« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011/02/25

何もございませんが、ニシンでも。

ほんとに油断もスキもない、昨今。

たちまち真っ白ブログにされてしまいました。

道路が雪解けで汚いので、写真がなかなか撮れません。

なので、ニシンでも見て。

007

ニシンを買うとき、安いのでジッと見つめていたら

お隣の奥さんが
「あら、みんな白子(しらこ)なの、数の子の入ったのはないの?」

って、聞いてました。

ジッと、ニシンを見つめてみましたが、
どうみても、白子(雄)が入ってるのか、数の子(雌)が入ってるのか
わかりません。。

なんか、尊敬の念が湧いてきて
「どうして、全部白子ってわかるんですか、すごいですね」

って、思わず聞いてしまいました。

そしたら、その奥さんは、一言

「あら、安いからよ、数の子の入ったのは高いもの」

って。。。。

おいらは、バカじゃ。

で、庶民は、安いニシンを買うのです。

  *****

では、では、お料理をば!

三枚におろします。。
自分でやったのと魚屋のお兄さんがやったところとがあって、
微妙に区別できます。
008
マリネを作ります。
ニシンの酢漬けです。
タマネギの薄切りを水にさらしてます。
ニシンに塩をして、冷蔵庫に入れてほったらかします。

009
取り出して、皮を剥きます。

あら? 減ってる。。。

よく気がついたわね。
晩ご飯のおかずがないことに気がついて
三切れ、焼いて食べちゃいました。
010

そんな危機にもめげずに
一口大に切って、タマネギの薄切りをしいて
その上に、ニシンをちらします。
クミンシードがあったので、それを入れ、
マスタードシードもあったので、それも入れ、
ローリエ(月桂樹の葉)もあったので、それも入れます。

あるものをテキトーに入れて、これをくりかえします。
011
最後に、酢を入れて、蓋をして、冷蔵庫で寝かせます。

明日くらいには、食べられるかな。


ほんとに、真っ白ブログを回避するために、
こんな料理教室まで
開くなんて、
管理人って、なりふり構わないのね。。

それに、わたしの料理って
どう見ても、アバウトだし。。。

おいしいのかしらね。。って、自分で言いますか。


=============

ところで、今日は仏教の話は、ないのか、って。

原稿書くのに、ネタが出払っていて、ここに書くものありませんのよ。

明日は、朝カルの講義なので、何かネタが出てくるといいなぁ。


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011/02/18

空って、何だろね?

006


002


003

雪だるまがいっぱい。
ドカ雪祭りの、なごりが残る、岩見沢の駅前風景。
だいぶ、雪も融けてきましたね。

==================

「空って、さ、中味がないこと、実体がないこと、って説明されるけど、
これって、いったい何だろね?」

とつぜん、聞かれて、瞬時に反応しちゃうわたし。

たとえば、空(くう)の文、って言ったら、

『善い人は、善いことをする』 とか
『善いことをするのが、善い人だ』とか

こんな感じかな。

これって、あたりまえだけど、そして、誰も否定しないけど、
でも、いったい何を言っているのか、聞きたくなるよね。

中味が、あるようで、ないもんね。空っぽだよね。
『それで、どんな人が善い人なの?』と、聞きたくなるでしょ。

そういうとき、たいてい、答えてくれた人がどういう人かで、
その中味が決まってくると思う。

いつも、悪いことばかりしてる人なら、
何か、嫌みな内容を含んでいるような気もしてくるし、

ふつうの人なら、
『だったら何?』『善いことって、どんなこと?』って、聞きたくなっちゃう。

で、そのとき、ブッダだったら。。。

この空の文は、人々の心にすんなり入っていくでしょう。

「ああ、ほんとだ、ブッダのように行動していれば、
たしかに、善いことをする人は、善い人なんだ!!」

「ああ、わたしも、ブッダみたいに、善い人に、なりたいなあ」

とか、しみじみ心に思うかもしれない。


ここからわかるように、ことばは、そもそも中味がない、のです。

だから、

空っぽのことばを語って、納得させることのできる人は、

それなりに一貫した生き方をしていて、そのことばに意味を与えられる人なのです。


ことばには、中身がなく、実体がない


このような想いをもつなら、その人は、ことばの使い方を知るのです。

ことばに中身をもたせるためには、ことばを語る人の行動が大事なるとね。


空っぽのことばを、「空っぽです」と言ってるだけじゃ、
そう言ってる人が、空っぽに見えちまうのです。

だから、むずかしいのです。

これまで、「空とは、中身のないことである、実体のないことである」
という説明が、イマイチ、ピンとこなかったのは、

語る人が、そもそも、そのことばどおり、空っぽだったからなのです。

おっとっと。。言いすぎたかな。

でも、みなさまが、なんか、わかったようなわからないような気持ちが
してくるのは、もっともなのでありますよ。

「空とは、中身のないことである、実体のないことである」

という、この文、そのまま『空』で、空っぽの内容です。

「善い人は、善いことをする」と同じでしょ?


ですから、このような空の説明をするなら、その人自身が

どのようなことばの使い方をしているのか、問われることになるのです。


空を語りうる人、それは、空を実践できる人なのです。
なぜなら、空っぽは、どう使うかで意味が出てくるから。

空を実践できる人、それは、己を虚しゅうして人の為に生きる人なのです。
自分が空っぽになると、人の為に生きることになるから。

己を虚しゅうして人の為に生きる人、それは、菩薩なのです。
空を知る人は一切智を求めて努力する人だから。

だからね、

空は、菩薩のものなんだよ。


ことばの上で、ただ、空が説明できても、何もならない、ってわかったでしょう。

「空」を知る人は、実践を大事にする人で、
人の為に一切智を得て働く人なんです。

菩薩。。。。。 いいねぇ。。。


仏教って、いいよね。

「ことばは、空だ」と言ってるってことは、

ことばは、行為なのだ

って、言ってるってことだから。

行為をともなって、ことばは、はじめて意味が出てくる、ってことさ!


空は、奥深い思想だよ。
なかなか、誰でも言える思想じゃないからね。

ブッダって、すごいよね。

| | コメント (31) | トラックバック (0)

2011/02/14

ヨーガによーがある方のために 伊藤武氏『図説 ヨーガ大全』

Photo

こんな大著が、出版されました。
伊藤武著 『図説 ヨーガ大全』 佼正出版社

ヨーガの研究史に、名前を残す本となりましょう。


我が国では、佐保田鶴治博士の

『ヨーガ根本教典』 (平河出版社)
『続・ヨーガ根本教典』(平河出版社)

が知られています。
古い書ですが、
これまでは、我が国でこれ以上の研究は、
望むことができませんでした。

わたしは、実践的にも、学問的にも、
これらを超える書は、なかなか顕れまい、と思ってきました。

しかし、まったく異なるバックグラウンドから、
これほどの大著が、惜しげもなくあっさり顕れるとは!

=====
前置きは、このくらいで、
伊藤武氏について、ちょっぴり、わたしの知っていることを。

ものすごく多彩な人なので、一言で、「何の人」かを言うことはできません。

ご本人いわく、    「作家」
って、ありましたが、
エンターテナーたる作家だけではない。

なぜなら、
サンスクリット文献に詳しく、   「学者」
も真っ青だから。

インド事情に詳しく、   「旅行家」
みたいだが、
事情通という域をとっくに越えてる。

実践修行にも励む姿は、   「ヨーギン」
らしくもあるが、
ふつうの人(ヴァイシャ)の感覚もあわせもつ。

絵画や建築アートにも造詣がある   「アーティスト」
っていうなら、それも狭い。

インドの精神的な風土を飲み込む   「宗教家」
のふところももつから。

クシャトリアのごとく、医術も詳しい   「武闘家」
ってのは、ほんとうかどうかわからない。

清浄なるバラモン出身のように、   「料理家」
っていうジャンルもものにしているから。

ウパニシャッドに出てくるサッティヤカーマのように
いろんな人(動物?)から、教えを受ける姿は
忍耐のシュードラ。

という。。。
バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの
全部にあてはまる。。オールマイティな人なのです。

困っちゃうわ。

で、そんなオールマイティなオールラウンダーが著す書なのだから

その名も

『 図説 ヨーガ大全 』!!

ほとんど、我が国では知られていなかったヨーガの地平を
開拓者のごとく、分け入り、探り当て、極めつつ
紹介してくれているのです。

ありがたい!! の一言です。

伊藤武氏を逆さにして、ふったら

このような書ができあがりました

という感じがします。
====
さて
伊藤武氏と大著の前置きは、このくらいで
ようやく、本の中味。。って言っても
「前置き」のぶぶんだけど  

まずは、「ハタ・ヨーガ」に対する
「ラージャ・ヨーガ」という意味から、入ります。

これは、わたしもびっくりです。
しかし、思いあたる節が、多々あるのです。

ラージャ・ヨーガは、サンスクリット辞書に
「王さまでもできる簡単ヨーガ」 とあるが、なのに、なのに

現今、ちまたの外国人を受け入れるバラモンのヨーガの先生は、
「ヨーガの中のラージャ」の意味で、
「スピリチュアルなヨーガ」のことを言っている。。

と、この点に、疑問を投げかけます。

わかります、わかります、わたしも、なんか変、って思ってました。
ただ、わたしの場合、思ってただけですが。。。

しかし、伊藤武氏の場合には

ここから、インド中の地域や文献を漁る
ヨーガ探検の旅が、はじまるのです。

で、インドのちまたでは

☆ ラージャ・ヨーガの根底にあるのが、ヴェーダーンタ思想

☆ ハタ・ヨーガの根底にあるのが、タントラ思想

と、なっているらしい、との現況報告です。

この枠は、大事だと思うけど、ここでわたしも、伊藤さまに 勝手に現況報告。

     ***
外国人相手の「ヨーガ・アーシュラム」は、
思想のわかりやすさもあって、ヴェーダーンタの不二一元論を採用している
のではないかと思います。

(この点、第2章15「王さまのヨーガ?ヨーガの王道?」(p.89)に、
ヴィヴェーカーナンダに言及しているのも、正鵠を得ていると合点、ガッテン)

その上に、さらに、権威づけとして、真のラージャとして
サーンキヤ思想による『ヨーガ・スートラ』をおいているかも。。。
     ***

とりあえず、ま、これらはおいておいて

伊藤武氏は、自身のフィールドである、ハタ・ヨーガの密林へと

分け入っていくのであります。

12世紀の、ゴーラクシャなる人物が集大成したハタ・ヨーガ

仏教タントラの中から生まれ、ヒンドゥー教のふところで育った
ハタ・ヨーガに、インドのすべての思想を内部に秘めながら
せまります。


いや、もう、ほんとにたいへんです。
何が、って、読むのがです。
とりあえず読むだけで、丸三日かかりました。

ですから、書くのは、どれだけたいへんだったのでしょう!

知識篇  基礎知識・思想・宇宙観・身体観・生理学
実践編  医学・呼吸・体位・儀礼

伊藤武氏の、インド的実践・知識の集大成でもあります。
全部で、九章にわかれていますが、

伊藤氏の独自の視点と深奥の秘義とが出会う (と言っても、どれもそうだけど)

第3章 ヨーガの宇宙観
第4章 ヨーガの身体観
第5章 ヨーガの生理学

このあたりは、独壇場ではないでしょうか。

★錬金術やマルマンの外科医術とプラーナの生理学

龍樹とも絡むので、興味しんしんです。

★性ヨーガからハタ・ヨーガへの道筋

仏教とくに密教が絡むので、興味しんしんです。

ハタ・ヨーガと後期密教とを結びつける資料の中で
杉木恒彦氏の『八十四人の密教行者』を
参考にしたとあります。

そうなんですか。。

サンスクリット文献の扱いにも慣れていて
いわゆる文献学者というのではありませんが、
知識の多さと造詣の深さで、読みも精密です。

学者のスタンスですよね。。

実践については、わかりやすくシンプルで
出し惜しみなく、教示してくれるので、
信頼感と安心感と実践の体感があります。

師の握り拳(秘義)をもたないのは、ブッダのよう。。


現在の時点で

世界の中でも、これだけのヨーガの知識を、
整理して示すものは、他にはないと思います。


まさに、伊藤武氏の観想する
ヨーガのマンダラ を

覗かせてもらう、そんな趣です。


圧倒されちゃうボリュームと内容。。


しかし、何とか、めげずに、自分も一言。。ぜぇぜぇ

あと、自分的には、伊藤さまが比重をかけなかった
『ヨーガ・スートラ』関係の思想と、
仏教思想やダルシャナ(インド哲学)との
関連をさぐっていくと、
ヨーガの思想的な側面でも、
ヨーガ全体を見渡せそうな気がしています。

仏教とバラモン思想の、ヨーガにおける差異を
もう少し明瞭にしたい感じです。


さまざまな文献の資料的な扱いにも、示唆をいただいて

身体的な実践の側面でも、思想との繋がりをいただいて

いろいろ感謝にたえません。


ただ読後感想を書くだけでも
こんなに疲れるんですから

これだけの挿絵と文章を仕上げるのに
どれだけの労力を費やしたのか、想像するだに恐ろしいです。


一言でいって、精神と心と身体において

真に インド的な天文学的スケールの 

本です。


おわります。。。ふう

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011/02/11

『ビッグイシュー』と雪まつり

雪まつりの氷の像です。
006


008_2


010


011
これは?なにかに?
あんまりわからないワニ。。。ワニね。

でも、全部、恐竜みたいです。
大通りの二丁目の会場でとりました。

地下のコンコースのところに、
冬場になると
『ビッグイシュー』の販売ブースが設けられていて
交替しながら
販売員の方が売っています。

『ビッグイシュー』は、ホームレスの人を支援する雑誌です。

http://www.bigissue.jp/latest/index.html

立ち寄ってみると、まったく偶然ですが、
いつも駅前で売っていたKさんだーーーっ!

どうしてるかなと思ってましたよ。

「あ、やった!Kさん、お元気でした?」
「いやぁ、ご無沙汰でした」

となって、話が弾みます。

Kさんは、駅前の大丸デパートの脇で、
Hさんの後を継いで販売していました。

でも、Hさんが復帰したので、昨年11月以降

ちがうところで売ることになっていたのです。

ちがうところ?
それが、わかんないんですよ。


で、それ以降、音信不通。。。

「あれから、どうしてたんですか?」
「あれから、さすらってました。
「販売する場所が定まらず、どんどん南下して、
大通りの方まで来てました。」

「ふーーん、たいへんねぇ。。で、地下街に移れて良かったですね。」
「ええ、でも、それだけじゃやってけないので、
地上でも、立って売っています。」

「え、そうなんですか。寒いでしょう?
北海道ですから、冬はつらいですよね」
「いや、そうも言ってられませんから」

「そうか、そうも言ってられないですね、たしかに」

などと、立ち話に余念がなかったら、

雪まつりのお客さんに、道を尋ねられて、
二人で教えてあげました。

『ビッグイシュー』もよろしく。。。あら、行っちゃった。

で、こんな本もありました。

『路上のうた』
ホームレスの方の作った川柳を集めたものです。
http://ameblo.jp/hayamax7/entry-10733361950.html

もう、これが、開き直って、おかしい!というか、

おかしくて、やがて、悲しき夕べかな

というか、世の中、辛い中にも希望の光が見えます。

思わず笑いながら、身につまされて、ほろりとする
そんな川柳がたくさんあります。


★☆  ホームレス 戸籍上では 不老不死


ああ。。。現代にも、仙人はいる。。足下に。


★☆  銭湯に 入ったその日が 記念日だ


あああ。。。サラダ記念日ならぬ、カラダ記念日

こんな感じです。
あなたも読んで、元気をもらってください。税込み700円。

なぜか
ブッダの修行の様子が、彷彿としてきますから。

暑さ、寒さ、虫や雨や雪や風、人の目線、
いろんな障害があることが、よくわかります。


でも、生きるということが、ここにある。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011/02/09

『ブッダの実践心理学』第六巻 「縁起の分析」

Photo

「アビダンマ講義シリーズ」という副題のついた

スマナサーラ長老さまと藤本晃先生の

『ブッダの実践心理学』

とうとう、第六巻に突入です。


著者に代わって、勝手に 一言
申し上げれば

ああ、とうとうここまで来たなぁ 

って、こんな感じでしょうか。

お二人の気持ちも、こんなかな、って思います。


さて!

とうとう、ここまで来る内に

ずいぶん、アビダンマの思考方法や、
スマ長老さまと藤本先生の

講義の口調にもなれてきました。

ひたすら感動していた初期の頃に比べて
わたしも、ずいぶんいろいろ
分かってきましたよ。


今回の第六巻は、ある意味、
危険な予感のする仕上がりです。
 
 
二部仕立てで

1 摂集分別 (前章までの分析をまとめる)
2 摂縁分別 (縁起を分析する)

という項目から成っています。

1 の「摂集分別」では、

これまでの項目を統合して、
以前の分析と同じように
説くものです。

三十七菩提分法、五蘊、十二処、十八界など
なじんだ項目が出てくると、

ああ、とうとう、ここまで来たなと
また、読みながら、感慨深く思うのです。

それと同時に、

アビダンマくささというのも
少し匂ってきまして、

分析の精緻なことには、感心しながらも
いささか煩瑣な印象も否めません。

スマ長老さまも、どうも、そう思っているらしいような。。

項目の立て方に、疑問を投げているところが
若干見られて、おもしろいです。

決して鵜呑みにせず
批判的に検討しているところが、さすが長老さま


さて、アビダンマ論について、p.206に
こうあります。

================
アビダンマ論をここまで読んでくると、
アビダンマ論の特色が見えてきた
のではないかと思います。

アビダンマとは、諸々の現象を微細に噛み砕いて
分析して見ることでした。ようするに分析論です。

お釈迦さまの教えが部派仏教に分裂していったとき、
現在テーラワーダ仏教だと名乗っているグループは、
「お釈迦さまの主張は『分析を語る』ことだ」
と強調したのです。
=================

これですね!
この特色が、もう、ほんとによく出てきています。

若干煩瑣にもみえてくるのは、
ここをやり過ぎてしまっているのではないか
という感じもするからです。

つまり、教えの目的に合わせて、まとめるなら
いくら細かくても煩瑣にはならないでしょうが、
なぜ、こういう分類に成っているのか分からない
という点が出てくると、どうしても煩瑣にみえます。


この微妙に危険な路線を、進みながら、

「縁起の分析」

という、大事な大事な 部分に入っていくのです。

2 摂縁分析  です

部派の特色は、縁起を二種に分けて論ずることです。

一つは、時間を入れて

a 「原因によって結果が生起する」という仕方  (縁起の仕方)

もう一つは、同時性を重んじて

b 「原因がどのような『条件』によって結果を出すのか、
という条件の説明」  (諸縁論の仕方)

これら二つですが、

bの分析は、アビダンマの特色になっていて
ここで、ググーンと煩瑣度がアップします。


スマちゃまも、だいぶ、ブツブツ合理的ではない部分に
文句を述べつつ
解説しているところが、非常に興味深くて
しみじみしました。


結論としては、こんなアビダンマを書くくらいの達人であっても

縁起というのは、むずかしいのだ!

ということです。


正直に言いますと

スマ長老さまの、切れ味のよい、小気味のいい口調も

この縁起になると、いささか鈍っているように見えるのです。


わたしも、縁起については、もう、毎日毎日考えない日はありません。

なので、
「スマちゃま、あ、その説明。。うーーん??」
と思うところもちょこちょこあるのですが、

テーラワーダ仏教の「分析論」の枠の中で

いかに合理的に説くか

という点では、やっぱ、こうなるかな

と、

スマ長老さまと藤本先生に敬意をはらいながら

本を閉じたのでした。

~~~~~~~~~~~~~~
「縁起」について、aの分析は十二支縁起という形でまとめられるが、
bはブッダは説かなかった

というようにも言われます。

bの、諸条件を考慮するやり方を、全部否定してしまうのも

わたしは、もったいないことだと思います。

分析しきれないものを分析しているような気がしますが、
このような分析に近いことを、ブッダもしていただろうと
思うからです。

縁起は、むずかしい、

このように、ブッダは、アーナンダに言いました。

ブッダでもむずかしいのですから、これは、本気で!

むずかしいのです。


『ブッダの実践心理学』第六巻 は、


ブッダの教えの、光と影 をもっている

と述べておきたいです。

縁起の深さ が 光
能力の限界 が 影


そういう意味では、この書が、一番
わたしにとって、くりかえし読む本になりそうな予感です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
次は、雪まつりの日記を書いて、それから、ビッグイシューの話も書いて、
伊藤武氏の『図説 ヨーガ大全』をご紹介する予定です。

これらの出来事が、一日で起こるって、どうなの!

一日を、三日分の日記にするという、水増し作戦でいこ!


 


| | コメント (4) | トラックバック (1)

2011/02/06

時間に追われて、如月へ

また、ふたたび、一週間が過ぎ。

危険なおちゃらけ姫の、「やっほ~い!」攻撃に

そうはさせるかぁっとばかりのアップです。

で、

写真は、また、ふたたび、岩見沢
003
どうだ!
もう、イヤンなっちゃうドカ雪を、逆手にとって

ドカ雪祭りだーーーーい!

って、どんなお祭りなんでしょう?

タクシーの運転手さんが、
「もう、雪が憎らしくなりますよ」
と、悲鳴を上げるほどの大雪でした。

今は、ちょっと落ち着いたかな。

=============
さて、さて、落ち着かないのが、わたしの毎日。

試験の答案、400枚近くを採点し

ホッとしたら、今度は、問題作りだ。。。

まだ、やってないのよ。

だって

唯識の方がおもしろくて、止められない、とまらない。。


唯識は、唯(ただ)の識、って書くけど

唯(ただ)の識、って、だけじゃなさそうな

感じがしてきています。

仏教’観念論’哲学などと、いわれますが

ほんとにそうなのかな?


「三界は識のみ」


何か、からくりを感じる今日この頃。

ブッダの教えは融通無碍だから、

膠着した観念の遊びにはならないはず。。。

と、思っていますが、

思ってるだけで

よく分かりません。

もう少し、時間があればね。。。

=============

そんなこと言ってる内に、時間が無為に過ぎていく。

急いで問題作らなくちゃ。。

そんじゃ、また。


そうそう、

そのうち、『ブッダの実践心理学』の第6巻をアップします。

がんばってますね、スマちゃま。
残りは、後1巻を残すのみ、となりました。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »