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2011年3月

2011/03/22

生ずる性質のものは滅する性質のものである

005
暖かくなってきましたけど、あるところにはあるもんだ。
こ~んなに雪が残ってます。

さて、みなさま、日本列島はあの激震から、少しずつ、
復興へと歩み始めました。

長丁場なので、じっくり、みなさまと復興へ心を育てていきたいと思います。

今後大事になってくるのは、
激動を切り抜けた虚脱感と
再びおそってくる悲しみを
どうやって、切り抜けていくか、
そこが問題になってきそうですね。

つらい体験を、どう克服するか。。。

そうだ !

久しぶりに、ブッダくんとお話ししてみよう。

何かヒントをもらえるかも、ね! 
 

(わたし)
ブッダくん、日本は災害でほんとにほんとにたいへんだったんだよ。
で、今もずっとたいへんなんだよ。
何か、役立つこと、教えてほしいな。

(ブッダくん)
ぼくは、ブッダくんだよ。自分で「くん」づけするのも何だけど、
書いてる著者が、こう決めちゃったもんだから、ブッダくんで、いくさ。

(わたし)
かわいくていいよ、その名前。
それで、手っ取り早く、役立つ教え、教えてね。
一行くらいの簡単なやつでいいからさ。みんな、忙しいから。

(ブッダくん)
なんかなぁ~、ありがたみがでないなぁ。。
でも、いいよ、忙しいんだったら、

いつも心に一行仏教

ってのは、どうだい。

(わたし)
何?一行仏教って?
どう読むの?

(ブッダくん)
いちぎょうぶっきょうさ。
一行(いちぎょう)覚えればいいって、いう仏教だよ。

(わたし)
へえ、そりゃいいね。
で、どんなの?

(ブッダくん)
うん、上の題名にあることば、どう?

生ずる性質のものは滅する性質のものである。

形あるものは壊れる、っていうことだよ。

(わたし)
ふーーーん、ふつうっぽいね。仏教でよく言うでしょ。

(ブッダくん)
何、言ってんだい。ふつうっぽくないよ。
これ、今の日本人には、絶対役立つさ。

福島原発、見てごらん。
三陸の強固な防波堤を見てごらん。
がっちりした防災対策の進んだビルを見てごらん。

みんな人間が手をかけて作ったものだろ。
だけど、みんな、地震や津波で壊れてしまったろ。
だから、作られたものなら、壊れるものだ、と覚えておくといいんだよ。

ほら、どこか、立派な強固な防波堤があると、ちょっと安心するだろ。
原発は、安全だと、ずいぶん宣伝していただろ。

でも、どんなものでも、作られたものは必ず壊れていくんだよ。
これを、知るだけで、ぼくらは少し賢くなれるよ。
安心しきってしまうことがないからね。

どんなにがっちりした強固な設備を作っても、
人間の作ったものは、壊れていくのさ。

これは理(ことわり)だよ。

(わたし)
そういえば、そうね。頭じゃ、わかってるんだけど、でも、
こんなに丈夫なんだから、そんなにすぐは壊れないよ、って思っちゃうものね。
なるほど、生じてきたものは必ず滅していくのね。

(ブッダくん)
そうさ!
これは、ただの理屈ではなくて、そのことを心にいつもとどめて、
安心するな、という教えだよ。
これを応用すると、努力を怠るな、ということにもなるよね。
それから、注意深くメンテナンスをしておこう、ってことにもなるしね。
それから、生じたのは、ものだけでなくて、人も同じだよ。
生まれてきたら、いつかは死ぬのさ。だから、その意味でも、怠るな、って言えるよね。

(わたし)
そうか。。いつも努力しないと、すぐ何でも滅しちゃうからなあ。

(ブッダくん)
そうだよ。いいだろ、このことば。
いつも努力して、油断するな、って、ことにつながっていくんだもん。

(わたし)
ほんとね!
「生ずる性質のものは滅する性質のものである」、から、
「努力を怠るな」にスライドするのか。。。

あれ? 

ところで。。。何でつながるんだっけ。。
さっき、生じてたんだけど、わたしのあたまじゃ、
その教えも、
すぐ滅しちゃっうみたい。。。

こんなとこで、理(ことわり)どおりでも、うれしくないっ。。


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2011/03/21

ほっとしたいよ、空海さま『ほっとする空海の言葉』

怒濤の10日間が過ぎました。
東北関東大震災は、3月11日に起きました。

なんて長い10日間だったでしょうか。
なんて短い10日間だったでしょうか。

少し、どこか、ほっとしたい。。。
Hottosurukuukai

ああ、ありがとうございます。
なんてすばらしいタイミングで、すばらしい本が出たのでしょうか。

(文)安元剛氏(書)谷内弘照氏『ほっとする空海の言葉』二玄社

70の空海の言葉を、谷内氏の書とともに、安元氏の解説でご紹介した本です。

切れのある機知に富んだ解説で、空海の「智」を担当するのが
わたしの友人である安元氏です。

清浄なる冴え冴えとした書で、空海の「心」を伝えるのが
壮年時代の空海が過ごしたといわれる神護寺(高雄山寺)の
貫首である谷内氏です。
 
 
本当に、智に満ち、心に満ちた空海のすばらしさが
お二人の息の合った書と文によって、本からあふれ出ます。

 
今回のご紹介は、ご本の内容をあれこれ言わずに
わたしが、ほっとしたところを、一つ選んでご紹介してみます。


================

とうとう、うちにも、知らせがやってきました。
大震災で、知り合いの方が行方不明と伝えられました。

ずっと不安を抱えてきましたが、いざ現実になってみると、
一段とテレビのニュース番組がうらめしいです。

 
この広い日本の中にいるすべての人は、
日本のどこかで誰かとつながっている。
 
どんな人にも、家族や親戚があり、友人や知り合いがいて、
日本の誰かかれかとつながっている。

そうなると、たどっていけば、
必ず、今回の大災害の被災者のだれかに行きつくことになるだろう。

どんな人も、被災した人と関係しているとするなら、
わたしたちには、空海のこんな言葉がふさわしい。

004
(書は、谷内氏の揮毫です。写真に撮ってご紹介してます)

一切の男子(なんし)は是我が父、
一切の女人(にょにん)は是我が母


みんなつながっている。

安元氏の文もちょっとご紹介してみよう。

  ######
チベットでは伝統的に
「全てのいのちあるものには、始まりも知れぬ永い輪廻において、
一度は母としての恩を受けたこともあったはず。
だから、その全ての恩に報いなければならない」
と説かれます。
 空海がここでいうのも、全く同じこと。仏教は一つです。
  #######

日本の地域のひろがりだけでなく
時を超えてわたしたちは輪廻の大海の中で
みんな、み~~んな、
つながっている。
 
輪廻も悪くないね!
ほっとするね!


ほら、ほっとしたら、さっさと仕事だよ、管理人!

 

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2011/03/16

縁起を使おう、役立てよう!

車でお豆腐を売りに来るお豆腐屋さんが、

三陸わかめを出して

「ほら、三陸だよ、もう食べられないよ」

と言いました。

三陸わかめを見てたら、涙が出てきました。

乾燥させたわかめは、たいへん手間暇がかかった品物なのです。

こんなに丹精して物を作っていたのに、
巨大地震と津波で、すべてが失われてしまいました。


たくさんのおいしい食材が北海道に来ていたことに気づいて、

東北地方は、人情も産物もなんて豊かな土地だったんだろうと思うのです。


しか~し、こんな湿っぽいことを言っても仕方ありませんね。

人情は、津波でもさらっていけないし、
日々の暮らしも、そこにあります。

困難に耐えて、復興していきましょう。


わたしも、自分のできることをすることにしました。

==============

仏教は、復興支援のお役に立つアイテムなのです。

智慧によって工夫して生きる方法を教えます。
人と人の心のつながりを構築します。
たくさんの利他に目覚める菩薩たちを生み出すのです。
自然やそこに生きる生類と共存の道を探ります。

よりよく生きる方法を、そっと教えてくれるのです。


さて、その秘訣は、ただ一つ。

「縁起」をよく知ることです。

「縁起」とは、因果関係のことでもありますが、

それは、ただそれだけではなく、もっと深い意味も持ちます。

苦しみをいやしてくれる装置でもあります。


<これ>があるとき<かれ>がある
<これ>がないとき<かれ>がない


これを、「ブッダの公式」と名付けています。

縁起の関係は
こういう式で、描ける関係です。
 
★因果を語るときは、あるがままに見て、よく見て、わかったことを、
<これ>と<かれ>に入れてください。

見もせず、知りもしないものを入れては、うまくいきません。


★それと、「人」を<これ>や<かれ>にいれては、うまくいきません。

「人」というのは、身体と心からなっているのです。
身体の部分や、心を表すことばを入れましょう。


みなさま、作ってはいけない因果関係は、たとえば、こんなものです。

不幸に出会った人に、あの人は前世の行いが悪かったのだろう

不幸に出会った人に、あの人は天罰があたった

などと言うものです。

「前世」や「天罰」は、見えませんし、普通の人にはわからないことです。
あるがままに見たり聞いたり感じたりしたことではありません。
しかも、個人的な「人」を対象にしています。

苦しみを抜くこともできず、因果もわからず、何の役にも立ちません。


★<これ>と<かれ>には、「生じたり滅したりするもの」を入れてください。

この「生じたり滅したりするもの」に使うと、縁起の関係はよくわかるのです。

★それと<これ>に入るものは、時間的に<かれ>に入るものより先行します。
<これ>には、原因が入るからです。

作るとき、

結果である<かれ>に、事実と思うことを入れてみましょう。

そこから、<これ>に入る「原因」を考えていくのです。

そうすれば、失敗することはありません。

わたしたちは、あるがままの事実から出発できます。

その方が、精密なのです。
しかも、苦しみをよく抜きます。

たとえば、こんなのはどうでしょうか。


<善意の心>があるとき<癒し>がある
<善意の心>がないとき<癒し>がない

<献身>があるとき<感謝>がある
<献身>がないとき<感謝>がない

心を癒されたとき、感謝の心が生まれたとき、
この因果関係が知られます。

多くの人は、このことを知って、皆で助け合うのです。
人はいますが、人そのものがふれあうのではなく
心と心がふれあうことが大事だと気づくでしょう。

失われたものは、たくさんありますが、
失われていないものも、たくさんあるのです。

あなたも、「ブッダの公式」で作って見てください。
見つけた縁起に従って行動すると、苦しみがなくなっていくでしょう。


わたしたちには、残されたものは、まだまだたくさんあると
知るのではないでしょうか。


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2011/03/04

3月3日は、ゆきまつり。。あら?

雪山です。
009
3月だと言うのに、真冬に逆戻り。。ふ~ぅ。。

007

1時間以上雪と格闘して、雪かきをしたら、
キーボード打つのも、きびしい~ぃ。。

へとへとです。ふぅ。
体力ないなぁ。

==================
さて、試験問題を採点しています。

例によって

「自己を一番愛している者は、他を害するな」という
ブッダのことばについて

どう思うか聞いたところ


多くの人が、こう答えてくれました。

人は、多くの場合、自分を一番愛しく思うものだ。
でも、それは、当然なのであって

自分を愛しく思えるからこそ、人も愛せるようになる。

自分を愛しく思わない人は、他人も愛せない。

自分を愛しく思わない人が、他人を害するのだと思う。

自分を大事にして、他人との関係を築いていきたい。

ほとんど、このような答えだったので、
考えてしまいました。


自分を愛しく思わなければ、他人も愛せないのだろうか。


自分を愛しく思わないと、「愛」ということがわからないから、
と説明してくれた人もいるのですが、
ほんとにそうなんだろうか。

こういう考えをもつ人は、
「誰でも自分が一番愛しい」という意見には
みな賛成してくれる。

ということは
「自分を愛しくない人」のことは考えなくてもいいはず。

「全員が自分を愛しく思ってる」、ってわかってるなら
「自分を愛しく思うからこそ、他人も愛しい」と言えるかどうか

やっぱり、もう一度考えることになるのではないだろうか。


ほとんどみんな、自分が大事で、自分が愛しいのに
他人を愛しく思わないような言動を起こして
他人を害してしまうのじゃなかろうか。

ほとんどみんな、自分が大事で、自分が愛しいから
他人を愛しく思わないような言動を起こして
他人を害してしまうのじゃなかろうか。

自分を愛しくない人が、他人を愛せるか、愛せないか、
自分を愛しく思っている人は、知らないのではないか。

  *****

ブッダの語りが、論理的である、という理由がわかります。
ブッダはウソをつかないのです。

知らないことは、語らないからです。

ブッダなら、4つの場合に分けて語るだろう。

自分を愛しく思う人で 他人も愛しい人
自分を愛しく思う人で 他人は愛しくない人
自分は愛しくないが 他人は愛しい人
自分は愛しくなくて 他人も愛しくない人

こう分けて、自分は、何を語れるか、考えるにちがいない。
こうして、体験して得たものだけを語るから

ブッダは、ウソをつかないと言えるのだけど

わたしたちは、このように、耳あたりのよい意見だけを求めて

知らないことを知ってるように語るので

ウソつきになってしまうのです。

   *****

『ウダーナ・ヴァルガ』より

愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。
愛するものを離れたならば憂いは存在しない。
どうして恐れることがあろうか。(5.1)

愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。
愛するものは変滅してしまうから、ついには狂乱に帰す。(5.2)

世間の憂いと悲しみ、また苦しみはいろいろである。
愛するものによって、ここにこの一切が存在しているのである。
愛するものが存在しないならば、このようなことは決してありえないであろう。
(5.3)

それ故に、愛するものがいかなるかたちでも決して存在しない人々は、
憂いを離れていて、楽しい。それ故に、憂いの無い境地を求めるならば、
命あるものどもの世に、愛するものをつくるな。(5.4)

(中村元訳『真理のことば・感興のことば』岩波文庫より)


ああ、なんて、ごもっともでしょうか。

自分にせよ、他人にせよ、愛するものから離れられないなら
どう生きたらよいか、やっぱり考えなくちゃいけないですね。

他を害するな

これは、よくよく考慮しなくちゃね。


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