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2009年8月

2009/08/31

恋は、ときめき!!

009






どこま~でも、行こう 
みちはぁ~、はてしくなくても~

って、感じですね。
 
 
こんな感じで、採点をしてました。。。トホホ

ほんとにほんとに果てしなかったよ。。。

  
何の楽しみもない。。。この採点。。。

なんてこと、ないもんね。。。
  
楽しくなくちゃ、試験じゃないっ!
 
わたしだけが、楽しければよいのだ、 

ってのは、いけないわ。。。
 
 
試験受けてるみんなも、楽しくなくっちゃねっ!
 
 
いつも楽しいのが、ブッダの公式を用いて
因果関係を見つける問題。。
 
女学生の見つける因果関係は、
とおっ~ても、かわゆいでございます。
 
見つける彼女たちも、
けっこう感動したりしてるのも
とお~っても、新鮮でございます。 
 

 
傑作をいくつかね!
 

<ときめき>があるとき <恋>がある
<ときめき>がないとき <恋>がない
 
恋に落ちるときと、ぜんぜん恋に落ちないときがあるのはなぜか
考えました。 
恋に落ちる時は、かならず、ときめきがあることを発見!
ときめいた時は、恋に落ちるけど、そうじゃないときは、ぜんぜん、だってよ!

 
 
これって、恋の予感、ってんですか。。 

けっこう、書いてくれた子もいたので、
普遍的なのかもね。

 
<両親>がいるとき <わたし>がある
<両親>がいないとき <わたし>がない
 
あたりまえだと思っていたけど、いざ、見つけてみると
けっこう、ぐっと感動です。お父さん、お母さん、ありがとう!
 
たとえ、わたしが孤児になっても、両親はかならずいる、と
思いました。
 
<出会い>があるとき <わかれ>がある
<出会い>がないとき <わかれ>がない
 
小・中・高とたくさんの友達に出会って、卒業して
わかれました。家族とも別れて、一人暮らしです。
さびしい。。。でも、また、たくさんの友達と出会います。

わたしが生まれる前に亡くなったひいおばあちゃんとは
出会いがありません。だから、わかれもなかったなぁ。。 
 


なるほどぉ! 
 
 

 
<花束>があるとき <枯れること>がある
<花束>がないとき <枯れること>がない

おや、これは?

わたしの彼が、記念日に花束をくれました。

はじめは、「他のものがよかったのに」って、思ったけど
花屋さんで恥ずかしそうに買ってるすがたを想像したら、
おかしくて、うれしくなりました。

食卓テーブルに飾っていたら、やっぱり、枯れてしまいました。
枯れるんだなぁ、としみじみしました。。

もらわなかったら 枯れることもないけど、これもさびしいよね。
 

 
ドラマですよね! 
 

 
<幸せ>があるとき <笑顔>がある
<幸せ>がないとき <笑顔>がない
 
笑顔が大好きなわたしは、
笑顔になるのは、なぜだろう、って考えました。
笑顔のときは、まわりに幸せなことが起こっているときです。

幸せなことがないとき笑顔はありません。。
 
 
幸せは、笑顔に出会う。。。ウン 


<笑顔>はみんなが大好きだと見えて、
いろんなヴァージョンがありました。

<友達>がいるとき <笑顔>がある
<友達>がいないとき <笑顔>がない

笑顔のときは、人と一緒にいるとき、と、見つけた子もいました。
一人で笑ったりしないですからね、って。
 
 
そうだよね、たしかに。。
一人で笑ってるって、あやしいかも。。 

<学校>があるとき <笑顔>がある
<学校>がないとき <笑顔>がない

ううん、学校が楽しくて、よかったね。
   
  
以上です。。 
 

まあ、何たって
 
やっぱり、因果関係は、若いうちにかぎるわ。。。
 
 
見つかる因果は、恋の予感 だもんね! 

 
 
苦しみを癒やそうと、

ブッダが見つけた因果関係(縁起)は、
 
若い彼女たちには、恋の予感になりましたっ!
 
 
006_2
 

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2009/08/26

空であることは、言い争わないことである!

岩見沢の青い空。。。秋ですなぁ。。なんとなく。
002
 
 
 
 
 
 
昨日の、岩見沢は、いいお天気でした。 
 
つれづれなるままに、つづりましょうか。
本日のブログ。。
  
 
ことばを捨てて、戯論を寂滅させる
 
ブッダの 
 
「言い争わない」術、
 
ガッテンして
いただけたでしょうか?
 
 
あれ、ガッテン、の声が聞こえませんなぁ。。。
 
 
何にやら、フラストレーションのたまる
 
重い空気ですね。。。どよーん!
 
 
どよーん! というのも、
 
わからぬでもありません。
  
じつは、戯論寂滅と言いましても、
 
 
さまざまな議論が尽くされて、
 
どんな問題があるのか
誰がどんな意見をもっているのか
それは、なぜなのか

などなど

さまざまな見解が出そろい、

そして

互いに見解を検討したあと

戯論寂滅するならば

納得もいきますが

 
一方的に、捨てますと
 
何も検討がなされていないので
 
どうも、すっきりしないということになりますね。
 

 
 
まあ、そうでしょう。
 
解決されているわけではないからですね。
 

 
 
 
そこで、「ことば」は捨てても、
 
 
「検討」は残りますね。
 

 
 
捨てたのは、ことばだけであって、
 
 
検討する作業を捨てているわけではないからです。
 
 

 
 
★ここで、わかります。 ★
 
 
ことばにこだわるのは、
 
あまり得策ではないのです。
 

 
ことばを捨てても、何も変わらないからです。
 

 
ちがうことばで、ちがう言い方で 
 
いくらでも検討できるのです。

 
 
★みなさま、これを覚えておきましょう。★ 

 
これは、ことばが空であるから
 
このようなことが、あっさり可能なのです。
 
 
中身空っぽなんですから、
 
ことばは捨てられるのです。
 


もし意味が固定されていれば、

意味ごとことばは捨てられて
 
二度と検討できません。
 


 
「空」ということは、すごく広い応用力があるのです。

ことばの中身は、空っぽだから

 
 
★一つのことばにこだわらない、のです。


★一つのことばにいろんな意味を詰め込んで話せる、のです。


★いろんな言い方で一つのことを話せる、のです。
 

 

つまり、ことばは変化するのです。 
 
だから、何も心配いらないのです。 
  
 

=========================
========================= 
 
では、次です。
 
ことばを捨てたのは、
 
捨てても何も変わらないからでした。
 

 
が、 
 

捨てることには、とてもいい効果があるのです。 
 

それは、 
 
 
ブッダの説くところの

============
「言い争ってはならない」
============

という、この貴重な教えが

しっかり身につくからなのです。

 

ことばを捨てた人は、言い争わないのです。
 
 
 
では、では 

 
言い争わないと、どんないいことがあるでしょう。 
 
 
★ 無駄におなかが減らない。
 
★ ことばによる悪を行わないで済む
 
 
という善いことがあります。


ことばによる悪とは、
 
 
たとえば、 
 
■ 相手の悪口をいう

■ 嘘をつく
 
■ 二枚舌を使う
 
■ へつらいを言う
 
こういったことがらを指します。 
 
 
いずれによっても、
 
 
ことばによる諍いや中傷など
 
 
ろくなことは起こりません。
 
 
 
これらによって、苦しみが生まれてくるのです。 
 
 
 
わたしたちは、

苦しみのタネをまくことなく
 
 
しかし
 
 
ことばは捨てたのに
 
 
何も失っていないことを
 
 
喜びたいと思います。 
 
 
幸せのタネは
こんな大きなメタセコイヤの木になる
004
。。。の
。。。で
。。。す (ほんとか!)

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2009/08/21

ことばを捨てる!(「智慧の仏教」と「方便の仏教」)

さぁ、がんばるぞ!っと。

昨日の続きです。

昨日、わたしは、ゴミ箱に

「小乗」ということばを、ぽいっと捨てました。
 
 
今日の話題は、まず、

1.ことばを捨てること

2.なぜ「小乗」と言ったか

3.捨てたら、それから、どうする

の三つです。

 
★1,ことばを捨てること★
 
「小乗」ということばを捨てたのは、

直接的には、「蔑称である」という

コメントをいただいたからです。
 
 
歴史的にいろいろな執着や煩悩によって
手垢のついたことばではありますから、
 
このようなコメントが来るということは、

このことばに新しい意味を盛り込んで用いても
うまく機能しないと思い、

ぽいっと捨てました。
 
 
捨てることには、意義があります。
 
 
これは、ブッダの重要な教えの一つです。
 
 
「言い争ってはいけない」という教えに通じます。
 
たしかに

ことばに執着せず、それを捨てることが

言い争いに至らない道だとわかるでしょう。
 
 
しかし、

ことばをそんなに簡単に捨ててだいじょうぶ?
 
 
だいじょうぶです。
 
生じて滅する仏教の世界では、

ことばもまた生じて滅するからです。 
 
32259868
 
 
 
 
 

 
 
拙著『龍樹と、語れ』の第三章
「龍樹、『言い争わない論法』を開く」

では、ことばは捨ててもだいじょうぶ、

という

お話が書いてあります。
 
 

 
『大智度論』の中に、「最高の定説(第一義悉壇)」

という項目がありますが、

それが

「ことばを捨ててもだいじょうぶ」という

保証書になっています。
 
 
ブッダと龍樹は、ことばの世界のお掃除屋さん!
 
 
ほんとに全部捨てても問題ない、というのです。
 
捨てると 
 
さわやかです。どれだけさわやかかというと
 
一切の言語表現の道を超えて、心の行いは滅して、
どこにもよりどころがなく、さまざまな存在に言及することがない。
諸々の存在の実際のすがたは、初めなく、中なく、後もなく、
尽きることもなく壊滅することもないものである。

(『大智度論』「大正蔵」25,p.61中)
 

と、このようにさわやかなのです。

これを戯論寂滅といいます。
 
 
ことばで語られるさまざまなことが、すっかり止んで
静かになってしまっているからです。
 

==================
 
さて、捨ててすっきりしたのはいいのですが

今回は、もう少し問題があります。
 
もう少し、はっきりさせたいこともあるからです。 
 
 
いずれ戯論寂滅に至るにせよ、
 
その前の段階で
 
まだウロウロしているところだからです。 

そこで、ちょっと困ったのです。


★2,なぜ「小乗仏教」と言ったか★
 

困ったのはわたしです。
 
捨てたことば「小乗」には、

わたしは
 
新しい意味を詰め込んで、

新しいことばとして使いたかったのです。

でも、

このことばを捨てたら、

意味が宙ぶらりんになってしまいました。
 
 
 
 
これは、とても大事です。
 
新しい意味は、

仏教をどうとらえるか、という観点を

含むことになるからです。
 
 
とりあえず

わたしが言い表したい仏教は、
 
▼▲ブッダの言行録である『阿含経典』を基本におく仏教▼▲

のことです。


そのような仏教を表す呼び名としては

現在のところ
 
1.部派仏教

2.初期仏教

3.原始仏教

などの呼び名があります。

しかし、これらは、いずれも

仏教の歴史的な変遷に注目して

出てきた呼び名です。
 

歴史的な解釈が入っています。
 
部派仏教は、ブッダの滅後さまざまに分裂した仏教を指します。

初期仏教も、同じような意味です。

原始仏教は、ブッダの直接の説法により近いところにある仏教
という印象を与える呼び名ですが、上の二つとそう変わりません。

 
いずれも、その思想内容を伝える呼び名ではありません。
 
 
で、わたしが指し示したいのは、

歴史的にどう変遷してきたか

という観点での仏教ではなく


思想的にどう変遷してきたか

という観点での仏教です。
 
 
およそ2500年前、ゴータマ・ブッダが、世に現れ

法を人々に説きました。

その教えは、仏弟子たちによって編集され

経(教え)と律(戒律)

として保存されています。
 
 
歴史的に変化はしますが、

これらは、”思想的に”一つのまとまりをもっています。

大きな枠の中に入れることができるでしょう。
 
 
紀元前後に活発になる大乗仏教と名づけられる仏教運動に対比して見ると、

大きな特徴をもっているのです。

 
この大乗と呼ばれる仏教が、いかなるものか、によって

それ以前の既存の仏教は、名前がつけられてきたのでした。


それが「小乗」という呼び名だったわけです。
 
したがって、今、「小乗」という呼び名を捨てると

この「大乗」という呼び名も、なんとなく居心地悪く

浮いてしまいます。
 
 
思想的な変遷、という観点から見た、仏教の呼び名を

見つけなければならないでしょう。

いわゆる、

小乗仏教といわれた仏教の位置にくる仏教

大乗仏教といわれた仏教の位置にくる仏教

を何と名づけたらよいでしょうか。

 
小と大が、対比的であることによって
それぞれの思想的な特徴を示していたのですが

それも今「小乗」を捨てたことで、
特徴も目立たなくなってしまいました。

 
まあ、仕方ありません。
 
当面の課題としては
============== 
もう一度、思想的に

これら二つの仏教を、

解釈し直す

という使命が与えられたものと

考えます。
 
==============

これは、しばし時間をかけて検討していきます!
 


★3 捨てたら、それから、どうなる★
 
では、わたしの仏教に対する見方をはっきりさせます。

 
わたしの研究の方法は、

仏教を
 
歴史的な観点から

思想的な観点から

これらの二つを組み合わせて
 
思想を探るというものです。 
 
  
◆1 歴史的な観点は、従来どおり

時間的な経緯にそって、思想・活動などの変遷を

客観的にトレースしていく作業です。
 
 
◆2 思想的な観点は、ブッダの論理から
 
仏教思想の多様なヴァリエーションの中に

論理的一貫性を明らかにしていくものです。
 
 
◆1により、仏教の変遷が知られ

◆2によって、仏教の本質が知られます。
 
仏教思想がいかに変容しようとも

それを、「仏教」という名の下におけるかどうか

この◆2によって判定できると思います。

 

実際には、

ブッダの論理を抜き出すという目的で

まず、パーリ語経典を用いました。

 
ここで問題になるのが

なぜ、パーリ語聖典を用いたかです。

まず、大事なことは
 
■1 経典が、完全な論理体系をもつもこと■

 
条件を満たせば、上座部にかぎらず、どのようなものでも、

ブッダ論理を抜き出すことは可能です。
 
  
しかし、

もう一つ条件があります。
 


■2 ブッダのことばにかかわること■
 


この二つの条件を満たすのが、
 
上座部の守るパーリ語聖典なのです。

だから、わたしは、これを用いました。
 

この場合思想の一貫性・完全性を問題にしますから
歴史的な新古は、とりあえず問題になりません。 

そして、

完全な体系から抜き出されたブッダ論理によって
 
とくに、漢訳阿含などの資料を用いなくても
 
論理的には、龍樹の論法まで簡単にわかります。
 

 
 
北伝の漢訳阿含やその他の資料は、

歴史的変遷を
探る上では重要ですが

たとえなくても、

龍樹の論理を知る上では問題ありません。
 
 

 
 
ここに、パーリ語聖典と龍樹論書のあいだの

論理的整合性が、得られます。
 
 
これは
 
拙著『ブッダと龍樹の論理学』(サンガ)で

明らかにするとおりです。
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これによって、

龍樹以後

龍樹に影響を受けたすべての仏教が、

仏教として、

論理的に保証される最低限の基準を満たすことになります。
 

 
龍樹とつながることが、のちの仏教にとって

いかに大事であるか

これでおわかりでしょう。
 
 
 
論理を明らかにし、論法をもつのは
 
龍樹です。
 
 
このような思想的な基軸が

パーリ語聖典→龍樹論法→各宗派
 
とつながっていくのであれば、

仏教は
 
一つの壮大な思想文化へと

広がっていくことが可能です。

 
こういうスタンスで、わたしは研究しています。 
 
 
 
スケールはでっかいのが、よろしいです。 
 
 
それで、問題なのですが
 
これまでの
「小乗」の位置にくる仏教を何と呼び

「大乗」の位置にくる仏教を何と呼ぶか。。。
 
 
 
仮の名前ですが
 
わたしは、
 
前者を智慧の仏教
 
後者を方便の仏教
 
 
と名づけておきたいと思います。。。
 
 
どうでしょうか?仮ですからね。

いい呼び名はないでしょうか。。。 

 


 


 


 
 

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2009/08/20

お詫びと訂正

2009年8月18日づけで

「わたしが上座部を仏教の核にするわけ」と題して

記事を書き

その中で、上座部がもつ特徴をあげました。


その中で説いた 「小さい乗り物(小乗)」ということばについて

naagitaさまより、クレームをいただきました。

 
 
「小乗」は蔑称であり、差別語である

 
というご意見です。
 
 
そのように感じられる方が、たくさんいるうちは
 
このことばは、使うことができません。
 
 
それでは、ここで訂正したいと思います。

あわせて、naagitaさまの不快のお気持ちに
お詫びしたいと思います。
申し訳ありませんでした。
 
=========================
 
では、もう一度、部派の特徴を、あらためて
 
あげてみようと思います。

 
ことばは捨てますが、
 
その大事な特徴まで

捨ててはなりません。

 
では、昨日の記事より、少し抜粋して、
 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

なぜなら、部派は、文字通り、小さな乗り物 だからです。
  
 
なぜなら、部派は、個(個人)の救済を謳うからです。 
 


そこに、ブッダの教えの特徴があり、重要性があります。
 
 
五蘊(身体と心)からなるものではありますが

わたしたちが一人一人が

悟りをめざすには

どうしたらよいかを
 
個人のレベルで

説いたものだからです。
 

基本は、「個」なのです。

だから、「個」の乗り物なのです。
 
 
 
だから、「個」を導くものなのです。 
 
 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


このように訂正したいと思います。

あと、まだ、記事の中に残っているところがありましたら、

適宜「個を導くもの」と言い直してください。
 
 
 
なぜ、わたしが、ここを強調したいかというと
 
 
ブッダが、膨大な人々をすくい上げてきたのは、 
 
 
一度にたくさんの人を救おうとしたのではない
 
 
ということを言いたいからです。 
 
 
 
ブッダは、求めてくる人、その人ひとりのために

教えを説いたのです。 
 
 
その人と向きあって、
 
その人のためだけの教えを 
 
その人のために
 
 
その人の心に語りかけたのです。
 
 
 
たった一人のための宗教なのです。
 
人と向きあうということは 
 
ただそれだけで
 
世界を変えていくと 
 
ということを 
 
ブッダは教えてくれるのです。 
 
 
009
部派の教えは、
 
そのブッダの基本姿勢を
 
守り抜いていくものだと、

わたしは

思っています。 
 

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2009/08/18

わたしが、上座部を仏法の核にするわけ

004

 
 
 
 
 
ケナフと言うんだそうです、これ。

6月の終わり頃、
小さい双葉の鉢をもらったのですが、

庭に植えたら

こんなに大きくなりました。

==========
 
小さいものは


大きくなります。。

==========

今日は、これをテーマにしようと思います。


 
★1★  部派仏教は、小さい乗り物です。

やっぱり、ここを言わなきゃダメだ!

って、気がしてくるのです。

 
 
わたしが、上座部の仏教を、

いちおうの基礎におく

理由のひとつです。
 


 
もう一つの理由は、

★2★ 上座部は一切経を保存しているからです。 

上座部が、ただ古いからではありません。
 
 
★2★ は何でしょうか?

一切経をもつということは、

ブッダの一切智に

言及する資格を得ているように思われます。

一切智者としてのブッダを、示しうるでしょう。

 
もう一つの理由は

★3★ 上座部は、経典の語順を大事にしているからです。

それは、ブッダの論理を保存していることを意味します。

上座部が、たんに整っているからではありません。

 
★3★ は何でしょうか?

語順を保持することは

ブッダの論理を保持すると同時に

ブッダの語りを保持してもいますから

倫理も示しうると思います。 
 
 
 
ではでは、最初にもどって
 
★1★ は何でしょうか?


今や、蔑称として顧みられない 「小乗」ということば。

しかし、仏教をよく知る人は

これはおかしいと気づくでしょう。

 
無我を説く仏教に、「蔑称」のことばはないはず。。。
 
 
       ならば
 
 
このことばは、復活させてもいいのでは?
 

 
 
なぜなら、部派は、文字通り、小さな乗り物 だからです。

そこに、ブッダの教えの特徴があり、重要性があります。
 
 
五蘊(身体と心)からなるものではありますが

わたしたちが一人一人が

悟りをめざすには

どうしたらよいかを
 
個人のレベルで

説いたものだからです。
 

基本は、「個」なのです。

だから、「個」の乗り物なのです。
 

サンガ(僧団)がある、というかもしれません。

でも、これも、個の集まりにすぎず
基本は、個人の悟り、を補佐するためのものです。
 


『スッタニパータ』「犀の角」の章64には

葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、
在家者の諸々のしるしを除き去って、
出家して袈裟の衣をまとい、
犀の角のようにただ独り歩め

と、説かれています。


犀の角のごとくに一人歩む修行者は
 
一人で悟るのです。

 
ここに、小乗の、厳格なる教えが成り立ちます。
 


 
これは、核なのです。
仏教の核は、個なのです。
 


龍樹が、マンゴーの実に喩えたものです。

======================
十二因縁、苦集滅道、三十七品、四沙門果のような

このような教説を仏の正義という
======================
(『方便心論』一・三・七・一)

と龍樹は『方便心論』で語ります。


 
とりあえず、ここをキチンと説いているものを

仏教の基本としよう

ということなのです。

小乗(個)が、しっかりとしていれば
 
 
いくらでも


大きくなることができる
 
 
 
大乗仏教は、小乗仏教から生まれてくるのです。
 
 
小乗仏教(タネ)が、しっかりしていると


大乗仏教(樹木)は、迷わず成長できるのです。  


どんどん生い茂ることができるのです。
 

 
龍樹が、マンゴー樹林であるブッダの法の外側に

荊棘の林をめぐらせて

その実を守ったのは、

小乗を守るだけではなく
大乗をも守る目的をもっていたからだろうと思います。


 
小型船をしっかり運転できるものが

大型船の運転手になれるのです。
 
 
 
こういうわけで、

わたしは、

上座部の仏教を
小乗仏教として
仮に
仏法の核において

見ているのです。
 
 
 
こうすれば、大乗仏教も

とてもよくわかります。

密教もよくわかります。


それは、
小乗仏教をよくよく知ることによって
自然と知られてくるのです。

急がば、回るのが

輪廻人生の

基本の技なのです、ワン。。。。

 
 
あらゆることが無常なのですから
 
どこかに、しっかり足場を作らなくちゃね。。。
そうすると
007
 
 
 
 
 
こんな実がなるかもね!

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2009/08/16

業(カルマ)を語れ!輪廻を語れ!『ブッダの実践心理学』第五巻

002

 




今、大きなお鍋でジャガイモをゆでて
いもサラダを作ったとこです。。。
 
それだけで、疲れました。。。。
 

息子が帰ってくると、一気に食べ物がなくなる。。

胃袋が、底なし沼のようだわ 
 
==================== 
 
などと、言ってないで、

今日は、やっと、やっとですが

この書をご紹介したいと思います。 
 

 
   ジャン!
 

****************************
 
スマナサーラ長老・藤本晃氏 『ブッダの実践心理学』 第五巻(サンガ)

                  ― 業(カルマ)と輪廻の分析 ―

****************************
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もっとはやくご紹介したかったですが、
読むのに時間がかかってしまいました。

もう、何回か、読まなければ、
ほんとはいけないと思うけど、

とりあえず

 
渾身の力を込めて、この本を、ご推薦しておきます!!!!!
 
 
 
一言で言って これが     仏教     です!
 
 
 
仏教は、何を説くか? 
 
 
人々を救済するために、何を説いたかと言いますと
 
 
    輪廻  (わたしたちの生きてる世界について) 
 
    解脱  (そこからの脱出について)
 
 
この二つに、尽きるのです。
 
 
たくさんのことが説かれているように見えますが
 
わたしたちの苦しみをはらうために、説かれたことは
 
 
 輪廻 と 解脱    の この二つなのです。
 
 
 
現代人のもっとも苦手とするところです。
もっとも、理解しにくいところです。 
 
 
空の思想は、あんがいわかるような気がするのに

なぜか、この縁起を根幹にもつ 輪廻と解脱 が

わからないのが、現代人の欠陥なのです。
  
 
業(カルマ)とは何か?

輪廻の仕組みと心のあり方の関係はどうなっているのか? 
 
 
 
このような問題に、ずばっと切り込んだのが

本書です。
 
 
精緻な心の分析に、圧倒されるかもしれません。

心の生滅の連続を解明するメカニズムに、
頭がくらくらするかもしれません。

輪廻の行き先(趣)、地獄から天界までの本当の意味を
知ろうと眼を凝らしてしまうかもしれません。
 
わたしたちのいる世界(欲界)のほかにある
禅定の進んだ人たちの行く色界と無色界の不思議な世界に
幻惑させられるかもしれません。 
 
 
こんな輪廻なんて、あるもんかぁ~~!
とっても、しんじらんな~~~い!
 
 
と思っているあなた、そう、あなたですよ! 
  
 
そう、とりあえずは、それでいいのです。
はじめて、読むことがらなんですからね。
 
とっても、ついてけませんよね。。 
そうそう、わかる、わかる。。
 
 

 
あれ?
 
意外と管理人、話わかるんじゃ。。。
 
輪廻だ、輪廻だ、ってわめかないのか。。。
 
へぇ~、管理人も、オトナになったなぁ~。。。
 

 
 
でしょ!

でもでも、ま、それも甘いのよ。
 
ここまで、管理人が余裕もっちゃうのはね、

本書の内容が、輪廻・業にかんしては

最高だからなのだ!
 
どんな人も、この理論を否定できないと思う。

それだけ、論理的に詰めてあります。。。そこが、ミソ! 
 
 
だから、
 
だから?

そう!だから、
 
熟読したら、あなたは、いちころ。。輪廻のとりこなのです。 
 

 
ほんと、まじめに言うとね
 
 
 
ここに書いてあることがらは、  
 
よくよくものを考える人にとっては
 
心の中に残って、けっして!忘れられないでしょう。。。 
 
 
なぜって 
 
 
読んでいるうちに、自分が、実際、
 
本に書いてあるとおりではないか
 
本のとおりになってきてるんじゃと
  
ということに気づきはじめるからです。 
 
 
ここが、仏教の醍醐味であります。 
 
 
こんなことを、こんな風に、これだけ緻密に
解説したものは、ほかにはありません。
 
 
これは、一般の人にもわかるように書かれていますが
 
これは、アビダルマというむずかしい論書なのです。

部派の専門のお坊さんがブッダの法を研究したものなのです。
 
 
スマ長老さまと藤本先生だから、

これだけ論理を駆使して、
これだけわかりやすく
これだけ臨場感を伴って

語れるのです。  
 
 
死ぬことがこわくなくりますよ。
生きることの真実を知るでしょう。
 
 
そして、なにより大事なこと
 
それは何でしょうか。
 
 
本書の目的です。
 
はい!きみ、答えてみてよ。

 
 
ええ。。。そりゃ、

みんなの知らない

業や輪廻を説明して
 
仏教理解を深める、

ということなんじゃないですか。。 
 
 

 
あっさり言うと、ちがいます。 
 


ありゃ! 
 

 
たしかに、業と輪廻の分析とあるので

 
それらの説明は、詳しくなされています。 
 
 
 
しかし 
 
 
スマ長老さまが、ほんとに言いたいことは
 
 
これだと、思います。
 
 
心から叫んでいることは、これですね。熱いよ、スマちゃま!
 
 
善悪(道徳)を知って、より善く生きる

 
 
ここが、説かれている 
 
 
と、読まねばならない と思いました。  
 

 
 
たとえば、「仏教に病気治癒を期待する浅ましさ」という節では
 
 
スマ長老さまは、現代人が宗教に対して現世利益のお願いしかもたないことを

「結局みんな、宗教というのはヒーリングだと思っているのです」(p.196)
 
と、嘆いています。

 
そして、こう述べます。
 
======================
「癌が治ってほしい」とか「病気が治ってほしい」とか、
考えること自体情けないのです。
 
そうではなくて
「そんなもので宗教に行くな。
病院があるのはそのためでしょう。 
仏教は心を直すためにあるものです」
と考えてほしい。
======================
(p.197)
 
 
正論です。
 
病気を治すのは、病院なのです。

心を直すのは、仏教なのです。 
 
 
いま、ここで
 
「癌で死にそうなのに、なんてことを言うんだ
何てひどいことを言うんだ」
 
と、思った方、

それなら、さっそく読むべし!
 
病とは何か?死とは何か?
 
詳細に説明してくれます。
 
 
根底からくつがえされます。
死をおそれるな、より善く心を育てなさい! 

病気なんかで宗教に行くな! です。
 
心を直すために宗教に行きなさい! です。
 

 
だから、”本当の”仏教者の心は、清らかなのです。
(”本当の”、って、ところが、ちょっと、何ですが。。。汗)
 
 
心を直すところだからです。
 

さあ、読もう!
 
きみの心のために
 
『ブッダの実践心理学』第五巻!
 

================
このように 
 
仏教の、業と輪廻思想は、
 
人の心を直すために
 
ブッダが探り出し構造を明らかにした
 
倫理思想なのです。 
================ 
 
ここを読まないと
 
何のための輪廻か、何のための業なのか
 
わからなくなります。
 
 
奇妙なおかしな思想としてだけ

輪廻や業をとらえないでくださいね、って
 
言ってるのが、本書なのです。 
 

    ****** 
 
はぁ、力入っちゃったぁ。。。。
こんなに力込めたら、三回分くらい輪廻増えちゃうわ。。 
 
 
何言ってんだい。。
管理人の輪廻なんて、永遠に続くんだから
三回増えても、何も変わらんでしょ。。。

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2009/08/12

聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝

昨日は、暑かったです。
003
 
  

 
 
 
 
何ですか。これ?

空でしょう。。。電線が入っちゃったす。 
 

 
 
猛暑にめげずに

チベット仏教の至宝を、観に行ってきました。

圧倒される数々の仏教美術作品。

仏教がチベットに伝わった歴史的な変遷を

仏教美術の作品で、丁寧にたどっていきます。 
 


展示の仕方が、すごくいいと思いました。

説明もとても気を使ったわかりやすいもので、

チベット(吐蕃)が仏教を受容し、

独自に発展していく様子が、順序よく伝わってきます。 
 
  
 

 
展示作品のもっとも古いものは、目立たないけど
これです。

めちゃかわゆいブッダ
とても小さいのよ。

でも
 
アップで、どん!
003_3


  
 
 

 
写真を写真してみたので、
著作権は、どうなってるのかわかりません。
ブッダのかわゆい顔に免じて、許して!
 
 
 
あれ、チベットっぽくない。。。

でしょ、これはね、中国から伝わったものなのです。

西暦473年に、北魏で作られたものです。。。
 


。。。。感動です。。。。 
 


何で? 
 


だって、この1年前、西暦472年には

北魏では、吉迦夜と曇曜が

『方便心論』を漢訳しているのです。
 


 
『方便心論』に、もっとも近いところにいた
お釈迦さまなのです。。。 
 


ああ、来てよかった。。。
こんなお宝に会えるとは。。。。
 
 
 
そんなところで、感動してないで、
もっとちがうものが観たい、って。。
 
 
もっと、チベットっぽい作品はないの?

それじゃあ、とっておき

あまり、写真を写真するのも、
まずいかもしれないので

後一つだけ。。

じゃん、ダーキニーさまでございます。
014
 
 
  
 

 
 
17-18世紀の作品で、
宝石の数々をちりばめた豪華なお姿です。

口から覗くとがった牙がチャームポイントね。

首には、どくろの首飾り。

左手には、カパーラ(頭蓋骨で作ったいれもの)
右手には、カルトリ刀

左肩には、カトヴァーンガ杖
ダーキニーの力の結晶です。

足の下には、人間が踏みつぶされています。。。
 
 
悟りに向かう聖者ナーローパを助けるナーローダーキニー
 
 
 
それにしても、
不思議な世界ですね。。。
 
清濁あわせのみこんで

人間の幸せの究極を求める

チベット仏教の華麗な世界。。。圧倒されますね。
 
 
 
そうそう、マニ車も回してきました。
 
なかなか上手に回りませんわ。
 


経典につっかかって進めない

管理人のありさまをよく表しているのかも(トホホ)
 

 
(写真は『聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝』より)

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2009/08/09

カチッと、な!

助かりました。

プリンタは、もどってきました。

どこが悪かったんですか?

引っぱったときに、インクの一つがちょっと飛び出たんでしょう。
それが引っかかって、エラーが出たんですね。

え?そうだったんですか。

ええ、インクを、カチッと、いうまで押し込んだら
直りましたよ。
 
え、それだけ?

それだけです。

おいくらですか。

いや、いいです。無料です。
 
 
いや、無料は、うれしいですが、

そんな些細なことで(?)

エラーが出るんですね。。。。。


些細じゃないのっ!!
 
精密機械なんだから
 
カチッと
 
しないと!
 
カチッとね。。
 
001

 

 
 
 
北海道近代美術館でやっていた 
佐伯雄三の絵画展で買った絵はがき。。

なぜ、これを載せたかというと


今、近代美術館では

ポタラ宮の秘宝の数々を
展示してあるはず。。

忘れず、行かなくちゃと思って

ここに書いておくのです。。備忘録兼日記でした。http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/special/special_new.html
 

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2009/08/04

ジョニー・デップですよ、いい男でしょ!

休みに入ったと思ったら

毎日が、飛ぶように 過ぎていきます。002

 
 

 
 
 
昨日は、図書館に 「ひきこもり!」でした。

んでもって

コピーをとりまくりました。
 
かび臭い書庫の中で、時は止まっています。
 
コピー機の上には、著作権に対する警告が

貼られています。

学術に用いる場合のみ、許されます、

とか、なんとか。。。あったっけ?
 
でも、これ、経典ですもん、

誰も、著作権もってないよね。。 ま、たぶんね。。
 
 
 
夕方、駅のところで、

もういないかな、と思ったら

ビッグイシューの販売員の人は、

まだ、販売中でした。
 
 
札幌の、ビッグイシューの販売員の人たちは

全員、2月1日をもって

「畳に上がった」

そうです。

つまり、アパート入居をはたしたのだ!

おめでとうございます。
ちょっと遅くなりましたが。。。
 
Pic_cover
 
 
 
 
 
 
んで、もって

例によって、立ち話。 
 
「今月号は、ジョニー・デップですよ」

「え、この人?はじめてみたわ」
 
「有名なんですよ。
大阪や東京じゃ、この人が表紙だと
すぐソールド・アウトになっちゃうんだから」

「へぇ、有名なんですか。。。
名前も顔も、初対面だわ。。。有名なのかぁ~」

「そうですよぉ、今、世界で一番売れてる俳優なんですよぉ~」
 
「フーン、そうなんですか!知らなかった。。。
勉強になるわ。いいこと知ったわ、どうも、ありがとう」
 
 
 
販売員の人は、記事について、映画について、何でも、
とても詳しい。
 

さて、『ビッグ・イシュー』は
ホームレスの人を支援する雑誌です。
 
わたしの好きな記事は、

販売員の人が、答える「悩み相談」です。

★「ホームレス人生相談」★ちゅーんです。
 
 
今回の悩み相談は、

「阪神ファンの母親の応援がうるさくて、
プロ野球シーズンが憂うつ」
 
という、悩み相談です。

回答が、秀逸だぁ~~!! 

こんなすばらしい回答は、これまで
どんな悩み相談でも、なかったような気がする。。。
 
回答者の人は、いつも決まっているわけではないけど

どの人も、いつも、とても回答が、暖かい。。。
 
今回も、もちろん、とても暖かい、でも、それだけじゃなくて

とても智慧とアイディアに溢れてる。

知りたいでしょ、 
 
 
いやいや、教えるわけにはいかないね、うふ。

 
買っておくれ! 

 
ほかにも
戦争遺跡を市民文化財にする
 
「戦争を終わらせる」という
特集もあるのよ!
 
おもしろいから
買ってみてよ!

300円! 

 
各地の販売員のみなさんが

畳に上がるようにね!!
 
いや~、ジョニー・デップは、いい男だな~
なんとなく
畳に、似てない? 四角くて。。。。
 


考えすぎだわ。。。管理人。。。

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2009/08/02

買い物上手なの、買い物下手なの、管理人?

こんな日もあった。
今日は、曇りと雨。
005
 
 
 
 
 
 
人が通り過ぎます、北大の構内。
 

 
長い間、プリンタなしで、不自由してましたが、

とうとう、修理に出しました。


「最大でも、7千円台の修理代ですみますよ。。」

って、言われたけど

でも、でも

このプリンタ、安物なの。 
けちな管理人は9千円台で、買ったんです。。
 

で、
 
 
壊したときに、
新しいインクを買ってしまったところでした。

4千7百円くらいだったような気がする。。。。

何ですねん?
この値段!

インク二つ買ったら、
プリンタが一台買えちゃうよ。

修理代にちょっとプラスすると
プリンタが一台買えちゃうよ。
 

よっぽど、修理を止めて、一台新しく買おうかな、って思いましたが

でも、

ビンボーなのだ、修理しよう。。。
 
 
でも、

修理に3週間かかるのです。
 

つい、こんなものを買ってしまいました。
 
ビンボーなのに。。
 
 
USBサーバ
http://www.princeton-direct.jp/shopdetail/051004000002/ 

家族みんなで、一台のプリンタを使うんだ!
 

 
6980円だわ。。。たまったポイント2000円分を使おう。。
 
それでも 
 
4980円。。。
 
 
うーーーん、
 
 
かしこい買い物してるのかな。。。
 
それとも
 
そんな買い物してるのかな。。。
 
 
 
わかんないすねぇ。。。
 
 


やっぱ、
 
素直にもう一台買った方が、よかったかも。。。。
 
 
006
 
 
 
 
 
 
人が通り過ぎました、北大の構内。
 
 
 
 
それよりなにより、

プリンタに紙が引っかかったときは
 
 
ひっぱっちゃ。。。ダメだっ!
 
 
ビンボー人は、つまった紙を引っぱるな。。。。

(今日の教訓でした!しみる!) 
 

 
 
 

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