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2011/12/11

009
自然露光では、きついです。

でも、なかなか冬っぽい感じで、雰囲気は好きです、この写真。
テレビ塔の建物と、よくわかんないイルミネーションに、恋人らしい二人。

それと、忘れちゃいけない、テレビ塔の左に小さく ○  これは満月!

月食だったんですね。
昨日、10日の月です。

===
さて、母が退院してきました!

手足がきかないので、いろいろ介護の心配もあるのですが、
何だかたいしたことではないような気がします。

今のうちだけかもしれないけどね。

それにしても、遠い病院に通わなくて済むので、
介護を考えても、気分的に楽。

家に帰りさえすればよい、というのが、よい!
やったー!

母も、病人から、一気に、障害をもったふつうの人に格上げになりました。
この気分のちがいは、ほんとに大きいです。

ようやく家が、明るく復活してきました。


===
浅野順一氏『旧約聖書を語る』(NHKブックス)
竹下節子氏『聖母マリア <異端>から<女王>へ 』(選書メチエ)

二冊を読んでいます。

一神教の世界においては、
仏教とはまったく異なる思考のあり方が必要です。

浅野氏の書は、以前にも読んだのですが、
再び読むと、また、多くのことに気づきます。

キリスト教的な世界では
人間が他の動物や自然とはちがって、特別である、といわれます。

仏教的な世界では
人間は他の動物や自然と何ら変わりません。有情などといわれます。

なぜ、こんなに、ちがうのでしょう。

神が、人間を作るとき、
神は、人間を人格として創造されたからだ、と浅野氏はいいます。

神が人格であるように、人間も人格として作られたので、
他の動物とはぜんぜんちがう。

他の動物が長生きしても、ただの長生きだが、
人間の長生きは、神の祝福を受けているあらわれなのだ、

と、このように考えられるのです。

ふーーーん、なるほど、そうなのか。

仏教では、長く生きるも短く生きるも、縁起によって起こる。
このことわりは、生きとし生けるもの、自然、すべてに当てはまる。

動物が長生きするのも縁起によって
人間が長生きするのも縁起によって


自然にたいする態度も、
西洋と東洋とでは、ちがいがありますが、
これも、このような宗教的なちがいの影響もあるかもしれませんね。

人為によって、自然を作り替えようとする欧米。
自然とあるがままに融和していこうとする東洋。

ありきたりではありますが、しかし、
キリスト教的な思惟の色濃い世界と
仏教的な思惟の色濃い世界とでは、やっぱりちがいが出ますよね。

人間の特権意識は、神からの祝福によって生まれてくる。
生類への平等観は、縁起のことわりによって生まれてくる。

001
欠けるときもあれば、満ちるときもある月。

神のなせる業なのか、縁起のことわりを示すのか。。


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コメント

今回のお題は「月」ですね。

釈尊の当時、月種の民と日種の民とがいたと伺っております。
そして釈尊は日種の方だったとも。
日種は太陽信仰民族かも知れませんね。

古神道でも太陽神を慕って、山の上で鏡岩に写った太陽を拝んでおりましたが、農耕で平地に降りるに従って、鏡岩の代わりに鏡をご神体にしたそうです。

投稿: 前世は一在家 | 2011/12/19 21:33

春間さま

>般若(智慧)“経典” の 如実を知る とき が

>すぐ近くまでに来ています 、、、、

福音を思わせるひびき。。

投稿: 管理人エム | 2011/12/18 17:13

>  ことばは不思議です

“ ことば ” は 思議 です

>  どうやっても、その人が出てきます

“ やっても ” ということは “行い” です
おこないがその人そのものです
その人の、「言葉」が行いではなく
意味がある言葉を “言う”
 (言っている意味を行う)
ことが 、言うという行い(であるだけ)です

行われていること以外に、意味はありません

>  たぶん、それも、ことばが空だからなんでしょうね

言葉が、無明から発せられているから、「空」 となります
如実ということは、 「 (妙) 有  」 です

“たぶん” と、仮定するあなたの行いが 「空」 です
その仮定が、 “色” であり、「識」に上っています
それが 「 色即是空 」 の意味です
「 空即是色 」 ということは、
(そのことを “見る” ときに、対象として縁起する)
「 妙有 」 のことです

美しいというとは、
美しくないことによって、美しいこととしてある

仏は仏でないことによって仏である

>  経典を読むのとは、また、ちがった感動がありますね

違うから、そこに 違い(顛倒)があるのです
“なぜ同じ感動を受けないのか” を 考えなさい
受けているモノは、
“平等” である、 “人の生” です

ちがった感動とは、顛倒しているときに起きる 
大地の割れる前の “地震動” でしかありません
(  すでに割れていることを知りなさい  )

般若(智慧)“経典” の 如実を知る とき が

すぐ近くまでに来ています 、、、、

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/18 09:35

前世は一在家さま

こんばんは。
三重県でも、初雪ですか! 
寒い一日ですね。お風邪など惹かれませんように。

わたしの仕事に行くところで、岩見沢というところがあります。雪の多いところですが、今年はとくにすごくて、「豪雪対策本部」というのが設置されたそうです。もう1mくらいあるらしいです。 
運良くわたしの仕事は今年度は終わりましたので、豪雪に合わずに済んでます。

また、わたしの仕事に行くところで、苫小牧というところがあります。太平洋側ですが、そこは、ほとんど雪がなくて、ほんと驚きます。
カラカラに晴れていることが多いです。 

札幌は、中間でふつうくらい(?)の雪です。 

ことばは不思議です。
どうやっても、その人が出てきます。

たぶん、それも、ことばが空だからなんでしょうね。
前世は一在家さまのお人柄も忍ばれます。

そう考えると、『旧約聖書』も、ほんとに「聖なる書」なんだと、思うのです。
人間の所行が、なんて正直に綴られているんでしょうか。

経典を読むのとは、また、ちがった感動がありますね。
愚かで無知でずるくて欲深いもの、それが人間なんだなぁ、って、思うんですが、でも、こういう風に、包み隠さず愚かしい姿を記すことができるのも、人間なんですよね。そこが、なんだかすばらしいような気がして、愚かですばらしいという。。何とも言えない感じがします。

神さまは、きっと「しょうがないなぁ、おまえたちは」って、いう気持ちで、それでもいとおしく思ってくれているんかなぁ。

投稿: 管理人エム | 2011/12/17 19:11

その言葉は、

アラ !

さがし には、いれませんか ?

まず自らが、自重すれば、
あらさがしにはなりません

していますか ?

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/17 16:54

皆様、おはようございます。
三重でも初雪でした。

他人の「言葉の荒探し」をしないように留意したいものです。

言葉は空ですので、荒さがししても、、、です。

投稿: 前世は一在家 | 2011/12/17 10:15

> 大人は「成長」して子供より、欲心と知恵は増大します

コノ成長と
カノ成長は、おなじコンセプトに並びますか ?

成長のない人とは、
少聞の人のことを言います

その肉は肥ゆれども、その智慧は増すことなからん (法句経 老耄)

> エデン(浄土)を出発点と仮設しております

エデンは、浄土 もしくは極楽(浄土)と、仮説出来得るところですか ?
そのコンセプトは、かのコンセプトと、
同じ顛倒にありませんか ?

> 大昔の聖典をベースにお話、推論を進めているということです

昔は今に どうありますか ?
昔の聖典は、今の何ですか ?


いつ 断言が、推論に置き換わっているかが、明確になっていますか ?

断言をベースに推論が行われているけれども、
推論をベースに、推論を重ねて顛倒しているということを知りなさい

あなたに ブラザー と 呼ばれるとは 、、、、

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/15 21:21

> 「ウソを言う」と上から決めつけた時点で顛倒しておりませんでしょうか。

これは、上から見た視点ですか ?

下からの、もの言いですか ?

平等はどこにあるか知っていますか ?

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/15 20:45

>見たかのように ウソを言う
>成長 と 認める根拠 を、挙げなさい !

大人は「成長」して子供より、欲心と知恵は増大します。

>> 再び涅槃、極楽浄土と呼ばれる楽園に人類は戻るということです。

>聞いたかの如き ウソをいう
>出発点が浄土であるという根拠は何ですか ?

旧約聖書をネタにしての対話ですので、エデン(浄土)を出発点と仮設しております。
大昔の聖典をベースにお話、推論を進めているということです。

貴兄も「ウソを言う」と上から決めつけた時点で顛倒しておりませんでしょうか。

投稿: 前世は一在家 | 2011/12/15 19:11

>  人も神さまも、不思議な存在

神は “不思議” にあります
思議  にあるのが、人の顛倒です

思議されない“ところ”に(主体である) 存在はなく
存在がないと、思議する 自我があります
人は思議することによって、
不思議から飛び出していると顛倒します
( ここを聞くことを、宮元君は、逃します )

よくよく注意して思議しなさい

人には、人の思議しかなく、
思議によって、思議なるものを極めることはできません
“ わかりきっている ” という思議から離れなさい
( 分かっていないという思議を、まず置きなさい )

“ 人間の立場 ” は、足下にあって、
(縁起を知らなければ)
( 立つところは ) ・・・・・見得ないものです

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/15 12:00

> 人間としての成長が始まりました

見たかのように ウソを言う
成長 と 認める根拠 を、挙げなさい !

> 再び涅槃、極楽浄土と呼ばれる楽園に人類は戻るということです。

聞いたかの如き ウソをいう

出発点が浄土であるという根拠は何ですか ?

出発点と、至る“ところ”と、
今 ある “ところ” との 整合性を問うているのです

>  顕現することが神の経綸の目的だったと伺っております

うかがい知ることが叶わないものが、神のものです
経論の目的は、人の(あなたの)目的に “顛倒” されます

>  智恵と欲心が無ければ ・・・・

智慧はあっても、知恵にはあらず
欲心があると、混同する 
( 混同していませんか ? )

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/15 11:57

春間さま 

>人の考えにあるものが神ではないのですが 、、、、

賛成です!

だから、わたしは、間違ってるなぁと思いながら、だけど、そう思っています。

人間の立場、ってことは、わかりきっているので、こう言ってみていますが。。

人も神さまも、不思議な存在 


投稿: 管理人エム | 2011/12/15 03:36

前世は一在家さま こんばんは! から、おはようございます!

>やがて欲心は仏の智恵によって克服されるミチが示されます。
>そして再び涅槃、極楽浄土と呼ばれる楽園に人類は戻るということです。

ほお! すばらしい。
出口王仁三郎のスケールの大きさですねぇ。

欲を克服して、智慧を身につけ、自力で楽園に到達できるように、神さまの深謀遠慮の経綸にそって、人々は努力中だということなのでしょうか。すごいなあ。。 

投稿: 管理人エム | 2011/12/15 03:25

ミチ先生、こんば**は。

>アダムとイブの楽園追放と、何だか妙に重なってしまいます。

智恵も欲心も無くエデンの園で安穏と暮らしていたアダムとイブの人間としての成長が始まりました。

やがて欲心は仏の智恵によって克服されるミチが示されます。
そして再び涅槃、極楽浄土と呼ばれる楽園に人類は戻るということです。

地上天国、極楽浄土をこの3次元界に顕現することが神の経綸の目的だったと伺っております。
確かに智恵と欲心が無ければ科学技術も進歩しなかったことでしょう。

投稿: 前世は一在家 | 2011/12/14 22:11

> 神さまを考えると、自然にこうなっちゃう。。。

神はロゴスに あっても、論理には乗りません
あなたが、
論理に乗っても、そこが、ロゴスにあるわけではありません

ロゴスから logic(論理) logical と、
会通していくところに、齟齬が あります

旧約の世界ではなく、新訳の世界での、神学の誤解です

人の考えにあるものが神ではないのですが 、、、、

神を思うことが、神を規定してしまう ところに、
罪があるから、
背負うモノには、オウこと が、存在します

オッテモ   オワサズ
オワシテモ  オワサレヌ

あなたの自然は
不自然ではない と いいきれますか ?

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/14 21:51

前世は一在家さま おはようございます。

>もし他の動物達もいつか人間になり得るのであれば、三段論法では仏になり得ますが?

わたしは、とうぜんなり得ると思います。ブッダも、菩薩時代には、いろんな動物になっていましたものね。

>ソロモン王は偉大な王でしたが、奥方の信仰する神々を神殿に祭るという誤りをおかしました。
>そして旧約の神の怒りをかって超優秀なユダヤ民族は2千年も国を持たない流浪の民となりました。

ソロモン王のあばら骨って何本だったんでしょう。
ってのは、おいといて、

アダムとイブの楽園追放と、何だか妙に重なってしまいます。

旧約聖書(ヘブライ語聖書)って、やっぱりすごい書だなあと思います。そして、その書をまとめたのは、ユダヤの民! うう~む。
超優秀な、流浪の民。。。何とも言えない感じです。

投稿: 管理人エム | 2011/12/14 04:08

春間さま

>あなたが、神と人間を、同列に扱っていることが、
>わかりますか ?

わかります。意識的に、そうしています。
というか、旧約聖書を読んで神さまを考えると、自然にこうなっちゃう。。。

投稿: 管理人エム | 2011/12/14 03:52

こん**は、マニカナに集う皆様。

>仏教的な世界では
>人間は他の動物や自然と何ら変わりません。有情などといわれます。

法華経では人間はいつか仏になり得ると説かれております。
もし他の動物達もいつか人間になり得るのであれば、三段論法では仏になり得ますが?

>ダビデ、ソロモンと続きますと、ここだけのいい加減な仮説なんですけど、ユダヤの人々は、定住してしまうと、楽園(天国)にいると錯覚するのかな。

ソロモン王は偉大な王でしたが、奥方の信仰する神々を神殿に祭るという誤りをおかしました。
そして旧約の神の怒りをかって超優秀なユダヤ民族は2千年も国を持たない流浪の民となりました。

以上、横レスにて失礼致します。 合掌

投稿: 前世は一在家 | 2011/12/13 22:10

> ほんと、

「ほんと」 って 、 「 本当 」 のことですか

> 一番わからないのは、神さまの気持ち。

“他” = “神” がどう思っている か よりも、
自分がどうしているか を 
見て、知る ことが 先決 です
そのことが、
“他” からの視点が、自らにある  ということと、
同じであれば、
“他” の 気持ちを 思いやることが、
自らの道を開くこと に なります

“神” の 気持ち(意志)は、
“  あな“タ” の、(あなた達の中にアル彼方の)幸せ  ”
 にあります

あなたは それ を ( おこたりなく )
みつけ  実現して ( しつつあり  )
(日々) ・・ ・・ ・・  精進していますか  ?

> 人間に気を使ってるように見えるのはわたしだけ?

気を使うのは、「人」 に ある思い です
“神” には、慈しみとして人に受け止められる、
意志 が ある のみ です

あなたが、神と人間を、同列に扱っていることが、
わかりますか ?

わたしだけでも、あなただけでも、同じことです
あなたとわたし にある ことは 
“わたし” に、あることです
( あなた(ダケ)にあって、わたしになければ、
   わたし の、問題とすることができません  )
宮元君の顛倒は、「わたし」をおくことではなく、
「わたし」が、「わたし」に従属してしまい
自我(だけ)がある と なっていることを理解しないことです
( アナタ という 視点が抜けています )

アナ“タ” に あって     見えにくく
コナ“タ” に 起きていても  気付きにくい

自( “他” )の 姿は 見えますか ?

投稿: 春間 則廣 | 2011/12/13 09:03

苺矢毒蛙さま

>うーむ善悪の彼岸だ。

ほんと!
ダビデ、ソロモンと続きますと、ここだけのいい加減な仮説なんですけど、ユダヤの人々は、定住してしまうと、楽園(天国)にいると錯覚するのかな。

>最初っから難しいことを考えているから、ユダヤ教徒は頭がいいんですね。

何せ、知恵の実を食べちゃってますから。。

どんな苦難に出会っても、これは、自分たちの行為にたいする神の懲らしめと受け取ることによって耐えていけるのかもしれませんね。

>ユダヤ人の歴史書と考えれば、とても面白いですね。

そうですよね。でも、共感を持って読もうとすると、「うーん、わからん」ってとこがいっぱいあります。
ほんと、一番わからないのは、神さまの気持ち。

「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めも守る者には、幾千代にもおよぶ慈しみを与える」(十戒より)

ずいぶん、被造物たる人間に気を使ってるように見えるのはわたしだけ?

投稿: 管理人エム | 2011/12/13 07:22

マニカナ先生、こんばんわ

>そして、奥さんはダビデのものに。。ビックリです。神さまはどこに。

そして、奥さんのバトシェバから生まれたのが有名なソロモン王。うーむ善悪の彼岸だ。

ユダヤ人の歴史書と考えれば、とても面白いですね。でも、造物主のことを考えると難解なことで一生かかっても理解できそうにもないです。

最初っから難しいことを考えているから、ユダヤ教徒は頭がいいんですね。

投稿: 苺矢毒蛙 | 2011/12/12 21:57

マーキキナサイ

> まあ、

マー 諦偏 !
 (  ヘン  じゃないかな ? ? かな ?  )

> 仏教も途中から男視点が入りますね。

それが、“あなたの言うところの 仏教”です

釈迦がこう言っている、(と)わたしはこう解釈する
菩薩の示す“ところ”は、此処である と 思う
ということが、

すべて 仏教 に なりますか ?
( 出入りするようなところに仏教はありますか ? )

> 男の男視点も無明のひとつではないかと思われます。

女の女視点はどうですか ?
( 男と女に、人の違いはありません )
男・女 に 拠るのではなく、
あなたに因るのみです

中部経典 98 ヴァーセッタ ( 春秋社 原始仏典 6 397p~ )
小部経典 Ⅴ 3 大いなる章  ヴァーセッタ Sn.600 ~
( 岩波文庫 ブッダの言葉 135p )
人間には、そのように 生まれによる 異なっている 特徴はない。
髪、頭、耳、眼、口・・・・・、太腿、色、声、
これらのいずれについても、他の生き物にあるような
生まれによる別々の特徴というものはない


「女と切れなさい」 という言葉を聞いて、
「男ならどうする」 という言葉に聞こえますか ?

聞くように     キこえ、
聞こえないように キく
聞かないように   キき
聞きたくない  ト キ ニ “キ” ヲ ノガス

投稿:  春間 則廣 | 2011/12/12 08:17

苺矢毒蛙さま

>天体現象でしょう。

あら~~、かっこつけようかと思いましたが、あっさり却下されちゃいました。

>宗教って人間視点だったり男視点だったりが丸出しなのが笑えます。

うん! ほんとね。
旧約聖書の中で、王ダビデが、臣下の奥さんと不倫して、旦那さんをわざと戦地に行かせて殺してしまうお話しがあります。そして、奥さんはダビデのものに。。ビックリです。神さまはどこに。

さすがに、ナタンという予言者に、ダビデはとがめられていますけど、その相手の奥さんのことは、これっぽっちも出てきません。

女性の側から書くなら、ぜんぜんちがった世界が広がりそうだなぁ、って思いました。

表に出てこない部分が、何だか大きく物語りを作り上げているような気がしてきますね。。

投稿: 管理人エム | 2011/12/12 02:12

マニカナ先生、こんばんわ

>神のなせる業なのか、縁起のことわりを示すのか。。

天体現象でしょう。
サイエンスの因果関係が一番!

宗教って人間視点だったり男視点だったりが丸出しなのが笑えます。

まあ、仏教も途中から男視点が入りますね。男の男視点も無明のひとつではないかと思われます。

男の修行者にとって、女性には特有の業があるかないかなんてなんの意味もないわけで、しかもブッダ在世時は女性の阿羅漢もいたわけだから、素直にその言行録を学びたいところです。

自我は自分の属する集団を上位におきたいと考えるだけかと。

投稿: 苺矢毒蛙 | 2011/12/12 00:45

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