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2011年7月

2011/07/30

夢に見るのは。。熟睡

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ちょっと前に撮った写真です。

暑くなる前に、何だか秋の空のようだ、と思って、一枚ぱちり。

でも、その後、数日暑い日が続いて、夏らしいお天気です。
7月も終わりなんですね。

新潟・福島の洪水被害のニュースにも、胸が痛みます。

自然よ、もっと優しくなっとくれ。

=======

ついでに、自然よ、もっとわたしにも優しくなっても、いいのよ。

っと、便乗してしまおう。

それでも、

ようやく10時間睡眠三回目で、多少睡眠の渇きが癒されました。


★心(マナス)について
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では、
心(意)を育てるものは、食べ物だという。

この「心」というのは、マナスということばなので
どちらかというと、「思考する器官」、という意味です。

つまり、

食べないと、頭が働かなくなる、ということですね。


これは、ほんとうにそうなのです。

授業中、空腹でとつぜん頭が働かなくなることがあります。
ことばが一つも出てこなくなるのです。
ほんとに見事にパタッと頭が働かなくなる!
やばいです。

で、
この事態を避けるため、
一口でも何か食べて、エネルギー不足にならないようにするのです。
缶ジュース一本で、あめ玉一個でOKです。


ところが、

同じ「心」でも、情意の方、感情や気持ちの方は、
ちょっとちがう。

寝不足になって、疲れてくると、
感情がだんだん鈍くなって、無感動になってきます。

★睡眠について、
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では、こう言います。

人は眠っているとき、有(サット)と合一(アープ)したものとなっている。
すなわち
自己(スヴァ)と合一(アープ)したものとなっている。

だから、その人のことを
「眠っている(スヴァピティ)」というのである。

語源解釈で説明されてますが、
この宇宙の根源である「有(=自己)」と一緒になっている、ということですね。

これは、安らぎのひととき、至福のとき!
睡眠は、自己との合一!


他にも、


『ブリハッドアーラニヤカ』では、

熟睡時には、
純粋の意識からなるプルシャ(自我)は、
官能(プラーナ)の意識とともに、意識それ自体を携行して
心臓内の虚空に臥し休らっている

といわれます。

つまり、熟睡時には、
感覚や感情など意識(ヴィジュニャーナ)一切を引き連れて、
自我は、休んでいるのです。


◇ようするに◇

わたしが言いたいことは、

感情や気持ちに関わる意識は、睡眠を必要とする!

ということです。
(自我や自己は、ちょっとおいといて、ね)


つらつら考えますと、
瞑想も、ある意味では、心の働きをなくしてしまうことです。

こうして、
瞑想から目覚めたときに、
眠りから目覚めたときに、
心(情意)は生き生きと活動するのでしょう。

元気を回復した心によって、
あるがままに見る、ということも可能になるのでしょうね。

つまりだ!

あるがままに見る、ということも、
眠った後でないと、無理って、ことかもね。


そうか、そうなったら、また、ひとねむり。。おい!
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夢っぽい雰囲気が漂う、この写真、
もしかして夢の中で、撮ったの?

それとも、単にぼけてるだけ?

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2011/07/24

不生不滅、不去不来は中道、で、不眠不休は?

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不生不滅、いや、こっちかな、不肖不滅のわたくしめ
さすがに、疲れ切りました。

不去不来で、あっちに行ったりこっちに行ったり飛び回り、
大忙しの二乗でした。

二週連続で、補講をして、入院中の家族が一時帰宅して、
もう一人家族が入院して、試験問題作って、
授業もふつうにしてたら、寝る暇がなくなりました。

仕方ないので、睡眠けずって対応。

一週間目は、まだ、なんとか

二週間目は、完全にパンク

昨日のご飯が入ったままの炊飯器で、もう一度ご飯を炊きました。
開けたら、昨日のご飯の残りが、そのまま二度炊き。

信号待ちしてるとき、そのままアスファルトに倒れて寝そうになりました。
歩道で寝るのはやめましょう。

頭が働かないと講義ができないので、
講義以外は、コンピュータみたいに頭をスリープ状態に設定。
だから、
話しかけられると、答えるのに時差ができちゃって(汗)。

「せんせ、つかれてますね」って、学生さんに言われる始末。
「つかれてますよぉぉぉ~」って、答えるわたし。

そんな苦難を乗り越えて
とうとうやりました!

何とか、しのぎきり、後は試験問題一つ作ればいいだけになりました。

で、
夢にまで見た(?)10時間睡眠達成。

ああ、すっきり。。って、いうより、よけい眠いです。
もう後、10時間くらいは、眠りたい。


のどの渇きと同じですね。
睡眠の渇きは!

底なしに眠たい感じが、渇きと同じです。


やっぱ、睡眠も、渇愛なのか。。べんきょになるなぁ。


しかし、つらつら考えますに、

ブッダの苦行にも、「不眠の行」というのはなかったですね。

断食行と呼吸を止める行だっけね。

ふうう~~ん、意外とたいしたことないな、ゴータマくん。。(お、強気)

このわたしのやった「不眠の行」ほど、困難な行はない。。(エヘン!)

こうして、わたしは、悟った。。あれ。。さとった。。あら。。ちゃうな。。

悟らない。。眠った人になりました。。(トホッ)


あちゃーーーー!
不眠の行をしないわけが、今、判明!!

不眠の行じゃ、「目覚めた人(ブッダ)」には

なれないもんね!

眠りっぱなしの目覚めた人(ブッダ)って、あり得ないか!!
なんて、こった。
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噴水でも、みてね。


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2011/07/19

エビガライチゴはジャムになる?

昨日の今日では、日記も疲れます。
毎日書くのが日記だろ、って言わないで。
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昨日、見つけた鈴なりの苺、おそらく、春間さまもおっしゃるように、
エビガライチゴと思われます。

葉の裏が白い、でも、茎には毛がない。

どうも不安だけど、でもでも、
いかにも食べられそう。
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ラズベリーのようにも見えます。

そこで、砂糖を入れて煮ました。
ぐつぐつ。。10分。
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どう見てもジャムjだよね。

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おそるおそる食べたら、おいしい。
酸味があるけど、香りがよくて、色もとてもきれいです。

ツブツブが、口の中で、ツブツブしてますが、味はなかなか。

で、食べてから6時間以上経ってますが

まだ、死んでません。。

講義をして帰ってきても、

生きてます。

たぶん、こう結論づけても大丈夫でしょう。

人体実験の結果、

食用になると、結論づけられました。

ああ、今日もハードだった。
まだ、これから、一仕事、二仕事、三仕事やらなくちゃ。


それでは、今日の日記を終わります。
北海道も、急に暑くなって、しんどいわ。
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2011/07/18

思い通りに生きるのよ!ナデシコのきみなら。

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庭の隅、野生の苺が、お隣の庭から侵入して、山ほど実をつけました。

コンポストが、完全に埋まっちゃったっす。
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食べられると思う?

二ヶ月くらい前だったと思うけど、
数年前のいろんな種の残りがあったので、
全部、ばらまいて植えたら、
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こんなんなりました。

うっそう!ざっそう!さっそう!
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スベリヒユだけ、雑草って、わかるけど、後は、密集してる草が、何か
わかりません。
カブやしそ、大根みたいのや、大豆、っちゅうのもあったっけ。
ほかにも、去年のジャガイモが、自生してます。
なすとトマトは、わかるけど。

雑草を抜こうと思っても、どれが雑草で、どれが植えたのか
わかりません。

なので、自然に任せて、そのままです。
なにやってんでしょうね。

それにしても、すごい!
生命力は、偉大であります。

勢いのあるのは、たぶん、雑草です。

===========

さて、ようやく、魔の一週間をしのぎきり、
何とか生き延びました。

補講しなくていいクラスにも、補講の講義をしてしまい、
なんと、一講で、中身二講分を話してしまいました。

みんな、きょとんとして、おかしいな、と思ったら、
詰め込みすぎてたことに、ベルが鳴ってから気づきました。ごめんよ。

家族が、もうひとり入院となり、
あっちの病院、こっちの病院と、さすらうことになりました。

リハビリと介護と看病と、
というありさまです。

自分的には、夢のことばは、「安静」。。。
「絶対安静にしてください」と
一度でいいから、言われてみたい。

母には、心の底から
「わたしが、代わってあげたい」
と、言っています。

母も、同じく
「わたしが、いろいろできればいいんだけどねぇ」
と、言っています。

同じことを言っていますが、
動機に、多少、ちがいが。。。なはは。

ま、いいか。
==========

雑草もそうだけど、

世の中

勢いづくものは、勢いづく。
衰えるものは、衰える。

病が、勢いづくと
人は、衰える。

人が、勢いづくと
病が、衰える。

生きようとする人は、生きる方向に
何かに頼ろうとする人は、頼る方向に
あらがう人は、あらがう方向に

そして

気づくときには、死に引っ張られていくのです。

自分のするように、その方向に進むのだから、

だから

最期の自分の死は、自分の責任になるのだな、

と思うのです。


それだから、


それだから?


次に書くことばが、問題だ!
ここで決めなきゃ、ナデシコジャパンのように。


それだから?

====
思い通りに生きるのよ!!
====

ああ、ぁ、やっぱりね!

けっきょく
わがままなだけじゃない、 管理人!  なはっ!
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ピンクは、ナデシコ?

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2011/07/15

どんなところにも落とし穴はある

雨のあやめ。。。しっとりと切ない昨日の午後
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切ないところで、やっぱり切ないのは、今日も同じ。朝です。

朝一番、思いついたことばが、
タイトルにある

「どんなところにも落とし穴はある」

だった、ってのは、切ないなぁ。

テーラワーダ仏教協会の発行している雑誌
『パティパダー』6月号の中に

質問があって
「無常・苦・無我は冥想しなくても分かる?」
とありました。

答えは

「学んで理解できるのは、知識だけで、
実際の人生に適用できないなら、意味がない」

というものでした。スマ長老さまの答えですね。


知識だけでは意味がない、のは、仏教全般に言えることですね。


では

「冥想すればわかるか」

という疑問も浮かびますが、

これも、
知識だけで意味がないように、
冥想だけでも意味がない

ような。


人生に適用してはじめて、役に立つ教え
これが、仏教なんです。

使えなければ意味がない

どんなにおいしそうでも
絵に描いた餅は
食べられない

どんなに立派な教えでも
紙に書いた字は
飲み込めない

ううむ、
そういえば
暗記する代わりに
辞書を食べた受験生がいたということだけど

そういうことからすると
経典も食べてもいいかもしれません。。。

ってのは、冗談だけど、

経典を使う、という姿勢が大事

ってのは、絶対あると思う。


困ったら、経典
悩んだら、経典
苦しんだら、経典
嫌になったら、経典

今日も経典、明日も経典、
三度のご飯に
経典どんぶり。

こういう感じで行くと、

いいかもね。

どんなところに落とし穴があっても
経典抱えて落ちるなら
大丈夫さ!

お釈迦様がついている。

きっと、

お釈迦様が、落とし穴を、おシャカにしてくれる。。。
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朝から、落とし穴にはまったような日記だって。。

そんな!
寝不足のたたりかも。


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2011/07/12

おお!想定外は無責任、とな。

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ずっと前からやっている水道管の工事の現場に、こんな張り紙が!
おお、インパクトあります。
アップにして、もう一枚、ぱちっと。
「想定外は無責任」とは、なんて立派な標語なの。

水道管の工事は、大がかりで、去年からずっと続いているけど、
ほんとに、書いてあるとおりに、とても丁寧な安全対策が取られているのです。

自転車や歩行者のための仮の歩道が、きちんとアスファルトで、
別につくられているのです。

また、安全対策に、係員の人が常時誘導してくれます。

毎日、わたしが通るので、顔なじみなって
わたしが行くと、さっと押しボタン式の信号を、押してくれるのです。

係員さん、ありがとう!

ポピーの花でも、見てください。
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毎日、暑くて、たいへんですね。

今週は、補講が重なり、いろいろ雑事も重なり、
すごいスケジュールになってます。

これから、水・木・金・土・日の5日間、生き延びられるのだろうか。。。

さ、これから、予習三講分やって、晩ご飯二種類つくるぞ!
みなさま、お元気でぇ~。

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2011/07/07

一切智者龍樹と「空」の哲理 般若経典を支える(下)

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花がほんとにきれいで、いろいろ咲き乱れています。
目移りしちゃうなぁ。

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バラも見てね。


~~~~~
さて、あっという間に、月日は経って、龍樹のお仕事も滞りがち。

「管理人! 龍樹のお仕事も滞りがち、って、ひどいよ、
ぼくは、いつでも、スタンバイ、OKなのにさ。
管理人だろ、火の車なの」

「あら、内情知っている龍樹くん、暴露しないでよ。
ここんとこ、完全にパンクした状態で、
補講三つ、来週入ると思うと、気が滅入るわ」

「管理人が、(下)なんて、予告するからだぜ。
できないことは、言わずにおくんだよ」

「りゅうじゅっ!あんたのために、がんばってるのに
そんな言い方はない、と思うわよ。
あ、興奮して、名前がひらがなになっちゃったじゃない」

「管理人、そんなことはいいから早くしなよ。
ぼくのアピール、かっこよくやってくれなきゃ、ぼくも困るんだから」

「もう、追い詰めないでよ。。。何書こうとしたか、忘れちゃったんだから」

「ちぇっ! あいかわらず、自分の脳みそも管理できない管理人だなぁ」

「あ、龍樹、それ以上、長い文しゃべっちゃだめ。
二行になっちゃうから」

「ほとんど、人の話聞いてないな、管理人、さっさと思い出せよ」

「ええっと、ええっとぉ~、何だっけ、あ、スマちゃんの続きを。。っと」

ようやく、脳みそかき回して、書くこと見つけたらしい管理人。

困った管理人ですね。
みなさんも、管理人のようにならないように、気をつけましょう。

さて、始まり、始まり。

~~~~~~~~~~~~~~~~
長老さまの『般若心経は間違い?』より
再度引用します。

===========
 しかし、本人(龍樹を指す)も相対論を持ってきて、
「すべては空だ」と言ってしまったところで困ったことになったのです。

 だって、仏教はみんな修行して悟る世界でしょう?
それをどうするのか、という問題が出てくるのです。

 龍樹の失敗は、「哲学を作るなかれ」というお釈迦さまの戒めを
破ったことなのです。(p.108)
============

前回、「すべては空だ」とは、龍樹は言っていないのです、と
このように、申し上げました。

でも、なぜか、みなさま、龍樹は、「すべては空だ」と言ってるように
思ってるみたいなのです。

なぜでしょうね。

それは、当時知れ渡りつつありました『般若経典』の中に、
そんな表現が見られるからかもしれません。

『八千頌般若経典』(梶山訳『大乗仏典 八千頌般若経 Ⅱ』p.137)

=========
世尊は仰せられた。
「スブーティよ、お前はこれをどう思うか。
私は、『すべてのものは空である』と言いはしなかったか」
===========

これに対して、スブーティは、「そうです」と同意しています。

経典の中では、何の抵抗もなく
「一切は空である」
とあるのです。

龍樹は、ずいぶん慎重に
「一切は空である(空であるものは一切である)」
という文を扱っているのに、
一方、
対する『般若経典』の作者は、
いともあっさり、世尊であるブッダから
このことばを受け取っているのです。

◇◇ 1 ◇◇
長老さまのことばで言えば、
「哲学しちゃってる」
ということになりそうですが、どうなんでしょうか。

こりゃ問題ですね。


一つに考えられる理由は、

『般若経典』が、仏教の教団内部の話として、
話を進めているという点です。

つまり、世尊とスブーティ尊者という
仏教内部の身内で話をしているので
仏教の体系の中に、収まっていたと見るのです。

仏教の体系の中であれば、誰も反対しないのですから、
スムーズに理解できるでしょう。

「空」は、縁起から得られる特徴ですので、
理論的には、何も問題がありません。

議論は起きてないし、問題もないので、
哲学している、ってことにはならないかもね。

よかった。

では、「哲学するなかれ」はクリアしたことにしましょう。

でも、さらに、文句が出るかもしれません。


◇◇ 2 ◇◇
スマ長老さま風に言いますと
「修行をどうするのか!」
とい問題です。

理論がわかれば、修行しなくてもええやん、って、
ことになっちゃわないでしょうか。

長老さまの文句も、もっともなのです。

ブッダは、哲学青年マールンキヤプッタに
哲学の議論は、悟りのためにはならない
ということを教えたのです。


ああ、どうしましょう。
『般若経典』は、ブッダの教えを破ってるのでしょうか。

ちょっと見たとこ、破ってるっぽいです。

言い訳できるんでしょうか。

さあ、さあ、さあ、どうなの、どうなの???


★経典作者の気持ち★

「破ってるわけではない、
悟りが、そんなに大事なのか。

ぼくらは、ブッダをめざす菩薩なんだ。
衆生を救うために大事なのは何だ。
菩薩の行は、空を極めて、
智慧を生じなければやっていけないんだ。

『一切は空である』という文は、智慧のために必要なんだ。
自分の悟りのためじゃなく、
利他行のために、必要なんだ」

ほんとに、こう言ったかどうか、わかりませんが、
気持ち的には、こんな感じでしょうか。

空は、智慧のために必要だ、となりますと、
まさしく、修行のために、「空」はあります。

『八千頌般若経』にも、
空性、無相、無願の修行をすると、
般若波羅蜜が増大すると、
書いてあります。(梶山訳『八千頌般若経典 Ⅱ』pp.150-151.)

ブッダの法は、部派の説く修行の枠を超えて
広がってきたようですね。

菩薩行のためjに、必要なことばなら、
これは、修行にさしさわりがあるどころか
修行を推進することばになりそうです。

よかった、ホッ!

部派で説く
『諸行無常』とか『一切皆苦』とか『諸法無我』と同じように、
『一切皆空』もまた、修行のためのスローガンと
思えばいいのだ。
これは、菩薩の波羅蜜行には大事なのだ。

こう言えば、何とか、通用しそうです。

◇◇ 1と2 ◇◇
まとめてみますと、

「一切皆空」と言っても、仏教内部で説くなら、哲学したことにならない。

このことばは、菩薩の般若波羅蜜行のためのスローガンで
修行に役立つ。


長老さまの批判は、すべてクリアできたようだわね。

よかった、よかった。。。あら?

どうも、そんなに、うまいこと言ってないみたいだわ。

◇◇ 3 ◇◇

『中論』24.1に、反論があるぞ。

====================
「もし空であるのが一切であるならば、生じもしないし滅しもしない。
おまえには、四聖諦はないことが帰着するであろう。
====================

ありゃりゃぁ、まずかよ。

そういえば、『八千頌般若経』(梶山訳、p.147)にも、
「生じもしないし滅しもしない」について、
こんなことが、書いてあったっけ。

===============
世尊。「スブーティよ、おまえはこれをどう思うか。
いったい、生じもせず滅しもしない性質をもつ心というものは、
消え去るだろうか」
答え。「そうではありません」
世尊。「スブーティよ、おまえはこれをどう思うか。
いったい、もともと本体の消えている(存在しない)もの、
そういうものは消え去るだろうか」
答え。「そうではありません、世尊よ」
================

「本体」とは、「自性」とも訳されます。
それにしても、これだけ見たら、何言ってるのか、よくわかりませんよね。
むずかしいすよね。

さらには、
『二万五千頌般若経』には、
「四聖諦はない」と似ているこんな文もあります。

=================
一切の法は自性が空であって、衆生もなく、人もなく、自己もない。
一切の法は幻のごとく、夢のごとく、こだまのごとく、
影のごとく、陽炎のごとく、変化(へんげ)のごとくである。

(一切法自性空無衆生無人無我。一切法如幻如夢如響如影如焔如化。)
=====================

空であるなら、生じもしなくて滅しもしないようですね。
そして、
空であるなら、自性もなくて、
そうなると、
すべては、幻のような変化のような、そんなもののようです。

そしたら、ほんとに人もいなけりゃ、自己もなく、
また、そうなら
反論者の言うように、四聖諦もないことになるのではないでしょうか。

そして、この話に乗っちゃうと、哲学の議論をしちゃうんじゃない?


ああ、どうしたらいいの?
困った、困ったわ!
ああ、誰かぁ、たすけてぇ~~!

助けを呼ぶのは誰かな?

ジャーン!!!
さっそうと、登場したのは、我らがヒーロー、
仏教の難問解決いたしますマン。
その名も お助け菩薩の 龍樹なりぃ!

ぴゅーぴゅー、いいぞ、いいぞ、待ってましたっ!

管理人!はしゃぎすぎだよ!
冷静になれよ。

あ、ごめん、龍樹、ついつい興奮しちゃうもんだから。
で、どうやって解決したの?
ね、ね、おせーて、はやく。

ぼくが言うのは、そんなにむずかしくないさ。
「時にしたがって語ること」、これを守ればいいのさ。

最初から、「空だ、空だ」と、語るからわからないんだよ。
空なら、生じも滅しもしない、と言われると、

そうなら、
人(プルシャ)もなくて、自己(アートマン)もなくて、四聖諦もなくて、
煩悩を断つこともなくて、涅槃をうることもなくて、修行もなくて、阿羅漢もない、
と、
こうなるのは、、愚か者には、道理のように聞こえてしまう。

だから、話の順序を考えて、こう話すのさ。
『方便心論』一・四・五 「随時而語」

===================
 【問い】どのような語りによって人々は信じ了解するのだろうか。

 【答え】もし愚か者のために深遠なる事柄を区別して(こう言うと)しよう。
すなわち、諸法は皆ことごとく空寂であって、自己はなく人(プルシャ)もない、
幻のごとく変化(へんげ)したもののごとくであって真実はないと。

このような深遠なる事柄は、智者は了解するが、普通の人が聞いたら、
迷って理解するのを断念してしまう。
これは、「時宜にしたがって語るもの」とは言えない。

もし、諸々の存在には行為(業)があり、結果や束縛や解脱など、
行為をなす者や享受する者があると説くとすれば、
知恵の浅いものがかりにこれを聞くならば、たちまち信じ疑うことはない。
棒と台木を錐もみして、たちまち火が生ずるようなものである。

もし説き明かされた(空の譬喩)が直前(の業・輪廻説)にしたがっているならば、
人々は皆信じ楽しむであろう。
このようなものを、名づけて「時にしたがって語るもの」というのである。
========================

なんだ、話し方の順序を考えろ、ということね。

最初から、空だ空だと、説いてしまうから、わからなくなるのね。

さいしょに、縁起を説いて、行為によってその結果が得られる、
煩悩によって輪廻があり、煩悩を断つと解脱がある、と説いてから

このようにものごとは、すべて自性がなく、空であって、
永遠不変のアートマン(自己)やプルシャ(人)のようなものはいない

と、こうすれば、問題ないのかぁ、なるほどねぇ。。うまい手だわ。


縁起を語ってから、空にいく
善悪を説いて世俗を語ってから
空である第一義諦に向かうのね。


そうね、そうかもね。

『般若経典』がむずかしいのは、すぐ第一義諦の「空」に
ずぼっと入ってしまうからなのね。

龍樹は、般若経典も、支えているのね、えらいわ!


そうそう、そういうことからすると、
従来の、
「アビダルマの有の理論を批判するために
龍樹は、空を説いた」
という説は、ちょっと問題があるのかもね。

哲学批判のために、空を出したのではなく、
ブッダの法の中で、修行のために必要だから
空を出した、

って、言えそうだよね。

この辺は、もう少し、検討した方がいいかも、ね!
もっといろいろ出てくるかな?どうかな?


とにかく、龍樹!
たいしたこと言ってるわけじゃないのに、
すごく、かっこよく見えるところが、さすがだわ!

何だよ、管理人っ!
そんな誉め方、ないだろ、ひどいよ、ひどいよぉ。。。。
これ、論法なのにぃ。。争わない論法なのにぃ。。
もう、ぼく、帰っちゃうからっ!

あ、帰っちゃった、意外と、人間できてないのね。

でも。。。
部派を助け、大乗を助けても、さっさと帰るところが、

龍樹は、空 。

やっぱ、かっこええよ、龍樹!

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