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2014年2月

2014/02/28

雪が融けるを縁として?

急に暖かくなってきて、どんどん雪が融け出しました。
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地面が見えているところもあります。

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とはいえ、まだまだ、こんなにぐさぐさの雪。

この前の、本州の大雪のようでしょう。
重い雪だから、たいへんだろうな、って、テレビを見ながら同情してました。

という、うちも、ママさんダンプが壊れちゃいました。

       
        ◇◇◇


『方便心論』やら、『百論』やら、『大智度論』を、見比べているところです。

先日、『ヴァイシェーシカ・スートラ』を読んだら、
久しぶりすぎて、チョーーーーなつかしかったです。

なんか、古巣に戻ってきた、という気がします。

仏教と対立するインド哲学の古株ヴァイシェーシカ学派

かれらには、かれらの立場、というものがあります。
仏教に対して、堂々と反旗を翻しているのです。


そんな、当時の熱い議論の様子を見ながら、つらつら考えました。


         *+*+*+*
 

やっぱり、大事なことがあると、思います。。。

古いインドの対論から遠く隔てた現代の
今、
このサイトの掲示板「マジカナ道場」でも、
論理関係の議論が続いているのですが、
すでにもう行き詰まってきた感がありますね。


ブッダ論理に反論する人は、どこかおかしいと思って、そうするのでしょう。

自分たちの常識を否定されるような気がするので、
何とかやり込めようとして、反論してくるのだろうと思います。

たしかに

ちょっとだけ読んだり、部分的にみたりすると、
ブッダ論理学というのは、
何だかインチキに見えたりすることは、ままあります。

それは否定しません。

でも、一見すると、であって、
いつでも、インチキに見えるわけではないのです。


だからこそ、そういう風に思われないように、
「論理」ということばを出すのです。

「論理」とは、いつも、全体におよぶ、ということを意識して
生まれてくるものだからです。

ブッダは、その生き方全体において、また、教えの全体において、
いつも一貫した姿勢を示していたのです。

ちょっとだけみると、部分的にみると、
互いに矛盾するようなことを言っているように見えても、
全体を通すと、一本論理の柱に貫かれているのです。


その柱とは何か?

もう皆さんはおわかりですね。


そう、「縁起」という関係なのです。
これが、ブッダの論理の代名詞なのです。


しかし、
この「縁起」というのは、気づきにくくわかりにくいものです。


そもそも、

どんなときにも、何かに縁って、何かが起こっている、
というのは、あたりまえすぎて、
ほとんど意識もされないでしょう。

意識されないから、ないように思ってしまいます。
指摘されても、そんなことはあたりまえだろ、って思って、
終わってしまいます。

まあ、気づいたとしても、どのように考えてよいのか
ピンとこないのです。


それを取りあげて、分かりやすい公式のようにしてまとめた
ブッダは、ほんとうに天才的と言えるでしょう。

どこにでもあって、いつでもあって、どんな場合にも言える関係を、
定式化したのです。

だから、今、ここ、この場であっても、成り立つのです、縁起という関係は。

たとえば、
これを読む人と書く人の関係としての縁起。
反論する人と答える人の関係としての縁起。


こうして見ると、コミュニケーションにおいても、「縁起」が言えるのです。


だから、世界を貫く論理の柱である「縁起」を、基本におく、
仏教は、他者と自分との大事な関係を語る論理学なのです。


それに気がつくと、ブッダがいかに、他者を大切にし、
うそをつかない、真理の体現者であるか、
分かってくるでしょう。


そういう意識で、ものごとをみていくと、

これまでの見方と、ガラッとちがった世界が見えてくると思います。


この新鮮な、うそのない、ありのままの世界を、

皆さんにお届けするのが、

ブッダ論理学なのです。

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あるがままに、白樺は二本、春の雪の中で

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あるがままに、白樺は手前に三本、春の日差しの中で

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あるがままに、白樺はいっぱい、春の風景の中で


この三枚の写真に、貫かれる論理は何か?

答えてみて!


雪が融けると


雪が融けると? 


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春になる!

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2014/02/23

ににんがしし、いや、 にゃにゃンがししかな

アショーカ王も、びっくり仰天?

かっこええ写真が撮れました。
ダンさま、石柱獅子になりきりポーズっ!
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きゃーーーっ!サインしてほしい、って言いたくなるかも。。

え?!ほんと!    by ダンさま
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あ、だめ、ポーズが崩れるぅ、こっち向いちゃいかん。

反対向きも、挑戦です。
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しっぽも、緩んでいるところが、格段の しんぽ(しっぽ)。


ずるいぞ、僕も撮してぇ
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って、言うより、紐で遊んでぇ、ってところか  by サムさま

僕の方が、獅子っぽいでしょ。
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石膏像とともに、石像化してみました。

サムさまは、やきもち焼くのよ、ダンさまに注目するとね。


               ◇◇◇


土曜日は、みんなで「スッタニパータ」の「慈経(メッタ・スッタ)」を読みました。

「慈しみ」の心を育てることは、ブッダへの道を約束してくれる。。

ブッダの語ることばが、そのまま「慈しみ」の現れですよね。

===========

145 どんな小さなことであれ、他の識者たちが非難するようなことを
しないようにしよう。
一切の生きとし生けるものが、幸せであるように。
安穏であるように。快適であるように。
(サッベー サッター バヴァントゥ スキタッター)

146 生き物として生まれたものは何であれ、
ふるえ動くものであれ動かないものであれ、
あるいは、全体であれ、長くても、中くらいでも、短くても、微細でも粗大でも、

147 見えるものでも,見えないものでも、
遠くに住んでいようと,近くに住んでいようと、
生じたものであれ、生ずることを求めているものであれ、
一切の生きとし生けるものが、快適であるように。

148 人は他を欺いてはならない。
どこにあっても、どんな人をも軽んじてはならない。
怒りをもって、怒りの想いによって、
相手に苦しみが及ぶように望んではいけない。

149 母親が、我が子を、命をかけてひとり子として守るように、
同じように、一切の生類において、無量の心を起こしなさい。

150 さらに、一切の世界に、無量の慈しみの心を起こしなさい。
上にも下にも横にも、さまたげなく、恨みなく、敵意なく(ありなさい。)

=====================

声聞たち、というか、比丘たちに向けて語っているのでしょう。
修行者たちに、無量の慈悲の心を育てていくことを
丁寧に丁寧に
語っています。

ここを読むと、どうしても、『法華経』「方便品第二」が、
思い出されて仕方ありません。


自分たちの悟りをめざすのが、本来の比丘たちのあり方ですが、
でも、
それは、同時に、慈悲の心をはぐくむことでもあるのです。


生類を慈しみ、世間を憐れみ、世の中を進んでいく行者たち。

清浄なる心を求めて
悟りの境地へと行ずるのは、

その先に、ブッダとなるという道がひかえているからではないか、

という、思いがわき起こります。

なぜ、そう読めるかというと、

一番最初に、


143 寂静なる道(pada)を現観したのち、
有能であって、正しく直くあり、
善いことばを語り、柔軟で、奢りのないものであろうとすること、
これが、ためになる善いこととして、なされねばならない。


と、あるからです。

「寂静の道(pada)」というのは、涅槃のごとき「法性」にいたることを、
言うのではないかと思います。
内容的には、空性を得るということと理解します。

「道(pada)」というのは、ある悟りの境地に到達しても、
そこで完成ではない、ということで「道」としました。

この「寂静の道」にある行者たちは、
菩薩が到達する「無生法忍」の境地と同じところなのだろうと、

わたしは、思うのです。

ここにいる、ということは、
涅槃に入ることもできるし、
輪廻の道をあえて選ぶこともできる

そんなところであるように、思われてなりません。


無量の慈悲の心を起こしなさい

と、ブッダが語りかける中に、

阿羅漢ではなく
ブッダとなる無上道にもいくことができる

という選択肢があるように、思われるのです。


なので、「慈経」を読むと、どうしても、

三乗一乗の教えを説く『法華経』が
思い出されてしまうのです。

どうなんだろう。。。


もっとよく考えてみることにしよう。。

おや?なに
丸いもの、黒いぞ!
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ダンさまのおしり。。カーテンから外を覗くの図。

あ、サムさままでがっ
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しっぽふとーーーい!

見たなぁ~、って言ってる!?

最後は、こんなんで、とりあえず、おしまいです。
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2014/02/16

まめまめしいのは。。

ああ、苦労しました。
ダン吉、アショカ王石柱獅子のポーズ。。のつもり
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イメージは、あのりりしいアショカ王の石柱なんだけど。

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c05_koshashin/c0204_shouzou/toyorekisi_024.html

似てますか?
え、横向いてくれって。

ではでは、どや?
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カッコ、ええかしら。

ふつうに見てると、こういうカッコをするけど、いざ、カメラを向けると、
逃げるか、寄ってくるかのどちらかで、
猫モデルとしての自覚に欠けているのです。

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すんません。

しっぽが、くるっと足に巻き付くのが、特徴で、
しっぽは、とてもお行儀が良いのです。


         ◇◇◇


ようやく、少しゆとりがでてきそうだと思ったら、
恒例の、確定申告に季節がやってきました。

ああ、一番苦手な仕事が、最後に来ます。

このとき、心底思うのが、
どうして、比丘尼にならなかったんだろう、ってことです。

こんなお金の計算もしなくてもいいし、
そもそも金銭に触れてはいけないので、
お金のことが、頭をよぎることすらないのだ。。ろうなぁ。

うらやましい。

比丘尼がダメなら、猫でもいいかも。
お金の計算する猫なんて、聞いたことがないもんね。

だいたい、猫に小判、っていうことわざがあるくらいですもんね。


         ◇◇◇


考えると、世俗の中で世俗に染まらず生きる、って、
ほんと、むずかしいですよね。
お金がないと生きていけないけど、
たくさんあるのもわずらわしそうです。


そういえば、
ヴィマラキールティ(維摩居士)は、税金って払っていたんでしょうか?

かれなら、文殊菩薩に計算してもらったかもしれませんね。

それとも

蔵から出して、貧しい人たちに現物支給だったのかなあ。。


って、こんなこと、考えていると、つい、計算するのを忘れて、
仏典とか、開いてしまうから、ダメなのね。


         ◇◇◇


そういう点では、旧約聖書は、けっこう生活感覚がにじみ出てますよね。

神さまは、土地や作物について、どのようにするか、細かく規定しています。

ユダヤ人たちが、世界中に散って生活しなくてはいけなくなったときも、
律法が、ユダヤ人のアイデンティティーを支えましたね。

安息日があるように、土地にも7年に一度安息年があって、
土地を休ませるとか、

土地を売るようなことになっても、買い戻す権利を放棄してはならないとか
(なぜなら、土地は神のものだから)

買い戻す義務は、親戚などもその責任を負うとか、

ほんとに細かいのです。

でも、そうして、

民が困らないように、
みなが地に満ちて繁栄していけるように、との、神さまの配慮が感じられます。

神さまの言うことを聞けば、ちゃんと生きていけるように、
なんとまめまめしくはたらく神なのでしょう。

異教徒としては、えらいなあ、神さまは、という気がしてきます。


      ◇◇◇


神をもたない異教徒は、自分で、まめまめしくはたらかなくちゃならないのだ。
岩見沢の寒い朝。
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異教徒は、今日も出勤です。

もう少しで、終わるぞ、がんばろ。

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2014/02/06

世間にあるときは、世間話でも。空話猫話

では、では、前回の続きです。

前回、悪戦苦闘して載せようとして載りませんでしたが、
サイズが大きすぎたんでした。
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今度は、何に見えるかな?

マントを着たアンパンマン?
おちゃらけさまのあげてくれたパペット手袋の中にもあるかな。

苫小牧の空
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っていうか、大地もそのまんま大地だけなので、
ついつい空を撮ってしまうのよ。


さて、苺屋毒蛙さまに、’ダン吉のアショカ王石柱ポーズ’を
ご所望されて、こちらも、悪戦苦闘。

よく観察したら、そもそも背筋伸ばして、石柱型になったことないよね。
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二匹が寄り添うと、こんなおだんごスタイルに。

しかも、新聞紙の上が特等席。
。。そういえば、今年は布団も、
買ってもらえてない、さびしいぃ~
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何?僕がおダンご。。失礼な by ダン吉 
上目づかいが、色っぽい?

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お、何だ? カラスかな。。カ、カッ by サム丼

サムは、カラスが大好きで、カラスを見ると、窓に駆け寄って、
「カカッ」っと、かわいく鳴くのです。

と、一生懸命、話題を探していますが、
写真が、座ったっきりなので、話題で変化をつけるしかありません。


          ◇◇◇   


そう言えば、サムとダンは、鼻炎なのか、鼻水を振りまいて、
ものすごいのですが、

サムを病院に連れて行ったら、
がーん
口蓋裂という病気だとわかりました。

口蓋裂というのは、口を開けると、
喉の上のところに、小さい穴が開いているのです。

でも、元気で食欲もあるので

そのまま、手術はしないことに。。ホッ。

「こんなに体重あるし」って、言われちゃいましたねん。

え?ダン?
ダンは、病院に連れて行こうとすると、
気配で、ぴゅーーーーーーーーーーーーーーっ!

つかまりません。

昔、ようやく捕まえて、バスタオルにくるんで檻に入れて、
もってったら、
病院について、蓋開けたら、
鼻が血だらけで、
鼻の治療に、500円余計にかかりました。

野生の血が、残ってるんだわね、きっと。


        ◇◇◇

世間話の最後です。
いつもの駅の構内を歩いていたら、
あれ?いつの間に。。こんな木彫りの彫像が!
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観光客をお迎えする彫像らしいです。
弓をもったアイヌの狩人かな?

そういえば、雪祭りが始まったらしいですね。

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2014/02/03

空よ!雪よ! ああ。。。

雪原を走る列車の窓から。
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この日は、土曜日。補講でした。
苫小牧まで、行きました。

その前には、火曜と木曜、岩見沢に週二日。
そして、苫小牧にも、月曜と土曜の週二日。

さすがに、き、きつい!
集中講義みたいだわ。

その上、試験の採点、締め切り間近のが300枚。

そして、とどめは、原稿の締め切り。

いくら、奴隷の身だからといって、
過酷すぎる。。。

反乱起こしちゃうから

がぉ~~~! 龍神さまだぁぁ~ !
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へろへろになって、講義を終わって外を見ると、

わたしの代わりに、龍神さまが雲になって。。

いや、雲が、龍神さまになって怒ってくれました。。。かな?
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あまり、怒っているようでもないですね。

白い雲を食べようとしている龍の口に見えますね。

写真をたくさん載せようとしていますが、
容量がオーバーしたようで、載りません。

この日は、晴れて寒い日だったので、
写真が、なかなか美しいのです。

えいっ!なかなか載らないわ。。えぇいぃ~!
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お、載った!

だめかと思いましたが、何度か挑戦すると、
載りますね。

何だか、クリックするだけなのに、力いりましたわ。

さて、答案300枚採点して、神経使いましたので、

今日は、この辺で。

ああ、目があきまへん。。おやすみ。。明日の予習は、夜中にやろ。


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