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2008年12月

2008/12/28

スマ長老さまの朝カル札幌講座

昨日の日記に書き忘れました。
というか、
わざと忘れたふりをしました。。
というか
ああん、ごめんなさい、ごめんなさい。

じつは、わたしがおじゃましている
札幌の朝日カルチャーセンターで

来年3月6日に
スマナサーラ長老さまが、札幌で講座を開かれます。

http://www.asahiccsap.com/

         ↑
左の上から三つ目 「知の世界を探求する」をクリックしてください。

一番上に、一回講座として載っております。

そこで、最初にスマ長老さまに少しお話をしていただいたあと

わたしと対談形式でお話をすることになっております。

よろしければ、いらしてください


っと、書きたいところですが

もう、ほぼ満員になっている模様です。。。ごめんなさい。


昨日、朝カルの方が

「もういっぱいになってしまって。。。」

「え?もう、いっぱい!なんとぉ!」

出遅れましたっ!

年明けくらいに、みなさまに
ご連絡しようとのんきにしてましたら

こんなことになりました。。ごめんなさい。

ま、写真でも見て、気を静めてくだはい。
003
 
 
 
 
 
 

って、わたしが気を静めよう。。。

対談形式でよかった。。。もし、対談にしなかったら

わたしが、申し込み遅れで、

スマちゃまのお話聞けないところだった。。。。
 
 
 
 

 
 
 
 

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2008/12/27

きみは縁起の法になる

今年最後の朝カルでした。。。

004





■相応部(サンユッタ・ニカーヤ)
第一集 有偈品
第一篇 神相応 第一章 葦の章 
第五節 どれだけ断てばよいのだろうか

 一方の隅に立って、かの神は、尊師の近くで、
このような詩を語った。

   どれだけ断てばよいのだろうか。
   どれだけ捨てたらよいのだろうか。
   その上、どれだけ修めればよいのだろうか。
   どれだけの執着を超えた比丘が、
   暴流を超えたものと言われるのだろうか。

(尊師が答えた)  
   五つを断てばよい。
   五つを捨てるとよい。
   その上に、五つを修めるとよい。
   五つの執着を超えた比丘が、
   暴流をこえたものと言われる。


この詩一つに、

今年最後の仏教の

すべてをつぎ込んで

語ってきました。
 


五つを断って、五つを捨てる。

いろいろなものを捨てるんだよ。

詳しく言えば長くなるので、

だから、最後の

「五つの執着を超えた」

というところだけ。

貪・瞋・痴・慢・邪見の五つの執着を超えるんだ。

けっきょくね、

★むさぼり

★いかり

★無知

★おごり

★誤った見解

こういうものが、よくないんだ。

このうち、かなめにあると思うのが

★無知★

これを、バシッとぶち切ると

残りの4つも、出てきにくくなると思う。


★無知★ってなんだろ?


縁起(因果)を知らないことだよ。

==========
ものごとは
他に縁って起こる
==========

だから

==========
もろもろのものは
変化している
==========

しっかり刻みつけるなら
この世のことが、わかるのさ。


頭ではすなおにわかる。
でも、
身体ではわかりにくい。


身体ではすなおにわかる。
でも、
心ではわかりにくい。
 

心ではすなおにわかる。
でも、
頭ではわかりにくい。


自分の中のどこかが
いやがっているとき
縁起はわからない。


そのために
五つを修めるんだ。

仏教は、ハウツーものなのさ。

★信  まずは信じること

★精進 まずはやってみること

★念 まずは意識してみること

★定 まずはぬいてみること

そして

★慧 出てくるものを待て!それが智慧。

 
信 で、頭でわかる

精進 で、身体でわかる

念 で、心でわかる

定 で、やり過ぎない

慧 で、流れ出てくる

ほら、流れ出てくるもの


これが智慧なのさ。。

智慧って、何かわかるかい?


智慧っていうのはね

きみが、縁起になったものなのさ 
 
きみは縁起の法そのものさ。

んじゃ、来年もよろしく!
 
 


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2008/12/24

まめっこぼさつりゅうじゅ、ジャイアンを家来にするの巻

001
 
 
 
 
 
 

荒れ地の雪の原です。。。それは、見ればわかります。

ここを行くのは誰でしょう。

君も知ってる
僕も知ってる
みんな知ってる

われらがりゅうじゅ

まめっこぼさつのりゅうじゅは、今日もいく。

まめっこぼさつのりゅうじゅは、

からだはちびでも

心は大きい。

ぼさつの行は

がまんの行。


それ行け、がんばれ

いちにさん。

みぎひだりみぎひだり

一生懸命歩くわりには前に進まんなあ。

短い足で

みぎひだりみぎひだり。

がんばっていくうちに

あ!


何だ!


あれは!


いじめっこ!


ジャイアンだ!


(何でいじめっ子ジャイアンなの。
キャラを無精してるな、著者のやつ)

やい!のび太。。。あれ?のび太じゃない!
なんだ、おまえ?!
のび太より、ちびだな。

ぼくは、まめっこぼさつ、りゅうじゅだ。

なに!
ははは。。まめっこ、だって、ほんとにまめだな。
のび太よりいじめやすそう。。。よおし!
おい!
おまえ、どこに行くんだ?

ぼく?ぼくは、前だよ。

なに?バカじゃないの。
おまえどこから来たんだ?

後ろからさ。

やっぱりバカだな。
よおおし、ここは通さないぞ!
行かせないからな。。

行かせてよ。(まめっこぼさつは、たちつくす)

じゃ、ここを通してほしかったら
三べんまわって、「ワン」って言ってみろ、
そうすりゃ、通してやるよ。

くるんくるんくるん。。。ワン

あらん、ほんとに三べんまわってワンをしちゃった。。
まめみたいだから、すぐまわるんだな。。。

じゃ、ぼく行くよ。

お、おい、待て!
三べんまわってワンをしろ、いわれて
そんなん、すぐするやつがあるか!
おまえね、プライド、っちゅうもンがないの?

ぼく、ない。
じゃ、行くよ。

お、おい、待て!
いわれたとおりにするなんて。。。(想定外だ、おろおろ)
おい!教えてやるが
三べんまわってワン、ってのは、
屈辱的なんだぞ!

屈辱的?

そうだぞ!
ほんとにプライドぐらいもてよ!

でも、それなら、きみがプライドもてば。

何でだよ。俺なんか、プライドのかたまりだぞ。
まめっこぼさつのおまえとはちがうんだぞ!

だって、屈辱的な三べんまわってワンを、
ぼくに頼んだのきみだよ。
プライドがあれば、頼まないだろ。

え?う、うん、そ、そうかな?

そうだよ、プライドがある人は、頼まないよ。
屈辱的なんでしょ。

うん、ま、そうかなぁ。。お、おい!
だまされるところだった。。
やい!まめっこ!
俺さまを誰だと思ってんだ。

知らない。

う。。お、教えてやるからよく聞けよ。
俺さまは、ジャイアンさまだぞ。
ジャイアンさまは、誰だ?
俺のいったとおり答えてみろよ。

俺さまは、ジャイアンさまだぞ。

ちがう。ジャイアンは俺!おまえじゃない!
わかったか。

ジャイアンは俺!おまえじゃない!
わかったか。

なに!わからんやつだ!ジャイアンは、俺さまだ。
おまえは、いぬだ。さぁ、答えろ、おまえは、何だ?

おまえは、いぬだ。

ちが~う!
俺は、いぬじゃない。おまえがいぬだ。
おまえはなんだ?俺の言ったとおりに言えよ。

おまえがいぬだ。

なんだと!いぬはおまえだ。言って見ろ。

なんだと!いぬはおまえだ。

なんで俺にさからって、俺の口まねするんだよぉ。。
恨みでもあんのか、
三べんまわってワンしろ、って言ったからだな。

きみがぼくに、「言って見ろ」と
言ったじゃないか。
ぼくはさからってないよ。

な、なんだと。。へえ、それじゃ、おまえは、
俺の言うとおりにするんだな。
俺が「ワンワン」と言ったら、どうだ?
ほら、ワンワン。。ワンワン。。
さぁ、どうする、なんか言って見ろよ。
ほら、ほら。。。さぁ、言えよぉ。


おまえはいぬだ
 


まめっこぼさつは、ちえっこぼさつ。。。

いぬっこジャイアンをしたがえて、今日もいく。。。

ピュウピュウ、北風、荒れ野原。
002

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2008/12/21

ボクの究極っす

最後の授業で、

ブッダの説いた「縁起の公式」を用いて

「きみも縁起の関係を見つけよう」という問題をやりました。

その公式は
<これ>があるとき、<かれ>がある
<これ>がないとき、<かれ>がない  です。

題材は、森鴎外の「高瀬舟」を用いてみました。
003
  
 
 
 
 
 


高瀬舟は、遠島を命じられた罪人を大阪に護送する舟です。

喜助は、年齢三〇歳、住所不定、
弟殺しの罪で高瀬舟に乗せられます。

護衛の役人庄兵衛に語った話では。。。


端折って話すと

親も無く近所の人の情けでようよう生きてる

喜助とその弟。

その弟は病気になって
兄の稼ぎで何とか食べていかねばならなくなった。

ある日かえると、
弟は血だらけで布団に突っ伏している。

のど笛を切って死のうとしたが、
刃が刺さったまま死にきれずに
苦しい息の下から
「剃刀を抜いてくれ」と兄に頼む。

兄は、他になすすべなく、
弟の責めるような目に負け
とうとう言われたとおりに
抜いてやる。

そのときばあさんが入ってきて
「あ」と言ったなり駆け出し。。。

気づくと、弟はこときれていた。


さぁ、ここにどんな因果がありますか。。。

<兄>がいるとき、<弟>がいる。。。。。。まあ、ね

<金>があるとき、<食べ物)がある。。。。だにゃ。

<きずな>があるとき、<なさけ>がある。。。おお!

<思い>があるとき、<人が動かされること>がある。。うむ!

<近所のばあさん>がいるとき
<喜助が罪人になること>がある。。。。。ちょっと長くね。

<弟の病気>があるとき、<兄の苦労>がある。。。にゃるほど。

<選択の機会>があるとき、<迷い>がある。。。普遍的っ。

<本当に苦しい>とき、<死ぬ勇気>がある。。。そうかぁ。

<生>があるとき、<死>がある。。。でたっ!


いろいろ、まだまだ、書ききれません。。。。

で、最後に、一人、もってきた。

「せんせ、ボクの究極っす」
「どれどれ」


<罪>があるとき、<事情>がある

ほほぉ!なかなか。

あら、でも、これは因果?
いや、そんなことどうでも因果。。。おい!

熱いぞ!
理由づけの縁起。。

で、もって、かれは、熱く語る!

「せんせ、裁判員制度ってできたじゃないすか。
この前、その制度のためのモデルケースになった
広島の殺人事件の裁判、あったすよね」

「ああ、性急にやり過ぎたというので、
審議不十分で差し戻しになった裁判ね」

「どんな罪でも、事情はありますよね。
ちゃんと事情を見ないといけないと思うンス」


えらい!
ブッダの縁起をべんきょすると
みんな、たちまち、かしこいぞ!


そんじゃ、最後の授業を終わります。
よい冬休みを、向かえてちょ。。。
004
 
 
 
 

ええっとぉ

<よいせんせ>がいるとき、<よいせいと>がいる

っての、どうかにゃ?

究極じゃない?ね、ね、どう?どう?よくない?

もう、せんせ!うるさいぞ!


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2008/12/08

比丘と菩薩

2008/11/30の日記
「二つの奇跡」は

コメントをいくつかいただいて

「やっぱり!」って

思いました。

なぜ、「やっぱり!」って、思ったかというと

自分でも

詰めが甘い文章だな、って思ったからです。

書き足りないところが、あることはわかってたけど、

とりあえず

出してみようと、思いました。。。欠陥の文章ですが。
005




そこで、欠陥文章を

再度考察してみましょう。

わたしの日記「二つの奇跡」。

欠陥はどこに?

奇跡は二つと書きました。それは次の二つです。

=========================
★一つは、ブッダの法が、まず、奇跡の法だということ★

人間が作り出した思想の中で、もっとも完成された思想です。

どんなわずかのミスもなく、円満具足の法なのです。


では、二つ目は?

★それは、法を了解して、受け取り

完璧に維持できる比丘たちがいたということ!!!★

==========================

この中で、問題なのは、「奇跡」であるブッダの法が

いったい何か?

書いていないことです。

ブッダが伝えたものは、「何」であり

比丘たちが受け取ったものが、「何」なのか

あえて、書かなかったのです。。。。。。。


「思想」とありますが、ブッダの法は、正確には

思想と名づけられないかもしれません。

でも、

比丘たちは、「思想」の形で受け取りました。

「思想」は、玉手箱のようなものです。

あきらかに、おみやげ品です。
ブッダからの

贈り物

なのです。

目に見える形をもったものです。

ですから、どのようなひもがかかっていたかとか
パッケージは、どんなであったかとか
素材や色やいろいろ示すことができます。

ブッダが、自分の口で何を言ったのかを
知ろうと
研究する研究者は

このパッケージやひもを

ブッダの法であると思っているのです。

だから、どんなことばなのか、
ブッダの言ったとおりに
知られないと
ブッダの贈り物は
わからない

思っているのです。

しかし

「ブッダの贈り物は、玉手箱の中身だ」

思う人は、

箱の中身に注目するのです。

で、あけると。。。ふわっと煙のようなものがぁ。。。

あれ?閉めると、元に戻ります。。。

もう一度、

あけると。。。ふわっと煙のようなものがぁ。。。

あれ?閉めると、元に戻ります。。。

もう一度、

あけると。。。ふわっと煙のようなものがぁ。。。

おいおい!
くりかえしは無しよ。。

はいはい!
わかりました。

で、煙が贈り物だけど、それは、すぐ消えるので

それを吸収するまで、箱ごと取っておこう、

って思った人々が、比丘たちなのです。

 


比丘たちは、箱が壊れないように

補強したり、防腐剤をおいたり、
ひももきれいに結んだり

箱も含めて、全部を大事に、扱いやすいように
保存したのでした。

開けたり閉じたりして使うので

そのために、使いやすく、保存したのです。

ですから、ブッダが渡したときの

玉手箱とは

いくらかちがったところもあるでしょう。

パッケージ包装の方法とか、ひもの結び方とかねっ。
 
 
でも、そんなことは、些細なことなのです。

玉手箱の中身が大事なんだからね。

で、

この玉手箱の中身。。。

これが何かを言わずに

わたしは、「二つの奇跡」という題で

お話ししたので、コメントをいただいたのです

。。と思います。

 
ブッダの「贈り物」。。。玉手箱の中の煙。。消えてしまうもの

それは、何でしょう?

それは
 


■!論理!■
 


身体(行為)・口(ことば)・意(心)

これらをパッケージとして、ひもとして

その中におさめられる、!論理!
 
 
これこそが

ほんとうの贈り物

です。

行為やことばや心がなければ

論理は示されない。。。
煙だけは渡せないからね。。

ブッダは

ただのことばを教えたかったわけではない
ただの行為を勧めたかったわけでもない
ただの心をつたえたかったわけでもない

その中に、煙のように溶けている

論理を

人々に

「幸せの種」として、

プレゼントしてくれたのです。

開けると広がる煙は

「縁起」という論理です。


「縁起」を

幸せの種として、受け取った比丘たちは

パッケージも添えて

人々に示しました。

「開けてビックリ」も、ブッダからの贈り物の中に

入っているからです。

人々は、煙が出てくる様子も、驚いて見つめ、
「あるがまま」ということばとともに
比丘たちの話の中から、論理の煙を吸い込んだのです。

幸せの種を飲み込んだ人たちは、幸せになっていきました。


しかし

 
 
比丘たちのびっくり箱を見ることのできない人々もいます。

比丘たちの近くに行くことすらできない人々だって

いるのです。

遠いから。。。比丘たちのことを知らないから。。。

仏法から遙かかなたにいる人々は、恩恵を受けられません。


だから、

 
 
菩薩が生まれてきたのです。


大乗の菩薩たちは

遠くに出かけていくのです。

ダメダメ人間と、自分を思っている人々にも

煙を渡すのです。。。そりゃ、むずかしいし、たいへんなのです。

だから、

重い玉手箱は、置いていくことにしました。

修行を積んだ彼らは、

智慧の波羅蜜行によって

軽い煙だけ。。「空性」という論理だけを

受け取りました。

「パッケージはいいから
ひもはいらないから」

と彼らはいいます。

「え?でも、煙は?」

「ああ、だいじょうぶ!
煙は、たしかに受け取った。」

「いや、そうじゃなくて。。。
ほら、箱を開けてビックリする、
ってのも、
パフォーマンスとして必要でしょ。。。
困らない?」

「ああ、心配ないよ。。
それは、ボクが智慧でなんとかするさ。
そういう手立て(方便)は、
ボクが、現地で調達するさ」

こうして、玉手箱をもたず

空性の煙だけを身にまとって

身軽な菩薩は、行けるところには

どこにでも行くのです。

行く先々で

仏像を作って、煙を入れたり
護摩を焚いて、煙を出したり
マニ車を回して、煙のわっかを作ったり

菩薩は活躍するのです。。。
 
 


「幸せの種」を

人々に渡すのは

比丘も菩薩も

変わらないのです。。。

受け取った煙(論理)は

同じだからね
007




 

で、なんとなく、尻切れトンボに

。。。めでたしめでたし。。


あら、変な終わり方。。

で、未曾有(奇跡)は二つなの?

ええっとぉ。。。

未曾有人(奇跡の人)は、二つ

比丘と菩薩。。。。って、

こういうことがいいたかったのだろうか、

管理人は?


とにかく、

管理人からのプレゼントは

煙のようなお話。。。。


一言でいえば

煙にまくお話 でしたっ!

そまつなものですが、どうぞ!!
お歳暮です。。。。。(ほんと、粗末だな)


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2008/12/07

クルシミマスのクリスマス。。

12月です。。もう7日ですよ。。時は過ぎわたしは残る。。

なんて、言ってはいられないのです。

「師走」ということばどおり
師は走るのです。

11月の終わりから
講義の他にも

頼まれた原稿を仕上げ
テストを作り
その採点も仕上げ
会合にも出席

んでもって、

最後のサッカーの試合にもいくのでした。
003

 
 
 
 
008
 
 
 
 
 
 
その間、通奏低音のように

常時鳴り響くは

龍樹本のシンコペーション。。。書けー、った、書けー、書けー♪


さらに、悪いことに

また、新たな難題にぶつかる日々!

龍樹!いい加減にしてください!

全インド哲学史をことごとくおさらいしないと
本を書けなくなってきちゃったぞ!

ちょっとしたぬかるみに
足を取られたつもりが

なんと!
なんと!

底なし沼だったという

様相を呈してきました。


『方便心論』の恐ろしさを

身をもって体験中です。。。すげぇです!


論理学は、ゲーデルの不完全性の定理に達する。
部派の思想は、膨大な『大毘婆沙論』を完全に掌握。
医学・薬学は、現代科学もまっ青の知識レベル。
インド諸派の思想は、
ヴェーダ、ウパニシャッド、文法学、サーンキヤ、
ヴァイシェーシカ、ヨーガ、ジャイナなどなどを、あっさり
手の内にする。


これらをもってるだけでも、天才の名をほしいままにするだろう。

でも、そんなの、めじゃない!

これらを、あっさり、空性の中におさめてしまう

巨大ブラックホール。。。それは、龍樹、きみだ!


ちょっと、ちょっと。。。

え?

ぼく、龍樹なんですけど。。。あのぉ。。

なに。。あ、龍樹、おひさ!

、あ、おひさです。。ちょっと。。あの。。(もじもじ)

あ、何?なに、もじもじしてんの?
今回、龍樹、ほめといたから、ちょっと気恥ずかしいのかな?
意外と、控えめなのね、龍樹ってば。

ちゃうちゃう。
そうじゃなくて、
’底なし沼’ とか ’ブラックホール’ とか
何とかなりません?
ダークなイメージで
悪役っぽくていやなんですけど。

あら、ごめん!
うーん、そうねぇ、そういわれると暗いわねぇ。。
なんせ、わたしの苦悩が、もろ、現れちゃってるもんだから。。
わかったわ。。訂正する!

’底なし沼’ の代わりに ’天井知らず’

’'ブラックホール’の代わりに ’ホワイトイルミネーション’

にしとくわ。どう?いいでしょ。


うーん、管理人の表現って、いちいちひっかかるけど。。いいか、ま!
でも、その’ホワイトイルミネーション’って?

大通りやメインストリートの電飾よ!

     こんなん
      ↓
003_2
 
 
 
  
 

 

龍樹には、関係ないかもしれないけど
クリスマスだし。。

空リスマス (くるし!)

ってことにしとくわ。

で。。。わたしは

クルシミマス (くるし!)

ってことで。。とほほな毎日。

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