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2012年6月

2012/06/27

『サンガジャパン No.10』は「業」の特集です

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青い表紙です。
『サンガジャパン No.10』が出ましたね。

「業(カルマ)」という、むずかしいテーマの特集です。


わたしとしては、このテーマはとてもむずかしいと思いました。

『サンガジャパン No.10』の中でも書いたのですが、
(「輪廻転生と業のお話」というタイトルです)

業(カルマ)は、
「輪廻転生」という考え方がわからないと、
理解できないものだと思うからです。


業(カルマ)とは、実は、行為(カルマ)、といってもいいと思います。

行為は、必ず結果を生じます。
縁起の理を知るなら、因果を知るなら、

何か行為をすれば、それによって、結果が得られます。

☆☆☆★★★☆☆☆
行為がその結果を生むはたらきのことを、
世間的には、
業(カルマ)
と呼んでいるのです
★★★☆☆☆★★★

問題は

前世の行為が、この世において結果する
この世の行為が、来世において結果する

ということを、

世間の人々が、案外簡単に解釈してしまうことです。


そこで、この特集が組まれたのだと思います。


やはり、仏教の考え方をきちんと得ないと、

輪廻や業については、

さまざまな俗説や異説が、飛び交うことになってしまうでしょう。

「業」についても、

★どのような思想なのか

ということも大事なのですが、

★知って、それをどのように活かすか

ということが、もっと大事になってきます。

    ***

たとえば

他人の不幸を見て、
「前世の因縁だろう」ということは、

他人の問題を、
自分の生き方にかかわる問題に、
引き受けてしまっている

ということだと思います。


そんなことを考えなければ、
自分の身に何も起きないのに、

そういうことによって

★「業」や「輪廻」を誤解する  (という無痴)
★他人の問題に口をはさむ  (という口行)
★他者に慈しみをもたない  (という心行)

が生じていきます。

自分の行為から、
ある種の結果を生むような「業」のシステムが、
はたらきはじめるでしょう。

    ***

「業」という問題は、

他人を見ていう問題ではなく
自分を見ていう問題だという気がします。

さらに
自分というのは、心と身体にわけられます。

さまざまな条件とともに、
行為のなすもとである「心」、すなわち、「行(サンスカーラ、意志、志向作用)」が、
生じて、

その行為の行方を方向づけ誘導し、その結果へと誘っていきます。

だから、もし、「自分」というものがあって、それを大事に思うなら、


善き意志をもて!


と言いたいのです。
さらには、こうも言いたいのです。


善き意志をもって、その後、それを捨てよ!


善き意志をもつとき、善い行為があり、よい(楽な)結果が期待できます。
しかし
あらかじめそのよい結果を意志するとき、意志は、自己のためへと志向し、
善なるものではなくなります。
そうすると、よい結果は期待できないのです。だから、それを捨てるのです。

つまり、「善」とは、「他のため」になることといえるでしょう。

「他人」を見つめて、それから、「自分」へと向かう のではなく
(たとえば、他人の不幸を自業自得と見て、自分はそうではないと安心する)

「自分」を見つめて、それから、「他人」へと向かう ことによって
(たとえば、自分の生き方を自業自得と見て、他人を利益しようと意志する)

「業」の問題は、わたしたちには、解決しうる問題になるのです。

    ***

「業(カルマ)」というのは
とても、個人的な問題ですが、
それを、普遍的な法則と見ると、

世俗の、迷信や俗信の世界が広がってきて、
人々を恐がらせたり、嫌な気持ちにさせたりします。

    ***

縁起を知ると、「業」は、決定論にはなりません。
縁起は、他に縁るからといって、
すべてが決定づけられる絶対的な法則ではありません。
「行(意志)」という心も、縁起にかかわるからです。

しかし

縁起を知ると、「業」は、自由意志論にも行かないのです。
やはり、他に縁って起こる、という要素が、しっかりあるからです。


縁起には、それ自身、「縁って起こる」という仕組みがあるのです。
「他」がなければ成り立たず、
されど、
「自」ということがなければ、結果しません。

    ***

世間での考え方は、仏教の思想のように見えて、
そうでないことも多くあるなあと思うのです。

「業」はむずかしいテーマだったと思います。

ブッダの説く「輪廻」ということを、よく知らないと、
わたしたちに、いろんなことを考えさせてしまうものですね。

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きゅうり です。

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なんだろ? ラディッシュ、はつかだいこんなどなど、ばらばらに植わってます。
自分で蒔いたけど、縁起によって、芽が出るのもあれば、出ないのもあり。。

で、出ないところに、あとから、てきとーに余った種を蒔いたので

もう  なにが なんだか  わからんの。。

おばかの芽が出ましたです。。。とほほのほ。

猫ちゃんは、お休みです。
ダンが、手術してかわいそうなので。。ぐす。

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忙中閑 を作ります!

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ご無沙汰してます。
ラベンダーも、風に揺れています。
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コメント欄で、春間さまが、
ラベンダーを褒めてくれたので、もっと出しちゃうもん。(ここは追記)
秘蔵のコレクションより?
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これはツツジです。

======
まぶしい光の昼下がり。。。
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月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。。

さて、奥の細道でございます。
こんなかしら。
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人生の行路に行き疲れて、散歩の途中で、ぱちっ!

難病の母とともに、公園にやってきました。
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毎日、忙しかったので、死んでるようでしたが、
今日は、奇跡の休校日!

「あとはどうなれ」、っと、ばかりに、仕事をほっぽらかして
母とともにお散歩です。
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あら、看板! 思わず、きのこさまを思い出して、パチッ!

晴天の気持ちのよい日、癒されるなあ、おもに、わたしがかも。。
母も出歩けないので、二人で、すっきり気分です。

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だからといって、何も3kmのコースを走破しなくてもいいと思うよ。
家からだと、4kmくらいになっちゃったかも。

ランニングのコースを、
車いすで散歩している人は、いなかった。。たらり)

ああ、でも、すっきりしました。

あと、たまった仕事を片づけます。

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2012/06/14

サム猫の教え

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リラ冷え です。

すてきなことばに聞こえるけど、
簡単に言うと

さむいっ!

ってことです。夜には10度となってました。

寒いせいでしょうか、もう暖房ないしね。
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仲良く一つの椅子で!
こんな姿ははじめてだニャン。

でも、ちょっと、きつそうだにゃ。。
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急に、兄弟愛が芽生えたのかすら。
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サムどん、水を飲み、ダン吉、水待ち。

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ダン吉、水を飲み、サムどん、監視。。。

おもしろいね、

昔、サムは、自分が猫だとは知らなかった。
管理人と同じ種族だと思っていた。
大きさちがうけど。。。

でも

今、サムは、自分が猫だと知っている。
ダン吉と同じ種族だと思っている。
大きさちがうけど。。。あ、ああ、1kg多いだけよぉ。。


猫には猫の生き方がある。

ぬくぬくとした生き方があるのだにゃ。

ぼくが、ダン吉に教えてやるニャン。。

爪研ぎの仕方、
トイレの始末、
猫じゃらしの遊び方、
人間さまへの甘え方、

み~んな、ぼくが、開発してきたやり方ニャン。

「こらっ」って、怒られたりしながらね。
血と涙と汗の結晶ニャン。

これらは、ぼくの覚った教えなんだニャン。
ぼくには、師の握りこぶし(隠しもつ教え)は、にゃい!!

もともと、猫の手って、握りっぱなしだニャン。。たらっ!

ま、それはいいとして、全部、ダン吉に伝えるニャンよ。

それを受け継いで、まもっていくニャンよ。

ニャン仏教の法燈にするニャン。

文字をもたないわれらニャンコは、
身体で覚えて、伝承(アーガマ)となすニャンニャン!


二匹で、猫の歴史を作るんだ、わかったニャン、ダン吉よ。
      ☆きらり☆
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おお、おお、賢そうに見えるぞ、サムどん!

猫の中の猫、猫歴史に名が残るにゃーー、きっと。

って言っても、二匹しか出てこない歴史だけど。。。

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2012/06/12

猫には猫の生き方があるにゃ!

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少し前の写真です。
二匹を写真におさめるのは、至難のわざ!
もう少し近寄ってくれるとにゃぁ、いいんだけどにゃ。
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ぼけてるけどがまんしてちょ。
くつろぐサムにゃん。
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かしずくダンきち。

どうしても、こうなるなあ。

数日前の日曜日、

お隣の奥様が、

「お宅のサムちゃんそっくりの 太った 猫が
うちの庭を。。。。」

「ええ~~っ! も、もう、いいです。
とくに太った猫は、もういいです」

「あら(笑)、連れてきませんから。
でも、そっくりで。。親かしら」

「さ、三匹なんて、もう飼えないですぅ。」


って、いう、恐怖の会話を交わしました。
ガレージで生まれた猫は、全部で5匹と判明。。。


そのうち、二匹が、うちの猫に。

ということは、

5-2 = 3

なんと、冬を越していれば、なんとまだ、3匹どこかにいるんだわ!

どうか、どうか、よそで拾われていますように。
うちの前を通りませんように。

我が家をお守りください。

===

ダン吉は、外暮らしが長かったせいか、

鳴き方が猫っぽくない。

赤ちゃんが泣いてるように、アオーン、と鳴いたり
鳥が鳴くように、コロコロっと震え気味に鳴いたり

ものすごく悲しげに鳴くので、寂寥感があります。

また、

人に触られるのを嫌がって、すぐするっと逃げてしまう。
動きも静かでおとなしい。

        ***

ダン吉をみてると、
どうも、『アレキサンドロス大王東征記』の中に出てくる
インド人の哲学者カラノスを思い出して仕方がない。

大王の軍隊に同行してインドを離れていくうち、
カラノスは、次第に衰弱していき、自分から死を選ぶのです。

アレキサンドロスの説得もむなしく、とうとう、

火葬のための薪の上に身を横たえて、
その火に包まれて
自らの命を絶つのです。

かれは、火の中でも微動だにしなかったと、
驚異をもって語られています。


孤高のニャンコダン吉は、どことなく、痩せたインドのカラノスのよう。。

とはいえ、体重は着実に増えてきてるけど、ね。

火葬のとこはまねしなくていいから、カラノスにおなり。

      ***

どうせなら、哲学する猫ににゃってほしいにゃ!

アラニャンをめざせ、
犀のごとくに、一人で行くんだニャン

そして、

サムにゃんは、高貴な在家猫ににゃるんだにゃ。
人にちやほやされて世俗ニャンコににゃるといいにゃん。


猫にも、それぞれのニャン性があるにゃん。

二匹飼って、はじめてわかったニャン。

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2012/06/07

花と猫と宮沢賢治の詩

まずは、美しい写真からね。
               朱と白のコラボ、なかなかぁ~
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ちがうアングルで!
             うーん、げーじゅつぅ~
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ライラックとボタンのコラボも、
                  すてきぃ~
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ほんとにお花のきれいな季節で、うれしいわ。

っと、おもったら、
トイレの前にならんで順番待ちのお二人さん。
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なるべく、
      仲よさそうなところを、
                   ぱちっ!
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脚色してるな、
         ですって。ちゃうちゃう。

ほんとに、こんなにこんなです。
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けんかしたら、
          「こらっ」って、おこられちゃうからね。

だから、一見良い子風なんす。

サム・ニャンコは、やんちゃで、
すごくひとなつこい 甘ったれ猫

ダン・ニャンコは、人見知りで、
ひとり孤独を愛する クールな猫

========
サムニャンの過去世
========

絶世の美女楊貴妃のおそばで、
耽美で退廃の貴族生活だにゃ。。きっと。
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========
ダンニャンの過去世
========

哲学者アリストテレスのおそばで、
沈黙と思索の日々だにゃ。。きっと。
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な~んて、想像はいいから、
少し、仕入れたことを、ご披露つかまつります。

★大角修氏『 「宮沢賢治」の誕生』中央公論新社★

この書を、図書館から借りだして読んでいます。


中に、一つ宮沢賢治の詩がありました。

晩年、病の中で書いた詩のようです。

そこには、かれの仏教の理解がしっかりと示されています。


     「疾中」


  (一九二九年二月)


われやがて死なん

  今日又は明日

あたらしくまたわれとは何かを考へる

われとは畢竟法則の外の何でもない
 
  からだは骨や血や肉や

  それらは結局さまざまの分子で

  幾十種かの原子の結合

  原子は結局真空の一体

  外界もまたしかり

われわが身と外界とをしかく感じ

これらの物質諸種に働く

その法則をわれと云ふ

われ死して真空に帰するや

ふたゝびわれと感ずるや

ともにそこにあるのは一の法則のみ

その本原の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり

そのこと人に菩提の心あるを以て菩薩を信ず

菩薩を信ずる事を以て仏を信ず

諸仏無数数億而も仏もまた法なり

諸仏の本原の法これ妙法蓮華経なり

  帰命妙法蓮華経

  生もこれ妙法の生

  死もこれ妙法の死

  今身より仏身に至るまでよく持ち奉る


http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/471_19937.html
「疾中」にはいくつもの詩があって、

リンクのページでは、一番最後の詩です。


「われとは畢竟法則の外の何ものでもない」


ああ、すごい解釈ですね。
「法則」とは、宮沢賢治的には「自然法則」と言ってもいいのかもしれません。
「縁起」と言ってもいいのでしょうね。

われとは、法則。。。

そして

「われわが身と外界とをしかく感じ
これらの物質諸種に働く」

仏教的には 「色」 ということですね。
感じ働くところの心ともあわせるとき

法則があり、それは、われ。。

「ともにそこにあるは一の法則のみ」

すなわち、 縁起!ですね。


それから、「仏もまた法なり」と述べています。


深く、本原の法たる

妙法蓮華経 に 帰命する宮沢賢治。


深い仏法の理解ですね。
ほんとに、
深く深く仏法が、その身の分子の一つ一つまでも、
浸透していっているのを知るのです。


「法華文学」とは、仏法を清らかな物語に乗せて、
人々へ運ぶものだったんですね。

宮沢賢治で、
諸法実相を、
勉強している わたし。

まじに、ほんとです。

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2012/06/03

猫になりたいミャァオ~

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どうやって生きていたのかわからない一週間でした。

みなみなさま、こにゃにゃちわんわん。。

いくらハードな人生を送っていると言っても、
今回くらい、すごいのははじめてだった。

在家仏教の講演のあと、朝カルの講義があって
そのあと、
原稿の締め切りが二つほぼ同時にきました。
その後、またヨーガの講義。。

それに通常の授業が毎日あって、
で、おまけに
おばあちゃんが風邪を引いて、具合が悪くなりました。。

あ、それに、猫もいました、二匹。


夜に原稿書いて
朝に授業にいき

夜に原稿書いて
朝に授業にいき

夜に。。。ばたっ! はっ!寝てる、やばっ!
朝に授業。。これは、はってでも行く、根性だもん。

夜に原稿書いて
朝に授業にいき

夜に原稿書いて
朝にじゅっ。。。 わ、もえつき!


もう、ダメかも、って思ったとき、
ようやく、終わりました。


身体と心が、もう、ボロボロです。

猫で癒されたい。。たい。。

なのにぃ

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こらあ、けんかしちゃ、あかん!
あ、カメラも疲れてる、ピンボケだ。

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仲がよいのは、邪魔するときだけ。

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お邪魔虫のわたしは、誰でしょう? しっぽ太いです。

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ぼくは、ダンボールに入るなんて
愚かなマネはいたしません。。孤高のニャンコ・ダンさま。

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愚かで悪かったな、ダン・ボールっちゅうくらいだから
ダンなんかおれさまにとっちゃボールみたいなもんサム!


一つ、書いた原稿はね、なんと、
宮沢賢治と仏教についてです。

宮沢賢治は、「法華文学の創作」を志したとある
だけど、
それは、なかなかピンとこないのです。
どうも不思議がる人が多いようです。

『法華経』とのかかわりは、
すぐには見えないようになっているんだね。

あの透明ですがすがしい文体の中に
法華経の心髄が入っているんだろうね。

そんな気持ちで、一つ書いてみました。


『法華経』が生んだ作家宮沢賢治。

わからないなりに、どんどんそんな気がしてきます。

『法華経』の諸法実相の謎と秘密にせまりたい。

そして、宮沢賢治を通して、諸法実相を
かれの作品から学んでいるわたしです。

ぼくちん、きもちよーーーく、お休みサム!
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ほんと、猫になりたい
猫の奴隷じゃなくてね。


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