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2013年6月

2013/06/30

でたにゃ~~『サンガジャパン14』 by ダン吉にゃんこ

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ぼくが、しょってるのは、

ご主人様が寄稿した

『サンガジャパン 14』という雑誌です。


大好きな新聞紙の山の上で昼寝をしていると、
ご主人様が、
いいアングルを求めて、雑誌を片手にうろうろ。

「光っちゃうんだよね」とかいいながら
ぼくの背中を、無断で、使うんだから、まったくなあ。

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どうぉ、こんなアングル、
うふっ!

ぼくって、知的だから、
格調高い雑誌が、よく似合う にゃんこ。

仏教

神道

聞いたことないけど、
そんなの
たいしたことないもんね。


ぼく

にゃんこのあいだでは 誰でも知ってる

 はんにゃんしんぎょう って、

ありがた~~~いお経を、となえられるにゃんこ ね。

しき そく ぜ 食う にゃんこ
食う そく ぜ しき にゃんこ

諸々の皿は、空で、生ぜず、増さず、垢だらけ 

食う うち えさは なくなる にゃんこ
色も、声も、香も、味も、食も、ない にゃんこ

空の皿には
えさの 限界も なく
えさの 意識も なく
食の 尽きることも なく
飢えの 尽きることも ない

がつ がつ さんがっつ ぱーらぱらえさ あげって ほしいよー

すう゛ぁーやくーーーー    
にゃんこ、にゃんこ、にゃんこぉぉ~


ああ、はらへったにゃーーー
お経唱えたら、おなか 減るにゃんこ


何?
へんなおきょうだって?

しつれいだにゃ、

この、はんにゃんしんぎょうは

あんまり むずかしくて、誰も、わからなかった
お経なり にゃん

でも、ぼくが、空のお腹をヒントに

解明したお経にゃん。


そういえば、ご主人様も、

般若心経

っていう、人間のお経を、読んでたにゃん。。

ま、

ネコ族に伝わる はんにゃんしんぎょう には
負けるとおもうけどにゃん

ご主人様の書いたのは

「般若心経は間違いでない?」

って、題だって。

ま、読んであげたら、
きっと、泣いて喜ぶと 思うにゃん。

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背中使ったお礼と
宣伝してあげたお礼と
日記まで書いてあげたお礼に

えさの倍増 おねがいします にゃんにゃん にゃんこぉ~ん!


  
 

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2013/06/22

たとえていえば、たとえば、たとえ

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今日は、朝カルで 『スッタニパータ』の第一章を、講義してきました。

終わったあと、みなさんといっしょに、
「むずかしいぃぃなぁあ~」と、ため息が出ました。

読んでわかって、実践するのは、た~いへんです。

====
1 蛇の毒が広がるのを、薬草によって抑えるように、
わき上がる怒りを抑える比丘は、
こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
====

わき上がる怒りが、わっと広がる蛇の毒に喩えられます。
譬喩が譬喩にならないほど、リアルな感じですね。

きっと同じようなものに違いない。
蛇の毒と、怒りとは。

===
2 池に咲く蓮の花を潜って断ち切るように、
むさぼりを残りなく断ってしまった比丘は
、こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
====

むさぼりは、池に美しく咲く蓮の花。
いくらでも増えていき、いくらでもほしくなるむさぼり。
これを断つには、池の下の方まで潜っていって断ち切らないと
断ち切れないのだ。

むさぼりを断ち切るって、何で切るんだろう。
潜っていって切ったら、レンコンが採れるんじゃないだろか?

なーーんて、言ってるようじゃ、いかんいかん。

===
3 流れる奔流を涸らして断ち切るように、
渇愛を残りなく断ってしまった比丘は、
こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
====

渇愛なんて、ちょっとやそっとでなくならないのよ。
むさぼるような欲求だから。
どうするかっていうと、激しい渇愛の流れは、
干上がらせてしまうほかない。。すごいなあ。

涸らして干上がらせる、って、どうするんだろう?
わかる?
欲求を、ミイラ化するんでしょうか。。。しかし、それって何?


===
4 きわめて弱い葦の堤(橋)を、大暴流がなぎ払うように、
慢心を残りなく打ち払った比丘は、
こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
====

今日いっちばん、実感したのが、これ!

たしかに、葦の堤は、ひよひよとして弱そう。
それがたくさん生えていても、激流にはあらがえない。
その激しい流れに翻弄されてしまう。

だけど、相当の大暴流でも、水が引いたあとを見ると
ぺっちゃんこになって、葦のいくらかが
なぎ倒されて泥に埋まっていても、ちゃんと残っている!

そうなんですよ。
こんなにすごい大暴流でも、全部の葦を
根こそぎ運ぶのはむずかしい。

ちょっと残ってしまったり、流されてなかったり、
弱い葦は、意外にしぶといのだ。

だから、慢、高慢、といったものは、
最後の最後まで修行によっても、
流されてしまったりしにくい。。

あれ、まだあるよ、

ってな、具合に、残っちゃうんだよね、慢て。

困りますね。


       ◇◇◇


まあ、しかし、何ですね。
ブッダの教えで、用いられる喩えは
ほんとうに、巧みでうまい。

仏教は、喩えをうまく用いることによって、
人々の心の中に、入っていったのだ、といわれたりする。

でもね、この”喩え”って、

ほんとうに、喩えなのだろうか、という気もするね。

だって、

心の中にあるもの
心の外にあるもの

どちらも同じ名前で呼ばれたりするんだよ。

たとえば
「行(サンカーラ)」

心の中では、「意志」を意味する。
心の外では、「現象」を意味する。

意志と現象

全然ちがうように思うのに、
ブッダは、どうして、同じ「行(サンカーラ)」という
名称で呼んだのだろう。

そんなに、似てるものなのかしら。
おんなじものなのかしら。

不思議だね。
では、ちょっと調べて見るかな。

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現象世界では、このように、
牛が草を食べている。

それを見ている心は、
どこに向かう?
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わたしも、ご飯たべにいこ。。

あ、やっぱり、同じもんだ。
黒い牛が、黒いコーヒーに変わってる。。

ん、なわけないでしょ!

お花でごまかそ。
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2013/06/08

『般若心経』は間違いではないのではないかについて

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チューリップが、せいぞろいしています。
一人だけ、飛び出している子がいるね。

ここ、数週間、死ぬかと思いました。。

といいつつ、ぜんぜん死んでませんが、
死んだら楽だろな、

って、心底思う日々でした。

『サンガジャパン』の原稿で、

仏教のネタ不足が深刻な今日この頃、
とうとう、『般若心経』で何か書いてみようと思い立ち、

追われるように、考察を開始したら、

いやはや、
死ぬほどひどい目にあって、
死ぬ と 死なない の 中道を 歩む羽目に陥りました。


それでも、窮すれば通ず、かどうか、わかりませんが
とうとう
『般若心経』がわかったような気がします。

まだ、荒削りですが、
ほぼ基本は抑えた感じで、

般若心経は、間違いじゃないんでねぇの、

って、ことくらいは、言えそうな感じです。

くろーしたので、勝手に宣伝しています。

今度の『サンガジャパン14』に、載る予定ですので、
お暇な方は、ご覧ください。


       ◇◇◇


はぁ~~~!

写真でも、みよ、っと。
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いやされますぅ~~。

まだ、完全に立ち直れてませんね。。この調子では。

それにしても、『般若心経は間違い?』という
スマ長老さまのご本が出てから
ずいぶん経ちますね。

いつか、誰かが、反論を書くのでは、
っと、待ち望んでいましたが、

どなたも書かないので、
わたしが書いちゃいました。

このまま、誰も何も言わないと

『般若心経』は、間違いのレッテルを押されたまま
あの世に行ってしまうかもしれません。
(あの世、って、どの世だ?)


     ◇◇◇

でもでも。。。

多くの人は、何もわからなくても、

見て、勘が働くのではないでしょうか。


これは、本当のことが書いてある大事なお経じゃないだろか?

って!


なぜか、わからないけど、真理というものは、
なんとなく伝わっていくものだと思います。

なんとなく、真理です、って、経典に書いてあるような
そんな気がするでしょ?
しないかな?


わたしは、
上から眺めたり
下から見上げたり
寝転がって見たり
頭に乗せてみたり
後ろから読んでみたり
前から読んでみたり

いろ~んなことをしてみた結果、


『般若心経』は、どう見ても、ありがたいお経である!


という感じが抜けませんでした。

そういう感じがする以上、
そのまま、あるがままに読んで
検討してみようと、決心して始めたのです。

『般若心経』は、
ずっと何年間も、いくら読んでも、
ぜんぜんわからなかったのですが、

どういうわけか、今回、
ひょいっと、読み進められました。

長老さまの、手荒い、情け容赦のない解釈が、
これまた、きくーーーっ、って、感じに沁みますね。

ああ、わかります、わかります、という感じで、
批判の根源も、批判のかわし方も、なんとなく
するするわかる感じに読み解けました。

ちょうど、わたしにとっては

『般若心経』は

読み頃の時機を迎えていたようです。

ものには、食すべき時が、あるんですね。

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観光も、見ごろを迎えた、赤煉瓦の道庁です。


それはいいんですけど、
書き終わったら、
いつも、めっちゃ眠たい毎日です。
死ぬほど眠いっ!ああ、眠いっ!

でもって

ああ、けだるい昼下がり。。
こんなのと。。
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こんなのと。。130511_200643
いいよねぇ、ネコは、
はんにゃしんぎょう、にゃんて、にゃに、ってせかいだもんね

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2013/06/05

如来の十号について

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桜が散ってきたら、ライラックが咲き始めました。

このところ、原稿書きに追われ、
ほとんど寝てないので、いつでも眠たい管理人です。

そんなとき、

3月の半ばに在家仏教協会の講演会がありましたが、
そこでお話した 「如来の十号」 の講演録が
『在家仏教』7月号に掲載されました。

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ちょっと、変わっている考察の仕方かもしれません。

編集後記 には、こんな風に書いてあります。

「ブッダは十の名前で呼ばれます。
詳しくは筆録 「如来の十号」 をお読みいただくとして、
意外だったのは周囲がそう呼んだのではなく、
ご自身が名乗ったということ。
自らに課した責務としての称号だったのです。」


そうなんですよね。

お釈迦さまが、
自画自賛して
こんなに立派なんだぞ、って、
言ってるように受け取られないためか、

称号は、世間の評価 と 
思われてきた感があるかと思うのですが、

経典を探って見ると、みな、お釈迦さま自身が
自己責任でつけていた名前ばかりでした。


煩悩の目で見ると、ダメですね。

煩悩ないから、

素直に

最高の名前を、自らにつけられるのですね。

つまり、そのとおりだから、嘘をつけないのです。

そして、それは、自慢しているのではなく、

真に 最高の状態を示すため、

そのようにつけているのだ、と知るのです。


ああ、煩悩って、ときに、ほんとに邪魔ですね。
そして
ことばどおりに受け取るって、ほんとにむずかしいですよね。

わたしたちって、変に謙遜したり、変に自慢するから、
変なのよね。

ふつうに思ったとおりに書くといいのね。。わかったわ!

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スズランです。
白いです。


よかったら、如来の十号、読んでみてね。

煩悩なくね。。。   でも、

    でもね

お釈迦さまって、変よね。
十も立派な名前をつけて、
その名前のとおりに、生きるんだから。。

だめだ!
抜けない、煩悩、ぼん、ぼん。。


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