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2013年12月

2013/12/27

『サンガジャパン』Vol.16 「怒り」 

Photo

『サンガジャパン』の、今回の特集は、「怒り」

これは、まあ、何と言いましょうか、
テーラワーダ仏教での、スマ長老さまの

『怒らないこと』という書の大ヒットで、
もう、何も話すこともないような気がしますが。。

どうでしょうか。


今回は、わたしも寄稿したのですが、

とても苦しかったです。


怒り。。。怒りかぁ。。怒りねぇ。。

という感じで、自分の中では、怒りはなんとなく近寄りがたいのです。

怒るより、怒られる人生の方が、多いせいでしょうか。。


      ◇◇◇


ほんとに頭を使ってきたのは、

どうやったら怒られないか、とか、
どうやって相手をなだめるか、とか、

そんなことだったような気がします。

あまりうまくはいってないとは思うけど、
努力したのは、そっち方面のような気がします。

だいたい、たまには自分も怒ってみようと、
怒ってみると、
かならず、「怒ってはいけない」と、さらに怒られます。

ほんと! そんです。

怒りと相性が悪いのだと思うのです、わたしは。


だから、考えたのです。


世界が一番怒りに満ちていたのは、いつだったのだろう。

多くの人が、怒りに満ちて動いていたときは、
いつだったのだろう。


それで、


ローマ時代、カリグラやネロという皇帝の支配した頃、
世に出た哲学者セネカを取りあげてみました。

セネカの『怒りについて』(岩波文庫)を中心にして、
当時渦巻いた「怒り」を検討しています。

セネカは、あのネロ皇帝の時代に、

ローマ版「怒らないこと」というのを書いているのです。

えらい人って、どこにでもいるんだなあ、って思います。

セネカも、怒られっぱなしの人生だったのでしょうか。。
それとも、あまりに怒りばかり見て、イヤになったのでしょうか。


     ◇◇◇


怒らないでいるなら、どんな世界であっても、
心安らかでいられます。


223 怒らないことによって、怒りに打ち勝とう。
善いことによって、善くないことに打ち勝とう。
布施をすることによって、物惜しみに打ち勝とう。
真実によって、虚偽を語る者に打ち勝とう。
                 (『ダンマパダ』)

やっぱり、これかな。
「怒り」というのは、不思議なもので、
それを「いらない」と思えば、なくしていって
まったく困らない、というのがその特徴ですね。

不思議な感情ではありますね。


     ◇◇◇


今は、ヒンドゥー教の時代区分では、

カリ・ユガという時代にあたっているのです。

正法が、わずか25%としか行き渡らない時代です。

人々は、どんどん悪くなって、悪事を平気で行い、ウソをつき、
戦争や争いが増して、道徳が廃れます。
お金のために人はなんでもするようになり、
世の中は殺伐としてきます。
さらに、自然においても災害などが多発します。


たしかに、カリ・ユガの時代といわれると、そんな気がしますね。

でも、どんなに世の中が乱れて、不幸が蔓延しても、
正法が、ゼロになることはないのが、救いです。

25%は、人の心の中に、正しい法が残っているのが、うれしいです。

まあ、この25%に希望を託して、
来年も、また、がんばりたいですね。

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それにしても、日記がどんどん、
しまらなくなってきて。。困ったわ。

まあ、怒らないで読んでね。

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2013/12/24

星に願いを(なんでこんな題なの。。)

サンタさんです。
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ちょっと前に撮った写真なので、まだ、雪がないですね。
雪がないと、気分、でないかな?

でも、

ここ数日、ずっと雪が降って、冬らしくなってきました。
ようやくホワイト・クリスマスっていう感じです。

え、見せてくれ。。って。

ちょっと夜中だからなあ。。
こんな時に、写真を撮るのも、なんだわね、

と言いつつ

はい!
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う、さむっ!

さむ~い。。

あ、さむドン、ついでだわ。
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自分の足を食べちゃ、ダメだよ、さむ。


        ◇◇◇


宿題の、『大智度論』に取りかかっているところ。
はまり出すと、どんどん深みに行きそうです。

論書を読むのも、楽しいですね。

特に、龍樹は、やっぱり最高~~っ。

あと、『成実論』も、ちょこちょこ読んでいるところです。

これは、龍樹っぽくないので、別の人が書いたと、
すぐわかります。

ハリバドラという人が書いたと言われています。


なんか、ドラマを感じるんだわ。

『成実論』には、大事なことばがあって、
ニヤーヤ学派が言及されているのです。

「那耶修摩」 と書いてあります。

ニヤーヤ・ソーマ とか ニヤーヤ・サウムヤ などの

呼び名が想定されているけれど、どんな人たちだったんでしょうね。


この頃、ニヤーヤ学派は、成立していて、
16句義を立てていたのです。

つまり、龍樹と争った後、『ニヤーヤ・スートラ』を
編纂して、活動していた時期にあたるのです。

ハリバドラは、
龍樹と、ほぼ同時代か、あるいは、それよりわずかに後かもしれない。


もっと、何かわからないかなあ、と思って、

漢訳文献に潜り込んでいるところです。

本の中に入って、その時代に行ってみたいよね。。。

あっついインドに、いや、もしかしたら、西域?
いや、もしかしたら、ガンダーラかな? それとも、カシュミール?


ああ、できることなら、過去にさかのぼって生まれたいっすね。


クリスマスは、何もしないで、
漢訳文献の世界に浸って、
夢を見ていることにしました。


文献だけ読んでいても、たいしてわからないかと思っていたけど、
そんなことはないことがわかりました。


これは、仏教だからだと思うなあ。。

心の世界を扱っているので、そのまま、あるがままに
観じとることができるのではないかと思うのです。

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あんまり締まらない日記だけど、

ま、いいか。。

この一日は、無数の日々の中の一つにすぎないしね。

無数の星の中の、一つの星に願ってみよう。

龍樹世界にいけますように、サンタさん、お願いします。

って、何を願っているのか、ようわからんですね。

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2013/12/18

すぎていくのは。。。

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何を撮ったんだろう。
なんてことない写真だけど。

って、思ったでしょ。
では、この写真の中に、こんなものがいます。
あ~っぷ!
S
エゾリスが、一匹、何か一生懸命食べてます。

もう一匹、どこかにいるけど、わかりません。


ようやくキャッチしましたよ。

それにしても、木とおんなじ色ですね。
ほんとに見つけるのが、一苦労です。


あまりに忙しくて、ほとんど授業は、
自動的にしゃべっているような感じになってます。

一個、締め切りのある原稿を忘れていることに気づきました。。


ウソでしょ!

きゃーーーーー!

っと言いつつ、
あわてる心も起きないのは、いくらなんでもまずいんでね。

何でも、こんな風に
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あれよあれよというまに
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近づいて
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やってきてしまうのね。
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ほんとに、あっという間に、
何でもすぎてく、

って、さびしいよね。
ただ、待ち遠しいのは、短い冬休みだけ。。
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ほんとに、さびしい人生を送ってるなあ。。

よれよれなので、よれよれ更新してみよう。
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がら~んとした風景で、終わります。


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2013/12/12

『大智度論』には、智慧を使うべし

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大学のキャンパスの中で撮りました。

この時期になると、イルミネーションが輝いて、美しい。
講義が終わって、外が真っ暗になっているとき、
なかなか見栄えがします。


        ◇◇◇


どんなことでも、疑い出せばキリがない、という気がします。

何の話かというと、『大智度論』の作者問題のことです。


いったん、「龍樹ではないだろう」 と思い始めると、
何でもかんでも、そう見えてくるんでしょうね。

今、一つ、龍樹作の証明をしようと、
ある課題に取り組んでいるのですが、

決定的な証拠、というのが、
なかなか出しにくい、ということがわかってきました。

ぜったい、問答無用に、こうしか言えない!

とするような何かを言うことは、龍樹の場合、
非常に難しいです。

いろいろな解釈が可能なように、
そもそも作られているからです。

それも、道理で、
つまり自性をもたない龍樹の著作は
自性をもたないがゆえに
龍樹作であることも
決定的には言えないようになっているのです。

だから、龍樹なんだけどね(笑)

って、笑ってる場合じゃないわね。


       ◇◇◇


まあ、決定的に
「龍樹作だあ」とは証明しにくいかもしれませんが、

でも、はっきり言えることもあります。


理屈で考えると、
「より優れているのはどちらか」という観点が、使えるのです。

龍樹作でないとすると、こういう欠陥が出てくる
龍樹作だとすると、論理的に明晰になる

と、このように言うことはできるのです。

このような観点は、ブッダの用いる観点ですね。
ブッダは、どれも否定はしなかったのです。

他の、外教徒説を、どれも否定はしませんでした。

ただ、『梵網経』の中で

わたしは、もっと善いことを知っている

と、述べたのです。


これだな。。。


『大智度論』においても同じことが言えると思います。

もっとよい解釈をするなら、

こちらです

っと、
こういうことはできそうです。


     ◇◇◇


『大智度論』の全体が、
何をねらった論書なのか、

ということも、明らかに述べている人はいません。
『般若経』の注釈だと言いながら、
その内容は、原始仏典などから自在に引いています。

部派や外教徒の説なども、
どんどん紹介されていて、批判や解釈もなされます。

何を、どういう風にしたかったのでしょうね。
誰に向けた注釈なのでしょうね。

そんなことを考えて、

ある答が 浮かんできているところです。

もう少し、よく検討してみなくちゃね。


できるだけ、がんばって、
何か一つくらいは成果を発表できるように
していきたいです。


     ◇◇◇


たしかに「龍樹作かどうか」という問題も、
重要課題としてあるにはあるのですが、

それより、何より、
まずは、
きちんと!訳して、充分な解釈がつけられるかどうか、

って、ことが大事だと、

まるっきり、オーソドックスな考え方に到達しました。


要は、   ちゃんと 読めてるか


って、ことだけですよね。


学問の王道 だにゃー
急がば、まわれ、

なんちゃおう。
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同じ写真だ、って?
失礼ね、縦と横が違うでしょっ。


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2013/12/05

龍樹讃歌

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冬ですね.
こういう風景って、どこかわびしくて好きですね。

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これは、エゾリスのいる森。。といっても、木はこれしかないけど。

前世は一在家さまに、励ましのコメントをいただいて、
大いにその気になってる管理人です。

『大智度論』かあ。。


わたしの中では、

『大智度論』が龍樹作というのは、

あたりまえすぎて、
ほとんど、問題にならないことなのですが、

世の中は、かならず、わたしの思うこととは反対に進むので、

やっぱり、
龍樹作ではない
ということになっていってるようです。


どういう作戦で行くといいのだろうか。

『大智度論』を使って
『中論』の解釈をしてみるとか?

そしたら、『中論』も龍樹作ではないことになったりして。。。

困るわね。

あ、冗談です。


もう、残っている龍樹作品って、
『中論』くらいしかないですものね。

これを、失えば、
龍樹は、それこそ、空で仮説、
名のみの存在になってしまう。

龍樹のことを考えると、
そうなっても、おもしろいかも、って気がしてくるのが、
困ったものだわ。

真剣になればなるほど、
どうでもいいか、って、感じがしてくるから、
龍樹だわぁ。。。

分かる人には分かるんだし、
分からない人には分からないんだし、
分かりたくない人には分かるんだし、
分かりたい人には分からないんだし、

そういう存在が、「龍樹」というダンマです。

ダンマは、だんまる、のね。
何か、春間さまに似てきたにゃ、まずっ!


       ◇◇◇


わたしの「あたりまえ」感を、見直して、
本当に何が言えるのかを、
じっくりと考えてみよう。

同じことを二度言わない龍樹。
違うことを一度に示せる龍樹。

ことばの魔術師、
有と無の中道の実践者、
語ることばは、慈悲と大悲のあらわれ。

山高帽からウサギを取り出すように
ことばの中から仏法を取り出す龍樹。

手の中にトランプを隠すように
ことばの中に自らを消してしまう龍樹。

こういう技を、どんどん繰り出せば、
龍樹だって、分かってもらえるかもね。


        ◇◇◇


え、

管理人、お前がペテン師扱いされるだけだ、って。

やっぱり。。
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まあ、とりあえず気分だけでも、パッとね。

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