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2008/08/31

伊藤和也くんの死

日本のNGO(ペシャワール会)に所属して
アフガニスタンで活動を続けていた

伊藤和也さんが、

アフガニスタン東部で殺害されて遺体で発見されました。

2008年8月27日のことでした。

http://www.news.janjan.jp/world/0808/0808275677/1.php

アフガンの人々のために
アフガンの子どもたちのために
一生懸命はたらいていた伊藤さんは

志なかばで

凶弾に倒れたように見えます。

=======================

いや、

でも

そうではないだろう。

かれは、アフガンの地に種を植えた。
こんな風に、それは育ってくるだろう。

007
 
  
 

 
 
 
 
かれは、たくさんの種をどこに植えたのか。

いろんな条件で、
芽の出ないこともあるのじゃないだろうか。
育たないこともあるのじゃないだろうか。
育っても実らないこともあるのじゃないだろうか。

そんな心配はいらない。

かれの植えた土壌は、
確実に芽を出す土壌で
確実に育つ土壌で
確実に実る土壌だから。

かれは、誰もけっして犯すことのできないところに
種を植えた。

アフガンの子どもたちの心の中に
世界の人々の心の中に

種を植えた。

=======================

人は死んでしまうと、
それで何もかもが終わったように見えるかもしれませんが
それは、必ずしもあたってはいません。

人は死ぬことによって
なかば残ってしまった志を
遂げることがあります。

それ以上のことをすることがあります。

伊藤和也くんは、
これからも
アフガンの子どもたちのために
はたらくだろう。。。きっと。

どうも、そんな気がしてなりません。

はたらきものの和也くん、がんばれ!


和也くんが、悲劇にみまわれている頃
わたしは、文献の中で
ペシャワール(プルシャプラ)の付近を
さまよっていました。

今から、1800年前

龍樹は、ちょうど和也くんの活動していた地域を
めぐって、一生懸命、種を植えていました。

龍樹も、和也くんくらいの年(31)だったかもしれない。

龍樹も、たくさんの種を植えました。

幸せの種は、散らばって、いろいろなところで芽をふいています。
インド、中国、チベット、日本。。。

日本の片隅で、1800年後に芽を出したものだってあるのです。

『方便心論』

006

 

 
 
 
 
 
『方便心論』の最初に、こうあります。
 
稲や麦の種を蒔き、水を引いて灌漑すれば、苗はよく育つが、
雑草を取り去らないと穀物はよく実らないように、
もしこの八種を聞いてもその意味をよく理解することがないならば、
論(=論理学)のさまざまにことごとく疑惑が生ずるであろう。
もしかりに、
この八種の意義を明瞭に理解するものがいるとするならば、
必ずやすべての論法に達することができるだろう。
(一・一・一)


種を植えても、

わたしたちが育てないと

穀物はよく実らないんだ!

和也くんの種も、龍樹の種も

育てるのは

わたしたちっ!

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コメント

春間さま

> それを、「悪」に育てるのも、
> 善に育てるのも、
> 残されたものの心であることを、私も知ります

雑草の抜き方が悪いと「悪」になっちゃうかもしれませんが、種が極上の種なら、やっぱり清らかに花開くんじゃないでしょうか。

なんといいましょうか、浄化された「悪」というのも、あるんじゃないか、って。。

>  私たちは、手を取り合い、心を、、繋ぐ、、、、、、

繋げるのは、心! いいです、とても。
 

投稿: 管理人エム | 2008/09/01 00:44

>種を植えても、
>わたしたちが育てないと
>穀物はよく実らないんだ!

植えられたのは、
種々の種、、、、

それを、「悪」に育てるのも、
善に育てるのも、
残されたものの心であることを、私も知ります

(ダンマパダ 1-1)

   

雨の潤すところは、その心に従って、充分に、受けることができると
薬草喩品に記されています

育てるのは、
私から始まる、私たち、、、、

 私たちは、手を取り合い、心を、、繋ぐ、、、、、、 

投稿: 春間 則廣 | 2008/08/31 19:34

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