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2014年1月

2014/01/26

「賤しい者」は「癒しぃ者」へと

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写真は、どことなくくりまわし気味です。

気にしないでね。

朝日カルチャーセンターで、
『スッタニパータ』を読んでいます。

うーーーーーーん、すごいなあ、と思ってしまう。

ブッダの語りは、ハンパじゃないですね。

だいたい、
「三日前から練りに練って答えました」
なんてものじゃなくて、
その場で、出たとこ勝負ですからね。

時々刻々と変化する状況の中で、相手の心を捉えつつ、
これだけのことをまとめて話せる!

すごいとしか、いいようがありません。


「これだけのこと」って?

と、聞きたくなるでしょ?


「これだけ」というのはね、

この経典 のことです。
「賤しい者」経 というのです。


     ◇◇◇


托鉢しているブッダを遠くから見かけた火を拝むバラモンは、
ブッダに向かって、こんな風に言ったのです。


「そこのはげ頭、そこの似非沙門、賤しいやつめ、そこに立っていろ」


こんなことを言われたら
びっくりして、ショックを受けそうですが、ブッダは、ブッダ、
さすがブッダ、えらいぞ、ブッダなのです。


「では、バラモンよ、
あなたは、賤しい者や、賤しい行いや、賤しい法というのを
知っているのですか」


こう答えたブッダ。バラモンが、今度は、びっくりする番です。
そんなことは聞いたこともありません。
そこで、
知らないので教えてください、と頼む羽目になります。


ここから語られる「賤しい者」の正体。。。
身につまされることでしょう、誰もが。


それに、この「賤しい者」とは「ヴァサラ」ということばで、
これは、「賤しい身分の者」という意味があり、
カーストの下位の身分を、卑しめて言ったものと考えられるのです。

今では使われないことば 「賤民」などとも訳されるのです。
現代では、差別用語になってしまうでしょう。


        ◇◇◇


この、「ヴァサラ」という差別用語を用いながら、
ブッダは、法を語ります。

次々と、「賤しい者」が明らかにされていくのですが、
すごくひどいことを言っているにもかかわらず、
なぜか、暖かく、
いたいことばでありながら、
ありがたいのです。


賤しい者とは?


116 怒りやすくて、怨みをもち、偽善を行う悪人で
、見解の破滅している、詐欺師である人、
かれを「賤しい者」と知るべきである。

117 一度生まれるもの(胎生)でも、
あるいは、二度生まれるもの(卵生)でも、
この世で生き物たちを害する者、生けるものに対する憐れみのない者、
かれを「賤しい者」と知るべきである。


こんな調子で、どんどん具体的に細かく語られていきます。

そして、
「似非沙門!」とどなって、何もお布施しようとしなかったバラモンに、
ちょっぴり、ずきっとくることば、こんなこともさらっというのです。


130 バラモンや沙門に対して、食事の時間がきているのに、
ことばで罵って、何も与えない者、
かれを「賤しい者」と知るべきである。


うっ、いたっ!
って、ところかもしれませんが、これが語られるのは、
もう、最後の方です。

この頃には、すっかり感じいっているバラモンなので、
抵抗なく受けとめられているのです。


そして、もっとも下賤のもの、について語ります。


お布施をする側を戒めると、
今度は
お布施をされる沙門の側を戒めます。

最悪の「賤しい者」とは、こんな人です。

135 実際に阿羅漢ではないにもかかわらず
阿羅漢であると公言して、
梵天とともなる世界において盗賊である者、
かれはもっとも賤しい者である。


自らの立場にもっとも厳しい判断をくだしているのです。


そして、有名なことば、次のことばが語られます。


136 生まれによって賤しい者となるのではない。
生まれによってバラモンとなるのではない。
行いによって、賤しい者となり、
行いによってバラモンとなる。


カースト(身分)を示すことばは、
人間の生き方を示すことばへと
中身が入れ換えられているのです。


「空」の妙技をご覧ください。

何と巧みで、何と優しい教えに満ちているのでしょうか。

こんなにも「賤しい者」が、次々と説かれているのに
誰も傷つけないなんて、

はあ、ブッダのことばは

「賤しい者」を語っていても、
「癒しぃ者」を教えてくれますね。
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たんなる朝日です。寒いわよ!10日くらい前かな。

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2014/01/23

論理には、論理的に対応したいわ、と言いつつも

火曜と木曜は、岩見沢でした。
アーケードのようになった駅前通路から垂れ下がる雪です。
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数年前の大雪ほどではないけど、やっぱり多いわ。
ちょっと脇道に入ると、一台車が通れるかどうか、というところですが、
でも、慣れたもので、譲り合いながら運転しています。

一方、

月曜日には苫小牧に行ったけど、あちらは、ほとんど雪がありません。
自転車に乗っている人もいました。

同じ北海道でも、ほんとに全然違いますね。
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とは言え、やっぱり寒い日が続きます。

-10℃近いと、ウールのコートは寒い。

寒いなあ、って、思いながら、デパートの中を通り抜けていたら、
何と70%オフで、ダウンのコートが並んでいたので、
思わず、手に取って、そのまま買ってしまいました。

うーん、ふところは寒くなったけど、たしかに身体は暖かい。

あまりに寒くて衝動買い。

どっちをとるかだわね。
ふところの寒さか、身の寒さか。。。

今年は真冬の労働が多いから、仕方ないかも。


      ◇◇◇


な~んて、よもやま話はおいておきます。


何だか、ごちゃごちゃ命題論理でもめてますが、

いろいろ出てくると、初心に返った方がいいかも、って思います。


そもそも、人工言語として生まれてきた記号論理学。

命題論理も、日常言語の論理とは、一線を画していたはずなのに、

初心者向けの論理学の本は、どうしても、日常言語の例題を

もたざるを得なくなって、


よく見ると、いろいろなところで不都合を生じているのではないか、

と、思われるのです、前々から密かにね。

でも、あまり、その点は、問題にされてこなかったように思うのです。

人工言語の記号だ、ということが強く意識されていたときは
まだ、そんなに困ったことは起きなかったのですが

次第に

日常言語が自然に領域内に入ってきているように思うのです。

そんな西洋論理のルーズなところが目について仕方なかったので、

日常言語の論理をあるがままと認めるブッダの「ものの見方」は、

ほんとうに、

新鮮な意味をもって、せまってきたのです。

そのような事情で生まれてきたブッダ論理なのですが、

どうも、ややこしい混乱が生じているように、思われます。

実際、「論理」というのは、見方一つで、どうにでもなる、

という側面があることを、知っておかねばなりません。


人の見方次第で、世の中のできごとや思惟の産物は、

どのようにでも考えることができるのです。

こうして生まれてきて、学校で教えられているのが

現代では、

たとえば、
「集合」 というものだったりするのです。

「集合」を用いると、このパターンでしか、ものを捉えられなくなります。

集合や概念間の包摂関係ということが、主流になってしまって、

それにしばられて、図式化されていくのです。


インド論理における、西洋論理からの解釈も、みなそのようだったのです。

インドの論理やブッダの論理は、因果関係を基本とする論理学ですが、
そこに、むりやり集合論だの概念思考の論理を入れようとして、
ずいぶん解釈をゆがめてしまったりしたこともありました。

考え方そのものが違うのに、勝手に読み替えて、記号や図式を入れると、
もう、ブッダの教えではなくなってしまうことが多いのです。

入れるなら、ブッダに合わせなくてはなりません。
そして、
ブッダの説くとおりに記述できねばなりません。

ブッダが説いている通りに考える「ものの見方」(論理)
仏教が考えていく通りに記述する「ことばの用法」(論理)


これを大事にしてきたのが、ブッダ論理です。

同じできごとを見ても、

受け止め方が違うと、まったく違うように見えるのです。


乳から、バターやチーズが作られる

というのを見て、


================
乳は、バターやチーズの原因である
================
という風に考える考え方もあります。

また、

===================
バター・チーズという概念は、乳製品という概念の中に含まれる
===================
という風に説く場合もあります。
(ちょっと直しました。「乳」という概念に含まれるとしていたのですが、
こっちの方が、いいかな、って思うので)


誰もがおいしくバターやチーズを食べても、

みな、バターやチーズと乳との関係については、さまざまなことが言えるのです。


見方がちょっと変わっただけで、
全然違う論理が、生じてくる。


これを、一つだけではなくて、一切のものにおよぼすと、
そこに「論理体系」が成り立ってくるのです。


だから、
論理ほど、融通がきいて、どうにでもなるものもない、
とも言えるでしょう。

ブッダの場合は、「一切」ということをおさえましたが、
西洋論理の場合は、完全に「一切」ということをおさえているわけではないので、
解釈にいろいろな幅が出てきて、
人によりいろいろなことが言われるのだと思います。


それを争っても仕方がないことなのですが、

どういうわけか、争いたがる人たちがいます。


まあ、いいか。。。

と、どうしても、すぐこうなっちゃうなあ。。


ブッダさえしっかりしていてくれれば、大丈夫ぃ !

わたしたちには、ブッダと龍樹がいるんだもん !

かれらは、一切智者といわれているのです。

一切智者の、智慧の論理を勉強しよう。

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あんまり論理的でもないけど、
こんな感じで、てきとーに書いてみました。

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2014/01/18

『大智度論』研究―― 大智度論、作者はやっぱり龍樹だった―― 

みなさま、こんばんは!
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雪のある夜。。うーん、あんまりパッとしない写真だわ。

でも、そんなこと、どうでもいいのだ。


『大智度論』研究

 「作者はやっぱり龍樹だった」 のシリーズ

最初は、「四悉檀説」を検討してみました。


何か、最後、何を書いてるかよく分からなくなったので、
少し手を入れるかもしれません。


トップページに行くと

「大智度論」研究

というのがあります。

「心に沁みる原始仏典」のとなりにおいてみました。


『大智度論』研究


ご覧ください。

何か、ピリッとこないんだけど、どこがおかしいのかなあ。。
よく分からないので、アップしながら推敲していきます。


PDF文書にしてみました。
悪戦苦闘して、作成。

しかし、世の中便利になりましたねぇ。
一太郎というソフトでつくったんよ。

使い方わからんくて、すんごくたいへんだったので、
中身、何書いたか、よく分かりません。

あとから読んだら、変だろうな。。
変なところ、教えてね。


      ◇◇◇


たくさん積み上げて、龍樹作を打ち出して行きたいです。

あと、前世は一在家さまの宿題が残っているな。
まだ、やってないけど、これは、みなさまも答が出せるかも。

仏典三つを四悉檀のどれになるかを考えるという宿題です。

「マハーリ経」
「ポッタパーダ経」
「パーティカ経」


さあ、これから、考えてみますね。

大学の時計だけど、気温が出てます。
文字盤は見えないね。
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-4.2℃です。まだ、そんなに寒くないけど、やっぱり冬は冬だにゃ。

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2014/01/13

来し方行く末

タイトルは、突然思いついたので、
あげてみました。

意味はないのです。
日記が滞っているのは、
なぜなら、写真がなかなか撮れないからです。

ようやく、よっ!
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また、リスの写真か。。

って、思ったあなたっ!ちがいます。よっ、あ~っぷ!
Photo
お腹に赤いところが見えるので、アカゲラかな。

つまりです。その名も、キツツキ!
もう少し、はっきりしないかな。。
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何だか、ぼろ雑巾のような感じですね。ごめんよ。

コンコン!という音がしたので、
そちらに向けてぱちりっ、っと、撮りました。

写真をクリックすると、大きくなります。。あまり変わらないけどね。
きれいになるわけじゃないから。

ウィキで見ると、こんなにきれいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B2%E3%83%A9

現実は、ぼろ雑巾だけど、理想の姿は、美しい アカゲラ。。


       ◇◇◇


どこか、身につまされますね。

現実は、ぼろ雑巾のように酷使されるけど、
理想は、理想は、。。。理想も、ぼろ雑巾。。。

どうも、さびしいなあ。

『大智度論』は、時間がたつにつれ、だんだん詳細の度を増し、
何だか、すごく論文調になってきました。

まあ、これはこれで、いいかな、という気もしてきました。

日記は日記で、
研究は研究で
論文は論文。。ってことで。

=========
丁寧に、筋をおって書く
=========

という、これを大事にしたいです。


龍樹という人は、そういうことをしてきた人だと思います。
ブッダもまた、奇をてらわず、丁寧にわかりやすく
その人のために、説いたのです。

誰でもが、一つ理解して、一つ進み、また、一つ理解して、一つ進む、
というようにして、
理解を深め、仏教を知っていったと思うのです。

どんなに瞑想が、突飛に 頓悟 をもたらそうと
どんなに思想が、破格に 覚醒 をもたらそうと

一つの理解と一つの納得が、そこにはあるはずなのです。

それを地道に追っていくのが、ハンターなのです。
バードウォッチャーなのです。
リスウォッチャーなのです。
そして
人間ウォッチャーなのです。
そして
言語ウォッチャーなのです。

ということで、
『大智度論』、もう少しお待ちください。

けっこう、「こんなになりました」みたいな

姿をしてるかもしれませんが、

わかればいいよね。

あ、

もう写真がない。。。
あ、もう一つぼろ雑巾。 ご、ごめん!
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いつ撮ったかわからない写真。
サムちゃん、怒らんでよ、そんな顔して。


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2014/01/03

あけまして、おめでとうございます

あっという間に、明けました。
おめでとうございます。

写真がないのよ。。こんなんしか。
いつものダン吉君です。 ぶれてます。
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ようやく撮りました。

だいぶ近寄って、すりすりするまでにはなったけど
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すりぃ~すりぃ~

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さっぱり落ちつきません。

ちょっと、止まっておくれ。全部ピンぼけやん。
こっち、こっち。
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一番ましなのが、これ。
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お正月早々、白黒ですね。


      ◇◇◇


自分としては、もう少しうまくやりくりしたいけど、
限界に近いかな、と思います。

何が、って。

お金、でなくて、(ま、お金もそうだけど)
時間です。

でも、貯金と同じで、少しずつ時間を貯めていけば、
うまく勉強する時間もとれるかも。

一年の計は元旦にあるので、三日だけど、
計画を立てよう。

って、わたし、毎年、計画だけは立てるの好きなんだよね。


今年の目標

『大智度論』と『中論』


『中論』は、ほんと、何とかしようしようと思いつつ、
昨年は忙しすぎました。

今年は、『大智度論』をステップにして、
『中論』に飛び乗りたいです。


      ◇◇◇


『大智度論』で、少しわかったことがあります。

関連するモノを漁っていたら、
アーリアデーヴァの『百論』『広百論』から、
プラサンガ論法の正体が、垣間見えました。


何か、知られていない龍樹の作品でもあるのかと思いましたが、

そうではなくて

やはり

『方便心論』ですね。


おそろしい本だなあ、と思います。
『方便心論』


経典で言えば

『スッタニパータ』みたいな作品でしょ。


短くて、要点だけが、説かれていて、
解明しつつ、自分でモノにしていかなければならない、というところ。


また、『大智度論』が『中論』とはちがう内容だから、
作者は、龍樹ではない、

という意見が多いのですが、

それも道理で、

これは『方便心論』に多く基づいていることも

ずいぶん明瞭に浮かんできました。

だから、わたしが読んで違和感なかったわけです。


前世は一在家さまがおっしゃるように、

四悉檀説

ここが、龍樹であることを示す重要なポイントに
なりそうです。

他もさぐっているけど、まずは、ここですね。


ここに龍樹の意図や目的が集まっていると思います。


もう少ししたら、まとめてサイトに載せますね。

なんて題にしようかなぁ。。


「隠された謎が今明らかに 大智度論は誰が書いたのか」

「大智度論作者は、何と、龍樹だった」

「わかるのは、今でしょ、龍樹でしょ」

だんだん、ひどくなるな。
こんなことやってるので、時間がなくなるのね。

ダン吉君を、最後に。。と思ったら、前を横切るサムドン
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かならず、主張するなあ、サム

今年も、サムとダンをよろしく、お願いします。

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