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2011年11月

2011/11/30

マッチ売りには、マッチ売りの小さな考えがある

011
おや、なんだろ?
大通りの一画にこんなものが。。

へえ、サッポロとは思えないおしゃれなものがいっぱい!
013

お菓子のおうち!

だれだい?わたしの家をかりかり食べるのは。

風です、風ですよ。。ぽりぽり。。

って、ありましたね。
ヘンゼルとグレーテル。
014
こんなおうちに住めたら。。

まずいかも。。すぐ、おうちがなくなってしまう。。

みんなが訪ねてきては、
ドアや窓枠なんか食べてったりしたら、
そのうち、土台だけになっちまうな。

どれどれ?
他にはどんなものがあるのかしらね。
016
窓に貼られたレースの飾り。。
美しい~! お値段も、なかなか。
017

クリスマス用のつるす飾りも。
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ヴァイオリンの飾りもある。ちょっとピンぼけだ。
020

こんなにきれいなものを見ていると
我が身をふりかえって

マッチ売りの少女になった気分だなぁ。
寝不足で仕事いっぱいのあわれな身分。

ま、少女ってのが、問題あるけど、

「マッチ売り」ってところは、当たってそう。。

====
でも、湿っぽい話は、ちょっとがっかりだよね。

さ~て、ちょっと、元気出しますか。マッチ売りは。

マッチ売りのわたしには、元気になる秘訣があ~る。

この前から、玩味熟読しているアランの『幸福論』。
何度読み返したかわからないほど読みました。

ブッダの教えにも似ているところがある。
ブッダの教えに似ていいないところがある。

どっちにしても、これは、元気の出る本だ。
以下は、神谷氏訳、アラン『幸福論』88「詩人たち」(岩波文庫)より。

    ***

「ところで、人を益するわざというのはみな、それ自身美しい、
また人間の顔を美しくするものだ。
美しい顔というのは人に不安をあたえない。
これは普遍的真理だ。」

なるほど。ほんとだ!

「そこからぼくは、あえて考える。
完全性[真理]の間にはどんな対立もないだろう、
衝突し合うのは不完全なものどうし、
あるいは悪徳どうしではないか、と。」

なるほど、ほんとだ!
ブッダも、言ってる。争うな、って。

「恐怖心はそのことの顕著な例である。
したがって、人に考えを強いるやり方、
暴君や臆病なものはいつもそのやり方をするが、
それはつねに御しがたい愚かさであり、狂気の温床である、
とぼくは思った。」

ぼくも、思ったよ。

「人に考えを強いるな、自由にさせてやりたまえ、
怖がるのはやめたまえ。
自由な人間は柔和な者で、武器など持たない。」

   ***

そうだ。強い者は柔和な者である。
武器を持たず、何ものからも自由である。

あらゆるものから自由になれば、恐れはないし、
いつも幸せである。

そんな人を、一人だけ知っているね。

いつも、マッチ売りのマッチに火をともしてくれる人。
いつも、どんなときにも強いることをしない人。

それは、経典の中で、肌で感じる。

かれは、けっして押しつけない。
にもかかわらず、心配してくれる。

わたしのためにある人。

それは、ね!

みんなのものでもある人、 ブッダ!

   ***

ほんとなら、ここで終わるんだけど、もうちょっと。


いつも、アランを読むと、アランは、ブッダのことを

賞賛しているんじゃないかと思ってしまう。

出会ったことはないだろうけど
知らないだろうけど

アランは、きっと、ブッダ(理想の人)を心の中に描いていたと思う。

84「楽しませること」というエッセーの最後を読んで、
すごくそう思った。

「ほんとうの礼儀作法とは、むしろよろこびが伝わって行って、
すべての摩擦がやわらぐところにあるのだ。 
ところが、このような礼儀作法を教えていおるところは
ほとんどどこにもない。
いわゆる礼儀正しい社交界のなかで、
ぼくは腰の低い人をたくさん見たが、
本当に礼儀正しい人間には今まで一人も出会ったことがない。」

ほらね。
ほんとうに礼儀正しい人は、洗練された社交界にもいない。
知性と教養が重んじられる西欧社会において、
社交界の中にいなければ、おそらく、そんな人はどこにもいないだろう。

つまり、西欧にはいない、って、ことだと思う。

かれの理想とする人は、
西欧にはいないレベルの礼儀正しさをそなえた人なのです。

そんな人で、現実に思いつくのは、やっぱ、ブッダでしょ?!

アランは、
きっと、

ブッダが好きだよね。

って、マッチ売りは思うのだ!

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2011/11/19

幸せであれ!アラン『幸福論』

018
お、観光地札幌。

たまたま通りかかって、写真に撮ってみたら、
案外、それっぽいですね。

まるきり、時計台ですね、どう見ても。

雪の札幌
時計台が二時をが知らせします、の図です。
016_2

====
最近、読んでるもの。

アラン『幸福論』

アラン研究者で訳者の神谷幹夫先生が、

三万人のための情報誌 『選択』 11月号掲載の

こんなコラムをわたしに教えてくださった。

「アラン「幸福論」が静かなブーム」
         ↓
http://www.sentaku.co.jp/category/culture/post-1963.php

そこで、さっそく、通勤時間に読んでいます。

神谷幹夫先生訳アラン『幸福論』(岩波文庫)

哲学者らしくない 哲学者

といわれるアラン。

そんなことはない! です。

土性骨の坐った、生粋の(?) 哲学者だあ!

何しろ、他の哲学者たちとは、ちょっとちがって、

なんと
なんと
なんとぉ

★人々の役に立つ★ という 希有な人なのです。

ふつう、「何の役にも立たないのが、哲学者」、
ってことになってると思うんだけど、

かれは、シンプルで力強いメッセージを手に、
人々に、役立つことを、語りかけてくれるのです。

かれは、ウソをつかない。

63節「雨の中で」で、哲学者について、こんな風に書いてあります。

====
世話(せわ)にもよく言われているとおり、
哲学者とは、どんなことがらにおいても、
いちばんぴったりして最も人を元気づけることばを選ぶこと、
すなわち、真理の的を射抜くことのできる人間である。
====

オーライ!
その通りです。アラン先生。

おっしゃるとおりです。

なぜなら、
『幸福論』に書いてあることは、
真実のことであって、
読むと、その通りになっていく
そんなことが書いてあるからです。

92節「幸福にならねばならない」 と、
書いてあります。

そして、『幸福論』を読み終わると、

たしかに 言われたとおり、

「幸福にならねば」と思って、幸福になっている自分が、います。

読み終わって、
この本は、真実の哲学者の書いたものであることが、
はっきりとわかる仕組みになっているのです。

すごいぞ、アランせんせ!

こういう書は、めったにありません。

わたしの知っているのでは、他にあるのは、
ブッダのことばを綴る 『阿含経典』 です。


ブッダの説くことばと共通する たくさんのことばを
『幸福論』の中に見つけましたよ。

人はみな、幸福に生きねばならない。そうだ。そのはずだ。

ブッダも、言ってるではありませんか。
===
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、
決してしてはならない。
生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

いかなる生き物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、
長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、

目に見えるものでも、目に見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これjから生まれようと欲するものでも、

一切の生きとし生けるは、幸せであれ。
(『スッタニパータ』145~147)
===

ブッダの、このメッセージにあわせて、
アランせんせっ!
どうか、コラボレーションしてください。
幸福のメッセージを最後に、どうぞ。

=====
最初はどんなにおかしな考えに見えようとも、
幸福になることを誓わねばならない。

主人の鞭によって、あの犬どものうなり声をすべてやめさせねばならない。
最後に、用心のために言っておく。

憂鬱な思考はすべて、自分をだます魂胆だと思ってさしつかえない。
そう考えてよいのだ。

なぜなら、われわれは何もしないでいると、
すぐに自ずと不幸をつくり出してしまうものだから。
(94節「誓わねばならない」)
=====

それでは、わたしも、ちょっと早いけど、
幸福であれ、と、こんな写真で、締めてみよ、っと。

012

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よよ、ツリーにも、ちゃんとメッセージがありました。
よおし~ぃ!


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2011/11/11

いるだけでいい人

001
以下の物語(?)は、先週のある日のできごとです。

====

地上は、雨がばらばら降ってきたので
地下の歩行空間にもぐりました。
そこには、こんなオブジェが展示されていました。
おしゃれですね。

今日は、ちょっと時間があったので、
ビッグイシューのKさんのとこによってみよ。

Pic_cover
寒くて、時折、すごい風と雨がたたきつける最悪のお天気。

Kさんは、わたしを見て、ものすごく喜んでくれました。

「しばらくぶりですね」っと、わたし。

「こんな天気だから、お客さんは通らないし、
もう意地で立ってたんですよ。
ああ、うれしいなぁ。やったぁ。
立ってたかいがありましたぁ」

ひぇ~、そんなに喜んでくれるなんて!
ただ、ちょっと立ち寄っただけなのに。

もう、手放しに喜んでくれるんで、
こっちも、うれしくなって、
二人で、雨がばらばらたたきつける中で、
ビルの下で雨を避けつつ
楽しく会話に花を咲かせてしまいました。

「やっぱり、ちゃんとサボらず立っていないと
お客さんは、ちゃんと見ていますから」

「どうせ、長続きしないんでしょ、みたいなことを
言われることもあります」

「3ヶ月立ち続けて、ようやく買ってくれたお客さんもいました」

ふうん、たいへんなのねぇ。
でも、わかるかな、やっぱり、「売るぞ」っていう熱意だよね。
一生懸命がんばっていると、誰かしら手をさしのべてくれる。

そういえば、わたしも、Kさんとこに寄ってみよ、っと思うのも、
いつもの場所に絶対立ってる、って信じるからだものね。


それにしてもねぇ、居るだけでこんなに喜ばれるなんて!

なんて幸せなんでしょか。
別に、何もしてない。
たいした役にも立ってない。

なのに、こんなに喜ばれるなんて。


おお、わたしは、居るだけでいい人。。。

ん?

ちょっと、なんか抵抗ある表現かな。

居るだけで、良い人  (これならいいけど)

いるだけでいい人   (とりえなし)

いるだけぇ、の人ぉ~。。(ちょっとさびしいかな)


そういえば、表紙が、斉藤和義氏。
これも、うれしいね。

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2011/11/08

輪廻列車は銀河鉄道をひた走る

001
何とはなしに、線路というものは、いいもんだ、

って、気がするな。

でも、先日、線路にひび割れが見つかったとかで、
ずいぶんダイヤが乱れて、列車は1時間も遅れました。
いろいろあります。


    +++

線路と、
最近はまってる宮沢賢治と、
そして、
引き出しの中から出てきた星座早見表。

この三つが合わさって、「銀河鉄道の夜」
という物語のことを思い出しました。


頭の中では、ずっと「銀河鉄道の夜」のお話が鳴り響いていますが、
書いてる文章は、次のようです。
あんまり、関係ないかな。。

    +++

線路は、途切れちゃ、用をなさないように、
人の一生も、途切れては、用をなさない。

人の一生というより、生類の生涯って、言った方がいいかもね。


輪廻の長い線路は、どこまで続くのだろう。

人は、死んでも、いつもこの世界に戻ってくる。

死んでも死んでも死んでも死んでも、この世界に戻って、
似たような生涯を送ってしまうのだろうね。


===
生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し
===
(空海『秘蔵法鑰』)


そのとおりだよね。


よく、

「前世のことは記憶がないのだから、
輪廻してても、この一生しかないのと同じである。
だから、輪廻を考えることは意味がない」

とも、聞くけれど、ほんとにそうだろうか。

輪廻していると知るならば、前世がどんなであるか、なんて、
自ずと知れちゃうことではないだろうか。

よく、

「死んだことないから、死んだ後どうなるかなんて、
わからない。だから、考えても意味ない」

とも、聞くけれど、ほんとにそうだろうか。

生まれてきたら死ぬとわかっていれば、死んだ後どうなるか、なんて、
自ずと知れちゃうことではないだろうか。

    +++

この世の中、善いことなんて一つでもあっただろうか、って
考えてみると
たいして善いことも起こらず、変わり映えしないのが毎日である。

そんな毎日を積み重ねて、やがて死を迎える。

あり得ないような、珍しいことなんて、何にも起こらない。
奇跡なんて、起こるのが奇跡なんよ。

つまりね、
起こることは、原因があって起こることしか起こらない。

寂しい話だけど、みんな結果なんて、想定内のできごとばかり。。

原因もないのに、起こったものは、見あたらないし、
また、そんなものが起こっても困ってしまう。

そうなると、生まれてくるには原因があるとわかる。
そうなると、死ぬにも原因があるとわかる。

    +++

このことを知らないので、

「生の始めに暗い」
「死の終りに冥い」

と、言われてしまうのね、空海さんに。

こうして、無知の闇の中で、
原因を知らないまま、
因果にしたがい
おのずと輪廻しちゃうわたしたちなのです。

    +++

今、生きていること、そのことが、もうすでに輪廻の証のようなものである。

原因があるから、生まれて、今生きている。
原因があるから、生きている者は、死んでいく。

だから、

原因を知ったものは、生を乗り越え、死を乗り越えられる。

輪廻の線路がどうなるのかは、その人だけが知っている。

    +++

暗い銀河の世界をひた走る銀河鉄道は、
人々の生と死を運んでいく、
どこまでも行く輪廻列車のようです。

主人公ジョバンニは、永遠のさいわいを探しに行こうと、
カンパネイラに話しかけます。
「僕たち一緒に行こうねえ」

ところが、カンパネイラは消えてしまいます。
胸を打って泣き叫びますが、そこら辺がまっくらになったように感じるだけなのです。

眼を開けて、ジョバンニは、眠っていたことを知るのです。
そして、現実の世界に戻って
カンパネイラが川に落ちていなくなったことも知るのです。

    +++

ジョバンニは、この輪廻する世界の中で、一人で幸いを
探しに行かなきゃらない。


かれの行く手は、こんなかな。
003

誰でも、輪廻の列車に乗ったものは、一人で行く。
一人でどこまでも出かけて、
線路の先がどうなっているのか確かめに行くんだね。
みんなの幸いを探し求めて。

    ***

話は、一応まとまったかしら。。。ね。

「銀河鉄道の夜」は、悲しい輪廻のファンタジー。
銀河鉄道から、現実に落ちて、
いつもあたりまえに苦しく悲しいことだけ起こることを知るのです。

だけど、救いは、永遠の幸い。ジョバンニのことばは心強いね。

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2011/11/04

『ダンマパダ』のすすめ

019
つたの芸術です。

なんか、のびざかり、ってかんじのつたですね。

====
本日、朝日カルチャーセンターで特別講座があります。
夕方6時半からです。

よろしかったら、きてくださいね。札幌ですけど。


前日から予習してたら、今になっちゃった。
朝は、講義をふたつやって、
夕方は、特別講座。。。きつっ!

終わったらへろへろになりそ。
8時に終わったら、20時間以上起きてることになる!

講座の途中で、ダウンしませんように。なんまいだー。

=====

さて、さて、最近『ダンマパダ』をじみ~~に読んでいますが、

この経典、なかなかすごいですね。

書いている内容もさることながら、

ものすごくよく編纂されていると、

★編纂の妙★ (パチパチ)

に、ひとしきり感動しています。

『ダンマパダ』は
全部で26章からなっていて、
423の短い句からなっています。

この章立てと詩句の配置が、すばらしいのです。

こんなところに感動するとは、思わなかった。

時間がなくて、一章だけしか読めない人も、
第一章の20の詩句だけで、ちゃんと悟れるようになってます。

順序立てて、きちんと行って行くなら、第20偈で、
立派な行者になっている予定です。
すごい。

   ~~~

『ダンマパダ』は、初学者のための経典として最適、
と言われますが、

なるほど!
これさえあれば、ブッダの法が身につくようになってます。

   ~~~

『ダンマパダ』は、やさしく要点が説かれていますが、

なるほど!
奥が深くて、ずっと愛読しながら進んでいけます。

   ~~~

『ダンマパダ』は、専門用語も多くはないし、体系だってもいないのに

なるほど!
行きつ戻りつしながら読んでいると、
ブッダの法の構造が見えてくるところがあります。

   ~~~

『ダンマパダ』は、
ふつうの人が、ふつーに読んでもわかる。
ふつうでない人が、ふつーでなく読んでもわかる。

味わいの深いことばや句が、連なっています。

日本語訳では

友松圓諦氏訳『法句経』(講談社学術文庫)

文語調の訳が、何だか、とってもかっこいいです。

すごく上手な訳だと思うけど、
現代人には、流麗すぎてつかみにくいかしら、どうかな。

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それじゃちょっと。。寝るかな。1時間だけ。

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2011/11/01

燃える!!

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よし!
こんなに、世の中、燃えてるものがあるんだ。

君も、燃えてみないか。

と言いたくなるほど、紅葉は燃えています。

でも、

ブッダは、燃えちゃいけない、って言ってましたっけね。

「一切は燃えている。
比丘たちよ、一切が燃えているとは、どのようなことであろうか。

比丘たちよ、眼は燃えている。色は燃えている。眼の認識は燃えている。
眼の接触するところは燃えている。

  ………

では、それらは何によって燃えているのであるか。
それは、貪りの火によって燃えているのであり、
瞋(いかり)の火によって燃えているのであり、
愚かさの火によって燃えているのであり、
あるいは、
生老死により、愁・悲・苦・憂・悩によって燃えている」
(『サンユッタ・ニカーヤ』35.28 増谷訳より)

貪・瞋・痴という、三つの毒によって燃えるのは、勘弁よ。

だけど、

欲に溺れるのでもなく、
怒りに震えるのでもなく、
無知に沈むのでもなく、

そうであっても、
燃えるってことは、あるんじゃないかと思ってる。

ほんとはね!

赤い血が流れているなら、
やるべきことを見つけて
「燃える」ことだってある。

沙門ゴータマも、
不死を求めて
理想に燃えたんじゃない?

龍樹だって、
経典を探し求めて
心が燃えたんじゃない?

だって、

そうじゃなかったら
なぜ、
こんなに紅葉が赤く燃えるのか

誰も説明できないのじゃない?


そうだよね。

人は、行(ぎょう、意志)によって、進んでいく。

行を滅して、悟りに至ろう、と思うときだって、

やっぱり、「行」の力で進むんだよね。


諸行は無常だからこそ、行をうまく生かして使わなくちゃ。


って、こういうことを言おうとしていたのかな。。

まあ、いいか、寒くなる前に、

ちょっと燃えてみようか。


====
ところで、昨日、苫小牧から乗った特急列車が、

10分も遅れました。

理由は、何でしょう? 何だと思います。

なんとぉ、
雪虫の発生で前方の視界不良のため
ですって!

どれだけ、雪虫が飛んでたんでしょうか!!

雪虫よ、君も燃えているかっ!

012
君たちは、燃えてないみたいね、猫ちゃん。

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