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2012年7月

2012/07/29

難病を生きるは、輪廻の力

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おいしそうでしょ。
先日、小樽に行ってきました。

====
わたしの母は、難病です。
CIDPという病気です。

なんだかわからん?

病名があんまり長くて覚えられないので、
頭文字で示されるのです。

神経組織が破壊されて、手足が麻痺する病気です。
運動障害や感覚障害を起こすのです。

三年前に発病し、
二年間入院生活を余儀なくされ、
昨年暮れ、症状が安定したので、
退院して、半年以上経ちました。


自宅で介護しながら、療養中です。


半年で、母は、変わってきましたね。
病気の人から
ただの障害者になりました。

寝たきりだった状態から
起きて坐っていられるようになりました。

半分ボーッとしていたのが、
なんとなく人間らしく
ふつうの人になってきました。

====

で、小樽まで、遠出してみましたよ。

車いすで行けそうな美術館に行って

お寿司を食べて

天狗山にものぼりました。
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いい眺めだな!
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さて、

「人間は考える葦である」

と言ったのは、パスカルですが、

「人間は考える足である」

と言ったのは? 誰でしょう?


それは、わたしです。

やはり、足だ、足が大事なのです。

歩かないと、足は非常に動きにくくなり、
しびれもひどくなって、身体全体が衰え、
どんどん寝たきりになります。

それだけでなく、頭もぼけたようになるのです。

でも

少しでも動かしたり、歩くような訓練をすると、
足だけではなく、身体全体がしっかりしてきて、
次に、頭がはたらきだします。

表情が出てきて、ボケがなくなって、
意欲的になって、

「考える足」としての人間になるのです。


このちがいは、とても大きいのです。
生きている人と死んでる人くらいちがうのです。

だから、山だろうが、谷だろうが、
行けるところは、どんどん行った方がいい、
ということなのです。

行(サンカーラ)が滅すると、悟りと言われますが、
しかし
たんに行が滅するだけですと、寝たきりとなるのです。


いかに、生きんとする意志を、保たせるか、


悟るのもたいへんだけど

輪廻の道をしっかり行くのも

思いのほか、たいへんっすよね。


ほんとですねぇ、
お互い、こんなうちでもがまんしなくちゃにゃ サムにいさん
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うん、共にたえようぞ、生きるため、ダン吉おとうとよ。

サム兄さんと、ダン吉弟よ
ってのは、いいんだけど、どっちがどっち?

同じ大きさになってきちゃって。。。たらっ(汗)
ダン吉、食べ過ぎだっつーの。

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2012/07/23

アドヴァイタ(不二一元)な夏?

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暑い夏の昼下がり。

最後の授業だっ!うれしいな。
Sbsh0167
空は青空、風はさわやか。

長かったですが、ようやく前期が、ほぼ終了。
後は試験を残すのみ。

しかし、何度綱から落ちそうになったことやら。
無事に、この日を迎えられるとは、
ほんと、夢にも思いませんでした。

神さま、仏さま、学生さま、ありがとうございます。


っと、お礼を言ったので、
すっきり、研究に向かわせてもらいたいわ。


まだ、他にも、仕事がぞろぞろついて来るけど、
無視して、少し勉強することにしました。


龍樹作品を紐解きながら、原始仏典でもしみじみと。。

っと

っと

っと

思っていましたら、
にゃんと、アドヴァイタという思想が、眼前に!

まった、う、おっとっとっと、でございます。

この際だ、アドヴァイタ思想という、
大乗仏教の影響を強く受けたインド正統派の思想を探るべく、

『ガウダパーダのカーリカー』を読むことにしました。
研究書も、みっけ。
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よし、これをやるぞ!

って、書いておかなきゃ、挫折しそうな気もするわ。

龍樹はどうした?

とか、言われそうだけど、龍樹にも絡むから、無駄にはならない。


龍樹の後、多くの正統派バラモン教は、
仏教のさまざまな思想を取り入れて、自説を整備していきます。

ヴェーダーンタのアドヴァイタ派にも、それが見られるのです。

他にも、六派哲学の一つ
ニヤーヤ学派も、龍樹から、ごっそりと成果を受け取って、
それで、ニヤーヤの体系を、立派に築き上げたのです。

そこには、「仏教何するものぞ」と意地と誇りが、
舞っているのです。


ん?それ、舞うのは、誇り じゃなくて 埃 じゃない?
あ、そうでした。

でも、ほんとに、仏教思想の影響はしっかり受けても、
かれらの思想は、反仏教で統一されているところが、
何ともプライド高いところなのです。

それを示そうぞ!
インド正統派、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの心髄に
せまってみたい、この夏休み。。。

って、管理人は、アドヴァイタが、実は、ちょっと苦手なの。。

だから、べんきょするのだ。

   え?
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にゃんなの?いやにきりっとしちゃってさ。。さむどん。

ぼくは、管理人のじゃましません!
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えささえいただけるなら、ほら、このとおり。
おじゃまにゃんて、しにゃいもん、もん!

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2012/07/16

花を摘む人・空を知る人

三日間のお休みで、何とか息をふきかえしました。

ああ、生きてる。。
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13日の金曜日には、ほとんど意識がないうちに、
無事、朝日カルチャーセンターの短期講座

「ブッダのことば~空を考える」

のお話しをしてきました。

ほんとに、絶体絶命のピンチだったはずなのに、
窮鼠猫を嚙んだらしい

なぜか、自分の中では、うまく「空」を話せたような気もします。

ダンゴ三兄弟の喩えを使ったのが、よかったかしら。。

お団子三つ
                 |
部派(上座部)の お団子 〇
大乗仏教の    お団子 〇
密教の       お団子 〇
                 |

これらは、ぜんぜんちがう仏教に見えるけど、
そんなことはない。
同じお団子で、同じ味わい。

これらに通っている、「縁起」の串が、三つを結びつけている。

どのお団子にも、縁起の串は通っているね。


さて、今日の話題は、「空」なのです。
「縁起」は、因果の関係で、まあ、わかったのです。


で、「空」って?


はいはい、「空」はね、「空っぽ」って、ことですよ。

ですからね、

その串、抜いてくださいな。
抜いた穴を覗いてご覧!

ほらね、これが「空」。
穴だけ開いてる、中は空っぽ。

こんなんで、説明になるのかって?

それが、意外といいんです。

縁起の串が貫いたあとだから、因果の味は残ってます。
ただ、目障りな串が抜けているので、食べやすいね。

あ、でも、気をつけて、縁起の串のあとをきちんと残さないと、ね。
穴だけ開いたお団子一つ、こぼれると、ほら、

もう、仏教じゃなくなっちゃう。

お団子は、ばらばらにしないで、
いつでも、
串を復活させられるように
しておくことが、コツ!!

こうしておけば、、
「縁起」を忘れることもなく
「空」を見逃すこともない。

「縁起」からしか、「空」は出てこないのです。


ここを忘れないようにすると、
「空」を誤解することはありません。

「空」は、ことばや想いの中が空っぽということです。

■『ダンマパダ』(『法句経』)
46.この身体を、泡沫のようであると知って、
まぼろしの性質(法)であることをよく悟っていうる者は、
花で飾った悪魔の矢を断ち切って、
死王の見られないところに、いくだろう。


身体も、ほら、中身が抜けて、泡沫(あわ)のよう。。。

「空」ですね


■「泡沫」(『サンユッタ・ニカーヤ』22.95)====
比丘たちよ。
たとえば、このガンジス川が大きな泡のかたまりをもたらすように、
そのように眼(まなこ)ある人はこれを見て、
静観し、正しく考察するだろう。
彼が、それを見て、静観し、正しく考察するならば、
それは、まったく虚ろなものであって、空虚であり、
実質のないものに見えるであろう。比丘たちよ。
それならば、
どうして泡沫のかたまりに真実(精髄、サーラ)があろうか。
======

こんな風にブッダは説明しています。
身体は、泡と同じです。
虚ろで、空虚で、サーラ(真実)がない。

ほら、中身が空っぽで、空ですよ。

では、心の中の想いは、どう?
こちらも、「空」ですよ、ほら、こんな風にね。


■「泡沫」(『サンユッタ・ニカーヤ』22.95)====
.比丘たちよ、
たとえば、夏の月の終わり頃に日中に立っていると、
かげろうがゆらゆらするように、
そのように眼ある人はそれを見て、
静観し、正しく考察するだろう。
彼がそれを見て静観し正しく考察するならば、
それはまったく虚ろであって、空虚であり、
実質のないものに見えるだろう。
それならば、
どうしてかげろうに真実(精髄、サーラ)があろうか。
======

ゆらゆらかげろうは、遠くにあって、
水のよう。。
水のようだけど、近づくと消えてしまう。

中身が空っぽ、何も真の実(サーラ)はない。

そんな風に、想いも空っぽ。。。虚ろだよ。

それじゃ、
空(くう)なら、どうすればいいの?

空なら、しっかり「空だ」と見なくちゃ。


■『ダンマパダ』====
170 この世を、水の泡の如くであると見るとよい、
この世を、陽炎(かげろう)のごとくであると見るとよい。
このように世界を観察するものを、死王は、見ないのである。
=====


「空」であると見る人には、死王はやってこない、って?
死なないってこと?

いや、そうじゃなくて、死にはとらわれない、ってこと。
「空」を知らない人は、花を摘んで楽しむ人。。

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■『ダンマパダ』===
47.花を摘み集めるのに心奪われている人を、
死は、連れ去っていく。
あたかも、眠っている村を大洪水が連れ去っていくように。

48.花を摘み集めるのに心奪われている人を、
まだ欲望が満たされないうちに、死神は征圧する。
======


だから、この世間を「空っぽ」と見なさい。
そして、それにとらわれず、こんな風にするのよ、
いい、わかった?


■『ダンマパダ』====
49.蜜蜂が、花の色や香をそこなうことなく、
蜜を取って飛び去るように、同じようにして、
聖者は、村の中を行きなさい。

53.花の集まりから、たくさんの花環が作られるように、
同じように、生まれては死ぬことによって、
多くの善いことが、なされねばならない。
======
Sbsh0178


「空」を知るなら、
串のあとを見ることによって、
「縁起」もわかる。

「縁起」がわかれば、生死をくりかえすわれらは、
多くの善いことをしよう。

★☆★
「空」を知れば、生死にとらわれず
「縁起」を知れば、多くの善をなす
★☆★

快楽の花を集めるのではなく
善の花を集めて作る花環

これを作ろう、集めよう。

え?なに?何か言った? 
Sbsh0201

え? 鼻がきくのは、えさのとき。。

えさなの?えさ?!
Sbsh0200

はな はだしい、 まちがいで。


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