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2011/12/04

幸せに生きる?不幸に生きる?

001

昨日は、ちょっと余裕があったので、
毎日ブログを書きたい、などと、書いてしまいましたが、

書いたそばから、どうやっても無理なことが判明。


でも、一日くらいは、守ってみよう。
今日も、書くぞ、わたしプロポ。。ってか、ただのつぶやき。


母を病院から引き取って、自宅介護にするため、
いろいろしなくちゃいけないことが、山ほどあるのです。

だけど、仕事がびっしりで、何も手つかずです。

しかも、退院は、一週間後。

家の中で、引っ越し作業をしています。
あるものは全部ゴミみたいなものなのに、
でも、捨てると、困るゴミ。

ほんとに捨てると困るのかしら。

あることにも気づいていなかったのに。

捨てると困るかどうか、捨ててみなくちゃわからない。


よし! 捨ててみて、どうなるか試してみよう。

で、でも。。困ったら?

困ったら、困ろう。。それしかない。


ううん、何となく、いいかも、この考え方。

「困ったら、困る」

ことばとしても矛盾しないし、しみじみ”困れる”。(変換しないよ、困れる、って)

なぜ、どのように、何を 困るか、検討できるものね。


そうお?
たんに、おばかなだけじゃない?
困るかどうか、気づかないなんて。


でも、ね、考えたのよ、
一番困ること、それは、母が家にいないこと。

なくて困るのは、母一人。

母の居場所さえ確保すれば、後は、どうでもいいや、って。

    ***

こういう見切り発車で生きるから、悲惨なことになるんだわねぇ。。

まぁ、でも、こういう悲惨さは、まだ未体験の悲惨さだから、
試してみる価値あるかもね。

だってね、


病院は、万全に整えられた悲惨さ が、蔓延しているところ。

どこにも不備がないし、どこにもけちのつけようがないように、
検討されています。

現状が、滞りなく維持されるように、万全に配置されているのです。

現状が永遠に続く か のように、すべてがテキパキと回転していきます。

食事、リハビリ、薬、お風呂、トイレ

みんなとても親切で優しいし、テキパキと応対してくれるのです。
何の不満もありません。病院は、清潔ですし、仕事は完璧です。

このシステムとサイクルの中にはまっている限りは、天国なのです。

だけど、

この考えられた最高の配慮も、システマチックに運ばれると、
患者は、どこかに置いてきぼりを食らってしまうのです。

このシステムとサイクルにあらがう心が芽生えると、地獄なのです。

諸行は、無常なのです。

永遠のシステムにとらえられると、

患者の「行(志向作用、意志)」は、無情にも、壊れていくのです。

   ***

廃用症候群 ということばがあるのです。
使わないことによって、あらゆる心身の機能は低下し、
生きがいのない、無気力な生活へと転がっていって、
最後は、寝たきりになってしまいます。

   ***

死ぬまで生きる!

って、ここが大事だと思うのです。

   ***

生きる意味を考えるためだけでも、

人間は、荒野をめざさねばならないのではないだろうか、

って、思って、「ばーば、退院しよう」って、言うのは、どうなの?

ほんとに、いくら我が家が荒野そのものだからって、さ。

===

お、『幸福論』にもつながった!

プロポって、いいね。


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コメント

> でも、「心配かけるのは、子供の愛情」って、言ったら、怒られちゃうかもね。

怒る親なら、心配していても、無用の心配です

そういえば、親は、心配します
( 子供の愛情というものは存在しない概念です )
親になってはじめて知る、子への親の愛
子にあって知る、親の愛

“慈悲”に包まれえているうちは、“慈悲”を見ることはできません
包んで知る、包まれている “慈悲”

ナアムアーミダ   南無阿弥陀  

( み仏の慈悲・父なる神の愛 それだけが、愛です )
( 神への愛は、我が身にあって、神のみもとにはありません )
( 我が身 もとは、神 “のみ” 元 に、あります )

(  ヒトノセイ ヲ ウクル ハ カタシ   )

親に心配かけないという 配慮 は、
親子の間 のこと ではありません    
人と人 との、間のこと です

心と心の間に、隙間があれば、
親は、子が、そこに落ち込む のではないかと心配します
「心中側近」 という その心 と ブツ との 間には、
“心のひだ” という 隙間があります

落ちて 汲む     悲だ
ノゾイテ いて 知る ヒダ
ミテフレル       ヒだ

今日は 善い ヒダ
ヒダ マリ(真理)の温もりに包まれて 、、、、   

「二種の観察」 を経る道の 半ばにある “道” 
その、一つの道には、いくつものヒダがあります

投稿: 春間 則廣  | 2011/12/05 08:36

>考えなく行動すると、
>心配事さえ かけることが出来なくなります

かなりひねった言い方ですが、ある意味、そうだなぁ、と思います。

でも、「心配かけるのは、子供の愛情」って、言ったら、怒られちゃうかもね。


投稿: 管理人エム | 2011/12/05 03:03

食事は、基本的に別です

母の自分の食事を、出来るだけ自分で作らせてあげるようにしています

もちろん、時には(よく、一緒に)外食に同伴します

わたしの下着等の洗濯は、全自動の洗濯機で、一緒にしてもらいます

庭の草むしりは、指先の力がいるので、大変だと、音を上げています

考えて、してもらうことを設定する のにも、
して上げていると思ってもらえるようにするには、
多少の気遣いが必要です

考えなく行動すると、
心配事さえ かけることが出来なくなります

投稿: 春間 則廣  | 2011/12/04 17:03

春間さま

>また、家事仕事を、
>させてあげるということを、布施しよう  、、、、

意味不明じゃないですよ。
お母さまのご退院、おめでとうございます。

人というのは、誰かのために生きてるものだ、ということも、一面の真理としてあると思います。

「生きがい」というのが、やっぱり人を生かしますよね。

投稿: 管理人エム | 2011/12/04 13:01

大学病院というところは、
看護科の実習もあり、看護婦も多く
給与体系も、ある程度確立しています

衣食足りて、礼節を知る
身に足りるところがあって、他に足りうる
衣食足りて、礼節を知る
身に足りうる ところがあって、他に 足りうる

人手不足で、給与不足であれば、
我が身にかまうことが先決されても、
致し方ありません

命を削って、他を助ける
その助ける姿が、命のひかり方です 、、、、

身を削るという意味には、深浅が縁起します 、、、、

わたしに ある 母も、5か月の入院生活を終えて、
この七日に退院予定です
また、家事仕事を、
させてあげるということを、布施しよう  、、、、


意味不明かな ?

投稿: 春間 則廣  | 2011/12/04 11:12

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