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2011年5月

2011/05/31

汝も耕せ!

011
ようやく暖かくなりました。水ぬるむ五月の終わり。

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この前の日曜日、
ス-パーに行ったら、
花や野菜の苗がおいてあって、78円とか68円とか値段がついていました。

安い!

で、

この忙しいのに、つい買ってしまいました。
青じそとかパセリとか、赤ピーマンに、黄色ピーマン、花も二種類。

それから、たいへんでした。

もと庭だった雑草地を、鍬で開墾。。

開拓のはじめは豚と一つ鍋

と、依田勉三の歌が、身にしみます。
気分は屯田兵!

おおおっ!やばい、ササまで生えてきてる。
クマザサなんか生えてきたら、ほんとに原野そのものだ。

うっそうとした雑草を2m四方を開墾したら、
お隣のキレイなお庭が全部見えるようになっちゃった。
どんだけ、うっそうとしてたか、わかるでしょ。
それにしても
うちのタンポポ、何で40~50センチも背丈があるんだろ?


ところで、写真はないの、って?
ええ、やだわ、写真?
そんなもん、撮ってない。。。(ことも。。ないわよ。)


見せたくないなぁ。。荒れ地だし。。。

ええ、わかった、わかった、見せますよ。


開拓の苦労を忍んでね。
007

こんな、田を耕してる暇はない。。などと思いながら

つい口をついて出るのは

「田を耕すバーラドヴァージャ」(『スッタニパータ』)にある

バーラドヴァージャが、ブッダに語ったことば。

「わたしは、耕して種をまく。
耕して種をまいた後で、食う。
汝も、また、耕せ、また種をまけ。
耕して種をまいた後で食え」

ブッダは、
自分もまた耕して種をまいて、
その後で食べているのだ、
と述べて
バーラドヴァージャを驚かせます。

ブッダだけじゃないのよ。

わたしだって、
耕してるだ!

ただ、わたしの場合、
ブッダとちがって、
文字通り、土だけど。。。


ああ、こんなことしてないで、
机の前に座って、耕したい。。。

仏典読んで、心根を、耕したい。
龍樹読んで、ノーミソ、耕したい。
大乗読んで、生き方、耕したい。

耕すもの、って、たくさんあるんだなぁ。。

汝も耕せ。。。ねぇ。けっこう、沁みる。


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お口直し(?)に、こんなキレイなお庭でも。
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2011/05/27

花とことば

前の日記では、レンギョウの花盛りをごらんいただきましたが、
あわれ、レンギョウも、散りゆく頃となりました。。。001

ああ、さびし。

なので、次の花!
奥に見えまするは、八重桜かな。
ここに大きく写します、どかんと。
002
おお、うるわし。

この盛りをのがしては、二度とチャンスはない。
アップして撮って、アップしなくちゃ。
003
わわっ!ちょっと大きすぎ。
もうちょっと、控えめにしてほしい?

はい、はい。
004

こんなところでどうでっしゃろ。
あんまり変わらん?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
=====
花にちなんで
=====

うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りのないものがあるように、
善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。


うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、
善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。
(『ダンマ・パダ』51,52)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

うるわしい花で、香りのない花というのもあるんですね。
善いことばで、実行されないことば、というのは、あるのがわかるけど。

しかし、
花よりダンゴ。。ではなく
花よりことば。。ことばの方に

気が引かれます。。

花を見ながら、しみじみ、ことばも観察しちゃおう。

ことばは、不思議なものだと思う。

よく「ことばで言い表せないものがある」とか言われるけど、
昔、そんなことはあるはずがないと思っていました。

どうにかすれば、絶対ことばで表して、
相手に伝えることができるだろう

そう信じていた頃もありました。


今でも、そう思う気持ちは、ないわけではありません。
ことばに対する信頼、というのか、
そういうものが、どこかに残り香のように残っています。

ことばが自由であれば、なんでも伝えられるのではないか
と、思ったりもするのです。

ことばが自由である、とは
思惟が自由であることです。

思惟が自由である、とは
ことばにとらわれずに
ことばが出てくるということです。

そのとき、ことばはことばであることを忘れている。

そうであれば、ことばは、なんでも伝えられるのだろう、
と思います。


ことばを信頼したので、
龍樹は、「空」と言ったのでしょう。

ことばは自由だと知ったので
龍樹は、「空」と言ったのでしょう。

ことばは、ことばを打ち消すことができるし、
ことばは、ことばを生み出すこともできる。

ことばによって、思想が生まれる。
ことばによって、思想が消える。

ことばが心のままであれば、
心はことばのままである。

こうして、ことばによって、
世界が動いていくのです。
人の心が動いていくのです。

======
はじめにことばありき。
======

このことばによって、まさしく、
世界がはじまったのでしょう。

だって、そう書いてある。
書いてあるなら、そうなる。

ことばの真実において、
ことばはことばを実行する。。そうなれ!

だから、いっそ

仏教でよく言う、「ことばで言い表せない境地」は
ほんとうは
ものすごく多種多様なことばの花開いた世界を示している。。んだろ。

ことばで言い表せないものなど、

やっぱり

ほんとうは

一つもないのだ

って、いう気が

どうしてもしてくる。。なぁ、花を見ていると、ね。

花開くなら、ことばも開くだろ。。
言い表せないことばが、花開くのだろうね。

こうして、ことばは、真実の花となる。
こうして、真実のことばは、花となる。

だから、集めてください、真実の花とことば。

============
わざに巧みな人が花を摘むように、学びつとめる人々こそ
善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。
(『ダンマパダ』45)
============

(うーーむ、管理人
新境地か、はたまた、でたらめか。。
ことばのおもむくままです、はい)

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2011/05/20

急がばまわる、目が回る

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今年の桜は、すぐ散ってしまうと思って、
先週、あわてて撮っておきました。

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おまけです。もう一つ。

予感は大当たり。

このとき一瞬の満開でしたねぇ。
今では、もう大半散ってしまいました。

あっという間に

花は盛りに、月は隈なきを見るものかは。。

となりますね。。

花の命は短いです。

今では、濡れた歩道に、花びらが、
さびしくはりついているのです。

人生ってね、こんなものよね。。

はあぁぁぁ~~~
 
 


ですから、
まあ、次の花を見ましょう。
レンギョウです。

あらま、げんきんなやつ、っていわないで。
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ついでに、ユキヤナギもサービスしちゃお。
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さて、

道場では、
「無我」 ということばや
「非我」 ということばが
飛び交って、かまびすしいです。

いろんな説が、根拠なく飛び交うので、
だんだん、わからなくなってきました。

あんまりいろいろあるので、

なんだか、もう、どうでもよくなってきました。

あらま、そりゃ、困ったわい。


「自己(attan)」ということばと
「わたし(aham)」ということばとが、ごっちゃです。

名詞に否定の接頭辞のついた
「自己ならざるもの(anattan)」という名詞と
「(それは)わたしではない」という文とが、ごっちゃです。

何か、変な、いやな感じですよね。
混乱をそのままにするのは、よくないよね。


なので、

『サンユッタ・ニカーヤ』でも、少し

訳してみよう。


急がば回れ、っていうし、

時間もないけど、こういうときこそ、

地道に行くことにしよう。。。

な~んて、

チョー忙しいときに限って、
どうして、こういうことを思いつくのか。。。
まったくもって、わたしの悪い癖。


原稿の締め切りもあるし、
仕事もどっさりあるし。。。

いいじゃん、いいじゃん、気にするな。。おいおい。

どうせ、短い人生だもの。

先週咲いて、今週散ってく桜と同じ。

え?
なに?

全然、似てない!
桜と一緒にするのは、ずうずうしい、ですって。

失礼しました。

じゃ、じみな野草で、人生を彩るわ。
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キバナノアマナと申します。
絶滅寸前っす。。

え?
なに?

似てる!って。。。こらあ。

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2011/05/15

桜に寄せて

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春まだ浅いほっかいどー。

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おお、ようやく桜だ、桜だ。

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すり寄って。。

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近寄って。。ぱちっ!

今年は、本当に、桜のことは忘れそうな春です。
日記を書こうと思うと、大震災のことが
自動的に出てきてしまいます。

でも、むりやり花に話題を集中してっと、

ほっかいどーでは、

桜の方が、梅より早い。
コブシとツツジとレンギョウと桜が、ほぼ一緒。
って、いうか

なんでも、一斉に咲いてしまうのです。

いいです、いいです。

どんどん咲いてください。
ぱぁっと、いこうぜ、春だもの。

==

今時期は、けっこう寒くて、
お花見どころじゃないけど、

それでもむりやり、

ジンギスカンにビールで
「さいこー!」っと、
乾杯する猛者もいる。

だけど、やっぱり、ほっかいど
10度以下では、寒いは寒い。。

震えながら、
ビール飲んで、
ジンギスカンを食べたら

お花そっちのけで
さっさと帰るのが、セオリーです。

ううむ、根性のお花見だ。

==

お花見のニュースは、
いつもこんなです。

テレビで、それを見ながら、
「この寒いなか、よくやるなぁ」と
感心するのが、わたしたち。

こんなお花見でも、
毎年くりかえされるのは、いいことです。

震災の被災地でも、
お花見をしている様子が放映されて
何となくホットしましたね。

日常というのは、このように、
日々常にあることがらをいうのです。

毎年、くりかえされるけど、
しかし、
一つも同じではない

これが、無常ということか。。

桜と無常は、よく似合いますね。

毎年、毎年、桜は咲くのに、
人々は、毎年、毎年、心待ちにする。

毎年、毎年、桜は散るのに
やっぱり、人々は、桜を惜しむ。

毎年、少しずつちがっている。
ほんとは、全部、ちがっている。

でも、

人は、
桜を愛でて惜しむ気持ちは、変わらない
と、
思っている。

そして、

その変わらない気持ちを、
いつも、
無常と呼んでいる。

不思議ですね、桜って。
不思議ですね、気持ちって。。。

==

とりとめなかった割には
何とか、日記っぽくまとまったかしら。

ひび、これ、口実。。ばっかだわ。


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2011/05/05

『サンガジャパン Vol.5』

Samjap5_big
この雑誌が出て、少し時間がたってしまいました。

『サンガジャパン Vol.5』
「死と仏教」というテーマです。

あの運命の日、3月11日が校了だったという、
のちのちまで深く印象に刻まれそうな雑誌となりました。

仙台の本社ビルで仕事をしていた編集者のS氏は、
大地震・津波の時の様子を、編集後記で生々しく
語ってくれています。

やっとの思いで生まれてきた雑誌である、という気がします。

「死」というテーマは、

震災があってもなくても、いつでも、わたしたちに
深く問いかける内容をもっています。


亡くなった人たちに、手を合わせるとき、
生きている人は、死について何を思うのでしょう。

「死」は身近でありながら、わたしたちは、「死」を知らない。


編集部が掲げた巻頭のことばの中に、
「死」を特徴づける、次のような表現があります。

「わたしたちにとって死とは体験不可能な、未知のもの」


生きている自分自身にとっては、未体験である

という意味では、たしかにその通りです。
体験してしまったときには、何も言えません。
だから、
語るときには、いつでも、
「死は未体験」ということにもなりそうです。

亡くなった人たちを思って、涙にくれるとき、
それは、いつでも生きている者たちの鎮魂歌です。

亡くなった人たちは、どこに行ったのだろう。

悲しむ人々は、こう考えます。

身体は、この大地に帰っていく。

そして
魂は、
祖先と一緒になるか、
空に上って星になるか、
風になるか、
神さまのところに行くか、
まだ他にあるかもしれませんが、
そんなところだろう。

または、
他には何も残らず、
ただ、わたしたちの思い出になって、
わたしたちが死を迎えるまで
わたしたちとともに生き続ける。

多くの人は、こう納得して、お墓の前で手を合わせます。

写真の中に、
記憶の中に、
変わらない姿をとどめる死んだ人たちは、
年ごとに美しい清らかな思い出になって、
生きている者たちを
慰め、
守り、
励まし、
教えるのです。

一緒についててあげるから、大丈夫だよ。。
見ててあげるから、心配しないで。。

こう言われて、生きてる者たちは、
何とかやっていけるのです。

生きている人には、亡くなった人たちは必要なのです。


これは、これでよいのです。

わたしたちは、こうして生きるのですから。


=====

しかし、一方には、

誰に聞いてもわからない

「自分の死」

というのがあります。

これだけは、誰も語ってくれないのです。

亡くなった人に尋ねたくても
誰も答えてくれません。

死は、未体験だから、何も言えないのでしょうか。

死は苦しみです。
未知であるが故に、恐れます。
それが不可避にやってくるのを
ただ手をこまねいているばかりなのでしょうか。

そのような状況の中で、

ブッダは、死を乗り越えようと
「不死」を求めました。
そして、
それを成し遂げました。

たしかに。。

たしかに
かれは
死を克服し、
「不死を得た」と言ったのです。

そのことを、今回、短く書きました。

ブッダの教えは、とてもむずかしいと思います。
どうして乗り越えたのか、
なかなかピンとこないでしょう。

生まれてきたから死んでいくのです。
生まれてこないなら、死んでいくこともないのです。

生まれてこないこと(不生)

ここを目指して
ここに到達して
涅槃の安らぎに入ったブッダは、

たしかに。。

たしかに、
誰の目にも「不死」の存在になっているように
思われます。

むずかしくて、よくわからないけど、
でも、言えることは

自分の死

これは、体験するもの、というより

知るものなのだ、
ということかもしれません。

未体験であることを特徴とするのが「死」なら、
わたしたちは、「死」をよく知って、
それを、自分の手でどうにかすることが、できる、
と、
そう知ることが、意味があることかもしれません。

死は、乗り越えられる、
それを成し遂げた人がいる

と知るとき

わたしたちには、
それだけで、安らぎを感じるかもしれません。

もう少し「死」を学んで、それから、死んでも悪くないかもね。
どう死ぬかは、その前にある、どう生きるかを決めていきますね。
よし!
004
泳げ!空飛ぶさかなたち!

さかなだって、空を泳ぐこの世界。。
不死を求めて、どうしていけないだろうか。

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2011/05/03

ただちに影響はでない。。

雨のお休み、日曜日。
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ロマンチックに朝からお出かけ、すてきだわ。。
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こぶしが、きれい。。。
あ、桜も咲いてた、知らなかったわ。
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な~~~んて、言ってるばあいじゃ、なかとよ。

朝もはよから、仕事です。。んでもって、ほぼ徹夜です。
雨と風が、いっそ気持ちいい徹夜明け。

先日、話題に出たので、『バガヴァッド・ギーター』を勉強して
ギーターに説かれるヨーガについて
お話してきました。


ジュニャーナ・ヨーガ(知識の道)
カルマ・ヨーガ(行為の道)
バクティ・ヨーガ(信愛の道)


この三つのヨーガが説かれています。

たしかに、ヨーガの行法も説かれています。
しかし、それだけではありません。

いろんな哲学思想も説かれています。

でも、気づくのは、仏教思想の強い影響ですね。
いいところは、みな仏教から借りてきてるような感じです。

いかに、仏教が、インドにおいて大きな存在であったか
あらためて思います。


それと、カルマ・ヨーガですが、これは

「汝の本務(スヴァダルマ)を果たせ」

というメッセージとして説かれます。

「専念すべきは、ただ行為そのものであって、
行為の結果を動機としてはいけない」

執着を捨てて、
ヨーガに立脚して行うことが求められるのです。

このやり方は、いささか危険もともないますね。
善悪を判断しないと、危ないです
でも、
使い方しだいでは、役に立ちそう。。

とくに、わたしの場合、
これだけ忙しいと、
何も考えずに、行為そのものに没頭して、
無我の境地で行った方がいいかもね。

もう、そうするわ。。。

っと、講義をしながら、そんなことを考えちゃいかん!

ヨーガの講義なんですが、
講義をヨーガでしちゃったわたし。。。

========
さて、
震災以来、有名になったことばがあります。

「直ちに影響はでない」

放射線量の
基準値を超える放射線をあびても
基準値を超える食物をとっても
基準値を超える水を飲んでも

直ちに影響は出ない

と言われました。

否定のことばは、人を巧みに翻弄します。

直ちには影響は出ないが、後々出る、のか
直ちにも、後にも、影響は出ない、のか

よくわからないので、みな、買い控えると

風評被害だ、

と言われます。

直ちに影響が出ないのが、放射線被害
直ちに影響が出るのが、風評被害


あいまいな言い方やあいまいな情報に終始すると、

風評被害という名の影響が直ちに出てくる

と、情報を出す政府関係者のみなさんは覚えましょう。


「直ちに影響は出ない」という言い方が、

直ちに影響の出る風評被害を

生み出すのです。


情報は、早く正しく的確に!


実際に原発で作業している人たちに
重要な放射線量の情報を知らせないのは
もってのほか。
彼らの健康を守ってください。

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