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2011年9月

2011/09/25

『サンガジャパン Vol.7]』特集は「少欲知足」だったのよ

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『サンガジャパン Vol.7 』が出ましたね。

「少欲知足」がテーマです。
わたしの生活そのままだから。。。

こういうテーマって、なじみすぎててかえって書きにくかったのです。

書けそうで書けないテーマだわ。

最後の最後までもがいて、とうとうあきらめ

土壇場で、土壇場であることを、もろ、露呈する内容

疲労・睡眠・目覚め

について、書きました。

で、

自分で書いてて、目からうろこの発見がぁぁ!!

ヤージュニャヴァルキヤの説を
ブッダはよく知って
や~んわり~っと、戒めてる、という内容が浮かび上がってきたのです。

徹夜で書いて、ほんとに睡眠なしで、すっきり目覚めましたっ!

人間に睡眠はいらない、って、大言壮語したくなるくらい、です。

目覚めには、夜明けのコーヒーはいらない。
目覚めには、真理があれば、それでいい。

ああ、そうだったのか、そうだったのか。

甘美な眠りは、ブラフマンの世界への誘い。。
深い眠りのエクスタシーは、アートマンとの合一。。

などと、神秘の官能にひたってはいけないのだ。

ブッダは、ほんとに、情け容赦ありまへん。
甘い夢を見るな、って。

======
怠ける者たちの中で怠けずにいる者、
眠りこけているものたちの中でよく眠らずにいる者は、
駿馬が弱い馬を抜き去って行くように、
抜き去っていく優れて智慧のあるものである。
(『ダンマパダ』29)
======

ブッダは、「眠るな」 ってよ。

このときから、
わたしめも、
「疲れた」とか「だるい」とか「眠い」とか
ぐちるのやめました。

短い睡眠でも、とれるときに、とって満足しよう。

これも、わたしの 少欲知足 かな。

おや!
テーマにも合ってたかもね。
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なんと、一本のバラの木に、赤と白の花で、少欲知足。

あと、朝日カルチャーセンター公開講座のお知らせです。

~~~~~
11月4日(金)18:30~20:00
「ブッダのことば その教えにせまる」
~~~~~

一日講座です。講師は、わたし(石飛)でございます。
ブッダのことばを紹介しながら、その教えにせまってみる講座です。

うまくお話できるか心配だわ。
でも、背伸びをせずに、自分の能力の範囲内で何とかする少欲知足。

このお知らせも、ブログでまかなう少欲知足。。。

いいのでしょうか、こんな少欲知足って。

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2011/09/19

「人」ってね、なんだろね。

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いろいろな煩雑な手続きのために、事務処理に終われていると、
父がいるような気がします。

「お茶を入れてくれ」と言われているような気がして

お茶を入れてお供えしてると、

ひとり家族がやってきて、

「じったん(父のこと)が砂糖を入れたコーヒーが飲みたい」

って、言ってる、と言います。

他の家族は

「ケーキもいいな」

って、言ってる、と言います。


なんかなあ。。
自分の欲しいもの言ってるんじゃなかろうね。

しかし、そんな感じで、

家族全員、いたるところに父の気配を感じる毎日。


めちゃくちゃさびしくなったので、
難病の母を病院から自宅に引き取ろうと、
考えはじめました。


なぜかというと、

なぜだかわかりませんが、
人間は土とともに生きるのが自然だ、
という気がするからです。

病院のコンクリートの部屋に囲まれているのではなく、
地面に近いところにいなくちゃいけないような気がするのです。


また、

生きているときの行いの総決算は

死んだ後にやってくる

ということもわかりました。


======
その人自身は、

その人の死の後、

日のもとに

明らかになる。
======


それは、人々の心の中に自然に浮かぶので

消えることはありません。


ブッダにも、龍樹にも

「人の死」というものがあったとすれば、

人々の心の中に

けっして消えない明らかな何か生まれているでしょう。


社会の評価や思想の解釈とはまったく別に、

「人」としての生き方に

共感や感銘をもつ人がたくさんいる。。。


ここも、大事なことだよね。
ここが、大事なことだよね、って言った方がいいかな。


ブッダや龍樹が、

いつも、現在形で語られる理由がわかった気がします。

その人の死とともに、
一生涯の行為すべてが、
いったん完了して
決済され

次の生がある場合には、
そちらへと引き継がれます。

輪廻を認める考え方では、そうなります。

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自分の死には、どうしても、自分で責任もたなくちゃいけない

って、気がしてくるよね。

生きて死ぬのが、「人」ならね。。。


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2011/09/14

去る者は去らず。。

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あちゃー、栗が一つ。。。

前回のブログは、今から思えば、絶妙のタイミングでした。
書いた後、病院から連絡がありました。

慌てて駆けつけましたが、父は、すでにどこにもいませんでした。


どんな状況でも、鮮明な意識があった人でした。

「ふつう、これくらい数値が下がれば意識は混濁するものですが。。。」
とドクターが不思議がっていました。


直接の死の原因は、本人の強い希望・意志だという気がします。

自分の意志でどうにもならない身体を、
意志の力で
あっさり捨て去ったような気がします。

病院のお世話になるのを拒んだような気がします。


わたしの仕事が一段落した絶妙のタイミングで亡くなりました。

死は、その人の責任のもとにある


どうも、そんな気がします。


それにしても、秋の空が、空虚です。
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ああ、さびしくなっちゃった。。

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2011/09/07

目覚めておれ、と、お釈迦さんは言った

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いやはや、ほんとにつらい2週間でした。
水中で、どのくらい息をしないでいられるか、
という実験に
挑戦してる気分で、2週間。

8月の終わりに、父は、突如もとの病院に再び転院しました。
その頃、体調を崩して半分ダウン。
それが、一つの山でした。

なにが、どうした、とおっしゃるのですか。
では、では、語るも涙のお話しを。


「ありとあらゆることが、滅びに向かう我が家」

という、キャッチフレーズが、
うーーーん、まさしく、ピッタリ。

我ながら感心するほど、転落の一筋、
人生をひた走ってました。

一つ、講義が始まり、一つ、締め切りに終われ、一つ、採点があり。
それに、毎日の病院通いと家事労働つき。

単純に言えば、時間が足りない、ということなのですが、
そのことにすら気づきませんでした。

完全に睡眠不足で、神経麻痺、追い詰められたこのわたし。

水中でもがいて、窒息しそうでしたが、
一度、ようやく浮かび上がって、息継ぎできたのです。

やれやれです。

それが、8月終わり。

『サンガジャパン』の原稿が書けずに、追い詰められました。
とうとう、「睡眠不足」ということばしか、頭に浮かんで来なくなりました。

へえ、へえ。。ぜぇぜぇ。。酸欠みたい。。窒息寸前

もうろうとしながら、
「睡眠」のことばを求めて、『ウパニシャッド』を探索し、

ああ、眠い、眠りたい、寝かせてよ、っと、思いながら
睡眠の甘い夢を見ていた、このわたしに。

がっつん!

お釈迦さんのことばが、響きました。

「目覚めておれ!」

===============

もつべきものは、お釈迦さん。

おシャカになりそうなこのわたしは、「目覚めておれ」の一言で、
シャキーン、っと目覚めました。

なんだか、おもしろいくらいに、眠気がぶっ飛びました。

ヤージュニャヴァルキヤの思想も、一緒に、
お釈迦さんは、ふっと一息で吹き飛ばしていたことに気づいて、
もう眼がまん丸です。

寝てる場合じゃなか、よ。

徹夜で原稿書いて、目覚めた人となった。。。

冗談みたいですが、一粒で二度おいしいを味わいました。

原稿書けたし、睡眠不足は解消したし。

もしかしたら、原稿もぶっ飛んでるのかもしれませんが、
今度の『サンガジャパン Vol.7』のエッセー、
暇があったら、読んでください。


かのウパニシャッドの哲人、ヤージュニャヴァルキヤの思想は、
お釈迦さんによって、
退けられていることが、見えてきます。


こうして、一回、息継ぎして、

また、ぶくぶくと日々の暮らしに沈んで行くのでありました。
でも、覚醒の観を持続して、後半はかなり楽でした。

続く(ああ、まだ、死んでないぞ、父も子も)
006
この栗みたいに、青くなってるけど。。

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