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2012年12月

2012/12/27

『サンガジャパン Vol.12』 「無常」とは?

12

『サンガジャパン Vol.12』は、「無常」の特集です。


ほんと!
最近、いつも思いますが、

わたしって、ちょーーーー!ずれてるなあ。。。

よく、これで、毎回原稿依頼が来るものだと思う。


という、出だしで始まるので、内容的には、予想がつくかと存じます。

特集は 「無常」 というテーマです。


読んでみますと、
「無常」を、バックグランド・ミュージックのように使いながら、
それぞれ、みずからの活動や問題を自由に語る、内容になっているものが多いです。

無常そのものに肉薄しようという感じではありません。


======
= 無常 =
======


むずかしいテーマだと思いました。
とても、むずかしい。


わたしの書いたものが、
他の人々の書いたものがちがっているのは、
「無常」を、ブッダの文脈の中で語ろうとしたためだと思われます。


多くの人は、「無常」を、


「変化してやまない」


という意味にとっているようです。

「変化」を見てとることが
「無常」の意味である
と、理解して、
そこを、
みずからの「生きる」ということと結びつけようとしています。

ですから、みずからの活動や、みずからの問題について、
熱く語るのです。

「滅ぶ」というだけが、「無常」ではなくて
「育つ」というのも、「無常」のすがたである、というような感じです。

マイナス思考ではなく、「無常」をプラス思考にもっていこう、という感じ、かな。


        ◇◇◇


わたしは、そうはしませんでした。
「変化」を見ること、これを、「無常」とはしなかった。


★「生ずる性質のものは、滅する性質のものである」

というテーゼと組み合わせました。

★「衰滅するものは、行(サンカーラ)である」

という、悟りの境地を示すことばと結びつけました。


      「滅」


どんなに、心がいやがっても、「滅」ということを、納得しないと、
安らぎにはいけない、と、

お釈迦さまは、言うたねん。

生じたものは、必ず滅する、

それが、無常ということである。

無常なものは、苦である、

苦であるものは、いらない、

だから、無我(自己ならざるもの)である。


最後に消えるのは、行(サンカーラ)だよ、
最後の意志(行)を滅!して、悟りへゴー、ゴー!


        ◇◇◇


この教え、もっともだと思う。


わたしたちは、それだけ「消えていく」「なくなっていく」ということに
怯えるからです。
だから、情け容赦なく、教えてくれるんですね。


この教え、もっともだと思う。


こういうのは、お釈迦さまの意図ではないのです。
わたしたちが、それだけ「常住」を願うから、お釈迦さまは「無常」と
いわざるを得なかったのです。


この教え、しつこいけど、ほんともっともだと思う。


もっともなこの教えのことを、「方便」というんだよ。
だから、身に沁みて、わかったら、
この無常の教えは、また、消えてもいきます。


ブッダが、考えてくれた、この「無常」の教えは、

いかに、わたしたちが、「ある」や「生きる」にしがみついているか、ということから、
わざわざ、説いてくれた教えです。


        ◇◇◇

今回、この「無常」の特集を、あれこれ読んで、こんなことを思いました。


この、特集「無常」というテーマの『サンガジャパン Vol.12』

お釈迦さまの教えが、影のように、浮かび上がって来ている

そんな不思議な企画になっているのかも。。ね。

それにしても、何とかなりませんかね、わたし。。。

滅、っていうより、没、が心配かもかも

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2012/12/26

『ユダの福音書』を

ネコのブログでごまかしながら、
回復を待って、幾日。。

ようやく、なんとなく復活の予感です。

で、コメント欄で話題になっている

『原典 ユダの福音書』 をご紹介してみようかと。
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どぞ!

編著者 ロドルフ・カッセル マービン・マイヤー グレゴール・ウルスト
     バート・D・アーマン
 
出版 日経ナショナル ジオグラフィック社

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この写真は、最終ページということなので

この本の最終ページも合わせて、ご覧に入れます。
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「はじめに」より、若干抜粋。

===
 『ユダの福音書』最大の読みどころは、イエスが宇宙の神秘について
ユダに教える場面だろう。

グノーシス主義の福音書はどれもそうだが、
イエスはそもそも教師である。

知恵と知識を開かす人物であり、
世界の罪を背負って生命を落とす救済者ではない。

グノーシス主義によれば、人間が抱える根本的な問題は、
原罪ではなくむしろ無知である。
それを解決するには、信仰よりもむしろ知識が重要だ。

イエスは無知を根絶し、自己と神の意識に通じる知識を、
ユダと『ユダの福音書』の読者に与えた。
==(p.10)


仏教に親しんでいる人なら、この解説に、違和感はないだろう。
また、これを読んで『ユダの福音書』を読むと、
いっそう、違和感はないかもしれない。

わたしが気に入ったのは、

イエスが教師だ

という点である。

知恵と知識を明かす人物とされ、
人類の罪をひとり背負う 贖うもの ではない、というところである。

もう少し、引用しよう。「はじめに」より抜粋。

===
イエスがユダに語ったところによると、まずはじめに、
すべてを超越した無限の神性が存在していたという。
それから複雑な創造と流出の過程を経て、
天は光と栄光に満たされた。

……

そして地上の世界は、ネブロ(「反逆者」の意)または
ヤルダバオートという下位の創造神が支配している。

その創造神は狭量で悪意に満ちており、
わたしたちの世界が問題だらけなのはそのせいだ。

それゆえ知恵の言葉に耳を傾け、内なる神聖な光に気づかなければならない。
===(pp.11-12)


最後に、ここも抜粋しよう。

===
この福音書には、すべての人は自分の星をもっていて、
星が運命を導くというプラトン思想と通じる部分もある。

ユダにも彼の星があるとイエスは語る。
そしてこの福音書の終わりのほう、
ユダが光り輝く雲のなかで変容し、覚醒する直前に、イエスはユダに、
空を見上げ、たくさんの星と光の輝きを見よと告げる。

空にはアマタの星があるが、ユダの星は特別なのだ。
「皆を導くあの星が、お前の星だ」
===(p.13)


この最後の部分は、なぜか、「よだかの星」を思い出して仕方がない。

宮沢賢治の「よだかの星」を、諸法実相で、
読み解いた小論を、
『文芸教育』(99号)という雑誌に載せてもらったのだけれど、

この『ユダの福音書』を読むと、

よだかは、仏教でなければ、
『ユダの福音書』に出てくるユダでもいいような気がしてきます。


あらゆる人から嫌われ敵視されるような そんな運命をもつユダ

しかし

彼がいなければ、何も始まらなかった。
イエスでさえも、存在できなかった。

キリスト教の正邪は、ユダの行為の上にあるんですね。。

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2012/12/24

諸法実相猫実相

みなさま、こんにちへーーーっくしょい!
しつこい風邪だわ!

猫ブログの管理人、カレーなエムです。
少し熱で、脳もやられてしまいました。

話が、おかしいですか?

猫ブログ。。。おかしくないよね。
カレーなエム。。。おかしくないよね。

おかしいよ

カレーなのは、「一日」 だからさ。

どこに何がかかるのか、よく考えないと!管理人!


はいはい。ではでは、


ことばが崩れているように
この世も崩れていくさまをお見せしましょう。

題して、   

諸法実相猫実相
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猫が、一匹。名前は、ダン。

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猫が、一匹。名前は、サム。

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猫が、にーひき、だん&さむ 
にひきは、まだまだ、にひきです。

プラスチックの紐は、だいすきあいてむ、にゃんころりん!
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ひも、ひも。。巳年をうらなう へびのひも。

だんとさむは、むちゅうです。
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む、むちゅう。。わたしもだけど。。
ああ、にひきとひもとわたしは、
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ほうべんのせかいをこえて
しょほうじっそう、ねこじっそう

しろくろまだらのそうは、むそうのそう。。


だんもなければ
さむもない
ひももなければ
ひもをあやつるものもない
ひもにおどるものもない


しんえんですね。。。


あ、なに?

おまえのせいで、ねつでてきたって?

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2012/12/13

ユダヤ教とキリスト教 雑感

なんだか、知らないうちに、どっさり雪が降りました。
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ああ、つらい雪かきのシーズンですねぇ。
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車が、こんな恰好のまま止まっています。
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お、なんかおもしろいですね。
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あんまり急につもったので、自転車も、そのまま放置されてます。
もう、乗れないなあ。春までそのまま??

   ◇◇◇

===================
F.クリュゼマン、U.タイスマン編 大住雄一訳
『キリスト教とユダヤ教 キリスト教信仰のユダヤ的ルーツ』教文館
===================
この本を
図書館から借りて、読んでいますが、おもしろいですね。

ドイツで出た本です。

文字どおりの訳では
本書のタイトルは、訳すと

『我はイスラエルの神を信ず ― キリスト教信仰告白から
落ちている主題についての問いと答え』

という長いものです。

わたしたちには、あまりピンとこないのですが、

このタイトル、ドイツの人々にとっては、
挑戦的なひびきをもつのだそうです。

よく考えると、そうかも。。。


ドイツ人にとっては、ユダヤ人の問題は、

「抜き難い罪責のトゲである」とありますが、

しかし、いくらトゲであっても、

キリスト教の神の信仰告白に、

「イスラエルの神を信ず」とは、

言いにくいでしょう。


ユダヤ教の神も
キリスト教の神も
イスラム教の神も

みな同じ唯一の神である

とは、説明されます。


でも、そうだからと言って、
「イスラエルの神を信じています」
とは、

キリスト教徒の人たちは言わないですね。

あえて、このような表現をとって、タイトルにすることは、
たいへんな議論を引き起こすことになるでしょう。

しかし、

キリスト教とは何なのか

ということを、真剣に考える上では、
非常におもしろい問題提起であると言えます。


賛成や反対は、ひとまず置いておいて、

キリスト教とユダヤ教、
いったいどこまで歩み寄れるのか

キリスト教とユダヤ教、
信仰の色めがねをはずすなら、
それぞれどのように聖書を読みうるのか

いろいろな解釈が、率直に説かれていて
おもしろいです。
たとえば、イエス・キリストについては

イエスは待望のメシアであったか
イエスはファリサイ人たちの対立者であったか
イエスは十字架上で私たちのために死んだのか
イエスは神の子か
ユダヤ人たちはイエスの死について責任があるか

こんな刺激的なタイトルで、それぞれ、いろいろな人が論文を書いています。

読みますと、
従来の説が、ずいぶんと偏見に彩られていたようにも見えます。

このように、新しい読みや解釈が出てくるのは良いことです。

ユダヤ教とキリスト教が、宗教的な対立を乗り越えていこうと
しているように見えます。

   ◇◇◇

ずっと読みますと、いささかユダヤ教に好意的かな、とも思いますが、
でも、
たしかに、キリスト教的な従来の解釈には無理もあることがわかります。


細かなところは、省きますが


わたしの思ったことを一つ。


このような一神教は、ヘブライ語聖書というような、
文字で書かれたものを基準にして成り立っています。

口伝
というより
文字でしょう。

そのような場合、
いかに読んで解釈するか
ということにゆだねられるということです。

その意味では、絶えず、聖書は読んで考え読んで考えして、
自分たちの生きている 「今」 とすりあわせていかねばならない
ということでしょう。

すなわち、

時代が過ぎていくとき
人は行動を起こし、宗教的に解釈を与えます。

時代が過ぎていくとき、
宗教的な解釈は、人々の行動を規定もします。

時代が過ぎていくとき、
過去の解釈は、新しい解釈を呼び入れます。

時代が過ぎていくとき、
人々の行動は、新しい宗教的な動きとなっていきます。

こうして、常に、宗教は、絶えず入れ替わり動いて
時代をつくっていきます。


聖書というのは、それぞれの時代の中で、
人々がどれだけ深くどれだけ広く読みうるか、
という、
そんな人間の挑戦であるようにも思われるのです。


愚かな人間たちが、いや、どんなに愚かであっても、
智慧と知識と能力のありったけを尽くして、
「神」に応えようとする挑戦の記録。

それが、聖書の歴史なのかな、と思います。


聖書を読んでいると、

煩悩(罪)をもつ偉大さ

というものが胸にせまります。


一神教も、仏教も、いずれも、人間の限界に挑戦していますね。


なかなか!

人間って、けっこうすごい生き物かもしれないなあ。。


ねっ!サム
ねっ!ダン      
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にゃにかにゃ。。うるさいなぁ。。


 


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2012/12/10

猫には猫の哲学があるのにゃ。

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仕事のじゃまするにゃん!
管理人の膝にのって、テーブルに足をつっぱるの図だい。

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にゃんか文句、あっか。

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手にからまっちゃうも~ん、
ん!
にゃんか、いいもん、みっけ♪
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携帯のストラップ にゃん
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放すもんかっ!
仕事なんて、させるもんかっ!
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ああ、もう!

猫的人生は、退屈しないのう。


管理人、けっこう焦ってるのにゃ。
原稿、って、なんだ?
初稿、って、なんだ?

ぼくには、トンと、わっかりませ~ん、にゃ。

============
サムの 哲学 ニャンコ哲学 
============
ぼく、サム

飼い主の管理人は、最近少し頭が足りないと、
猫眼にも思うにゃん。

だから、代わりに、ぼくが猫哲学を披露するにゃ。


生きるということは、反応することにゃ。

お歳暮しばってる、プラスチックの紐とか
リュックからたれてる紐とか
携帯のストラップとか
ショルダーバッグのかたひもとか

そういうもんには、すぐ反応するのが、生きるということにゃ。
だって、反応しないと
すぐ、どっかにいってしまうからにゃ~。


人間も同じにゃ。
生きることは、反応することにゃん


何からしようか、
どれを先にしようか、
ああ、これ後でもいいか、

にゃ~んて、ことばかり、悩んでるから、
時間がなくなるにゃ

そして、そんなこと言ってぐずぐずするから、
人生すぐ終わっちゃうのにゃ。

どお。
すごいでしょ。
ニャンコ哲学!

こんな風に、すぐ反応して、すぐ終わっちゃう。
書いてるとおりでしょ。

反応早いと、すぐ終わって無駄がないのにゃ。。
3秒で、哲学できるのにゃん、よ。。

あとは、エサ食べて、寝るだけぇ~。。


あれ、管理人、なにやってんの。
ぼくのブログ、あっぷしといてにゃん、すぐやるにゃんよ!


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2012/12/02

この世の気分はモノトーン

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なんだか、めいっぱいつらい毎日です。
地下鉄降りると、吹雪で、雪が吹きつけます。

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道は長く、疲れた足にはつらいのです。

ああ、そうだ、この時はまだ、帽子も買ってなかったし。。
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ええっと、わたしも、この木と似たような雪ダルマ。


ようやく帰ってみれば、
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あら、ここにも白黒二色カラーの物体が。

どう見ても一体化してますね。
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ダン吉、サム丼は、鼻水がひどくて、
だいぶつらそうです。

なのに食欲だけは旺盛です。
きついわ、お布団。

さて、
飼い主も、よれよれですねん。
とうとう、スケジュールがわたしを追い越してしまいました。
いつか来ると思ってたけど、とうとう。。

スケジュールが、パンクしてしまって、
世界が消滅。。。。

してくれればいいのに、

しないんだよね、

これが!

で、原稿を書いて、補講をして、ふつうの授業もして、
テストもするんだわ、

けっきょく、
パンクしているのは世界ではなくて
わたしってことなのです、トホホ。

そんなこんなで

消滅しない世界の中で、

サンガジャパンの原稿を、ようやく仕上げて、

「この世は消滅していくものである」というテーゼに

少しの疑いと少しの安らぎを見出している管理人です。

はあ、消滅してほしい、このまま、仕事がぁ。

===ダンとサムとの会話===

ぐちが多いな、管理人は。最近とくにね。
こうなったら、忘年会とかすれば。 にゃん!にゃん!

え?忘年会?
何それ?

年を忘れるんだよ。
そうすれば、この世も消滅するかもしれないだろ。

忘年会のときだけ、消滅しても、
ゾンビのように、
この世は復活するから、こわいのよ。

いいじゃん、復活しても。
ぼくらに関係ないもん。
しようよ、忘年会。ぼーねーんかーいぃぃ。。
ねこじゃらしでさっ!

ああ~ぁ、けっきょく、サム丼、
あんた、猫じゃらしで遊べって、ことね。
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とりゃぁ~、とりゃりゃ~~

夢中ですね。。で、一方のお方は?
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はは、冷めてる。


それにしても、1年って、あっという間ですね。
浦島太郎の気持ちが、ほんとよくわかるわ。

竜宮城にも行ったこともないのに。。

(ああ、やっぱり、最後はぐちになるなぁ      by サム&ダン)

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