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2011年12月

2011/12/30

猫のいる風景

008

やっぱり、新聞紙の上が落ち着くな。
しかし、ここんち、新聞紙ばっかりね。

003
ん?

012
にゃん!

こらぁ~!

し、しまった。
016
静物のある風景なり。。猫ではないなり。。

    ***

猫が来て、一変した我が家。

動物好きのお隣の奥様が、
「あら~、どうして、うちの前に倒れてなかったんでしょう」
って、うらやましそうに。

わたし
「ほんとぉ!うちでも、どうして、お隣の家の前で倒れてなかったの、って、
猫に言ってたんですよ。
あと、20歩、いや、10歩進めば、お隣の家だったのにぃ、って。
うちの前で倒れるより、絶対待遇がよかったのに、ね。
これも、サムや、おまえのニャン徳の足りないせいだね、って、言ってます」
 
    ***

ブログの下の方にtweetというポッチがあって、「2」と記されていました。

星飛雄馬さまがtweetしてくれていたんですね。。

なんだろ? どうすれば? 
とか、思っているうちに、てきとーにクリックしてたら、
ツイッターになってしまいました。

いつまで続くのかな。
つぶやきのお正月へと転変しそう。

    ***

ことばを、うまく!大事に!使いたい。

ことばと行為が一致しているとき、真理への門が開かれる。

そうであるとき、
世界中のどんなところからも、否定されることはない。

そのことばのもつ真理のひびきによって、誰もが沈黙する。

どんな断片的なtweetであっても、真理であれば覆されない。

ブッダのことば、聖書のことば、tweetし続けて今日に至る

というわけですね。

    ***

どことなく、tweet風なブログです。

今年も、後2日、みなさま、よいお年をお迎えください。
来年は、よい年でありますように。

022


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2011/12/26

『サンガジャパン Vol.⑧』「生きる」

023
だいぶ丸くなって、骨に触らなくなってきました。

へい!

元気になったのらねこサムの大冒険。
人間の足も写っちゃったけど、わたしの足ではありません。

とうとうダンボールのおうちを脱出して、家の中を探索しはじめました。
あっちにちょろちょろ、こっちにささっと、どこに居るのかわかりません。

ベッドの下、食器棚、本棚の棚の中。。
載ってるものを蹴散らして、置物がわりになってます。
028
テーブルの足下で、ようやくパチッ!

この子猫、およそ4ヶ月と推定されるということは、
ちょうど、おじいちゃんの亡くなった頃と同じ。。。

って、ことは、おじいちゃん??!!

生前、父は、
「まだ読んでない本があるから、
あと二年は生きなきゃだめだな」
と言っていました。

どうも、それが気になっていたのですが、
そうかっ!
これで、謎は解けた。。

本を読むために帰ってきたのか、ニャルほど。
よし、何でも読みたい本を読んでいいよ、サム。

カントでも、プラトン、アリストテレスに仏典いろいろ。
好きなものをチョイスしてちょいにゃ。

===
なに?

最新の旬の話題がほしい?
なかなか、時流に乗った 子猫であるぞよ。

そんじゃ、これは、どう?

『サンガジャパン Vol.⑧』、特集は「生きる」です。

サム、君にぴったりのテーマだ! 「生きる」とはね。
Samjap8_p_big

お!
このサイトでも話題になった難病と闘う大野更紗氏が、
「時の人」として、話題を独占。

個人的には、佐藤剛裕氏の「チベット仏教と「生の哲学」」が
興味深いです。
まだ、よく読んでいないのですが、
これからしみじみ読んでみようと思ってます。

あと、藤本先生の「仏教としての浄土真宗」
これも、すっごく興味津々。

ということは、まだ読んでないんです。

おいしいものは取っておいて、最後に食べるたちかもね。
後で、楽しみながら読んでみるつもりです。

というところで、
あまり誰も読みそうもないコーナー
石飛道子に行ってみよう。

     ***

ちょうどはまってた アランで書いてみました。

ほんとは、倍くらいの量になるところでしたが、
何とか所定の枚数内におさめたので
少々、尻切れトンボになってしまいました。

今年つらい思いをした人々に、
ささげたい。
「生きる」というテーマから、
「生きろ」というメッセージを届けたい。

さらには、

どうせですもん
「幸福に生きろ」というアランのメッセージへと
発展してもらいたいす!

そんな想いで書きました。

ブッダの説く「涅槃」は、わたしたちを理想郷へといざないます。

まったき欲望の消えた境地、
ともすれば否定的なイメージになりがちな
「涅槃」に

アランの説く強い肯定的なイメージを
かぶせてみたかったのです。

生きろ!
生きろ!
苦しくても生きろ!
もがいて生きろ!
意志をもて!

その意志の中に幸せがある。。。

サム、きみだよ、君も生きろ!
(とつぜん、個人的感情が入って、すまんこっちゃ)

     ***

『サンガジャパン』は、
特集のテーマに添った記事と
そうでない記事に分かれています。

わたしは、どっちでもいいと言われています。

それでも、みんなと一緒にテーマに合わせてみたい
と思って、書いてみるのですが、
同じテーマなはずなのに、
なぜか、わたしだけ、ちがってる。。ような気がするなぁ。

いつも不思議でたまらない。
なんかちゃうねん。。

お釈迦さまも出てくるし、諸行無常もあるし、
「一夜賢者経」も引用してますのよ。

ぶっきょうぶっきょうしてるはずなんだけど、
他の人に比べると
なんか、ちがうにおいもあるような。
おかしいなあ。

     ***

自分でもときどき思いますが、

わたしは、
ぶっきょうのわくから、
いつも
飛び出したがっている
ちび猫エム
なのではないか。

ナーガのしっぽにじゃれつくエムは、
アルジュナの木の実を好みます。

楽園から、すぐに逃避行に走るのがエム。
だから、エムの冒険になっちまう。

サムの冒険からエムの冒険に
話が、すりすりすり替わっちゃったところで、おしまい!


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2011/12/23

我が輩は猫である

我が輩は 猫である
名前はまだニャい!

なに?この出だし、盗作じゃニャいかって。。

失礼な!
猫なまりの「ニャい」で、盗作でないことがわかるだにゃ。

ところで

いまは、ちょっと赤目にゃんだわ。ほらね。
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何で、ここにいるか、って?

それはね、管理人ちの裏口付近でたおれていたからだにゃ~~。

管理人が見たとき、ブルブル震えて雪の中でうずくまって動けなくなっていたにゃ。

眼がヤニでふさがって見えない状態
鼻水で鼻がつまって息ができない状態
がりがりにやせて骨と皮の状態

ミルクをもらっても飲めずに、くたっとしてたのだにゃん。。
それで、
急いで動物病院に連れて行ってもらって、二日間入院していたのだにゃ。
点滴してもらって、目薬さしてもらって、手厚い看護だったんにゃ。

管理人、ブツブツ言ってたにゃ。。「おばあちゃんの入院費と変わらん」って。
ぼくちゃん、猫だもん、にゅーいんひ、なんて、しらんもん。。

病院からもらってきた特別製の猫の缶詰、うまいもん。
管理人が、「いいにおい、おいしそう。。」って、ねらってるにゃ、あぶないにゃ。。

ちょっと元気になってきたもんにゃ。
ほら、こんなだにゃん
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ぼく、ここんちに住むことにしたにゃん。。

外は雪だし、こんな家でも外よりまだましだからにゃん。

ぼくのうち、ダンボールと新聞紙のおうちだにゃ~
もっとゴーカにしてほしいにゃ。

====
はぁ、人の気も知らないで、のんきな猫だにゃ。。あらら、うつっちゃった。

ほんとに危ないとこだった。
数時間後に見つけてたら、助からなかったかも。

病院では、体温が低すぎて測れず、
脱水がひどくておしっこもでなかった、と言われました。

えさも食べられず、水も飲めずに
眼が開かず、鼻もきかず。
生後4ヶ月くらいの雄です。

でも、ひどい状態のわりには、何とか無事に回復しそうな感じです。。

うれしいけど、でもねぇ、複雑。

ようやく、仕事が一段落してきそうだと思ったら、
これだもん。
絶対、暇とは縁がない暮らしだよね。

ああ~ぁ、これも、何かの因縁なのかなぁ。。

おじいちゃんがいなくなったから、代わりに猫がきたのかもね。
なんか、手間がかかりそうな、嫌な予感がするんだわ。

ふん、そんなこと、ぼく関係ないもん。
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それより、早く名前つけてよー。


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2011/12/20

転落し続けると。。

写真三枚そろえば、どこかクリスマスっぽい雰囲気じゃありませんか。
どうでしょう?
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いつも「忙しい、忙しい」と言ってますが、

ほんとに忙しくて

あまりに忙しかったので

何も忙しくないような気がしました。

もう、
何が大事で、何が大事でないか、
何をすべきで、何はしなくてよいか、
ほとんどわからなくなりました。

土壇場でとっさに決断しても
あれこれずっと熟慮していても、
いざ、やるときには、それらは関係ありません。

その場が、きちんと ”おさまっている” ということが、
大事なのです。

ですから、世間が求めるもの

”その場をきちんとおさめること”

ここをクリアすれば、OKなのlだ、と気づいたのです。
ブッダの生き方なのです。。


え?ほんとなの?


そうですっ!!
ブッダの生き方を、経典に探ると、そういうことになるのです。


また、またぁ~、いい加減なこと言ってぇ。


いえ、いい加減ではありませんっ!
対機説法というのは、こういう。。いい加減。。じゃなかった
臨機応変の生き方を、端的に述べたものなのです。


追い詰められると、いろんなこと言い出しますねぇ、管理人。


いろんなことではありませんっ!
一つのことです。
縁起、これっ ひとっつ ですっ。


ふーーん、ま、でも、追い詰められてることに、変わりはないすね。


追い詰められて、いるように見えるけど。。追い詰められてますっ。。
じゃ、なくて、

貧すれば鈍す
窮すれば通ず

って、ことなのです。
「貧すれば鈍す」は、「窮すれば通ず」の枕詞で
この場合、あんまり意味ないす。

後の
「窮すれば通ず」が大事。

これって、縁起のことわりでもありますっ!
出たとこ勝負、ともいいますっ!

智慧さえわき出れば、その場にぴたっとはまって、
あらかじめ予定していたかのように、
万事がスムーズに進展するのです。。

だからね
終わって、いちばんホッとしながら、ビックリしてるのは、わたし。。
な、なんか、うまいこと、いったんちゃう?
ばれてな~~い。。? だいじょぶみたい。。ほっ!
も~~、どうなることかと思った。。。

って、こんな感じになるのです。。よ、よかったぁ~、生きてるぜって。

ま、

それにしても、わたしの人生って、
綱渡りの人生だわっ、

ってか

転落し続ける人生だなぁ~

でもね、
転落してても、底が見えなきゃ、底につかなきゃ、

転落ではないっ!!

とも言えるかな?

言えないか、ははは。

===

よし、日記も書いた、っと。

介護がはじまったら、なんか、腰が痛いす。
気をつけよっと。

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2011/12/11

009
自然露光では、きついです。

でも、なかなか冬っぽい感じで、雰囲気は好きです、この写真。
テレビ塔の建物と、よくわかんないイルミネーションに、恋人らしい二人。

それと、忘れちゃいけない、テレビ塔の左に小さく ○  これは満月!

月食だったんですね。
昨日、10日の月です。

===
さて、母が退院してきました!

手足がきかないので、いろいろ介護の心配もあるのですが、
何だかたいしたことではないような気がします。

今のうちだけかもしれないけどね。

それにしても、遠い病院に通わなくて済むので、
介護を考えても、気分的に楽。

家に帰りさえすればよい、というのが、よい!
やったー!

母も、病人から、一気に、障害をもったふつうの人に格上げになりました。
この気分のちがいは、ほんとに大きいです。

ようやく家が、明るく復活してきました。


===
浅野順一氏『旧約聖書を語る』(NHKブックス)
竹下節子氏『聖母マリア <異端>から<女王>へ 』(選書メチエ)

二冊を読んでいます。

一神教の世界においては、
仏教とはまったく異なる思考のあり方が必要です。

浅野氏の書は、以前にも読んだのですが、
再び読むと、また、多くのことに気づきます。

キリスト教的な世界では
人間が他の動物や自然とはちがって、特別である、といわれます。

仏教的な世界では
人間は他の動物や自然と何ら変わりません。有情などといわれます。

なぜ、こんなに、ちがうのでしょう。

神が、人間を作るとき、
神は、人間を人格として創造されたからだ、と浅野氏はいいます。

神が人格であるように、人間も人格として作られたので、
他の動物とはぜんぜんちがう。

他の動物が長生きしても、ただの長生きだが、
人間の長生きは、神の祝福を受けているあらわれなのだ、

と、このように考えられるのです。

ふーーーん、なるほど、そうなのか。

仏教では、長く生きるも短く生きるも、縁起によって起こる。
このことわりは、生きとし生けるもの、自然、すべてに当てはまる。

動物が長生きするのも縁起によって
人間が長生きするのも縁起によって


自然にたいする態度も、
西洋と東洋とでは、ちがいがありますが、
これも、このような宗教的なちがいの影響もあるかもしれませんね。

人為によって、自然を作り替えようとする欧米。
自然とあるがままに融和していこうとする東洋。

ありきたりではありますが、しかし、
キリスト教的な思惟の色濃い世界と
仏教的な思惟の色濃い世界とでは、やっぱりちがいが出ますよね。

人間の特権意識は、神からの祝福によって生まれてくる。
生類への平等観は、縁起のことわりによって生まれてくる。

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欠けるときもあれば、満ちるときもある月。

神のなせる業なのか、縁起のことわりを示すのか。。


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2011/12/04

幸せに生きる?不幸に生きる?

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昨日は、ちょっと余裕があったので、
毎日ブログを書きたい、などと、書いてしまいましたが、

書いたそばから、どうやっても無理なことが判明。


でも、一日くらいは、守ってみよう。
今日も、書くぞ、わたしプロポ。。ってか、ただのつぶやき。


母を病院から引き取って、自宅介護にするため、
いろいろしなくちゃいけないことが、山ほどあるのです。

だけど、仕事がびっしりで、何も手つかずです。

しかも、退院は、一週間後。

家の中で、引っ越し作業をしています。
あるものは全部ゴミみたいなものなのに、
でも、捨てると、困るゴミ。

ほんとに捨てると困るのかしら。

あることにも気づいていなかったのに。

捨てると困るかどうか、捨ててみなくちゃわからない。


よし! 捨ててみて、どうなるか試してみよう。

で、でも。。困ったら?

困ったら、困ろう。。それしかない。


ううん、何となく、いいかも、この考え方。

「困ったら、困る」

ことばとしても矛盾しないし、しみじみ”困れる”。(変換しないよ、困れる、って)

なぜ、どのように、何を 困るか、検討できるものね。


そうお?
たんに、おばかなだけじゃない?
困るかどうか、気づかないなんて。


でも、ね、考えたのよ、
一番困ること、それは、母が家にいないこと。

なくて困るのは、母一人。

母の居場所さえ確保すれば、後は、どうでもいいや、って。

    ***

こういう見切り発車で生きるから、悲惨なことになるんだわねぇ。。

まぁ、でも、こういう悲惨さは、まだ未体験の悲惨さだから、
試してみる価値あるかもね。

だってね、


病院は、万全に整えられた悲惨さ が、蔓延しているところ。

どこにも不備がないし、どこにもけちのつけようがないように、
検討されています。

現状が、滞りなく維持されるように、万全に配置されているのです。

現状が永遠に続く か のように、すべてがテキパキと回転していきます。

食事、リハビリ、薬、お風呂、トイレ

みんなとても親切で優しいし、テキパキと応対してくれるのです。
何の不満もありません。病院は、清潔ですし、仕事は完璧です。

このシステムとサイクルの中にはまっている限りは、天国なのです。

だけど、

この考えられた最高の配慮も、システマチックに運ばれると、
患者は、どこかに置いてきぼりを食らってしまうのです。

このシステムとサイクルにあらがう心が芽生えると、地獄なのです。

諸行は、無常なのです。

永遠のシステムにとらえられると、

患者の「行(志向作用、意志)」は、無情にも、壊れていくのです。

   ***

廃用症候群 ということばがあるのです。
使わないことによって、あらゆる心身の機能は低下し、
生きがいのない、無気力な生活へと転がっていって、
最後は、寝たきりになってしまいます。

   ***

死ぬまで生きる!

って、ここが大事だと思うのです。

   ***

生きる意味を考えるためだけでも、

人間は、荒野をめざさねばならないのではないだろうか、

って、思って、「ばーば、退院しよう」って、言うのは、どうなの?

ほんとに、いくら我が家が荒野そのものだからって、さ。

===

お、『幸福論』にもつながった!

プロポって、いいね。


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2011/12/03

風のまにまに、マニカナまにまに。

ものを考えない日はないのだから、
毎日、ブログを書こうと思えば、書けるんだなぁ、と思う。

理屈としては!

しか~し、いつも、書く時間がない。

「つぶやき」みたいのにすればいいのかもしれないけど、
わたしって、つぶやき出すと、「つぶやく」だけじゃすまなくなる。

常時、ブツブツ、ブツブツ、…

そのうち、仏仏、仏仏、

仏ばかりになっちゃうし。

    ***

アランの『幸福論』(岩波文庫)のあとがきに、
神谷氏が、「プロポ」について、説明してくれます。

「プロポ」というのは、アランがつくり出した文学形式で、
紙葉一枚二ページに書かれた断章のこと、だそうです。

アランの『幸福論』は、原題を

Propos sur le bonheur
幸福についてのプロポ

というのです。

印象深く思ったのは、アランは、このプロポを

毎日書いた、

というところです。
書きたい日も、書きたくない日も、毎日!
二時間で一気に書き上げた、とあります。

すごい。。
1日二時間、そこに費やせるというのが贅沢といえば贅沢。。

なんて、言ってはいかん!です。

「書く」ということの意味を、そこに見出します。
毎日書くから、リズムができる、自然なリズムが。

このように神谷氏は、説明してくれます。
たしかに、リズムがあります。

それと同時に、
思考の自然な流れの中に、
アランの志向(意志)も自然に流れます。

恣意によらずに意志する人 アラン

アランは、行者です。

行為が、ことばを生み、ことばが行為となりますね。

   ***

知行合一の姿をアランに見て、

わたしも、毎日、プロポ、書きたいなと思うのです。

二時間も、どうやって、時間を作り出したらいいのでしょう。。

   ***

後先考えず、毎日書く。。。残りをてきとーに生きる。

やって、みよーかな。

仕事、なくなるかも。。

え、なに?


今と変わらないんじゃない、って。

かもね。。。
なんせ、わたしのやることだしね。

揺れる心は、二つの葉のように対称的に。
022
一陣の風が吹いて、大きな二枚の葉は、定められたように向き合いました。
しかも、裏と表に。


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