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2009/08/26

空であることは、言い争わないことである!

岩見沢の青い空。。。秋ですなぁ。。なんとなく。
002
 
 
 
 
 
 
昨日の、岩見沢は、いいお天気でした。 
 
つれづれなるままに、つづりましょうか。
本日のブログ。。
  
 
ことばを捨てて、戯論を寂滅させる
 
ブッダの 
 
「言い争わない」術、
 
ガッテンして
いただけたでしょうか?
 
 
あれ、ガッテン、の声が聞こえませんなぁ。。。
 
 
何にやら、フラストレーションのたまる
 
重い空気ですね。。。どよーん!
 
 
どよーん! というのも、
 
わからぬでもありません。
  
じつは、戯論寂滅と言いましても、
 
 
さまざまな議論が尽くされて、
 
どんな問題があるのか
誰がどんな意見をもっているのか
それは、なぜなのか

などなど

さまざまな見解が出そろい、

そして

互いに見解を検討したあと

戯論寂滅するならば

納得もいきますが

 
一方的に、捨てますと
 
何も検討がなされていないので
 
どうも、すっきりしないということになりますね。
 

 
 
まあ、そうでしょう。
 
解決されているわけではないからですね。
 

 
 
 
そこで、「ことば」は捨てても、
 
 
「検討」は残りますね。
 

 
 
捨てたのは、ことばだけであって、
 
 
検討する作業を捨てているわけではないからです。
 
 

 
 
★ここで、わかります。 ★
 
 
ことばにこだわるのは、
 
あまり得策ではないのです。
 

 
ことばを捨てても、何も変わらないからです。
 

 
ちがうことばで、ちがう言い方で 
 
いくらでも検討できるのです。

 
 
★みなさま、これを覚えておきましょう。★ 

 
これは、ことばが空であるから
 
このようなことが、あっさり可能なのです。
 
 
中身空っぽなんですから、
 
ことばは捨てられるのです。
 


もし意味が固定されていれば、

意味ごとことばは捨てられて
 
二度と検討できません。
 


 
「空」ということは、すごく広い応用力があるのです。

ことばの中身は、空っぽだから

 
 
★一つのことばにこだわらない、のです。


★一つのことばにいろんな意味を詰め込んで話せる、のです。


★いろんな言い方で一つのことを話せる、のです。
 

 

つまり、ことばは変化するのです。 
 
だから、何も心配いらないのです。 
  
 

=========================
========================= 
 
では、次です。
 
ことばを捨てたのは、
 
捨てても何も変わらないからでした。
 

 
が、 
 

捨てることには、とてもいい効果があるのです。 
 

それは、 
 
 
ブッダの説くところの

============
「言い争ってはならない」
============

という、この貴重な教えが

しっかり身につくからなのです。

 

ことばを捨てた人は、言い争わないのです。
 
 
 
では、では 

 
言い争わないと、どんないいことがあるでしょう。 
 
 
★ 無駄におなかが減らない。
 
★ ことばによる悪を行わないで済む
 
 
という善いことがあります。


ことばによる悪とは、
 
 
たとえば、 
 
■ 相手の悪口をいう

■ 嘘をつく
 
■ 二枚舌を使う
 
■ へつらいを言う
 
こういったことがらを指します。 
 
 
いずれによっても、
 
 
ことばによる諍いや中傷など
 
 
ろくなことは起こりません。
 
 
 
これらによって、苦しみが生まれてくるのです。 
 
 
 
わたしたちは、

苦しみのタネをまくことなく
 
 
しかし
 
 
ことばは捨てたのに
 
 
何も失っていないことを
 
 
喜びたいと思います。 
 
 
幸せのタネは
こんな大きなメタセコイヤの木になる
004
。。。の
。。。で
。。。す (ほんとか!)

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コメント

おちゃらけさんま~

サンマの季節ですねぇ~。。

三色ソフトは、うんまいのー

じゃがバタ醤油。。。ん~、トレビアン!


こんなに食べていんですか!管理人!


あ~。。少しスリムにしなくちゃな、脳みそが脂肪脳になってきちゃったわ。。

脂肪脳のせいで、更新遅れてるんですね。。。
ブログで脳みそ体操してみまそ!

投稿: 管理人エム | 2009/08/31 17:48

すみませ~ん。
三色ソフトひとつくださいな~。

あれれぇ?あ、そっかぁ~
海の家はもぅ終わりなのね。しゅーん。
どーりでひっそりだと思いましたわ。

じゃ、新ジャガのジャガバタに
焦がし醤油をタラ~リでプリーズ。
薬味は、っと。。
うーんと、炙りニンニクちょいちょいとな。

おや、まだ準備中で?
まぁ、秋になったらアゲアゲで?!
夜長に気長でお待ちしてむぁーす。

投稿: おちゃらけ | 2009/08/30 20:38

シャン坊さま

ほんとですね、ひそひそ。。。

なんか、声が小さくなりますね。

それにしても

秋の夜長に、答案つけてる、って、風情なさすぎです。。。

 隣は何をする人ぞ。。。っと。

投稿: 管理人エム | 2009/08/28 23:17

エムさま

ドヴィ・コメント、お許し下さい。

静か、ですね……ちょっと、「戯論寂滅」がはやすぎたのでしょうか〈笑〉。

もう夜には、蟋蟀が鳴いています。秋の夜長は、しずかなのがよいですね。

投稿: シャン坊 | 2009/08/28 19:29

トップのお写真は……

秋きぬと目にはさやかにみえねども
風のおとにぞおどろかれぬる    
        敏行(『和漢朗詠集』 秋 )

投稿: シャン坊 | 2009/08/27 12:17

みともりさま

>“ こんなに大きな ” ことが、
>“ これほど小さく ” 受け取られることが、
>縁起であり、「タネ」から育つ、「煩悩」の「め」です
 

らしいですねぇ。。。。やっぱり、こうこなくちゃ、ウン ! (笑)
 

>「空」も、言葉にあるのではなく、
>「 ココ ろ 」 に、あるように

「ココ の”ところ”」 が、大事ですよね。

自他不二が、そだつ”ところ”が、「ココ ろ」 
 


投稿: 管理人エム | 2009/08/27 10:49

>幸せのタネは こんな大きなメタセコイヤの木になる

争いのタネは、 “こんなに大きな” 争いとなる

争いは、自らの心に起き、
自らの心によって、「争い」として育てられます

どのようなところにも、「争い」の「芽」は育ち
育った「争い」は、自らの手によって収穫されます

“ こんなに大きな ” ことが、
“ これほど小さく ” 受け取られることが、
縁起であり、「タネ」から育つ、「煩悩」の「め」です

         

“タネ”は、あらゆるものに育ちます

“タネ” に、「幸せ」、「争い」、「善」、
が、あるのではなく、、、、、
育てる “ 心 ” に、それらがあるからです

言葉が「空」であるということが、
そのことを表します

「空」も、言葉にあるのではなく、
「 ココ ろ 」 に、あるように

投稿: みともり | 2009/08/27 09:49

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