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2011/05/05

『サンガジャパン Vol.5』

Samjap5_big
この雑誌が出て、少し時間がたってしまいました。

『サンガジャパン Vol.5』
「死と仏教」というテーマです。

あの運命の日、3月11日が校了だったという、
のちのちまで深く印象に刻まれそうな雑誌となりました。

仙台の本社ビルで仕事をしていた編集者のS氏は、
大地震・津波の時の様子を、編集後記で生々しく
語ってくれています。

やっとの思いで生まれてきた雑誌である、という気がします。

「死」というテーマは、

震災があってもなくても、いつでも、わたしたちに
深く問いかける内容をもっています。


亡くなった人たちに、手を合わせるとき、
生きている人は、死について何を思うのでしょう。

「死」は身近でありながら、わたしたちは、「死」を知らない。


編集部が掲げた巻頭のことばの中に、
「死」を特徴づける、次のような表現があります。

「わたしたちにとって死とは体験不可能な、未知のもの」


生きている自分自身にとっては、未体験である

という意味では、たしかにその通りです。
体験してしまったときには、何も言えません。
だから、
語るときには、いつでも、
「死は未体験」ということにもなりそうです。

亡くなった人たちを思って、涙にくれるとき、
それは、いつでも生きている者たちの鎮魂歌です。

亡くなった人たちは、どこに行ったのだろう。

悲しむ人々は、こう考えます。

身体は、この大地に帰っていく。

そして
魂は、
祖先と一緒になるか、
空に上って星になるか、
風になるか、
神さまのところに行くか、
まだ他にあるかもしれませんが、
そんなところだろう。

または、
他には何も残らず、
ただ、わたしたちの思い出になって、
わたしたちが死を迎えるまで
わたしたちとともに生き続ける。

多くの人は、こう納得して、お墓の前で手を合わせます。

写真の中に、
記憶の中に、
変わらない姿をとどめる死んだ人たちは、
年ごとに美しい清らかな思い出になって、
生きている者たちを
慰め、
守り、
励まし、
教えるのです。

一緒についててあげるから、大丈夫だよ。。
見ててあげるから、心配しないで。。

こう言われて、生きてる者たちは、
何とかやっていけるのです。

生きている人には、亡くなった人たちは必要なのです。


これは、これでよいのです。

わたしたちは、こうして生きるのですから。


=====

しかし、一方には、

誰に聞いてもわからない

「自分の死」

というのがあります。

これだけは、誰も語ってくれないのです。

亡くなった人に尋ねたくても
誰も答えてくれません。

死は、未体験だから、何も言えないのでしょうか。

死は苦しみです。
未知であるが故に、恐れます。
それが不可避にやってくるのを
ただ手をこまねいているばかりなのでしょうか。

そのような状況の中で、

ブッダは、死を乗り越えようと
「不死」を求めました。
そして、
それを成し遂げました。

たしかに。。

たしかに
かれは
死を克服し、
「不死を得た」と言ったのです。

そのことを、今回、短く書きました。

ブッダの教えは、とてもむずかしいと思います。
どうして乗り越えたのか、
なかなかピンとこないでしょう。

生まれてきたから死んでいくのです。
生まれてこないなら、死んでいくこともないのです。

生まれてこないこと(不生)

ここを目指して
ここに到達して
涅槃の安らぎに入ったブッダは、

たしかに。。

たしかに、
誰の目にも「不死」の存在になっているように
思われます。

むずかしくて、よくわからないけど、
でも、言えることは

自分の死

これは、体験するもの、というより

知るものなのだ、
ということかもしれません。

未体験であることを特徴とするのが「死」なら、
わたしたちは、「死」をよく知って、
それを、自分の手でどうにかすることが、できる、
と、
そう知ることが、意味があることかもしれません。

死は、乗り越えられる、
それを成し遂げた人がいる

と知るとき

わたしたちには、
それだけで、安らぎを感じるかもしれません。

もう少し「死」を学んで、それから、死んでも悪くないかもね。
どう死ぬかは、その前にある、どう生きるかを決めていきますね。
よし!
004
泳げ!空飛ぶさかなたち!

さかなだって、空を泳ぐこの世界。。
不死を求めて、どうしていけないだろうか。

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コメント

生をしろうともせずに、精一杯生きること が、
生 に 意味を見つけること

― 知るために生きる のであっても、
それが“生”の 中 の “選択の一つ” 、、、、 で 、、、、、
― それが精一杯であれば、それが生きているということ 、、、、

意味を見つけようとすることに、
意味を見つける こと を、重ねると、
同じことを重ねるという “禁” が、出現します 、、、、
( “同じ” と いう意味をしってください 、、、、 )

ここにリンゴが一つあります    
もう一つ横にリンゴを置きました    

(同じ)    リンゴを 
(同じように) 置いている の ではありません 、、、、

( 認識の構造を置いているのです 、、、、 )

余裕があれば、いっぱいの はず の その隙間に何でも入る 、、、、
( 見つけることも、見つかったと思うこと も(ともに)入る )

投稿: 春間 則廣 | 2011/05/07 08:02

死を知ることが、生の意味。

けっきょく、そんなものかなぁ。

生を知るために生きるか
死を知るために生きるか
生を知るために死ぬか
死を知るために死ぬか

この四つのうちで、選んだのは、上から二つ目。

投稿: 管理人エム | 2011/05/07 06:46

カケヌケテ  サキニ ススムカ  ?

「論語」 <先進> 十一 11    

いまだ人に事うる能わず 
いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん

投稿: 春間 則廣 | 2011/05/06 08:05

> 一気に駆け抜けろ

一気 逸気 一揆 !


掛け ソバ は      
やはり 
イッキ に イキ ヨイ ヨク
吸い込むときに

口元を駆け抜けていきます   

香りが あれば  
香り  たちます        


ナン ラカ オリ ナシ ?

投稿: 春間 則廣 | 2011/05/06 07:12

春間さま

>「 死 」 を、シつて いるのは、
>「 生 」 を、 シる  もの   だけです

そうか!やっぱり、親鸞!
生を知らなければ死を知らない、のですね。

わたしは、生はわからないから、死を知って生を知ろうとしているようなところがあります。

生き抜けてますか?

一気に駆け抜けろ、でしょうか。

投稿: 管理人エム | 2011/05/06 04:42

下げ足 とられて、転ばぬように 、、、、


>  どう死ぬかは、その前にある、どう生きるかを決めていきますね。

“どう生きるか” は、“どのように死んでいくか” を、
表しているようで、
死んでいくことが、決してなく(死んだことがある人は誰もいません)
生きていること しかない ことを、知ると 、、、、

矛盾を孕んでいることが(どこかにあると)分かります

「 死 」 を、シつて いるのは、
「 生 」 を、 シる  もの   だけです

そのどちらも、知らずに、俎上に乗せる、その矛盾を言います 、、、、

生きることは、
分かろうとする ときに だけ、誤謬され、
生き抜ける   ときには、  真実の姿 だけ が あります

精一杯の生には、立ち止まる余裕もありません
( 余裕があるから、悩みも、悲しみもします 、、、、 )

>  よし!

よし !
あし !

投稿: 春間 則廣 | 2011/05/05 19:20

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