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2011/11/30

マッチ売りには、マッチ売りの小さな考えがある

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おや、なんだろ?
大通りの一画にこんなものが。。

へえ、サッポロとは思えないおしゃれなものがいっぱい!
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お菓子のおうち!

だれだい?わたしの家をかりかり食べるのは。

風です、風ですよ。。ぽりぽり。。

って、ありましたね。
ヘンゼルとグレーテル。
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こんなおうちに住めたら。。

まずいかも。。すぐ、おうちがなくなってしまう。。

みんなが訪ねてきては、
ドアや窓枠なんか食べてったりしたら、
そのうち、土台だけになっちまうな。

どれどれ?
他にはどんなものがあるのかしらね。
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窓に貼られたレースの飾り。。
美しい~! お値段も、なかなか。
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クリスマス用のつるす飾りも。
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ヴァイオリンの飾りもある。ちょっとピンぼけだ。
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こんなにきれいなものを見ていると
我が身をふりかえって

マッチ売りの少女になった気分だなぁ。
寝不足で仕事いっぱいのあわれな身分。

ま、少女ってのが、問題あるけど、

「マッチ売り」ってところは、当たってそう。。

====
でも、湿っぽい話は、ちょっとがっかりだよね。

さ~て、ちょっと、元気出しますか。マッチ売りは。

マッチ売りのわたしには、元気になる秘訣があ~る。

この前から、玩味熟読しているアランの『幸福論』。
何度読み返したかわからないほど読みました。

ブッダの教えにも似ているところがある。
ブッダの教えに似ていいないところがある。

どっちにしても、これは、元気の出る本だ。
以下は、神谷氏訳、アラン『幸福論』88「詩人たち」(岩波文庫)より。

    ***

「ところで、人を益するわざというのはみな、それ自身美しい、
また人間の顔を美しくするものだ。
美しい顔というのは人に不安をあたえない。
これは普遍的真理だ。」

なるほど。ほんとだ!

「そこからぼくは、あえて考える。
完全性[真理]の間にはどんな対立もないだろう、
衝突し合うのは不完全なものどうし、
あるいは悪徳どうしではないか、と。」

なるほど、ほんとだ!
ブッダも、言ってる。争うな、って。

「恐怖心はそのことの顕著な例である。
したがって、人に考えを強いるやり方、
暴君や臆病なものはいつもそのやり方をするが、
それはつねに御しがたい愚かさであり、狂気の温床である、
とぼくは思った。」

ぼくも、思ったよ。

「人に考えを強いるな、自由にさせてやりたまえ、
怖がるのはやめたまえ。
自由な人間は柔和な者で、武器など持たない。」

   ***

そうだ。強い者は柔和な者である。
武器を持たず、何ものからも自由である。

あらゆるものから自由になれば、恐れはないし、
いつも幸せである。

そんな人を、一人だけ知っているね。

いつも、マッチ売りのマッチに火をともしてくれる人。
いつも、どんなときにも強いることをしない人。

それは、経典の中で、肌で感じる。

かれは、けっして押しつけない。
にもかかわらず、心配してくれる。

わたしのためにある人。

それは、ね!

みんなのものでもある人、 ブッダ!

   ***

ほんとなら、ここで終わるんだけど、もうちょっと。


いつも、アランを読むと、アランは、ブッダのことを

賞賛しているんじゃないかと思ってしまう。

出会ったことはないだろうけど
知らないだろうけど

アランは、きっと、ブッダ(理想の人)を心の中に描いていたと思う。

84「楽しませること」というエッセーの最後を読んで、
すごくそう思った。

「ほんとうの礼儀作法とは、むしろよろこびが伝わって行って、
すべての摩擦がやわらぐところにあるのだ。 
ところが、このような礼儀作法を教えていおるところは
ほとんどどこにもない。
いわゆる礼儀正しい社交界のなかで、
ぼくは腰の低い人をたくさん見たが、
本当に礼儀正しい人間には今まで一人も出会ったことがない。」

ほらね。
ほんとうに礼儀正しい人は、洗練された社交界にもいない。
知性と教養が重んじられる西欧社会において、
社交界の中にいなければ、おそらく、そんな人はどこにもいないだろう。

つまり、西欧にはいない、って、ことだと思う。

かれの理想とする人は、
西欧にはいないレベルの礼儀正しさをそなえた人なのです。

そんな人で、現実に思いつくのは、やっぱ、ブッダでしょ?!

アランは、
きっと、

ブッダが好きだよね。

って、マッチ売りは思うのだ!

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コメント

前世は一在家さま おはようございます。

>つまり顔色が悪いのではなく、顔の周りの気が暗いのですね。

そうですか?!
意識したことがありませんでしたので、よくわかりませんが、そうお聞きすると、そんな気もしてきます、たしかに。
心が大事ってことでしょうか。 
   輝く心でありたいですね!

今日もお元気で! 


 

投稿: 管理人エム | 2011/12/04 09:00

補足します。>ミチ先生

>それにしても、5人もオーラのある方に出会えるとは、うらやましい。

白く輝いて見える人が5人でして、逆に顔の周囲がダークに見えた人はその何十倍もいたように記憶します。

つまり顔色が悪いのではなく、顔の周りの気が暗いのですね。

投稿: 前世は一在家 | 2011/12/03 13:19

前世は一在家さま

>親切な人のお顔は美しいことが多いです。

ほんとに!!
アランのことばも、まったくその通りだなぁと思いましたです。

>精神が高みに達し、慈愛に満ちた方のお顔は実際に白く輝いて見えます。

透明感のある美しさですよね。

ブッダとなったゴータマは、五人の比丘のところに出かけていき、「不死を得たから、どうか話を聞いてくれ」と訴えます。
その時拒否されるのですが、三度目に「今までこのようなことを説いたことがあったか」というと、ゴータマのいうことばを聞いて、比丘たちが、話を聞こうという気持ちになります。

この「このようなことを説いた」という部分ですが、人によっては「このように(顔が)輝いていたこと」と訳しているものがあるのです。

どちらも可能な訳だと思います。
ここから思いましたのは、

真実を語る人(の顔)は光り輝く

ということです。
たぶん、歩いてくる姿も光の中から現れるようではなかったかと思うのです。

ほんとに「後光」がさしてる感じでしょうね。
経典の中にいるブッダは、わたしにも、白く透明に輝いて見えます。
ときに、龍樹も、若々しくすがすがしい透明感があります。出家のエピソードは、変だけど(笑)。

それにしても、5人もオーラのある方に出会えるとは、うらやましい。

投稿: 管理人エム | 2011/12/03 11:02

ミチ先生、こん**は。

>人を益するわざというのはみな、それ自身美しい、また人間の顔を美しくするものだ。

親切な人のお顔は美しいことが多いです。
精神が高みに達し、慈愛に満ちた方のお顔は実際に白く輝いて見えます。
「あーこれがオーラなんだな」と感じた方には5人ほど出会ったことがありんす。

たぶん釈尊に出会った人々の何人かは同様に感じたのではないでしょうか。
オーラは仏教用語で言えば「後光」で宜しいですか。

投稿: 前世は一在家 | 2011/12/02 20:44

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