« 枯れ葉よぉ~、っていうより、紅葉してます | トップページ | 久しぶりに『無畏註』などなど、雑記 »

2013/10/31

紅葉は日に映えて

あいかわらずの紅葉ですが、今が、盛りとばかりに
美しく輝いています。

今年は急に寒くなったので、どこも、本当にきれいです。
Dsc00290s_4
空も青いし、紅葉は赤い。

一枚でも、きれいだ。
Dsc00302s

たくさんなら、もっと美しい。
Dsc00326s

木を見上げても、美しく
Dsc00324s

地に積もっても、美しい。。
Dsc00309s

近くに見える赤い色も美しく
Dsc00304s

高くそびえる黄色も美しい
Dsc00321s

空と一緒も、ああ、美しい。。
Dsc00306s

え、なに、もう秋た。。じゃなくて、もう飽きた、って?

まあ、そう言わないで、今しかないから、楽しんで!
すぐに、冬が来て、真っ白になるから、ね。


         ◇◇◇


日本の民間信仰・神祇信仰の世界の中に
はまり込んで、
ひたすら、魅了されている今日この頃。


日本の土地では、
神仏は、さわざわとざわめきながら、
わたしたちにさかんに接触しようとしている、
そんな気がしてきます。

ウエットな、この気候とも相まって、
神々や仏たちは、
何か、わたしたちに湿ったまとわりつくような気配を
送り込んでくるようです。

神仏とわたしたちの関係は、
ちょっとあやしい不思議な友好感覚。


ところで、一方


インドの大地では、
神仏は、どこか乾いた無常感に吹かれて
人々との関係も、ドライで割り切った印象です。

神さまに熱烈なバクティ(信愛)をささげても、
どこかで、
人間の智慧と力が、神さまに対抗しているよう。

人間さまの方が、神さまを食っている
ようなところもあって、
神々と人間の関係は、ちょっと熱い不思議な緊張感覚。


土地柄でしょうか。

ヒンドゥー教と、日本の民俗宗教を比べると、
似てるところもたくさんあるのに、
空気が違うなあ、という感じがします。


似ているところは、仏教の思想的なものかもしれないですね。


気分で語っていますけど、あんまり、まとまってないから、
こんなことしか、言えません。

もう少し勉強しなくちゃね。


        ◇◇◇


ぼんやり、
龍樹のことを考えると、
日本に生まれていたら、
弘法大師のようになっていたかもしれないな、
って、
ちょっと思っています。


それにしても、わたしたちの先祖は、
ブッダの教えを
なんと真剣に受けとめたのだろうか、
と感心します。。すごいよね。

現代のわたしたちは、どうでしょうね。
昔と違って、仏法のことを知りたいと思えば
なんでも知りうる
恵まれた環境にいるのに
何か欠けているような気もするな。

気のせいかな。。

というところで、とりとめない今日の日記を終わります。


|

« 枯れ葉よぉ~、っていうより、紅葉してます | トップページ | 久しぶりに『無畏註』などなど、雑記 »

コメント

無視する投稿と
答える投稿との

選別基準を、お知らせください

これも無視されるのなら、
為す術を失う

投稿:  春間 則廣  | 2013/11/07 16:22

エビ天サンバさま

縄文文化は、なかなかわたしたちの前には露わにはならないですよね。

>しかも大乗仏教の国教化が日本の曙にはあったかも。

そう言えるかもしれませんね。わたしたちの祖先は、存外早いうちから中国の思想や仏教の思想の影響を受けて、それになじんできていたのかもしれない、という気がしてきます。
資料は乏しくても、日本の土地が、土地柄として、それを記憶してきているのかもしれません。
風土に生きる人々は、先祖とともにいることを忘れなければ、古代の思想的な影響は肌で感じ取れて来ないだろうか、と、そんなことを思っています。

投稿: 管理人エム | 2013/11/05 13:59

道場でイマジンブレーカーさんが真理表3について解説を始めましたけど、その内容を私はまだ完全には理解できていませんが、ちょっと驚きです。

あのイマジンブレーカーさんの指摘に対して、どう展開していくのか、道場での議論が興味深かったのですが、正面からの返答を避けたようで、ちょっと残念です。

真理表3が、イマジンブレーカーさんの解説どおりだとしたら、そもそも、なんでそんなものが作られることになったのだろうかと、そんなこと思いながら議論の成り行きを見ています。

投稿: magagiok | 2013/11/05 05:52

>ずいぶん前から日本人は、それなりに仏教的な感覚であるようにも、見受けられるのですが、

日本というか、日本列島では、中国の思想が縄文文化によって大きな変化を遂げたように見えます。しかも大乗仏教の国教化が日本の曙にはあったかも。

いずれにしても「思想」を生きるということ、ここに人間の営みがあるようです。

投稿: えび天サンバ | 2013/11/04 09:04

前世は一在家さま

>かく言う私も今晩から、バスで一泊二日で飛騨高山に大御神様にお参りします。

それは、いいですね!
どうぞ、楽しんでいらしてください。

紅葉が見ごろを向かえていますね、きっと。

投稿: 管理人エム | 2013/11/03 00:23

>神様にも大臣級(大天津神)から役場の職員級(氏神)まで様々のようです。

かく言う私も今晩からバスで、一泊二日で飛騨高山に大御神様にお参りします。

紅葉が美しい時期で、言霊的には至善(自然)とも申します。

投稿: 前世は一在家 | 2013/11/02 17:18

ミチ先生
>いっそう、あやしいといいますか、神秘的といいますか、そんな感じが出てくるように思います。

それは非常に宜しいことかと存じます。 ありのままに画像の感じも変化するのでしょう。

>神々の智慧や力がいかに優れているかを示すようにも思われます。

人類史上、世界各地で報身の仏様方を感受された聖者達は多分その存在を「神」と呼んだかと思います。
もちろん、森や山の精霊達を感受された修行者達もその存在を「神」と呼んだかと思います。

神様にも大臣級(大天津神)から役場の職員級(氏神)まで様々のようです。

投稿: 前世は一在家 | 2013/11/02 17:12

前世は一在家さま

>わざ→わざわざ→ざわざわ、言葉が縁起しておりますね、流石です。

少し苦し紛れな感じもあったのですが、よかった(笑)。

写真ができましたので、金剛峯寺にもお送りしてみようかと思います。手紙もつけました。
無事に届きますように。

写真になりますと、また、印象が少し変わりますね。
いっそう、あやしいといいますか、神秘的といいますか、そんな感じが出てくるように思います。

日本の神々が、仏教を取り入れないような顔をしながら、しっかりサポートして、その上で、仏教と融和していくようなふるまいを見せているのは、神々の智慧や力がいかに優れているかを示すようにも思われます。

ただ、何も言挙げしないところに、神の「全知」が光ります。

「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其の余何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とい云ふなり」

本居宣長の、このことば、じっと噛みしめて考えると、「これでいいんだな」という気がします。神は、このようなものであって、まさしくこのようなものとして、わたしたちの前に顕れます。

このように、優れているもの、ちょっと怖いもの、徳のあるもの、清らかなもの、でなければ、わたしたちが、神と認めたいカミではない、ということでもありましょうね。そういう意味では、日本の神は、わたしたちのことをよく知っておられますね。わたしたちの気持ちを裏切ることがない、という気がしてきますから。

投稿: 管理人エム | 2013/11/02 10:18

エビ天サンバさま

お、はや!
『高野聖』をさっそく読まれているんですね。

読書の秋に、いろいろお薦めくださってありがとうございます。
橋本初子『中世東寺と弘法大師信仰』は、わたしも読みたいと思っていました。

道教については、少し読んだことがあるのですが、どの本がよいかわからず、一般書など漁った程度ですので、ありがたいです。

先祖崇拝は、日本は、「男系と女系の双系」ということですね。
そうか。。伊弉諾尊、伊弉冉尊に代表されているのでしょうか。
そう言えば、道教の神々は、単独で出てきますね。
インドも必ず配偶神がいますね。

徐福の頃からとなりますと、ずいぶん古いということですよね。
日本の民俗学系統のものを読みますと、知らないうちに陰陽道などが入ってきたように、書かれてあって、ずいぶん前から日本人は、それなりに仏教的な感覚であるようにも、見受けられるのですが、エビ天サンバさまのお話ですと、わたしの中でもけっこうつじつまが合うような気がします。

民間レベルでは、朝鮮・中国からの思想の影響は大きかったと思われますね。
うーーん、ますますそんな気がしてきました。

また、いろいろお教えください。

投稿: 管理人エム | 2013/11/02 07:23

>先達たちの「わざ」が思われます。
それで、ざわざわしたのかも。

わざ→わざわざ→ざわざわ、言葉が縁起しておりますね、流石です。

投稿: 前世は一在家 | 2013/11/01 12:26

エム先生

『高野聖』届いたので読んでいます。読書の秋の到来です。(笑)

仏教と日本の民族宗教の関連について、僕が先生にお薦めするのは、中世に関しては、橋本初子『中世東寺と弘法大師信仰』、より一般的な所では福永光司『道教思想史研究』、諸橋轍次『老子の講義』、浅野三平『鬼神論(新井白石)・新鬼神論(平田篤胤)』などです。

先祖崇拝教の形は中国と日本では、単純化して言えば男系か男系と女系の双系かの違いと言ってよいかと思います。中国の儒教(道教)と、それを基にした日本の民族宗教、この辺がテーマになりますね。

僕は陰陽和合のような日本のあり方は、徐福が仏教を修めていたと伝えられてますので、仏教の平等性を基本に置いていると思います。仏教正伝の4~5世紀頃のことではなく、既に紀元前2~3世紀まで遡るでしょう。

投稿: えび天サンバ | 2013/11/01 12:26

前世は一在家さま

>以上は古神道的なものの見方ですので、仏教的な見方とは違和感があるでしょう、多分。

いえ、それほど違和感は感じませんです。

神仏が協力関係にある高野山の有り様をみますと、智慧を用いた先達たちの「わざ」が思われます。
それで、ざわざわしたのかも。

投稿: 管理人エム | 2013/11/01 03:53

ミチ先生、住人各位

>日本の土地では、 神仏は、さわざわとざわめきながら、
>わたしたちにさかんに接触しようとしている、そんな気がしてきます。

日本ではかって崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が争いました。
その背後では仏教守護霊団と神道霊団との大きな争いがあったと伺っております

21世紀になり地球環境は益々悪化し、日本も環境、政治、経済、家庭等々で様々な問題が山積して
神も仏も共同一致で衆生を守護されようとしているそうです。

でも神界、仏界は現界(娑婆)とは次元が異なるので直接は働きかけにくいという法があるようです。
そこで感度の良いアンテナを持った人々との縁を通じて働きかける、この方便は「ざわざわ」と感じるかも。。

先日の「中台八葉院らしきゴースト?」も偶然ではなく、必然(仏縁、神縁)ということでしょう。
ありのままに観じれば、秋風にそよぐ木の葉にも神仏の声が聴こえるかも。。

以上は古神道的なものの見方ですので、仏教的な見方とは違和感があるでしょう、多分。

投稿: 前世は一在家 | 2013/11/01 00:29

アレ!

>どさくさに紛れて、変な事口走るんじゃない !

どさくさ、って?
変な事、って?
なんだろな。


>インドの神 にも、 無 常は 根底に “住む”

はい!住む!

インドの神は、厳しいの。

インドラ、梵天、クリシュナ、ヴィシュヌ、
ガナパティ、カーリー、サラスヴァティー、
おせんにキャラメル、シヴァ、シャクティ。。

末は博士か神さまか。。栄枯盛衰世のならい、
昔は、英雄、今、守護神。男はつらいよ、帝釈天。

アグニにスーリヤ、アシュヴィン、ヴァルナ。。
みんな、ヴェーダの神なれど、人気はさっぱり閑古鳥。

インドの神さまにも無常の風は冷たいの。

投稿: 管理人エム | 2013/10/31 20:41

コレ !

どさくさに紛れて、変な事口走るんじゃない !


インドの話

> インドの大地では、神仏は、どこか乾いた無常感に吹かれて
          人々との関係も、ドライで割り切った印象です。 <

神仏が問題です

一緒に出来ないところを、 ミス超す  と、
一緒に出来てしまう

仏に、無常はつきもの
インドに、 無常はつきもの
インドの神 にも、 無 常は 根底に “住む”

同じ 無常 なら 、 問題なし 

??

如何に

投稿:  春間 則廣  | 2013/10/31 19:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 紅葉は日に映えて:

« 枯れ葉よぉ~、っていうより、紅葉してます | トップページ | 久しぶりに『無畏註』などなど、雑記 »