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2011/08/26

出口王仁三郎 と 『法華経』

005
すでに、ここ一週間ほど前から、どことなく秋っぽい気配が、漂う北海道です。
ナナカマドが「色づくぞ」と手ぐすねひいておりますね。


さて、出口氏のものを読んで、以前に調べていたことですが、『法華経』との関わりで
わかったことを、ここにあげておきましょう。

これは、人に頼まれて、以前に、ちょっと調べてみたものです。

あまりきちんとしていないので、ウソも混じっているかもしれませんが、
とりあえず、わかったことをまとめました。

ウソがいっぱいだったら、許してね。
間違っているところは、教えてもらえるとうれしいです。

何かの参考になるかもしれないので、研究ノートだと思ってみてください。
わたしの印象も、多大に入っています。

発端は、「『霊界物語』のサンスクリット語は、いったいどういうものだろうか、
正しいのだろうか、これはいったい何なのでしょう?」と尋ねられたことにはじまります。

★出口王仁三郎 と 『法華経』 の関わり★

===================
『霊界物語』にみられるサンスクリット語について、検討したところ、ほぼ『法華経』にとかれる用語に由来することがわかりました。

たんなる用語の表面的な理解にとどまらず、語用法やサンスクリット語の特徴などにも注意を払ったことばの使い方をしており、非常に仏教に関する素養も深いことが伺えます。
どこかで、『法華経』の梵本などについて、講釈を受けたことがあるような感じです。
型にはまった日本仏教や中国仏教の解釈による『法華経』の理解ではなく、インド大乗仏教としての『法華経』の意義や目的に通じているところがあります。

つまり、ブッダの法の意味するところを鋭く理解し、そこから派生して大乗仏教が生まれてくるその土壌や精神的な風土にも留意しつつ、『法華経』の経典としての意義を知った上で、それを、自身の宗教的な理論に取り入れているのではないか、という、そのような感じが漂います。

かなり多くのものを、『法華経』から得ているように思われてなりません。

まず、『法華経』との関わりを調べますと

村上重良『出口王仁三郎』(新人物往来社、昭和48年7月、p.32)に
 

 金剛寺の住職がひらいていた夜学にも、昼間の重労働に負けずに通いつづけ、漢籍や経文を学んだ。矢島某からは、『日本書紀』『日本外史』を教えてもらい、神道や日本歴史についての知識を身につけた。学費や本代は、私語のあい間に、村の共有林で青柿をとって渋をしぼり、町で売ってつくり出した。
 穴太寺の月例の通夜講では、念仏のあと説教が行われていたが、喜三郎は、法華経普門品と観音経の解説を、滔々とやってのけ、参会者を感心させた。この話を伝え聞いて、教徒に本部を置く法華系の新宗教・本門仏立講から、布教師になるようにと誘いが来たという。

とあります。およそ、喜三郎が十代から二十代にさしかかる頃、1890年以降のことではなかろうかと思われます。『法華経』には詳しかったようですが、このときは、まだ、サンスクリット語については情報は得ていないと思われます。

といいますのは、サンスクリット語の原典が知られるのは、我が国においては、1908-1912 年の、ケルン・南条文雄による出版が最初だからです。

* The SaddharmapuNDarIka. Ed.by H.Kern and B.Nnjio, St.Petersbourg,1908-1912.

この出版により、サンスクリット語の『法華経』原典が知られることになりました。そして、その翌年、1913(大正2)年に、梵漢対照の和訳が出版されて、一般の人にも、サンスクリット語が知られていくことになりました。

* 南条文雄・泉芳環 共訳『梵漢対照 新訳法華経』京都 大正2年(1913)

この書は、インターネット「国立国会図書館 近代デジタルライブラリー」で検索しますと、インターネット画面で本体を見ることができます。数頁コピーしてみました。

(コピーは、ここに出せないので省略です。)

このコピーによりますと、和訳のあとに、サンスクリット語がローマナイズで出てきますので、発音によるカタカナ書きは、どうやって得たのか、ちょっと疑問です。
 誰かに、習ったのかもしれませんし、自分でも読み方を習って、自分で読んでみたものもあるかもしれませんが、習った方が確率が高いように思います。表現が、ローマ字の読み方通りでないものもありますので、現地で習った日本人かインドの人に、聞いた可能性が大きいように思います。
 
『霊界物語』の口述は、1921年(大正10)からですので、それまでの間に、サンスクリット語についての知識も備わっていったのではないでしょうか。

======

村上重良の書には、喜三郎の思想的な基盤としては、最初に古神道を基礎におくことが、説かれているように読めますが、実際の思想的な底流には、『法華経』があったのではないかと思われます。

これは、後に、人類愛を強く謳うスケールを大きな宗教思想へと変革していく基盤におかれているかもしれません。
神道系ではありますが、『霊界物語』の巻頭には、弥勒下生を述べ、苦集滅道の四聖諦を説くなど、仏教の影響が色濃く見られます。

また、バハイ教と交流して、万教同根を説いて、世界主義へと進むその行程の中にも、三乗が一仏乗に帰するという『法華経』の一切成仏を目指す理想があるように思います。

開祖である出口なおの説く、世直しの基本構想をさらに大きく理論的に確立する要素となった一つが『法華経』であるように思われますが、これは、もう少しよく調べて見る必要があると思います。

さて、『法華経』の影響を物語るもう一つの引用は、「陀羅尼品」からのものです。

iti me iti me iti me iti me iti me / nime nime nime nime nime /
ruhe ruhe ruhe ruhe ruhe / stuhe stuhe stuhe stuhe stuhe svAhA

イティ メー イティ メー イティ メー イティ メー イティ メー 
ニメー ニメー ニメー ニメー ニメー 
ルヘー ルヘー ルヘー ルヘー ルヘー 
ストゥヘー ストゥヘー ストゥヘー ストゥヘー ストゥヘー スヴァーハー

(『法華経』梵本、bibliotheca Buddhica 10,p.402)


呪文なので、意味はよくわかりませんが、『霊界物語』(第63巻、pp.56-8)の説明にあるとおりではないかと思われます。
鎌田茂雄『法華経を読む』(講談社学術文庫、p。392)には、訳してありますが、基本的には似たようであります。
おおざっぱですが、あげてみます。(同じ語は同じ訳になっていますね)

この人に。ここにおいて。この人に。この人びとに。この人に。無我よ。無我よ。無我よ。無我よ。無我よ。すでに興りぬ。すでに興りぬ。すでに興りぬ。すでに興りぬ。かくして立つ。かくして立つ。かくして立つ。害をくわうるものなし。害をくわうるものなし。

====================
以上、とつぜんですが、おわります。
研究ノートだから、ね、こんなもんでも許してよ(汗)。

011

コスモス、コスモス、宇宙を思う。。

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コメント

前世は一在家さま

>仏や菩薩がテレパシーを送ってくることもあっても不思議はないかと存じます。

そういえば、わたしも龍樹菩薩からテレパシーもらったことあります。たぶんですが。

びしばし叱咤されて、本を書く羽目になりました。テレパシーじゃなくて、ただの雷だったかもしれません。とほほ。

投稿: 管理人エム | 2011/09/01 03:30

ジュリーさま

教えていただいて、どうもありがとうございます。
検索して
一つ見つけて読んでみました。

http://www.geocities.jp/qcjgy247/recordup.html

やさしくて暖かいですね。おもしろそうです。

投稿: 管理人エム | 2011/09/01 03:26

ミチ先生、今晩はです。

>ちょっと、そういう「感覚」がわかるような気がしてきましたよ。
>「神さまからやって来る」というその感覚は、わたしには、「ブッダが教えてくれる」という感じから理解できます。

法華経では、仏の国土は常住で寿命は無量ですが、方便で滅度を示されたそうです。
仏や菩薩がテレパシーを送ってくることもあっても不思議はないかと存じます。

神が送ったテレパシーが神示、お筆先であれば、如来が送るテレパシーはなんと呼ぶのでしょうか。
今回のカレーな一日もまたお後は宜しいようで。

投稿: 前世は一在家 | 2011/08/30 21:19

次は、出口日出麿さんの
生きがいシリーズなどが哲学的に面白いと思いますよ。

投稿: ジュリー | 2011/08/30 10:51

もくぎょさま

夏の日記 蟻がとう。。あらら、。。ありがとう。

ああ、知恵の眼、ってほしいです。
どんな「眼」だろ?
こんなかしら → 

ありんこの卵って、ご飯粒そっくりですよね。
ご飯粒運んで間違わないか、心配だーーーっ。

投稿: 管理人エム | 2011/08/30 06:59

前世は一在家さま

おはようございます。

>出口氏も私の師も言霊を大切されております。言霊学では同じ発音ならば万国でも似た意味を持ちます。

そうですか。言霊学について少し勉強したいのですが、そこまでとてもいきません。
この「万国で似た意味をもつ」ということをうかがって、出口氏がサンスクリット語の発音をよく知っているように見えることや意味にも詳しいように見えることが、だんだん納得されてきました。
誰か(人)に教えてもらったのではなく、たしかに違うところ(神さま?)から教えてもらったのかもしれませんね。

ちょっと、そういう「感覚」がわかるような気がしてきましたよ。
「神さまからやって来る」というその感覚は、わたしには、「ブッダが教えてくれる」という感じから理解できます。

>古神道では「炎」は「大神様」であり、大神様が仏界で変化したのが菩薩ということになります。

ここで説かれる菩薩は、おおよそ立派な菩薩ですね。菩薩大士といわれるようなそんな菩薩であるような。。

しみじみ思いますに、『法華経』にはいろいろな読み方があるようですね。それこそ、『法華経』のもつ力かもしれません。


投稿: 管理人エム | 2011/08/30 06:55

ミチ先生、今晩はです。

>言霊学では「ス」は、神さまのことでしたか。ちょっとうろ覚えですが、そんな記憶もあります。
>サンスクリット語をただあげているのではなく、背後に知識や思想をもって、語っていると感じるのです。

言霊学では「ス」は、「真中心」とか「統べる」という意味があるそうです。

出口氏も私の師も言霊を大切されております。言霊学では同じ発音ならば万国でも似た意味を持ちます。
古神道と原始仏教とでも共通する言霊が多数用いられていると伺っておりますが、私も詳しくないのと、本スレには合わない議論かと存じます。

一例として、菩薩=ボサツ=ボディーサトバ=炎(ボ)を去った、という意味合いがあるそうです。
古神道では「炎」は「大神様」であり、大神様が仏界で変化したのが菩薩ということになります。

長部経典でも、菩薩は梵天界(神界)で梵天(大天津神)と共生していたという説法がありますので、根拠が無いという訳でもないかと思料します。

投稿: 前世は一在家 | 2011/08/28 19:14

はいはい、こちらトンデモです。

某社レモンの味がするお茶?
ポッカ・らさ・てぃー?
冗談もヤスミンティー?
食わず嫌い、揀択ナシ、なんでもがっつりゴチで!

さらにドカ食いっ!

なんだかR.フラッドとかA.キルヒャーとかの図版みたいデスぅ~。
カルディア臭がぷんぷんスメール洲~?
http://reikaimonogatari.net/zu/index.html

ビルマのアルケミーとな!
これはヒの流れみたいだけどミズの流れは?
http://www.alchemywebsite.com/Burmese_alchemy_Aung.html
by U.Maung Htin Aung

やっぱね~ちゅーか、当然会ってるでしょ?ちゅーか、
頭山満と王仁三郎ちょっとだけ対談
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/545

ハッ!!!
ひぃ~っ、すたこらーーーっ!!!

投稿: おちゃらけ | 2011/08/28 16:38

もくぎょ夏の日記

むずかしいお話の中お邪魔しますぅ~。もくぎょ勉強がきらいで記憶力もわるいので経典の勉強、なかなか進みません。でも繰りかえし文章を読むと頭に少しずつ入るということがわかりました。

え~~とですね~。ちゅ~ぶきょ~てんの、第99!
お釈迦様はこう仰っていますよ。
「ポッカラサーティは、智慧の眼がないん・・・」

いや~~~ん!石飛先生の頭が痛くなる~。

せ、先輩どうしたんでしょう?お茶、でてますけど(^^;;

そのつぎ~。

玄関にキャットフードをおいて後で見に行くと器からこぼれたごはんに、たくさんの蟻さんが群がって、せっせっと巣穴にはこんでいました。いったい何処にこんなにたくさんの蟻がいたんでしょう?不っ思議~。

春、又はたらく、もくぎょのアパートの蟻様です。
あっ違った。有様です。

投稿: もくぎょ | 2011/08/28 13:20

前世は一在家さま

63巻はちょっとわかりにくいかもしれませんので、他のところで見てみます。

たとえば、【カビラ・マハールシ】ということばがあります。

(57巻、第1章)外道(げだう)には九十五の種類(しゆるゐ)があつて、その重(おも)なるものは、カビラ・マハールシといふ。このカビラ・マハールシは、即(すなは)ち大黒主(おほくろぬし)の事(こと)であり、…

カピラ・マハーリシは、カピラ大仙ということです。
カピラは、サーンキヤ学派の開祖とされ、「マハー」は「偉大な」、「リシ」は「仙人」です。ここから、「大仙」となりますが、「霊界物語」では、「大仙」と同じ発音の「大山(だいせん)」をかけて用いています。島根県にある山の名ですね。出雲と結びついていきます。

それと、「大黒主」ですが、日本においては、大黒さま、大国主です。
一方、サーンキヤ学派の根本教典『サーンキヤ・カーリカー』を著したのは、イーシュヴァラクリシュナ(自在黒)という人物なのです。「イーシュヴァラ」は「神」すなわち「主」です。「クリシュナ」が「黒」ですから、「大黒主」と聞くと、すぐにピンとイーシュヴァラクリシュナを連想してしまいます。
こちらも、知っているとしか思えません。すごいでしょぉぉおお!

また、【ス・ス?(「ワ」に濁点)ラ・ボーヂーサット?(「ワ」に濁点)】ということばがあります。

(61巻第2章)調(しら)べは正(ただ)しくス・ス?ラポーヂーサツト?の琴(こと)の音(ね)に 通(かよ)ふが如(ごと)く楽(たの)しけれ。

これは、ススヴァラ・ボーディサットヴァ
という菩薩の名前です。「ス」は「善い」「スヴァラ」は「音」「音声」の意がありますので、この意味を知って、文を作っていることがわかります。「ス」は「正しい」という意味にもなっています。

言霊学では「ス」は、神さまのことでしたか。ちょっとうろ覚えですが、そんな記憶もあります。

サンスクリット語をただあげているのではなく、背後に知識や思想をもって、語っていると感じるのです。
名前であっても、意味をしっかり調べないとダメですね。


投稿: 管理人エム | 2011/08/28 09:43

ミチ先生、おはようございます。

>気づいたところだけですみません。「霊界物語」はネットで読めます。

私も読めました。 大智度論に続いてネットの便利さの中にも、地上天国、極楽浄土をこの世に顕現せんとの神仏の発願を感じます。

さて肝心の63巻の序歌ですが、神仏のみ名の羅列のようです。
予め頂戴していた梵語という情報と違うようですが、その訳を教えていただきたく。

以上、取り急ぎ御礼と不明点のご質問まで。

投稿: 前世は一在家 | 2011/08/28 09:00

何が 言われて   ある かは、
何を 行い・行っている  かと いうことが、
言われて ココニ  ある ことです

行なわれたことが、
行なわれるために、
行なうものを知って、
言われ、行われて  “アリ” 

行いとなすものがそれを知ります

ある・ない  は、行うものが知ることで、
アッテ   も  行いと為されなければ、
ナイ    と  “差異” は アリマセン
( ないとする行いが実証されることです )

言葉の上での  言い回し とする者は、
言葉の上で  “輪廻”  します

行ないである言葉と知るものは、
最後の生を、
行き尽くすところまで、イキマス

生きて知る   とは、
知って生きる  こと の 入れ替えではありません

イエス を知るものは 能 をしります

可能な限り生きているのは、
平等に与えられ、与えている セイ です

同じものでも、“測”面 を変えれば、
違った表現になりますが、
違っていること を 
同じ  と 言っては、
違うものを見ていることになります

同じ生を同じ時に生きるとしるものが
その生に生きるものです

聖 と 邪 は
聖者    が知る

ソノミ  ノミソ  ミソギノミ
ミミソギ ソソギ  ミソ シラス 
アキツク ミヨリ  シマ カエル

投稿: 春間 則廣 | 2011/08/28 07:48

前世は一在家さま

こんばんは。

気づいたところだけですみません。「霊界物語」はネットで読めます。
以前おちゃらけさまに教えていただきました。

http://reikaimonogatari.net/

便利な世の中です!

後は、また、よく拝読してから書きますので 

投稿: 管理人エム | 2011/08/28 03:32

ミチ先生、今晩は。

>あの、上に300とページが記してあると思いますが、それの33ページあたりをみてもらえると出てきます。前後のページをいろいろみていってください。

方便品第二と如来寿量品第十五を印刷して一読しました。

(重要点を整理)
・増上慢の弟子5千人を退席させた後に釈尊は舎利弗に説かれた
・如来の寿命は無量で国土は常住であるが、如来は得がたいと衆生に思わせる為に滅度を示す
・十方の如来がこの世に出現する目的は、諸有情をして如来の智見に安立させ、智見道に入らせる為
・賢善可愛の仏の子は来世に仏にならんと如来は説く

菩薩は輪廻し仏は涅槃にいて輪廻しないと説いてこられた釈尊ですが、弟子5千人を退席させて舎利弗には第一義を説かれたという内容ですね。
それは阿羅漢クラスの高弟でも驚愕する内容でしたね。

以上、如来達が衆生済度を発願されるという大乗の流れにつながる大切な説法かと存じます。

尚、霊界物語の63巻は購入できませんでしたし、梵語を比較するような能力はございませんのであしからず。

投稿: 前世は一在家 | 2011/08/27 23:10

ミチ先生、こんばんはです。

>知らないで語っているのではなく、まるでサンスクリット語を昔から知っていたかのように、用いているので、びっくり仰天しているのです。

本日はジュンク堂に行って霊界物語63巻を調べてきました。
確かに序歌が梵語でして、一般人には分からないようです。

「まるでサンスクリット語を昔から知っていたか」という所感は当たっているかも知れませんね。

出口氏は前々々々世にインド人だっただけかも知れませんね。
修行完成者は前々々々世のことも想起しますので梵語を知っていても不自然ではないかと存じます。

降下した神霊が教えたのか、前々々々世を思い出したのか、現世で忙しい布教の合間に学んだのか、オプションは色々とありますので、出口氏の霊界物語の他の箇所や他の著作から検証する必要があるようです。

実は異教の私も出口氏と同じ古神道系なので彼の説法は90%以上腑に落ちます。
法華経は60%位、原始仏典は75%ほど腑に落ちますので、また総合的に考察してみます。

投稿: 前世は一在家 | 2011/08/27 19:49

春間さま

>承知して ツッ カマリ 
>察知して 突っ かかる

 

いたっ!

投稿: 管理人エム | 2011/08/27 10:01

前世は一在家さま

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943446

これ、パッと開けると真っ黒けですね。

あの、上に300とページが記してあると思いますが、それの33ページあたりをみてもらえると出てきます。前後のページをいろいろみていってください。
漢訳の名前の下にサンスクリット語があります。


投稿: 管理人エム | 2011/08/27 09:59

前世は一在家さま

これは、だいぶ前に調べて、そのままになっていたのを引っ張り出して、何かのご参考になるかとあげてみたものです。

なので、おっしゃるとおり、ものすごく学者っぽい見地から考えていますよね。

その後、いろいろお話しをうかがって、

>神道系でも神霊が降下すると非常に古い時代の言葉で語る
ということが度々ございます。

というお考えも、もっともだと思います。

お筆先については、おっしゃることももっともだと思うのですが、出口氏は、そういう側面もあったのかもしれませんが、ちょっと印象が違うのです。

>神道系視点で一番可能性が高いのは出口氏に降下した神霊が梵語を知っていたということですが、当時該当する梵語「法華経」が日本に存在していなければ証明されるかと推察します。

そこで、調べたのです。ケルン・南条本という梵本が出て、それから、和訳と梵語をあげている『梵漢対照 新訳法華経』というのが、すぐに発表されたのです。

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943446

国会図書館の中に収められているので、みることができます。ちゃんと見えるかな。
こんな風になっているのです。漢訳があって、下にローマ字で梵語があります。

で、わたしも、「霊界物語」の中からサンスクリットを抜き出していって、ほとんど全部かもしれませんが、チェックを試みたのです。
それは、今は出していないのでわからないかもしれませんが。

で、結論として、『新法華経』を読んでいるのじゃないかしら、と思うのです。
神さまからのお告げがあるとすれば、その読みと意味をたちどころに熟知してしまった、というところに輝き出るのでは、っと思われます。

知らないで語っているのではなく、まるでサンスクリット語を昔から知っていたかのように、用いているので、びっくり仰天しているのです。

どう思われますか。異言という感じではないので、全部、神さまからの賜り物ではないと思うのです。
でも、何かは「賜っている」感じです。やっぱ、神さまのことは、神さまに詳しい人にお尋ねしなくちゃなりません。

投稿: 管理人エム | 2011/08/27 09:56

おはようございます。 春間様

>大地を割いて、ボサット見ている 

大地を割いて菩薩達が出てくる法華経の一節を想起しました。

投稿: 前世は一在家 | 2011/08/27 08:29

アキッポイ

アキッポイ 彼方に貴方がいる  

出口に立って、入口を知る
タメ口を言って、落とし処を忘れる   

ドコに入って、ドコカライッテ
どこから出るのか
アアショウカ ! 不良 !

タメヨ タメ~タ~メ イケ~ナイワ 

音す を 知らずに、受け答え する

オ とする ところが、頭の ところ   

アナタ の アタマ が アマタ にわかれる
アッチャ イッテ コッチャゴッチャ 
ソッチャ ド~コジャ ?

大地を割いて、ボサット見ている 

承知して ツッ カマリ 
察知して 突っ かかる

投稿: 春間 則廣 | 2011/08/27 08:06

ミチ先生、おはようございます。

>誰かに、習ったのかもしれませんし、自分でも読み方を習って、自分で読んでみたものもあるかもしれませんが、習った方が確率が高いように思います。

仏典には記載がないのかも知れませんが、キリスト教では聖霊が降下すると異言を語ると説かれております。
※異言:本人が知らないような異国の言葉、太古の言葉

神道系でも神霊が降下すると非常に古い時代の言葉で語るということが度々ございます。
文字も読めない老婆が短時間で多くの神示を書き残すお筆先も同様です。

出口氏は学者でもなく、大本の教えの布教で時間一杯だったかと存じます。

神道系視点で一番可能性が高いのは出口氏に降下した神霊が梵語を知っていたということですが、当時該当する梵語「法華経」が日本に存在していなければ証明されるかと推察します。

もし当時該当する梵語「法華経」が日本に存在したならば出口氏が誰から習ったのか?という先生の当初の調査に戻ります。

以上、異教のコメントにて失礼します。

投稿: 前世は一在家 | 2011/08/27 08:04

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