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2013年7月

2013/07/28

牛飼いダニヤのうた

昔から好きで、
ずっと読んでいくと

最後にきて、やっぱり、好きだなあ。。って、思う、そんな詩(うた)
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『スッタニパータ』第1章 蛇の章 第二 ダニヤ経

牛飼いダニヤと、
お釈迦さまの掛け合いのような詩が、
何とも言えません。

二人の 生きるということの 真実が
浮かびあがってくるような、そんな感じです。

★ダニヤ★
====
18 「ご飯を炊いて (パッコーダナ))、
乳はしぼってしまった (ドッダ・キーラ)。
わたしは、マヒー川のほとりに(妻子と)ともに住まいしている。
小屋の屋根は葺かれ、火は燃えている。
―― さあ、望むなら、雨を降らせよ、神よ」
と、牛飼いのダニヤが語った。
====

★ブッダ★
====
19 「もはや怒りなく (アッコーダナ)、
頑迷さを離れている (ヴィガタ・キーラ)。
マヒー川のほとりに一夜の宿をとる。
(わたしの)小屋は開かれ、(煩悩の)火は消えている。
――さあ、望むなら、雨を降らせよ、神よ」
と、尊師は語った。
====

牛飼いダニヤは、雨期には小屋を作って
牛たちと川のほとりで定住するようですね。
日々に満足する穏やかな暮らしがうかがえます。

ブッダは、そこに一夜の間借りをするのかもしれません。
ブッダは、ダニヤの詩に、

★きれいに、音をあわせて
うたいます。

パッコーダナ(ご飯が炊けた)     には
アッコーダナ(怒りがなくなった)    と。

ドゥッダ・キーラ(乳は搾った)     には
ヴィガタ・キーラ(頑迷さを離れた)  と。 

★そして、今度は、対比されます。

家族と共に住んでいるダニヤ (サマーナ・ヴァーソー)
一夜のやどりを借りるブッダ (エーカラッティ・ヴァーソー)

★小屋と火が喩えのようにして、対比されます。

葺かれた のは 小屋(クティ)、 
燃えているのは 火(ギニ)      と、ダニヤはうたいます


開かれた のは 小屋(クティ)、   
消えているのは、火(ギニ)      と、ブッダはうたいます。


ブッダは、何のことを言っているの?

こんなことだよ。『ダンマパダ』にあるね。
====
154.家の作り手よ! おまえは見られた。
おまえが、ふたたび家を作ることはないだろう。
おまえのすべての梁や桟は破壊され、
家の屋根は壊れ落ちた。
心は、意志(行)を離れ、渇愛は滅尽に至った。
====

小屋 (クティ) は、輪廻の身体かなぁ。
開け放たれて壊れたんだね。
火 (ギニ) は、渇愛(煩悩)の火だね。


ここで、ダニヤの心をしっかりとつかんだブッダは、次々と
ダニヤと、詩で、やり取りをします。

★ダニヤ★
====
20 「黒蠅も蚊もいない。
茅の生い茂った沼地で牛たちは歩き回っている。
やって来る雨にたえられるだろう。 
―― さあ、望むなら、雨を降らせよ、神よ」
と、牛飼いダニヤは語った。
====

★ブッダ★
====
21 「筏は、しっかりと編まれてよく作られた。
暴流を征して、彼岸に渡り (パーラガトー) 到達した。
もはや筏は必要がない。 
―― さあ、望むなら、雨を降らせよ、神よ」
と尊師は語った
====

世俗に生きる ダニヤの心境と
出世間に生きる ブッダの境地が あざやかです。


ここで、 「解脱」 「涅槃」 とは言われず、

 「暴流を超える」 「彼岸に渡る」 と説くブッダの語りは、、 

ダニヤには、とても分かりやすく、
ダニヤには、身に沁みるのです。

どうやって、牛たちを無事に川を渡すか
ということを説いた経典もありましたね。

ダニヤは、川を何度も渡ってきたのでしょう。
暴流に手をこまねいたこともあったかもしれません。

でも、今なら、準備万端、いつ雨がきてもよい、
そんな、ダニヤの気持ちと、

すでに彼岸に渡って、筏を捨てた
ブッダの気持ちは、重なります。


     ◇◇◇


こんなところに共感すると

「到彼岸」をめざす大乗仏教は、
やはり、在家の人々に
受け入れられていくのだなあと
分かります。

在家の人々の思いが、
小さな川がやがて大きな川に合流していくように
大乗仏教を生んでいく濫觴(らんしょう)にも、
なっているかもしれませんね。

もちろん、これだけではなくて、
修行者の中からも、川を渡ることに、
修行の本髄を感じた人々がいたかもしれません。

高地や低地を満たして降る雨期の雨は、
そのうち、小川となって、
やがて、滔々と流れるマヒ―川(大きな川)に
そそいでいくのでしょう。

ダニヤとの心の交流は
そのうち、小さな詩の形にまとめられ、
やがて、とうとうと語られる経典(スッタ)の中に
吸収されていくのですね。


そのうち、「心に沁みる原始仏典」に「ダニヤ経」を
あげておきたいです。

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日記、しみじみヴァージョンでした。
     
※ ここにも、ダニヤ経のリンクをあげておきますね。

http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/dhaniya.html


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2013/07/24

考えるネコ・考えないネコ

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お久しぶりです、ダンですだん。
孤高のぼくは、考えるネコ、 ロ・ダンです。。お、決まった

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忙しいのよ、サムっちは。

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ねらいを定めて、とびつくにゃん。

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にゃんか、チャップリンみたいになっちった。
まったく、考えてないにゃ。。ぼくちん。  

おつむが、ッサムッ!
とか、いわれそ。


     ◇◇◇


最近、ネコをじっと見つめていると、
ネコと人間の境目がなくなって、
サムは、人間なのか、ネコなのか、
わからなくなりました。

お腹が空くと、みゃーと
めちゃかわいい声で鳴く     ネコのあかし

役に立つような顔をしながら、
まるきり役に立たない       ネコのあかし

だっこされるの大好きで、
本の上にも平気で乗っちゃう   ネコのあかし

見つめ合う一人と一匹は、
通いあうようで、まるきり通わん ネコのあかし

要求だけはするけど、
忠誠心はにゃんにもない     ネコのあかし


ネコは、不思議な動物だにゃん。

迷惑ばかりかけているのに、
なぜかかわいがられる。。

ネコとは思えない、心のひだ。

嫉妬するし、
すねるし
甘えるし

かと思うと
素っ気ないし

夢中になったら、
ほかを忘れる

あつかいにくいなあ。
でも
すぐ忘れるのが やっぱりネコ


ネコにある煩悩は、
全部
人間にもありますね。

うーーむ、
そんなに複雑な心をもっているのに、

なんで、

おまえは、ネコなの??


にゃーーーーーーーん、

間違いだにゃーー

ご主人さまが、ネコほど、
心が発達してないだけにゃん

貪瞋痴の三つしかないからにゃん
単純なのにゃ、

ニャー、って甘えると
すぐえさくれるにゃん。
いつえさあげたか、
忘れてるにゃん
すりーって、よると、
すぐ喜んでだっこするにゃん。。

。。もうちょっと、なんとかならん?
ご主人さまってば。


ち、そうきたか、
そう来ると思ったよ。

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心はあじさいの花。。

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2013/07/15

シャガール展を見たのは先週だった。。

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もう一週間経ってしまいましたが、
先週、シャガール展を見にいきました。

母が、障害者なので、無料なのです。
付き添い一人も、無料です。

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北海道近代美術館の中です。

幕が下がっていて、シャガールの雰囲気が出ていますね。
近寄ると、子供たちの書いた絵でした。
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こんな感じ。

いいね!
シャガールそっくりじゃ!

子供たちは、げーじゅつかだなぁ。

それにしても、60代を超えて、
シャガールは、どんどん活躍の場を、
世界に広げていったのですね。

世界中の多くの建築物の壁や天井に、
シャガールは、絵を描いています。

パリ、オペラ座の天井は、
シャガール色
もらったパンフレットが、それです。
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圧倒されますね。

シャガールは、ユダヤ人です。
かれの絵のテーマも、旧約聖書からとったものも
多くあるのです。

色は、黄色に青に赤と、
きれいなシャガール色で描かれますが、

やはり

重い歴史を歩んできた

ユダヤ人の精神が、

絵の中に

ふか~く横たわっています。


紺青の空を飛ぶ抱き合う恋人たち。
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せいいっぱい、明るくしても、
どこか、やっぱり、重いなあ。。

聖書というのは、なんと、重たい思考だろうか。
と、
シャガールを見ながら、

いっそう、思ったことでした。


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2013/07/06

『般若心経』は、論理のマントラ

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並んでいます。かわいいね。

では、こんな並び方も、どうでしょね。
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並ぶものは、よい。

乱れているものも、よい けど、
それが
並ぶと もっと よい。 

つぶつぶ、あまつぶ。
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わたしの中には、 仏法は、論理としてある。

論理としてある、ということは、
並んでいる、ということである。


          ◇◇◇


経典は、並んでいる。
ことばが並んでいる。
行いが並んでいる。
そして、心も並んでいる。
善い心も
悪い心も

ブッダの頭の中には、すべての煩悩の配列がある。
煩悩は、ないけど、配列があるので、
ブッダは、煩悩のエキスパートなのである。

ブッダの中には、ブッダ論理がある。

それを見つけ出せると、
どんな経典も、きれいに並んでくれて
どんな経典も、お行儀よく、理解されていく。


        ◇◇◇


『般若心経』が何だったのか、
とうとう
自分でわかったと思う。

ブッダ論理の、
応用問題なのである。


ブッダ論理のエッセンスを示し、
きれいに「空」でまとめた
般若ボール
なのである。

丸いボールの中には、空(くう)がある。
どこにも障らない、
論理のボールである。

人の心をつかんで離さない。
キャッチボールのように、
人から人へ投げられる。

空は、誰も傷つけず
丸いボールは、人の心を
和らげる。

要らなくなれば
弾んで、どこかに行ってしまう。


      ◇◇◇


こんなにも長いことかかって
探し求めていたものに、
拍子抜けするほど
あっさりと、出会えたなんて。。

いろいろ尋ね歩いたけれど、
求めるものは、
実際、
こんなに近くにあったとは!


       ◇◇◇  


論理の究極は涅槃である。

拙著『ブッダ論理学五つの難問』の中で、
わたしは、このように書いた。

==========
解脱とは論理の極まったところにある。

論理を尽くして知ったことは、
心から「その通りだ、それしかない」と思えるし、
そのことがわかったらそれ以上求めることもなく
満足してこころが穏やかになるだろう。

何の心配もないし誰に何を言われても安らかである。
それは涅槃なのである。
================(p.91)

このように、論理によってもたらされる安らかな境地
ここを求めてさまよったけれど、

なんだ、

ここ!

『般若心経』!

ここが、

そうだったのね。


最後の呪文以外、

すべてのことばは
ブッダの論理学の 概説 である。

論理が尽きて、
語ることがなくなったとき、
そこに涅槃を見て

わたしたちは、
マントラを
唱えるのである。

マントラの中には
論理の極致
涅槃が、封じ込まれている。
    

       ◇◇◇


マントラの中に、
論理を入れてしまうなんて、
な~~んて、頭がいいんだろう。

けっして壊れることがないし、
けっして失われることがないし、
誰も、奪うことすらできない。


『般若心経』は、真理を表す

ありがた~い経典である。


その論理は、この世でたった一人解明していれば、
いいのである。
その真実によって、無類の効果があるのだから。


だから、

だから?


ええっとね、


だから、

ね。。。

「『般若心経』は間違いでない?」

って、エッセイは、

ま、読まなくても、いいか。。。も。。

あちゃー、花も、ずっこけて、落ちそうよ。
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