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2012年10月

2012/10/24

とつぜんやってくるのが秋

急に寒くなってきましたね。
とつぜん来るもの

それは、秋。
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ああ、びっくりしますよね。
朝起きたら、秋になってる、って。

これは、鮮やか!
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きれいになってきたので、遠回りして帰りました。
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スケジュールがすき間なく埋まってる、ってのは、
無駄がないかもしれないけど、
ほんと
呼吸困難になりますね。。

そんな中、

ようやく一年ぶりで、
亡くなった父の本を処分して、
少し家の中を整理しました。

古いヘブライ語の本があったけど、
見ても、ぜんぜんなんだかわからん。。主を失うと、かわいそう。

宝をつかうには、能力がいります。。
なかなか厳しい現実です。

最近は、サンスクリットを読むのですら、
ままならず、日本語の本もツンドク状態ですわ。とほほ。

電車の中で読もうと思うけど、
気づくと本を開いて
たいてい寝てます。

睡眠不足でも、
睡眠に飢えるということはあんまりないけど

読書不足だと、
どうも読書に飢えるということが起こりますね。

睡眠と読書の、二つが不足している場合、
読書しようと思うと、
睡眠しちゃうのだ。。。意志に反して。。


ううう、何か、ひらめきそう。。

知識と睡眠の、二つが不足している場合、
知識を求めると、
睡眠も求めることになるのだ。。。無意識に。。


瞑想と睡眠の、二つが不足している場合、
瞑想を願うと、
睡眠しなければならないのだ。。。目覚めるために。。

どうかな。。

って、

これで、

ひらめいたんですか?

どっちにころんでも、
睡眠だけが、なされていることがわかりますね。。

ううーーん、

こういうことを言おうとしたんじゃないと
自分でも思うけど、
けっきょく、

寝る子は育つ

のか。

って、もう、育たないと思うぞ。
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秋の菊は、どこかさびしいね。

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2012/10/17

説かれた法も説かれない法も、ん、説かれたの?ちゃうの?

寒くなってきましたけど、一週間前の写真でがまんしてね。
まだ、暖かそうに見えますね。
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大通公園。
この頃は、噴水も、まだまだ涼しげです。
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久しぶりにサムっちで、ごんす。
なんとなんと4.95kgの育ち盛り。
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こちら、ダンちっち。
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どことなく悲しげに見える?
なんのなんの、こちらも4.95kg。。

とうとう、並びました、体重が!

毎日四回、えさの時間になる前から、ニャーニャー、にゃーにゃー。

あまりの必死ぶりに、思わず、えさあげるの忘れたっけ、と、
間違えてやってしまうほど。。

5回か6回くらい食べてるかもね。

こうやって、飼い主をだましながら、えさをくすねて
とうとう、5kgも目前です。

ほんとに、ぼけてる飼い主だと、
だましやすくて暮らしが楽だわ、

って思ってるかもね。くやし。

==

拙著『ブッダと龍樹の論理学』(サンガ)
Books

おかげさまで、文庫化されることになることになりました。
ありがたいです。

今から思えば、すでに過去。。。。あたりまえだわ。。とほ

しかし、よくまあ、書いたなあと思います。


やっぱり、十難無記の法の扱いが、
今読んでも、へぇ~って感じです。

われながら。。。っていいうか、忘れちゃってるんだわ。。とほ

たぶん、十難無記に力が入ったのは、自分が、外道的スタンスだったからかもね。

十難無記の法を、ブッダの「説かない法」として、
なんとか解明できたのは、自分としてもうれしいところです。

つまり

十難無記を否定するだけでも、けっこう悟れちゃいそう、っというところが、

ブッダのすごさでもあります。

「説かない法」なのに、それを解明すると、ブッダの悟りにいけるなんて!
「説いた法」と同じ効果をもつ「説かない法」。。

ブッダの法には二種類ある

ブッダによって説かれた法
ブッダによって説かれない法

これら以外に、法というのはありえない。
ブッダは、一切の法にふれているんですね。


こんな人、いないよね。
こんな風に法を説いた人。。。

いや、
こんな風に法を説かなかった人。。

いや、
こんな風に説かない法を説いた人。。

いや
こんな風に説かない法を説かなかった人。。。

いったい、どう言えば正しいのだぁ?
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わかんないよね、そんなこと、ダン吉。。。
。。。。。。うん、そうだよね、サムにゃん121014_083232


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2012/10/07

『手放す生き方』は、手放せないかも、おい!

あいかわらず、確実に忙しい管理人です。こんにちは!
昨日は、何にも悪いことをしていないのに(泣)、
補講でした。

月曜日が、祝日で休講だからです。

土曜に補講をするくらいなら、
祝日でも、正規の月曜に授業をしてほすい。。

月曜から土曜まで、スケジュールがいっぱいなのだ。
ちょっとでも狂うと、転落しちゃうのだ。。。

でも、何とかやりくり。。学生さんも、休んでる子が多いなあ。
仕方ないよね。

っと、小さいぐちをこぼしたところで

でも、でも、いいもの見つけましたょ。

小さい秋を見つけました、大学で。
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どれだけ小さいかというと
これだけ。
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左側に、ちょっと赤く見えるのが、小さい秋です。


さて、ようやく、書こうと書こうと思っていたこのご本をご紹介。

やっぱり、良いぃ~

アーチャン・チャー著 ジャック・コーンフィールド/ポール・ブレイダー[編]
星飛雄馬/花輪陽子/花輪俊行[訳]
『手放す生き方』 (サンガ文庫)

Image

単行本で、すでに出版されているので、ご存じの人も多いかもしれません。

わたしは、今回はじめて読みました。

アーチャン・チャー長老さまについては、
テーラワーダ仏教の月刊誌『パティパダー』の中に、
連載されていたので、すでに存じ上げていました。

長老さまの書く瞑想の記事は、たいへんにすばらしく、
いつも、心密かに、楽しみにしていました。

今回も、しみじみと読んでみて、
やっぱり、心が静かになっていくと同時に、

自分の瞑想(?)についても、
ずいぶん安心できるところがありました。

実は

自分は瞑想しているのかどうか、よくわかっていなかったのですが、
長老さまの瞑想を読んでいると、すごくよくわかるのです。

何がよくわかるのか
と聞かれてもわからないのですが、
でも、長老さまの書いていることが、
すごく腑に落ちるのが不思議な感覚です。

自分も、よく知らずに
瞑想のようなものをしてきたのかなあ、と思っています。


         ◇◇◇

ご本の内容は。。

仏法が、瞑想の形をしている、と言ってもいいかもしれません。

読むと、

仏法が、非常にシンプルになっているように思われるのですが、
実際に、我が身をふりかえると、それは錯覚だとわかります。

シンプルに語れるほど、よくよくわかっているのだと、知るのです。

個人的には、非常に微妙なところが知りたいのです。

ですから、後ろの方に行けば行くほど、
一字一句が、もう、沁みてきます。

不思議なことに、なぜか『大智度論』が、浮かんできます。

長老さまの悟りの場面を、あげてみるよ、すごいです。


====
そうして時が過ぎていきましたが、強い信(サッダー)と、
育ちゆく智慧とともに、わたしは瞑想を続けました。
やがて、だんだんとわたしは瞑想の自然なプロセスを
観察するようになりました。
…略…
 そんなある日のことでした。一日の修行の最後の時間帯に、
私はしばしば夜の十一時頃、歩行瞑想をおこなっていました。
思考はほとんど生じませんでした。そのとき、私は森林僧院に
滞在していたのですが、
遠くの村からお祭りの音がかすかに聞こえてきました。
歩行瞑想を終えると、私は疲れたので、自分の小屋(クティ)に戻りました。
小屋に戻り、床に座ろうとしたとき、
「すばやく足を組んで座る姿勢になれないな」という気がしました。
私の心は、自然と深い瞑想状態に入ることを求めているようでした。
それは、ただひとりでに起こりました。
私は「なぜ、このようなことが起こっているのだろう?」と自問自答しました。
床に座ったとき、私は心の底から静謐になっていました。(pp.276-7)
=====

次は、一番、『大智度論』と同じ匂いがするところです。

====
枕が頭に触れたとき、心の内面に向かうような変化がありました。
私はそれがどこで生じたのか分かりませんでしたが、
電気製品のスイッチを入れるような変化が私の内面に生じ、
大音響とともに私の身体は木っ端みじんに砕け散りました。
気づきは、限界にまで純化されていました。その地点をすぎると、
心の探究はさらに深まっていきました。
心の内部には、まったく何も存在しませんでした。
触れられるようなものが、何もないのです。
しばらく内部でとどまった後、気づきはやがて止まり、私は引き戻されました。(p.278)
====

ふーーーん、読めた!。。ような気がしてきます。。何か、読めそうな匂いがするのです。

おそらく、
アーチャン・チャー長老さまは、思想的には、空をよく了解したのではないかと思います。

本の中には、さまざまなところで「空」が語られています。

無常・苦・無我が強調されるのでは、と思うのですが、
ですが、長老さまの説くところは、空を指しているように見えます。
だから、『大智度論』が彷彿とされるのかもしれません。

おもしろいです。

経験したことのないことが、書かれているはずなのに、
なぜか、どこかでわかるような気がする、そんなことが書かれています。

何度も何度もくりかえして読む瞑想の本になりそうです。

現代のことばで書かれた経書、

というのが、わたし自身の位置づけです。

良い本が、たくさん出版されて、
わたしたちは、幸せですね。

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やれやれ、やっと書けて、ほっとしました、ほっ。


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