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2013/02/11

ひねもす、のたり、にゃんたり、にゃ

朝、岩見沢に行く列車の窓からぱちり。

特別列車の旭川動物園号ですって。
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カラフルですね。
通り過ぎる人も、どこか、おもしろいです。

走っているところをみたい方は、こちらにyoutubeがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=K2596KWzesw

各両それぞれ色が違います。
五両編成です。
乗って、動物園に行きたいなあ~~


        ◇◇◇


変則的に、仕事が入るので、ほんとに神経がはりつめます。

どれか忘れそうな気がしてしまう。

採点をして、原稿を書いて、講義に行く。。後なんだっけ?
シラバスも忘れず書くのだよ。


        ◇◇◇


バングラデシュにいる妹に、いろいろ物を送ろうと思って、
希望を聞くと。。

梅干し
ごま塩

ここらは定番ね。

後、折り紙と折り紙の本。。。ふーん、この辺もわかるかな。。

『ハディース』も送って。。イスラム教の国だもん

あ、白玉粉も

白玉粉??
お団子作るの?

まあ、これも、わからないわけでもないけど、最後に、

こしょう、送って。。

ん??
こしょうは、そっちが本場でしょ。

うーーん、世の中って、
わかんないことが多いですね。


      ◇◇◇


ダンボールを出して、荷物を詰めようとすると。。

あらっ!
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先客がぁ!
じゃまです、おじゃまっ!
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出てくのよ、さっさと

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やだい、やだい、でていくもんかっ

こりゃぁ~、エサをぬくからねっ!
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わぁ、でます、ぴゅーーーーー!


ある日の出来事でした。

それにしても、管理人のじんせいって、つまらないのぉ~
ぼくがいなけりゃ、楽しいことなんて、ないじゃん

ね!       by SAMにゃん

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コメント

ミチ先生、こん**は。

>ちゃんと勉強したことがないので、一度しっかりやってみたいです。

アートマン、阿頼耶識、仏性の関係は先生でも勉強中ということを理解しました。
よって私が他の方々とあーでもない、こーでもないと論じてもなかなか埒があかないのも、よく分かりました。

将来のいつの日か何か先生の見解がまとまりましたら、また御教示願います。 合掌

投稿: 前世は一在家 | 2013/02/15 20:28

わたしの煩悩は

ブルー の外で   

燃えています

投稿:   春間 則廣  | 2013/02/15 19:48

>ブルー を選んだのは 何故でしょうか 、、、、

先頭車両が、ブルーだったのです。

で、向かいのプラットホームに停まっていた岩見沢行きの列車の中から撮ったので、ブルーになっちゃったのです。

後ろの赤い車両も撮ってみましたが、いまいちでした。
なんだか、ブルーが、さむそ、で、いい感じです。
雪の中では、ブルーがきれいだと思うんですけど、
いかがですか?

投稿: 管理人エム | 2013/02/15 19:31

前世は一在家さま

むずかしい問題がいっぱい!ですね。

今、阿頼耶識とアートマンは、似てるかどうかを勉強中です。
どこで、どう同じと考えられるのかなあと思っています。
唯識学派が、ほんとうに、識の「一元論」を説いているのかどうかも、検討中なのです。

仏性も、わかりませんねぇ。
自分の予想する考えはあるのですが、ほんとにそうかどうかは、まるきり未解決です。
ちゃんと勉強したことがないので、一度しっかりやってみたいです。

投稿: 管理人エム | 2013/02/15 19:28

ミント  ではなく
グリーン でなく
オレンジ でもなく
赤    ではない
ブルー を選んだのは 何故でしょうか 、、、、

http://www.youtube.com/watch?v=K2596KWzesw

通り過ぎる風景に、
心は映し出されます 、、、、


過ぎたことかな ?

投稿:  春間 則廣  | 2013/02/15 10:28

ミチ先生、こん**は。

>おお、おお、現在もなお、阿弥陀仏は忙しいのですね。

釈尊の頃から現代までわずか2500年、阿弥陀から見れば瞬きでしょうから、当然かと存じます。

目下、輪廻とも深く関わります、阿頼耶識と仏性とアートマンの相違点を対話しております。
特に仏性は無常の有為なのか、それとも無為なのか、またまた無記なのか、根拠はどの出典なのか、ですね。

投稿: 前世は一在家 | 2013/02/13 19:32

春間様

>未来の寿量 → 未来への寿量 です
>心を退ける。 → 心より退く です

上の訳は私も少し変だと気付きましたが、下の訳はまったく分かりませんでした。
貴兄はどうして分かったのですか。 原典が読めるのですか。

投稿: 前世は一在家 | 2013/02/13 19:25

ひどい訳です

入中論12-40:仏の未来の寿量は世間の人が全て成仏しない限り存する。

未来への寿量 です

入中論12-42:有無に執して苦に沈む者のために、慈悲の心のある仏は涅槃に向かう心を退ける。

心より退く です

投稿:  春間 則廣  | 2013/02/13 16:35

春間さま 京都の思い出、ありがとうございます。

風情を感じる描写ですねぇ。
行ったことがないところも多いので、よくわかりませんが、でも、雰囲気が伝わりますね。

>今回は、朝早かったのですが、
>ちょうど京都は、春の息吹を感じさせるような>日に向かっていました

もう春なんですね。春の京都か。。いいですね。

>今回は、大徳寺の高桐院を訪ねるのも、一つの目的でした

大徳寺は、高校の修学旅行で行きました。大仙院からずっと拝観しましたので、高桐院にも行きましたね。でも、よく覚えていないのですが。

>その当時、東海銀行の頭取の加藤氏の庭で、
>毎年、春になると、野点にお呼ばれしていました

庭で、野点ができるんですね。ずいぶん広いお庭ですね。風流だなあ。


>その当時の、僧侶の息吹に触れるには、その地に行くのが一番かと思われます
>( これは、紀野さんから学んだことです )

>“空気” を 共有する ということは、
変え難きことでもあります
>時が  “ 空気 ” を 変えることは ありません 、、、、

京都には、時がない、のかも。
何でしょうね。その土地にしかない“空気”というのは、たしかにありますね。

歴史の匂いがする。。文化の香りも、お香と共にただよいますね。

京都に行った気分です。どうもありがとうございます。

今日、湯豆腐にしようかな。。晩ご飯。

投稿: 管理人エム | 2013/02/13 14:21

前世は一在家さま

『入中論』は、見事に、前世は一在家さまの疑問に答えてくれているのですねぇ。
すばらしい書だわ!

>やっぱり、衆生への慈悲を忘れなどするものか、「我汝を救わずば正覚はとらじ」とますます発動し続けるということのようですね。

おお、おお、現在もなお、阿弥陀仏は忙しいのですね。
人々がすべて成仏するまでかぁ~、すごい思想ですね。
仏法には、漏れがないですね。

いろいろとありがとうございます。久しぶりに感動します。

投稿: 管理人エム | 2013/02/13 14:03

> なんとなく、平安な心になりそうですよ

なんとなく、なんにもなく 、、、
なりそうで、 なりはしない 、、、、


平安 には 平安は 浮かばない
不安が 乗る だけ 、、、、

何でも乗せる、ダイジョウブ

投稿:  春間 則廣  | 2013/02/12 22:54

管理人 エム 様

> 哲学の道の方には行きませんでした?

今回も禅林寺(永観堂)へ足を運びました
銀閣から、疎水に沿って、法然院、永観堂、南禅寺へと連なっていきます
永観堂では
先秋は、大きな金木犀の木が匂い豊かに迎えてくれました

今回は、朝早かったのですが、
ちょうど京都は、春の息吹を感じさせるような日に向かっていました

禅林寺の香は、匂い豊かで、
一本焚くと、午前中は家中がその匂いに包まれています


お昼は、奥丹という店で、湯豆腐を戴き、
その足で、金戒光明寺から、平安神宮へと駒を進めたわけです

今回は、大徳寺の高桐院を訪ねるのも、一つの目的でした

余談となりますが、
剛山の掛け軸を、京セラの稲盛氏の姉である、佐藤様より頂戴していたのは、
今から30年すこし前のことです

細川ガラシャの墓もそこ(高桐院)にあります

その当時、東海銀行の頭取の加藤氏の庭で、
毎年、春になると、野点にお呼ばれしていました

加藤氏も
忙しい中でも必ず、顔を出し、御挨拶いただいていました

わたし家の旦那寺 が 禅林寺派なのです
京都から養子に来た住職の兄は、京都大学の医学部教授で、
禅林寺でも、寿琳寺の鬼頭 と言えば、名が通っています

観光に行ったわけではないのですが、
その当時の、僧侶の息吹に触れるには、その地に行くのが一番かと思われます
( これは、紀野さんから学んだことです )

“空気” を 共有する ということは、
変え難きことでもあります
時が  “ 空気 ” を 変えることは ありません 、、、、

投稿:  春間 則廣  | 2013/02/12 22:44

ミチ先生、こん**は。

>「一切智」も「衆生済度」のためにこそ、あるのだと思っています。
>「浄土入り」しても、けっきょく、衆生済度に向かうことになるかもしれませんね。還相廻向もあるので、みんな、同じかもしれません。

先のかきこをしたのが昨晩で、本日は仏縁にて次のような文章を見つけました。

慈悲の完成は仏において見られるが、そこでは衆生が救われない限り、完全な涅槃には入らないという無住処涅槃に展開する。(中略)
この慈悲が根本となって全ての人々を救おうとする決意が生じる。これが菩提心であって、
(註)
入中論12-40:仏の未来の寿量は世間の人が全て成仏しない限り存する。
入中論12-42:有無に執して苦に沈む者のために、慈悲の心のある仏は涅槃に向かう心を退ける。

以前、先生がご紹介の「入中論」ですが、衆生済度を誓願した法蔵菩薩でも涅槃に入ったら忘れてしまわれるのだろうか?というのが長年の問いの一つでした。
やっぱり、衆生への慈悲を忘れなどするものか、「我汝を救わずば正覚はとらじ」とますます発動し続けるということのようですね。 合掌

投稿: 前世は一在家 | 2013/02/12 22:27

春間さま

>京都で、 「 平安神宮 」 の前を通りました

いいですねぇ。
哲学の道の方には行きませんでした?


>「 平安 」 と聞くと、平安が心に浮かびます

ますます、いい。。。と、思ったけど

>平安な心では浮かべられない 、、、、

あら、ま。

わたしも、思い浮かべるだけでも、思い浮かべよう。
なんとなく、平安な心になりそうですよ

春間さまは、だめかな。 

投稿: 管理人エム | 2013/02/12 20:01

前世は一在家さま

>私は高校生の頃から勝手に「衆生済度」の夢を見ております。

すごいなぁ~~。。高校生の頃から!
なんて、すばらしいんでしょう。

「一切智」も「衆生済度」のためにこそ、あるのだと思っています。

「浄土入り」しても、けっきょく、衆生済度に向かうことになるかもしれませんね。還相廻向もあるので、みんな、同じかもしれません。

わたしは、どこから行こうかなあ。

投稿: 管理人エム | 2013/02/12 19:55

> ぼくがいなけりゃ、楽しいことなんて、ないじゃん

ぼくがいるから 楽しいことがあるのです


京都で、 「 平安神宮 」 の前を通りました

通るだけで、 心 は 平安へとイザナワレル 、、、、

「 平安 」 と聞くと、平安が心に浮かびます

平安な心では浮かべられない 、、、、 

投稿:  春間 則廣  | 2013/02/12 11:15

ミチ先生、住人各位、こん**は。

>それにしても、管理人のじんせいって、つまらないのぉ~
> ぼくがいなけりゃ、楽しいことなんて、ないじゃん

人生がつまらないのは目的が無いか、目的が叶わず思い通りにならないか、という場合が多いように思います。

そこで仏教徒の目的ですが、「一切智」なのか「衆生済度」なのか「浄土入り」なのか?ある方と対話をしております。
中論を読んで正しく理解できる人には「一切智」でしょうか。
でも「一切皆苦」と言われた衆生にとっては現世の目的は「浄土入り」が妥当かなと思っております。
私は高校生の頃から勝手に「衆生済度」の夢を見ております。

投稿: 前世は一在家 | 2013/02/11 21:25

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