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2007年11月

2007/11/27

世界は広い!思想は深い!

バタバタしてて、ブログもご無沙汰でした。
来てみてびっくり!
11月23日 アクセス数と訪問者数
驚くでないぞ!
なんと

アクセス数 614
訪問者数  494

ふつうのアクセス数は 今では
200~300超えたくらいです。
訪問者数も 60~90くらい。
増えましたね。

でも、訪問者数が500近いって
すごいですね。
つまり、ほぼ1000の目によって
見られているってことだ。。。

。。。。生活変えよう。。。

なるべく
清く正しく、生きよう。
あ、美しく、ってのもあったわね。

美しく。。。。。これは、まぁ、いいか。
ぜいたくは言うまい。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

清く正しい生活に、とつぜんあらためました
管理人です。
みなさま、こんばんは。

最近、管理人は、宗教の諸現象について
はげしく
勉強中です。

日本のさまざまな宗教儀礼を調べたり
世界各地の宗教を勉強したり
忙しく調査するのでした。

じつは、読む暇ないけど
小川英雄氏『ミトラス教研究』を借りました。
また、まだ読んでないけど
岡田明憲氏『ユーラシアの神秘思想』を
財布をはたいて買ってみました。

ビデオで、日本の宗教行事の
「歳神さま」について、見ました。
「現代のキリスト教」についても見ました。
「ネパールのクマーリー信仰」についても
見ました。
小さい少女を生き神さまとして崇める信仰です。
ベナレスの火葬場の風景も見て
台湾の観音様の信仰も見て
タイの出家修行の様子も見ました。

はぁ、宗教がいっぱい!

で、
南華さまのお薦めの

張明澄氏 『密教秘伝『西遊記』』 を読みましたら

これが、とてもおもしろい!

『西遊記』を、密教の秘伝を隠し伝える書として
それを読み解くという内容です。

『西遊記』は、三蔵法師が孫悟空他の家来と共に
経典を求めて、天竺まで旅をするお話しです。

張明澄氏の深い仏教の知識が
どことなく
中国の道教・儒教の匂いもただよう中で、
悟空の大騒動とともに
次から次へと展開されます。

そうか!孫悟空ってのは、孫(サル)の行者だったのか。
人間の弱さと仏教の教えの深さが
簡潔な言葉で
明快に
つぎつぎと説き明かされていくさまは、さすが!です。

『西遊記』は、仏教の教義とからめて読むと
おもしろさが何倍にもなりますね。

とうとう、『西遊記』も借りてきてしまいました。
でも、
ただの小説だと、もう、もの足りないわ。

張明澄氏は、「はじめに」で

「『西遊記』の比喩のしかたを読めないと、
ただの化物小説になり、オカルト以外の何物でも
なくなってしまいます」

と書いています。

ああ、ダメだわ。
「比喩のしかたを読めない」もんで
わたしが読んでも
ただの化物小説になっちまってる。

張明澄氏の解説がついた『西遊記』を
ぜんぶ
読んでみたい。

世の中に、
こんなおもしろいものがあったなんて
ほんと
大海を知らない蛙だわ。

そういえば、話変わるけど

先日は、哲学の学生さんが
わたしがインドの哲学をやってると言うのを聞いて
「何でインドなのかわからない」と
言ってました。
インドみたいなおもしろみのないもの。。って感じかな。。

かれは、中国の老荘思想が好きなんです。

「インドも、中国に負けず劣らず奇想天外なんだい」
といいたかったけど
うまく伝わりませんでした。

南華密教は、中国とインドの
両方の非凡なる思想を
あわせて、
まぜまぜした感じのようにお見受けしました。

さすが中国は、でかいです。

インドの「偉大なる」哲学思想でも、
ちょっと手玉にとるような
そんな中国の太っ腹な懐が、魅力的です。

そんな、魅惑の思想に魅せられた今宵は、
神秘に、というか、あやしく輝くネオンをご覧あれ!
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大学の中庭のツリーです。
キリスト教系の学校なので、あちこちにツリーがあるのよ。

ああ、宗教色豊かなブログだ!


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2007/11/20

とつぜん降るなよ

昨日は、寒かった。

苫小牧は雪でした。
バスを降りると、学生さんが一人
るんるん雪と戯れてました。

「楽しいです!」といいながら
雪玉作ったり、写真撮ったり。

「こっちじゃ、予告なしに
雪が降るんですね」

「ええっ!ふつう、雪は
『これから降ります、降ります』って
言わないと思うけど」

「ぼく、東京なんですよね。
あっちも降るけど、こんなとつぜん
降ることはないです」

そうか!たしかに、起きたら
雪景色、ってのは、こっちじゃよくあります。

そんじゃ
「起きたら、そこは雪国だった!」をご覧ください。

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二つの写真の間のスペースに
学生さんがいて
るんるんしてます。

いや、それにしても寒い大地だ。

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2007/11/18

ブッダの法は人類の奇跡である

たとえば、こんな意見がある。

歴史上のブッダは、人々にあわせて教えを説き、
それを弟子たちが編纂して、経と律にまとめた。

現在ある仏教の経典は、
古いと言われる上座部の経典でさえ
幾多の年月をかけて現行のものになったのである。

だから、ブッダの説いたものはほんとうは何か、
わたしたちは直接知ることはできないのである。

このように言う人は、けっこう多い。

たしかに、上座部の経典も、上座部の長老が
「これが、ブッダの教えである」と
受けとったものを師資相承、つぎつぎ伝えてきた集積物なのである。

では、ブッダの教えは、そこから直接に知られないだろうか?

たとえば、知られないと言う人は、
伝言ゲームのようなことを考えているだろう。
つぎつぎ聞いたことを次の人に伝えていくと
最初の伝言は、最後にいたると
見るも無惨にまったく異なる内容になっている。

1.ならば、ブッダの法だって、伝言ゲームのように
変化しているのではないか。

さらに、また、最初にブッダの法を受けとった弟子についても
問題があるだろう。
そこに、弟子の主観が入ってしまっているから
ブッダみずからのことばとはもう違っているだろう。

2.ブッダの説いた表現や言葉づかいのとおりには、
わたしたちは永遠にブッダの法を知ることはできないのである。

1と2により、歴史上の人間ブッダの言説には、
わたしたちはお目にかかることはできない。
ブッダの法は知られない。

このように言う人は多いのである。

■では、考察してみよう■

★まず、2について。
ブッダの言ったとおりの表現や言葉づかいを知ることに
どんな意味があるのだろうか。

ブッダの言ったとおりの表現や言葉づかいが
知られなければ
ブッダの法は知られない
のであれば、
ブッダの法というのは、
その内容よりも
表現や言葉づかいの巧みさ美しさに
重要性があったことになる。

人に心地よい言葉を与えるだけなら
別に、ブッダでなくてもできるだろう。
その人に合わせて説いたという法が
その人にしか感銘を与えないものであれば
ブッダの法は、あまり普遍性をもっていたとは言えないだろう。

しかし、ブッダは法を、人にあわせて説いたのだけれど
その言葉は、聞いたその人ばかりではなく
その場にいる多くの人々に真理であると実感させ
納得させたのである。

ここには、たんなる表現上の巧みさ以外のものがある。
そこにあるのは、言葉と言葉をつなぐ必然的な関係である。
確実に人を納得させる論理がある。
それは、必然的な心のあり方である。

これを理解した者は、ブッダの法を自分の理解したとおりに
あやまたずに伝えられるだろう。

表現や言葉づかいの問題ではなく
真理をとらえたその心のあり方が、伝えられるのである。
言葉というロゴス(論理)によってである。

2500年間、結局、そのようにして仏法は伝えられてきたのだろう。
言葉を介して人の心のあり方(=渇愛の滅尽)を伝えているのである。

そういう意味では、どんな言葉づかいでも、どんな国の言語でも
ブッダの法は伝わっていくのである。

★次に、1について。
伝言ゲームのように伝えるうちに変化してきたのではないかについて。

たんに言葉だけであれば、変化もするかもしれない。
しかし、伝えてきたのは、心のあり方である。
その人が、そのような心にならなければ、次に伝えることはできない。

ブッダが亡くなった後、即、500人の阿羅漢が集められたのには
ワケがある。
阿羅漢でなければ、ダメだったのである。
ブッダと同じ境地に達していなければ
ブッダの法は正しく伝えられない。
先に述べたように、心にかかわることがらだからである。

伝言ゲームではなかったのである。
言葉を伝えているのではなく
「心」を伝えていったからである。

阿羅漢が伝えた法(阿含経典)は、ブッダの法である。
なぜ、それがわかるか。

阿含経典が、論理的に完璧だからである。
完全な体系だからである。

「完全で完璧である」という、ただそのことだけによって

阿羅漢は、ブッダと同じ境地にあり、
また、
ブッダは、阿羅漢と同じ境地にあることがわかる。

この世の誰も成し遂げられないような
神の領域にあるようなことがらを目にしたとき

わたしたちは、自分の目を疑うしかない。
ありえない!
しかし、現実にそうあるとき

わたしたちは、この世において
奇跡を
信ずることになるのである。

ブッダの法は、人類の奇跡である。

不完全なはずの人間が
完全であることを
示した一つの奇跡である。

わたしたちは
ブッダの法にふれるとき
歴史上ブッダと言われる人が存在したことを
たしかに知るのである。

もしブッダがいないのなら
この法があることを
どうやって納得したらよいのだろうか。

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落葉松はさびしかりけり
すぎゆくはさびしかりけり
法はさびしかりけり。。。ブッダも見てくれよ、法を見たらば


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2007/11/17

あしもとがだいじ

ちょびっと、雪ですね。。 
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背景の雪かき道具が出番待ちですが、
まだ、まだ、先ですね、きっと。

昨日は
冬靴を履いていこうと思ったら
いくら探してもありません。

あ、去年、捨てたんだった!

長年愛用の冬靴、
雨漏りすることが露呈したのです。

だいたい、雪は乾いているので
水に漏るということはない。

ぜんぜん平気でぬくぬく履いてたのだ。
雪道さえすべらなきゃ、オッケーなのです。

でも、
ここ最近、雪がべちゃべちゃするのです。
水漏れ靴の欠陥がバレバレです。

ああ、こんなところにも、地球温暖化の影響が!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、えび天サンバさまにお話ししていた
駅前のもう一つのオブジェ。

ううん、ここは、よくイベントに活用されてるみたいで
こんなになっとりました。
写真撮りずらいけど、えいっ!Image144


 
 
赤いのが、そうです。
あ、動揺してぶれました。
えいっ!もう一度!Image145


 
  
 
それぇっ!
スタコラ、逃げろーっ!

足先の話題で
統一できて、うれぴー(おばか)! 


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2007/11/16

おんせん、おんせん、おお、せんないことで。

日記も、ため書き(書いて貯めとくことね)
できるといいかな
って、
最近思うのでした。

ノリノリだと
どんどん書けちゃうけど
忙しくなると
それどころではなくて
ぱたっと
書けなくなってしまう。

また、

いろいろ
考えるところがあって
問題がたくさん浮かんでくるけど
途中の段階で
書いていいかどうか
わからない

なんて、こともある。

ため書き作戦

これをやってみようかな。

といいつつ、もうやってまんねん。
えへへ、ごめんね。
@@@@@@@@@@@@@@@@@
ある学校で
学生諸君の文章を書く力がなくなっているので
何かいいアイディアないでしょうか
という相談を受ける。。。。

わたし
「アイディア、あります!
論理学ですね」

「論理学はぁ、ちょっと、あのぉ
記号みたいのある。。あれですか」

「あ、そういうのもありますけど
それは、なかなか使えないんですよね。
そうじゃなくて、
ブッダ論理学というのが
あるんです」

と宣伝する。

ブッダ論理学

なんとか、使えるようなものに
まとめたいと
前から思ってるのだけど
なかなか時間がなくて
整理できない。

文章を書くとき
自分の考えをまとめるとき
わかりやすくしたいとき
この論理学は
使えると思う。

「国語を入れてる大学・専門学校もあるんですが
国語じゃ、報告書・論文は書けないんですよね」

「ううむ、ですよね。。
こりゃ、論理的な展開が
意識されなきゃならないですからね」

ますます、論理学の必要性を感じる。
それも「ブッダ論理学」の。

一度、ゆっくり、こんな温泉につかって
しみじみ考えてみたい。。。ブッダ温泉で
じゃなくて
ここは、苫小牧の ゆのみのゆ
上から読んでも下から読んでも ゆのみのゆ
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アトピー性皮膚炎にも効く。
アトポスな飛文章にも効く。
温泉は、ええですの。
お湯につかることができれば、もっとええですの。

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2007/11/15

器が大事さ、どんな形でもね

仕事で忙しい
ということはない。

なぜなら、今週は、二日も休みが入るからなのです。
火曜日と木曜日が休み♪♪るん

しかし

あまりのことに
この貴重な休みを生かし切れない。

何から手をつけていいのか
わからないのが
悲しい。

あれもやりたい、これもやりたい
と思い
火曜日は終わりました。。。ただ、あせって日がくれた

貴重な残された木曜日一日。。。
やるべきことが目白押しだ。。

美容院に行く。。もったいない、
そんなことしてる暇があったら、と思うが、
でも仕方ない。

髪の毛は伸びるんだよ、ね!
「はやいですね、伸びるの」って言われる。

脳を使っていないせいかも。
表面の髪の毛に栄養が行きわたるのかもしれない。

お釈迦さんみたいに
一度切ったらずっとくりくりの頭(螺髪)のままだったら
いいなぁ、
と、我が身の不運を嘆くのでした。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
お釈迦さんで思いだしました。

数日前、テレビのチャンネルパチパチやってたら

仏教のエライお坊さんがお話しをしていました。
もう最後の方らしく、数分で終わってしまったけど
エライお坊さんは、このように言っていました。

「お釈迦さんは、富士山の頂上から見るように
人々に対して説法をしたので、
ピッタリ相手にあった対機説法になった。
ふつうの人は、7合目や8合目のあたりにいて
『そっちは砂利道ですよ』程度のことを説法をするのです」

また

「お釈迦さんは、仏法を説かなかった。
話を聞いた弟子たちが、仏法としてまとめた」

少し違うかもしれないけど、このような内容でした。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

お釈迦さんについては、
ほんとにいろんなことが言われているんですね。

そして、それは、
みな、
自分の器で、
語られているのです。

ここなんですよね。
自分の器、
これを超えては、人は語りえない。

だから、精一杯いいこと(=器のでかいこと)を
語りたいなら、自分を磨いて器を大きくしなくちゃならん。

わたしが、わかったのは
そういうことでした。

よし、雨の日でも
くっきりと赤い色を印象づける
この鈍行(どんこう)の列車のように
人間
鈍行でも、くっきり赤い色を冴えわたらせよう。
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細く長い器ってのも、ありかな?
どう思う? 

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2007/11/11

中身はなくてもいい!まわりがあれば

いろいろあって、日記を書こうと書きかけると
中断されます。

中断されると、もう、次には書く気が失せてしまう。
なんか、もう話のネタが古くなっちゃう感じがするんです。

で、書こうとすると、あ、書くネタが思いつかない。
うううむ、さびしい!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
軽く、イケっ!軽いのりでいくんだ!
芭蕉も言ってる。
「わび」「さび」だけじゃなくて
「しをり」「ほそみ」「かろみ」ってね。

とおだごもこつぶになりぬ秋の風

だったっけ。これは、「かろみ」かな?
どうだっけ?
芭蕉のお弟子さんの句だったかも。
十団子(とおだご)は、お団子です。

で、とりとめなく続けると

お団子だけでなく
あらゆるものが、昨今「小粒」になりますね。
でも、
商品や袋が小さくなるだけでなくて
いろんな偽装や改ざん疑惑もあったり。。。
これは、まずいです。

やっぱり、人間社会で、ウソがはびこると
世の中、成り立っていかなくなりますね。

食品業界だけではなく、政治の世界や経済の世界、
建設業界、教育の世界。。。ぜんぶですね。
そういえば、学問の世界も、ま、似たようなものか。

うううううむ、つらいですね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

「ウソ」とは何かというと、
「自分がほんとは『そう』思わないのに『そう』言う」
ことだと思う。

その人にとって
身口意の行為が一貫していない
ことです。
たとえば
口ではAといいながら、
心(意)では「Aでない」と思ってる、ってことです。
本人、それをよく自覚してることです。

そういうことが起こると
その人が分解・解体しちゃうんだ
ってこと
どうして、人は気がつかないのか、不思議だ。

よりどころにしようと思う「自己」が
解体されてしまうので、
その人自身消滅してしまう。

ウソをつくと

「自己」はない
「自己」はないと
「無我」にも行けない
「無我」に行けないと
「解脱」できない
「解脱」できないと

苦しみだ

こういうわけで

最初の
「ウソをつくと」
から

最後の
「苦しみだ」
へと
いくのですね。

人間は、このオブジェのように
中身はなくても
外側はしっかりくるまれて
丸くなってれば、安心。
解体しようがない。
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白いオブジェ!
きみは、お釈迦さんだっ!


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2007/11/06

身動きとれないぞ!

朝起きたら、7時28分だった~ぁっっっっっっっぁ
サッポロ駅を8時に出る特急に乗るんだぁぁぁぁっ!

完全に遅れているけど、
何とか努力しなくちゃ。
とにかく、必死に夫にアッシーくんをしてもらって
地下鉄までいきサッポロ駅に着くと

8時5分

ううん、意外とわずかな誤差ですんだ
って、問題ではない!

乗り遅れたことに変わりはない!

次の列車で、学校についたら、5分遅れでした。
まぁ、何とかいちおうセーフってことで。。。

看護師さんに最後の授業なので
論理形式を使った龍樹の論法を
力いっぱい好き放題しゃべる!!!!

最後だから、許してよ。
今まで、言いたくても
仏教の話だから
耐えてたんです。

そして、しゃべってるときに
仏教の解釈について
一つひらめく。

そうか!そうだったのか!
『ブッダ論理学五つの難問』の中で
わかっているようでわかっていなかった点が
わかる。

ほんとに『方便心論』はすぐれた仏教書だと思う。

いつも、何かしら、新しいことがある。
きっと、この中に、仏法の一切が入っているにちがいない。
という気がしてくる。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ええ~、意味なくシャッターを切ってしまった写真です。
え?いつもより、すばらしいですか?
そんなことはないよね。

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煙突のある風景。
昨日の苫小牧です。
駅前でバスを待ちながら。
もっといいアングルはなかったのかって?

自転車と柵で身動きとれないんだって。
柵乗り越えようかな。。。って、思ったけど
人がいたし、いちおう、がっこのせんせだし。
Image121

 
 
 
 
それにしても
身動きとれない人生ですなぁ。。。

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