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2012年1月

2012/01/29

マハーシ長老『気づきと智慧のヴィパッサナー瞑想』

008

ポートレート

っていっても、しょせん、猫ですけど。。 

最近、猫ばっかり、ね。
写真を撮る対象が、猫に限定されちゃって、ごめんなさいね。

しかし、毎日、大きくなる!
9回、ご飯は、多いのだろうか。

拾ったときの完全に二倍になっちゃった。

少しは、恩返ししてほしいわい!
はたらいてよ。

おーぃ、サムっち、ゴミ袋の口を閉めてぇ~~
へぇぇ~~~ぃ、ただいまぁ~~
007
お、えらい、えらい!

猫の手くらいの役にはたつのね。


   ***


さて、さて、働き者の管理人は、昨日は、

朝日カルチャーセンターで、『ダンマ・パダ』を読みました。

今日は、第11章「老い(ジャラー)」でございます。

何となく、目立たない章で、
そんなに心に残ることばもないように
思っていましたが、

訳して読んでみると、とても良いですね。

何か、他の章とは異なる良さがありますね。

一般の人向けの内容にもとれます。
でも、
しっかり、さりげなく、仏教をやってます。

そんな控えめな感じの文がたくさんあって、

気にいりました。

「老い」は、嫌なものだと思うかもしれないですが、

どんな人も、いつでも、どんなところでも


老い!

に、おそわれているのです。

こわいですか?

そんなこと、ございません。

=========
148.
この姿形は老いさらばえた。
病気の巣であり、もろく壊れるものである。
腐った身体は壊れていき、
ついには、命は死をもって終わりとする。  

149. 
秋に投げ捨てられた瓢箪のように、
これら鳩色の白い骨を見て、
どんな楽しみがあるというのだろうか。

150.
骨の城塞が作られ、肉と血で塗られている。
そこには、老いと死と慢心と偽善とがおかれている。

151.
美しく彩られた王の車も色あせていく。
また、身体も老いに向かう。
しかし、善き人々の徳(ダンマ)は、老いることはない。
善き人々は善き人々と教えあう。

152.
学ぶことの少ない人は、
くびきをつけた牛のごとくにただ老いていく。
かれの肉は肥えていくが、その智慧は増すことがない。

153.
わたしは、幾多の境涯を、得るものもなく輪廻してきた。
家の作り手を探し求めながら、くり返す境涯は、苦しみである。

154.
家の作り手よ! おまえは見られた。
おまえが、ふたたび家を作ることはないだろう。
おまえのすべての梁や桟は破壊され、家の屋根は壊れ落ちた。
心は、意志(行)を離れ、渇愛は滅尽に至った。

(『ダンマ・パダ』)
========

なかなかいいでしょう?
よくない?

自分の姿を、しみじみ顧みますよね。

骨の城塞に、血と肉が塗られて、中に、
老いと死と慢心と偽善がおかれている、ってのが、

いっそ、気持ちよいくらいに言い当ててるなぁ。

うひょーーー、ほんと!
情け容赦なくて、
かえって、すっきりさっぱりしちゃいます。。。

(って、喜んでていいのだろうか)


ともかく、すっかり感動しながら、
家に帰ってまいりましたら、

ご本が一冊届いていました。


   ***


====
マハーシ長老(著)、星飛雄馬氏(訳)
『気づきと智慧のヴィパッサナー瞑想』(サンガ)
====
Kiduki_mahashi_big


「入門者のための理論と実践」という
サブタイトルです。

手にして、さっそく読んでみました。

コンパクトながら

第1部 理論編

第2部 実践編

に分かれています。


スマ長老さまが、
マハーシ長老さまの指導方法には「自説」を加えていない、
お釈迦さまの教えそのものである、

とするだけあって、

ほんとに正攻法という印象です。


   ***


気品があり、格調の高い、瞑想の入門書ですが、
理論が、また、簡潔で、すばらしい!!

現代人が引っかかりやすい
輪廻や六道にも、正面から、あっさり説かれていて、
読者におもねることもへつらうこともせず、
なんのてらいもなく、ブッダの教えが、説かれています。

訳も、とても素直で、簡潔ながら深みがあります。

実践編の説明も、合理的で、わかりやすいです。


マハーシ長老さまの本は、
そのことばの一つ一つが、瞑想に満ちているようです。

おそらくは、数多くの瞑想の書が出ていることでしょうけど、
さすが、2600年の伝統ですね!
教えと瞑想とが一体化した、こんな入門書が著せるのは、
すばらしい。


   ***


ところで、この瞑想の書を読んでいましたら、

先ほど読んだ『ダンマパダ』のことばが、
そのまま
浮かんできました。

たしかに、この瞑想の書は、
お釈迦さまと同じ『ダンマ・パダ』の内容ですね。

まず、『気づきと瞑想…』において、
戒からはじめるその教えは、

「私たちが完全に出世間的な戒の徳を身につけるとき、
人はより低層の領域へと転生することがなくなります」

と、悪趣(地獄、餓鬼、畜生の三つの境涯)に生まれることを
否定します。

最初に、151が浮かんできます。
===
151.
美しく彩られた王の車も色あせていく。
また、身体も老いに向かう。
しかし、善き人々の徳(ダンマ)は、老いることはない。
善き人々は善き人々と教えあう。
===

「出世間的な戒の徳」とは、
『ダンマ・パダ』にある「善き人々の徳」ですね。

こうして、マハーシ長老さまの本を読み進むと、
頭の中に、『ダンマ・パダ』が次々と出てきて、
瞑想の手順と一緒になって、静かに重なっていくのです。


    ***


ブッダの瞑想は、マハーシ長老さまの本の中に
たしかに生きている


と、納得した読後感でした。

ふつうに終わる日記です。


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2012/01/26

猫じゃ、猫じゃら、猫じゃらし

018

猫じゃらし一本、電灯の中

021

お持ちしました、猫じゃらしでございますっ!

023

なにとぞ、なにとぞ、遊んでくらさいませ、ませ~~

にゃ~~んと、おねがいもうしあげますぅぅ

===
な~んて、しおらしいことなんて、いたしません。

わたしの演出でございます。

当然のごとく、「あそべ!」って要求を突きつけるのが、猫の大王サムさま


だんだん、奴隷化してきました管理人です、不安です。
完全に、奴隷に成り下がったら、どうしよう。


さて、最近は、キリスト教関係の本も読みながら、
猫じゃらしを操る管理人での毎日で、

とぉっても、忙しいです。

===

先日、無謀にも、『中論』の解説を書くぞ、宣言をしてしまいまして、

いくらか、青ざめております。

さらにまた、
『ヨーガ・スートラ』も、何とかしたい、と、伊藤武さまに、
口がすべってしまいました。

というのは、

伊藤武さまより『ゴーラクシャ・シャタカ』のテキストと解説を、
頂戴してしまいました。
二冊本で、たいへん丁寧な解読です。

無断転載禁止、って書いてありますので、
表紙を載せたいけど、ちょっと遠慮しておきますね。

そんなこんなで、急激に、身の引き締まる事態を

招くことになりました。

ああ、猫と遊んでらんないわよ。。わかった、サムや。

もう、あんたなんかと、遊ばないからね。

001

あ、わかった、わかった、

そんな顔して見なくていいから、
一回だけよ、一回。

最後のいっかいだけだかんね。

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2012/01/17

雪は…

おお、まともにピントが合ってる。
003


おとなしく、しててよぉ。。もう一枚撮るからねぇ~

ぎゃ! あわわ!
005
やっぱり、こうなるわけね~、このぉ、やんちゃ猫ぉ~。。

猫のサムは、ものすごく甘ったれで、やんちゃだ。
かならず人にまつわりついてきて、
「かまってくれにゃ~、にゃ~」とうるさい。

どこでもくっついてきて邪魔するので
猫、踏みそう。

猫って、あまり人にはなつかないんじゃなかったっけ。

ヴァイシェーシカなら、
「猫には猫性がある」
というところだけど、

サム、おまえには「猫性」なる属性は、あるのかや?
人になつくなんて、「犬性」があるんじゃないかや?

最初の頃とぜんぜんちがうんで、
息子が、一言。

「猫かぶってたな」

だって。

===
岩見沢は、とうとう194センチの積雪で、
42年ぶりに観測史上最高記録を更新。

いや~~!たいへんだなあ。

昨日も、岩見沢方面のJRは、運休でした。

1月の終わりから、また、岩見沢に行くんですよ。

どうなるかしら。

雪国に住んでいる人にはわかると思うけど

雪を形容することばで、けっこうこわいことばがあります。

どんなことばが、こわく響くでしょう。
あててみましょう。

1) 雪がどんどん降る。
2) 雪がずんずん積もる。
3) 雪がしんしんと降る。
4) 雪がどかどかと積もる。

どれもいやだって。

まあ、そうかもしれませんが、あえて一つ選んでちょ。

車でお豆腐を売りに来るお豆腐屋さんも、
岩見沢方面に行って、
もうひどかったって、言ってました。

立ち往生してる車が、あちこちにあるのだそうです。
雪も、もう積み上げるところもなくなって、
道幅は、車一台がやっとすり抜けられるくらいだとか。

ワイパーなんて全開にして、
どんどん雪をはらっても、
間に合わないような、そんな降り方です。

さあ、そんな降り方を、なんと形容するでしょう。

こたえは?

お豆腐屋さん曰く
「いやあ、しんしんと降ってたね」


そうなんですよ。

もう、底知れない怖さがありますね、このことば。

雪がしんしんと降る日は、天の底が抜けたように、
ひたすら静かに降り積もるんです。

すべてが、どんどん目に見えて雪に埋まっていくのです。


過ぎれば民の嘆きなり…

って、歌ありましたね。

ホントに、
なんでも過ぎればよくないわ。
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こんな青空ほしいわね。


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2012/01/07

ユダヤ人を思う日本人のわたし

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くるん!

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ぱっ!

はあ、動きが速くて、写真が撮れない。

暴れまくり
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遊びまくり
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かじりまくり
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転がりまくる
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と、とまったっ、それっ!
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わたしも、何やってんでしょうね。

====
徳永恂氏『ヴェニスからアウシュヴィッツへ』(講談社学術文庫)

手に取ったのが、運の尽き。
そのまま読み始め、あっちこっちと、ランダムに飛ばし読みしながら、
けっきょくほぼ読んでしまう。

和辻哲郎文化賞受賞した徳永氏の『ヴェニスのゲットーにて』を、
文庫版に作り直したものです。

賞からも察せられるかもしれませんが、
たんなる学術書を超えた
文化の香り豊かな一書です。

第一部は、旅行記を中心にした
「ヴェニスからアウシュヴィッツへ」

第二部は、思想史を基盤においた学問的考察
「ドイツ反ユダヤ主義の諸断面」

このような二部仕立てになっています。

わたし自身は、旅行記もおもしろかったけど
第二部の思想史的な考察に深く心を惹かれました。

    ***

なんだろう?何が問題なのだろう。
どうして、ユダヤ人は嫌われるのだろう。
どうして、ユダヤ人のいるところには、
いろんな対立的な抗争が引き起こされるのだろう。

現在1300~1400万人といわれます。
世界の人口ほぼ70億の中では、わずかです。

なのに、こんなにもユダヤ人は、その名をよく知られ、
どちらかというと、嫌われたりする方が多いようだ。


おそらく、日本人は、世界の中でも、
この、ユダヤ人をめぐる歴史上のさまざまな問題に、
いちばん疎い人々なのではないだろうか。

本の中に、こんな風にある。

「日本は世界でも珍しくユダヤ人迫害のなかった国として
知られている。
それはごく単純に言えば、
日本にはユダヤ人がいなかったからである。
ユダヤ人と接触したことさえほとんどなかった。」

確かに、そのとおりだ。

でも、わたしが考えることには、もう少しちがった要素もある。
わたしたちは、ユダヤ人に出会ったことがない、というだけではない。

    ***

「ユダヤ人」ということばのもつ意味に
出会ったことがないのではないだろうか。

ユダヤ人!
ユダヤ人って、何?どんな人々?

ユダヤ人は、人種の名前では、実はない。
ユダヤ人は、ユダヤ教徒である人々をいうのです。

じゃ、
ユダヤ教徒は、どうやってなるの。
基本的にユダヤ人の母から生まれた人はユダヤ人。
ユダヤ教に改宗した人がユダヤ人。

ユダヤ人とユダヤ教は、お互いにしっかり結びついています。

    ***

だから、
「ユダヤ人」の「意味」というのは、
「ユダヤ教」の「意味」と言ってもいいでしょうね。

長い日本の歴史の中で、
日本人は、精神的な宗教的な側面で、
ユダヤ教とほとんどかかわってこなかった、
って、ことかな、と思います。

もっと端的に言うならば、

ヘブライ語聖書(旧約聖書)と接触することが、
ほとんどなかったと言ってもいい。。

どんな形でも、身近に聖書を感じたことはありません。
少なくとも、わたしはそうです。
多くの日本人も、そうではないでしょうか。

でも、世界の本当にたくさんの人々は、
聖書をよりどころにしています。

ヘブライ語聖書(旧約聖書)は、よくよく考えると、

ユダヤ教の聖典であるだけではなく、
キリスト教の聖典でもあり
イスラム教の聖典でもあります。

ヘブライ語聖書をよりどころにする
これら、三つの宗教をあわせると、
世界の人口の半分をかんたんに超えてしまうのです。。

    ***

こういうたくさんの人々が、聖書の中から、
宗教、倫理、哲学、社会、経済などにかかわる
ありとあらゆることがらを取り出し、
それらによって、問題の解決を図ろうとするのです。

時代や場所を越えて、さまざまな問題が、
出てくるでしょう。

それらは、ヘブライ語聖書を生み出してきたユダヤ人のところに、
何らかの形で、
集まってくるように、できているのかもしれません。

宗教の形態は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と、
それぞれ独自のものをもちながら、

地下水脈のように、ヘブライ語聖書の世界を
潜在的に共有しているが故に、

一神教の文化圏は、分かちがたく、離れがたく、
間歇的に、
いろんな問題が、地殻の弱いところを破って、
吹き出すのではないでしょうか。

こうして、ユダヤ人をめぐって、
迫害や虐殺など、さまざまな苦難の歴史が
作られていったのかもしれませんね。

    ***

と、書いてみたけど、

たいしたことを言っていませんね。
あんまり理由になってないしな。。

なぜ、ユダヤ人は、かくも、みなの憎悪の対象にならなければいけなかったのだろう、
って、疑問は、くすぶってしまいます。

やっぱり、わからないことだらけだけど、
それでも、少し ユダヤ人のことが、
身近になった気がします。

    ***

このような文化圏の外にあったのが、

日本 ということか。。。

日本人に生まれて
ユダヤ人に生まれなかったわたし。

世界のできごとの半分以上について、
何も知らずにきたのかもしれないなぁ。

うーーん、うちの猫と変わらん。。。


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2012/01/02

粕谷知世氏『クロニカ』 文字の神キリスト教 vs 文字をもたない国インカ

新年の初ブログです。みなさま、今年もよろしく。

生きてると、いいこと、ありますね!サムや。
猫のサムにとってよいことは、これ↓
001
ダンボールのおうちを捨てて、ゴーカなふわふわのおうちをゲット。

うう~~ん、すばらしいぃ~~
新聞紙もかさかさしないしねっ。

お隣からのいただきものです。

中を覗くと

気持ちよすぎ。。ぽわ~ん。。うっとりぃ。
009
★に守られ夢を見る。

===
さて、話は変わって
わたしにとってのよいことは、この本に出会えたこと。

若く情熱にもえるファンタジー作家、粕谷知世氏の

『クロニカ 太陽と死者の記録』 (新潮社、2001年)
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第13回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した意欲作。

およそ16世紀、インカ帝国の滅亡の頃です。
スペイン人の侵略に翻弄され、
その文明を終わらせたインカの人々の歴史的なできごとを、
ご先祖さまである木乃伊(ミイラ)の口をとおして
ファンタジックに描いた

えもいわれぬ味わいのある、驚きの小説です。

★たんなる歴史的事実を扱った読み物ではない。
しかし、スペイン人がインカの人々に何をしたか、はっきりと記されている。

それは、記録(クロニカ)である。

★たんなる古代インカの宗教的な文化を扱った読み物ではない。
それは、死者の木乃伊が、実際に生きている者たちに実際に語りかける。

それは、記録(クロニカ)である。

★たんなるファンタジックなフィクションなのでもない。
そこには、文字の神をもつキリスト教と
文字をもたないインカの神や木乃伊をもつ文化の衝突がある。

それは、文字をもつ神に征服された
文字をもたない文化の終焉の記録(クロニカ)である。

===
山深く隠され、人々の信仰の対象になっている木乃伊。
ご先祖さまの木乃伊たちが、生き生きと語ります。
かれらの体験した歴史的なことがらを。

木乃伊の語りは、古老の語り部が語る昔話のようですが、
しかし、自分たちの体験そのものに根ざしているので、
まるでその場にいるような臨場感があります。

ファンタジーとも、歴史物語とも、とれます。

この木乃伊の語りとともに、
スペイン人たちの国土の蹂躙と略奪が描かれます。

かれらは、木乃伊に偶像崇拝のレッテルを貼って、木乃伊を燃やし、
キリスト教の神をインカの民に押しつけます。

悲劇的でありながら、でも、けっして悲劇ではない。
むしろ、語り部の木乃伊ワマンや、聞き手の少年アマルの
豊かな精神の躍動に、インカの文明の永遠性を見る想いがします。
===

この小説は、いろんな読み方ができると思います。
ファンタジーノベルと名づけられているので、
ファンタジーでもよいでしょう。

でも、

わたしとしては、「文化の衝突」という、ここに焦点をあてたいのです。

本の冒頭は次のようにはじまっています。

「文字をもたなかったのである。」


そうなのです。文字をもたなかったが、一大文明を築き上げたのです。
一方、
キリスト教の神は、文字の神として、小説には登場します。

「はじめに言葉ありき」

と聖書には記されているのです。

文字をもたない文化と
文字をもつ文化とが、

平等に、対等に、描かれている、その視点が、新鮮です。

けっして、キリスト教的なロゴスの文化に肩入れすることもなく、
また、
文字をもたないインカの文明への思い入れが強すぎるわけでもありません。

このバランスが、とてもいいと思います。

だから、この本は、文化論として読むことができる!
と思うのです。

お勧めですから、興味のある方は是非読んでみてください。

ちなみに、主人公の少年の名、アマルは「蛇」という意味です。
智慧のある賢い少年、かれは、自分たちの文化の外にある文字を学んだのです。

そして、それを、植民地の住民のために用いて、植民地の支配者たちにたいして、
裁判闘争をしかけて戦ったと、本の最後の方に記されています。

スケールの大きな文明の衝突を、リアルに、かつ、ファンタジックに描いた
ゾクゾクするような作品です。

おもろかった!002
あら、まだ寝てるの。


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