一番勉強もできるとき。

有効に使おうと思って、かえって焦るんだよね。
それで、結局、気がついたら寝てたりする。。。

で、夢の中で勉強してます、zz

Dsc00548s
夢うつつのおふたりさん

ん? いっそう丸くない?
太ったんじゃない。。

飼い主をだまして、えさをねだる術を覚えたからかな。
ニャーニャーうるさいと、えさをあげたかどうか、
自信がなくなって、また、あげたりしてることも、ちょっちゅうです。


         ◇◇◇

さて、『大智度論』の第二弾を書こうと思っているのですが、
これが、なかなか難物です。

加藤先生が、
『大智度論』が『百論』を引用しているのではないか、
そうなら、両方を訳している羅什が、『大智度論』作者の可能性がある、
と、述べています。

うーん、ちがうんですが。。

というところを出そうと思っているのですが、

何せ、龍樹や提婆などで、そんなに簡単にはでてきません。


同じ個所を探して、比較する


なんて、手法が使えないので、
地道に考えながら作品を読むことになります。


『百論』『四百論』『廣百論』など、あれこれ漁るうちに、

提婆が、少し見えてきました。

かれは、龍樹の直系のお弟子さんといわれますが、
だいたい、お弟子さんといっても、師匠が龍樹ですもん、
ふつうの師弟の関係と思ったら
だめなんよ。

龍樹の教えをしっかり受けていることがわかるけれども、
でも、
かいてあるものは、ぜんぶ提婆のオリジナル

という、
こういうスタイルが、徹底されていてはじめて

提婆は、ほんとうに龍樹の弟子だったのだなあ、とわかるのです。


で?
管理人、わかったの?


わかりました。
確実に、龍樹の教えを受けています。


提婆は、どこを基礎においたのでしょう。

まあ、だいたい言われているとおりですが、

龍樹から論法を学んだということは確かです。

よく読むと、『方便心論』をしっかり活用しています。
論法を用いて、空を知らしめようと、
外教徒たちと対話したのだ、と知ります。

『方便心論』の内容全体は、
提婆に流れていますが、

どうやら、提婆は、とくに、ニヤーヤ学派と争ったわけではないようです。

サーンキヤ、ヴァイシェーシカが対論相手とされるので、
論理学という部分で議論しているのではなくて、
龍樹論法の応用者として、
実践的に論法を用いている姿が見えます。

おもしろいです。
いろいろなところに、『方便心論』が顔を出していて、

ああ、これだ、
ああ、こんなところで使ったのか
これも、『方便心論』の中にある

と、あちこちで龍樹論法の提婆オリジナルの活用を見るのです。


そうなると、

『百論』から『大智度論』作者が引用したのか

『大智度論』から『百論』注釈者婆藪が引用したのか

証明しようとなると、とてもむずかしいのです。

知るのは簡単なのです。

『方便心論』から『百論』への影響
『方便心論』から『大智度論』への流れ

どちらも、言えると思います。
筋書きは、わかってしまっていると明々白々なのですが、

が!

『方便心論』をぬいて、『百論』と『大智度論』を比べると、

どっちがどっちだか、混乱している人には、わからなくなります。

『大智度論』が龍樹ではないと思っている人には、
ぜんぶがぜんぶ、ごちゃごちゃになってしまいます。

それで、わたしも、ずっと悶々としていたのですが、

でも、

なんたって、龍樹なんだ! と、「信」を起こしました。


絶対、ヒントは残すはず!
誰も考えたことのない領域にまで達しているはず!


龍樹がほんとうのオリジナルで
提婆はそのお弟子さんである、

お弟子さんのオリジナルは、龍樹のオリジナルより、
教えを受けた分だけオリジナル度が低い

という、かしこい判断で

じっくり読んでみました。


ようやく、何とか、見つけたように思います。

だけど、それを認めてもらえるかどうかは知りませんが、
確かに、『大智度論』の方が先にあって、
注釈者の婆藪は『百論』を
『大智度論』から引用して説明している、と考えられます。


説明するのは難しいですが、
それをやってみようとしています。

ふーーーーーー!

『方便心論』を読み直すと、ほんとに
すごい本だと、
脳みそが爆発する感覚が蘇ってきます。

あらゆる論理が、この一冊におさめられています。

Dsc00550s
ニャンだ、うるさいな。。えさじゃなければほっといて


| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »